新しい家族が誕生しました。

妹の第一子です。


病院入室禁止の為
立ち合い・付き添い・お見舞いは
旦那様も含め 家族も禁止。

陣痛促進剤を二日間投与し
一人で陣痛室で耐え 出産しました
どれだけ心細かったかと思うと泣けますえーん

面会も出来ない為
入院中は誰とも会う事が出来ません。

今のすべての妊婦さん ママさん
本当によく頑張っていますね笑い泣き
皆さんに拍手です👏👏


合格

 

コロナ禍で様々な意見があがり
里帰り出産や
田舎に住む母親が来る事が難しく
 
我が家に
新生児の赤ちゃんと一緒に
産後の体の回復をしに
約ひと月 共に暮らす事になりました🤱

 


妹の事は
一度だけblogに記録した事があります。

 



百万人いると言われる病
重度のアトピー性皮膚炎を乗り越え
自分らしく生きる彼女は
わたしにとって光です。

本人の許可を頂き記録いたします。

☆+゚。〇+゚。+〇゚。+〇゚。+〇゚。+〇゚。+〇゚。

 
妹が母親のお腹に宿った時は
底知れぬ喜びを味わいましたが
母親は、先天的な特性がある事から
わたしはとても緊張していました。
 
神様 赤ちゃんを守ってください…
わたしがお母さんになります🙏

この決意はずっと変わらず今もあります。
彼女の名前はわたしが命名しました。
いい名前だと言ってくれた父親に感謝しました。
 
 
 
母親が産気づいた早朝。
 
あなた… あなた…おーっ!
もう産まれる…
 
まだ産まれんぞ。にやり
そんな急いでもまだ産まれん。
4人出産を見届けた経験からか落ち着いていました。
 
焦る母親と
堂々とした父親の話し声に目覚めました。
 
りもちゃん。
お母さん 赤ちゃん産まれそうやけん
起きるぞ。
 
わたしはパジャマの上に
薄ピンクの上着を着て 車に乗りました。
 
産院へ着くと
母親のお産の為に
真っ暗だった産院の灯りが
パチパチとついていきました。

わたしは
なんともいえない気持ちになりました。
このひかりは 
お母さんと赤ちゃんの為についたん?
ふたりのために電気を付けてもらえたん?

みんな やさしいね…ほっこり

そう父親にいいました。

うれしいな。
あかりをつけてくれて 
ありがとうございます…ぐすん

命が生まれる準備のために
真っ暗な場所に
あかりが付いていく事
涙が出るほど感激を味わった体験を
鮮明に記憶しています。



母親はすぐに分娩室へ行きました。
あまりにお産が早かったのか
まだよ~まだ生まないで~っと
助産師さんと看護師さんが
慌てて準備する声が聞こえてきました。
 

病院の長椅子で父親と2人で
産まれるのを待ちました。
 
すると すぐに
赤ちゃんの鳴き声が聞こえました。
 

ぁんぎゃ〜  ぁんぎゃ〜  ぁんぎゃ〜

 
看護師さんに案内され
ベビーベッドに寝かされた赤ちゃんを
初めて見ました。 

ふふふ かわいい…
赤ちゃんって 本当に真っ赤なんやね?

そうとぞ。
赤いから 赤ちゃんって言うとぞ。
でも、本当は生まれたばかりは青いとぞ。

えー?びっくりそしたら 青ちゃんなのに
時間が経って 赤くなるから
赤ちゃんになるんや。
ふふふ あーおちゃんほっこり

妹が指をギュッとしました。
 
手 ぎゅってするよキラキラ

赤ちゃんは 反射っていって
自然と物を掴むようになっとる。

そんなんや…
りもちゃんの事が
わかったんかと思ったのになぶー

また わたしの指先をギュッとしました。

ほら?
りもちゃんの事 好きなんやと思うよー?
ね? ね? ねー? ほらみてよ?ガーン
 
うんうん。わかった。わかった。
 
わたしの絵空事を適当に相槌する父親は
わたし達の様子を
腕を組んで見守っていました。
 





妹は
くるんくるんのくせっ毛で
愛らしい女の子です。

よく
天然のアフロヘアがかわいい
言われていました。


わたしの感覚からみると
彼女は
どこか半分以上眠っているようで
宙に浮いているというか
意識をお空の上に置いてきたように
感じる事がありました。


いつも のんびり ふんわり まったり…
猫の動画🐈を見ては ニヤニヤし
捨てられた子猫を見つけては必ず拾ってくる… 
そんな 丸っこい ふわゆるタイプの妹です照れ



彼女はアレルギー体質で
重度のアトピー性皮膚炎を患っていました。

わたしがこれまで生きてきた中で
彼女ほど
ハードなアトピーを見た事がありません。

酷い時は 眉毛も髪も抜けてしまって
膿んだ頭皮と髪がへばりつき、
瞼も閉じている時もありました。
火傷のような皮膚炎が広がり
肌色が変色し、褐色や白色になっていました。

色々なお薬を試しますが
効果が続きません。


これだけの皮膚炎を抱えているのに
彼女は その他にも
意識の発作を起こしていました。

夜中に夜驚したかと思うと
信じられない強さで硬直し、全身が反り返り
叫び続けました。

一晩に何度もです。
これを毎晩繰り返します。


妹に発作が起こった時
父親が大丈夫やぞ…っと
背中を撫でていましたが
父親の睡眠不足も続いていました。

わたしがなもちゃんと一緒にねる!
やけん お父さんもう眠りい?といい
それから数年間
2人で同じベッドに寝るようになりました。


発作のたびに
大丈夫…大丈夫と背中を撫でました。
なもちゃん 怖くないよ
おねぇちゃんがずっとここにおるけんね。
大丈夫やけんね。

身体全身がカチコチに硬直するのを
わたしは覆うように抱きしめていました。




夜だけではなく
昼間も発作は起こりました。

突然 予期なく意識が一定期間飛び
外からみたら
一点見つめをしているように見えますが
目も耳も反応が無く
意識は完全にシャットアウトとしています。

妹に起こる事を病院へ
行くように促しますが
倒れたり、身体の不調を訴える事がなかった為
両親が病院へ連れて行くことはありませんでした。


なもちゃん?
意識が無くなる時さ 何を感じる?

なんか 吸い込まれるような感じがして怖い。

そっかぁ…


妹は
自分の気持ちがわからないとよく言いました。

わたしは彼女の心を読み取る事に慎重になる習慣が
身についていきました。


意識が飛ぶのは
自転車運転中もありました。
坂道を降りる時にもそれは起こり
なもちゃん!!おきて!!起きて!!
なもちゃん!!!おーっ!

大きな はちきれんばかりの声で
発作中のなもちゃんに向かって叫びました。

自転車はノーブレーキのまま加速し
どんどん進んでいきます。

とまってーーーー!!おーっ!

本当にぎりぎりのところで意識が戻りました。

ん…?ニコ

自転車止めて!!おーっ!

キキーーーッ自転車DASH!

なもちゃん?
よく分かったね!!
よく止まれたね!

なんか
おねーちゃんの声が聞こえてきて
なんかな…って思ったら
目が覚めたほっこり

良かった。

なもちゃん
いま、この坂道降りる時にボーっとしたけんさ
帰り道は一緒に歩こうか?

おねーちゃんがおらん時も
あるくんよ?
歩いたら安全やけん 心配いらんねニコ

うん。分かった。

以来、危険と隣り合わせになった時
なもちゃん!起きて!っとわたしの声で呼ぶ幻聴が
聞こえるようになったそうです。

こどものわたしでも
彼女の中に 自分ではコントロールが出来ない事が
起きてる事を察していました。
ですから 
怒ったり 厳しく言って わかる事ではない事も
知っていました。
彼女の意識が戻った時に
驚かせないようにする為に
まず自分が冷静でいようと心掛けていました。


2歳くらいからの発症から
原因不明なまま 年齢を重ね
その年齢に応じて
危険な事を回避していきました。

心ない言葉をかけられたり
顔の前でパンパンと手を鳴らされ
バカにされるような事も度々ありました。
気持ちの問題とか…心の病気だとか…。
言いたい人は自由な発言を持っていましたが
彼女のふわゆるほっこりなキャラが愛され
いじめられる事はありませんでした。


彼女が高校生の時
わたしは社会人で家を出ていましたが
妹が泣きながら電話をかけてきました。

わたし、病院へ行きたいけど…
お母さんがダメってゆーと。

そしたらね、
なもちゃん
1人で病院行ける?

おねーちゃんが症状を紙に全部書くけん。
幼い頃からの症状と今の症状
なもちゃんは その紙を見せるだけでいいとよ。
分かってくれると思う。

おねーちゃんもお母さん説得するけん。
保険証をなもちゃんに渡すようにお願いするけん。


この作戦が成功し
細かな精密検査を受けた妹は
てんかんの診断を17歳で受ける事が出来ました。


お医者さんは
よくこれまで生きてきたね!と驚いたそうです。



彼女は病名がついた事で 救われました。

お薬もすぐに効果がありました。
もう 夢みたい…😭
別の人生を歩いているみたい…
こんなに人生が変わると思わんかった。
なんで 今まで病院いかんかったんやろ…


わたしは何日も何日も
様々な思いの涙がでました。





そんな彼女は今…

アレルギー体質
重度のアトピー性皮膚炎
を患っていた事から
食べ物や生活環境に気をつけました。
添加物や防腐剤、冷凍食品を受け付けず
本当に安全なものしか口に出来ず
アトピー性皮膚炎に悩まされた事が嘘のように
とても綺麗な肌をしています。


加工一切無し。盛りなし。
本気で毛穴とシミがない
どすっぴんの30代です。

生活習慣に気をつけた彼女の肌は
吸い込まれるように白く
もっちりとした弾力とハリがあり
赤ちゃんのような肌をしています。

敏感肌である事は変わらないので
冷たい水や氷に触れただけでも反応を起こす為
皮膚炎は残っていますが、
それでも全体的にイキイキとした肌をしています。


なんでも食べられる身体がいいとか
アレルギーを懸念する世も
確かにありますが

彼女のたまご肌と
風邪を一切引かない体質を見ていると
アレルギーというのは
本当に良いものしか受け取らないフィルター
神様にいただいた子でもあるのではないか?
感じます。
例えば
マー●リンやショー●ニングを使用したお菓子を食べると
すぐに喉に違和感がある妹の体質を見ていると
何を食べても反応がない体質と言うのは 
身体が鈍感であるともいえるのかな?と感じた事もあります。



てんかん発作から
昼夜 日常に差し支えがあった日々から解放され
何年も発作0
服薬0で 
元気な男の子を出産しました👶



発達障害の診断をされましたが
国内三代キャリアスマホの大手有名某社へ就職し
日本国内で接客No.1に選ばれ続け
アンケート高評価日本No.1
いつも指名でスケジュールが埋まっています。
※産休ギリギリまで、国内接客日本No.1

お客様にお土産を貰ったり
お弁当を貰って帰宅してくる事もよくあります。
田舎ではなく 都内の店舗です。
どこへ移動になっても
お客様同士の口コミで広がり
指名を頂き続けます。
接客中であれば
空くまで待つお客様もいらっしゃいます。



携帯電話shopで指名をもらい続けるって
聞いた事ないよびっくり
すごいね!なんでなの?

わからん。
わたしは 普通にしてるだけとよ…
接客方法教えてって言われて 
勉強会もあったけど、
何言えばいいか 分からんし。
ただ、わたしも難しい事はよくわからんけん
わかりやすい言葉で説明するだけよ。

それは わたしたちにお母さんがいた事やね。
お母さんに説明するとき
わかりやすく 言葉を簡単に変換したり
例え話をしてきたから
それが 自然と身についてたんやね照れ
結局は 親がそういう経験を与えてくれて
円くなっとるんよね。



彼女の人を想う優しさと
柔らかな 丸っこい雰囲気を
感じ取ってくれるお客様がいる事が
本当に嬉しいです。






あなたの軌跡は きぼうのひかりです。

なもちゃん。

あおちゃんだったのに
お母さんになったね。

ずっとみてきたけん
全力で拍手しよるお姉ちゃんがおるよ。

なもちゃん
生まれてきてくれてありがとう!
お母さんになれて おめでとう!


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僕らは 知っている 

奇跡は死んでいる

努力も 孤独も 報われない事もある

だけどね それでもね

今日まで歩いてきた日々を 人はよぶ

それがね

軌跡だと。




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てんかんという名前で括られますが
人により症状は違います。
それは脳神経の どの部分に発作が出ているか
一人一人違うからです。
100人に一人の割合でいると言われています。
国内でも約100万人が推定されています。
一生の間に1回〜数回程度のてんかん周辺群も含めると
人口の5%にもなると言われています。

専門医でも診断が難しいとされる中
世間の勝手なイメージや誤った情報拡散により
誤解や偏見が多いのも事実です。
こどもの病気だと思われがちですが
高齢者の発症も同じくらい多いです。
気になった方は是非てんかんinfoを覗いてみて下さい。




ラジウム温泉に入ると肌が元気になっていました。

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UMAくんりもっちのあるがママなすがママ


・人生の本質が見えた時。


・あの人が幸せでありますように…


・我が家に届いた不審な手紙
・大切な事に目覚めるサイン