今日は終戦記念日にちなんだ
エピソードです。



アニメ映画
『はだしのゲン』
原作・中沢啓治



この映画を作った監督が
うちのセンセー・真崎守




もちろん
今は認知症になって早10年。
すっかり本人は忘れているのですが…




うちのセンセーは
3歳の時に横浜大空襲にあった。
(1945年5月29日)
家族と逃げた防空壕の中で
オシッコがしたくなり、
母親に連れられて外へ出た。

その時に目の前に広がっていた
一面の赤の光…





全部真っ赤っかで
綺麗だった…と。



それが人生の最初の記憶として
残っているそうな。




大人になってセンセーは
この作品を手掛けることに
なったんだけど、

打ち合わせで会う中沢啓治さんは
いつも体調が悪そうで、 
やっとな感じで
いらっしゃっていたそう。

放射線の後遺症に苦しみながら、
治療しながらの作品づくりだったそう。


その想いも受け、
センセーは自分たちを
〝戦争を知り、語り継ぐことのできる
最後の世代〟だとして、

「絶対に原爆はダメだ」と、
人々に嫌悪感を持ってもらえるように


原爆のシーンで
トラウマを植え付けるように
演出を工夫したらしい。


現にわたしの同級生、
小学校で見せられて
具合悪くなっちゃったみたい…
可哀想に💦



だけど


それから何年かして、
テレビから映画の取材が来た時
センセーは断った。





取材の内容は

原爆の恐ろしさを後世の人に
忘れさせないため
改めてその悲惨さを語ってほしい

というものだった。




しかしセンセー曰く、

「いや〜、もうそうゆうの、
   やめましょうや! ゲラゲラ笑い



とのこと。びっくり



古い世代がこれが辛かった、
嫌だったって、
戦争体験知らない
若い人に聴かせ続けるのは
もう充分。
  
これからは明るい未来や
美しい世界にフォーカスしていく
番組作りをしていくのが
いいと思いますよ〜


とアドバイスまでしたらしい。

わたしがセンセーから聴いた記憶なので正確ではないかも💧
こんなニュアンスだった、としか言えないのですが






戦争を否定するのではなく、
平和を肯定する。






センセーは
〝完了〟の達人だった。







自分の中に抱える
ネガティブなものを思いっきり
表現し終えたらからこそ
腹には何も残らない。



今のセンセーを見ていると
人生の課題をいかに
完了させてきたかが分かる。

(完了できないものも、〝未完了〟
の無念さとして自惚れることなく
しっかり背負ってた感じ)



センセーの中に戦いは
どこにもなくて
調和だけがある。




良い悪いじゃないけれど、



こんな笑顔の爽やかな老人に、
わたしはなりたいです笑い


꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°

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