男性から深く愛される女性で世の中をいっぱいにします。
鑑定士・幸粋(コウスイ)です。
原宿のマリアトリニティサロンで、
モテカウンセリングを2日間みっちり学んできました。
濃い2日間でしたが、これを受けたことで、
魂の色のことがさらに深くわかってきました。
魂の色は、誕生日ごとにわかるので、
自分の色が知りたいかたは、
私のホームページのコラムをご覧ください。
<あなたの魂は何色?色別診断>
2日間で、ハイライトというか、
一番魂が揺さぶられたシーンがあって、
それがオレンジのKさんの「神との交わり」を観たときでした。
この瞬間に立ち会えることは、言葉にできない体験でした。
ふだんの生活のアトラクションの中で起きる
感動なんかは、足元にも及ばないほど
深い「歓び、悦び、慶び」←この全部が入った感情です。
そして、祝福なんです。
よく、海外の映画とかで「神の祝福を」とかって
セリフで言うのを見たことがあった気がしますが、
あれをみても、ふーん…って感じじゃないですか(笑)
まぁ、グッドラック!の上等バージョンかな?くらいの感じ。
だから、「祝福を」なんて、日本人の私は使ったことがないんですね。
祝福ってなにそれ?って感じ。
「おめでたい」ことと一緒なのかな?程度の認識でした。
が。
トリニティに出会って、
人が(または自分が)神と交わった瞬間に
この祝福がわかったんです。
祝福ってどんな感じかを、初めて体験するんです。
これはもう、得も言われぬ気持ち良さです。
魂が痺れて、魂がとろけます。
これ、体験したくないですか?
人間として生まれたなら、一度は、いえ、一度と言わず
みんな何度でも、体験したらいいのにって思うんですよね。
Kさんは、魂の色がオレンジですが、
今回、オレンジの人が二人いて、その二人を観ることで、
オレンジの観点でオレンジを観る。ということが少し見えてきました。
セッションを通じたり、無条件の神に出会ったとき、
人は、アトラクションの課題があぶり出される事象が起きます。
なので、絶対認めたくない嫌な自分が出てくるんです。
嫌だから、それを辞めたいのに辞められない
どうしようもなく嫌な自分です。
その自分を認め神と向き合うとき、
神との交わりが生まれるんですね。
人間一人では、そこは超えられなくて、
神と交わる時、はじめて超えられるんです。
その難しい局面を、目の前で見ると、
自分も同時に神に愛されていて、祝福されてるのを知るんです。
トリニティファイナルセミナーを受けていない人は、
少しわかりにくいかもしれませんが、
なんとなくざっくり理解してくれればいいです。
まず、オレンジの課題は、セルフヒーローのアトラクションが課題なんですね。
このセルフヒーローがアトラクションとしてあぶり出されたとき、
自己価値、孤独、拒絶、嫉妬、差別、独立
という感情ががあらわれてきます。
Kさんも私から見て、ずっと、何度も
「ええ。わかってるんですけどできないんですよね」
「はい、わかってるんです」
「ええ、それはわかってるんですけどね」
何回言うねん!って思うほど、
この「わかってます」を繰り返して、
いっこうに「実はわかっていない自分」を認めようとしませんでした。
「はは。わかってるんですけどねーはは」
といって、笑ってごまかしてるわけです。
自己価値の低さを、「わかってる」という言葉を使って
受け入れることを拒絶してると感じました。
私は緑なので、緑の人間は、「わかってるんですけど」
なんて言葉で、わかってないことをごまかしたりは絶対しないので、
違う色を見ることで、余計のその人のパターンがわかるわけです。
緑から見てオレンジのいう「わかってます」は、
「何言い訳ばっかりしてんの?
わかってない自分をさっさと認めれば?」
って気分になるんですが、
これは、緑の観点でしかオレンジを見ていないので、
まぁいわば、愛が無いんですね。
(自分の視点からしか相手を観れてない、自分本位)
緑は、できない自分を認めることに別に抵抗が無いんで
「はい、できてませんよね」って平気で言えるから
そんな風に簡単に言える。
でも、オレンジは、自己価値が低いという特徴(課題)があるため
「できてない」って言いたくないみたいなんですね。
見てると、「それできてないですよね?」
って、突っ込んでも、突っ込んでも、
「んー。できてないということはなくて、これは努力しました」とか
「できてないところも、もしかしたらあるかもしれない・・・
あるんでしょうけど、ここはやりました」
とかいって、なんていうか、とにかく
「できてない」って言葉を、言わないために
どんだけ必死なんや?この人は??
って思うような態度なんです。
(もちろんこれは緑の観点から見たオレンジです)
オレンジのKさんは、ホントはわかってないのに、
「わかってるんですけど」って言って片付けて
わかってることにしてしまってる、
みたいな態度をずっとしてはりました。
でもこれは、何も言い訳をしているというわけでなく、
これがオレンジの人のアトラクションのパターンなんですね。
自己価値が低いゆえに、「できてない」「わからない」と言ってしまったら
それができていない自分を認めるのが、
あまりにも悲しくて、
いっそ消えてしまいたいたくなるほど、
自分に価値が見当たらなくなる、ようです。
(曖昧な表現でごめんなさい、今のところ私も、完全把握しきっていて書いてなくて
私から見てこうかな?という範囲で書いてることは否めません)
トリニティで「オレンジの人は自己価値が低い」と前から聞いていたので、
そうなんだ、って思っていたけど、
この自己価値の低さは、
私の想像をはるかに超えていたものでした。
相当低いんです。(念のため書きますが、低いからダメとかいいとかじゃなく、
単純にそういう特徴だと思ってたらOKです。そこに良いも悪いもないです。)
オレンジの観点からオレンジを見る訓練をした時、
おおおおお!マジか!オレンジの自己価値の低さは、そこまでか!!と驚きました。
でもね、実際、周囲のオレンジのトリニティを知らない人に
「オレンジって自己価値低いっていう特徴があるよ」
って何気なくいうでしょ?
すると、すさまじい反論がくることがあるんですよね(笑)
でも、その反論が激しいって現象って、
逆に「違う!!そうじゃない!!」って
必死に、低いことをなんとしてでも認めたくないという、
自己価値が低いからこそ出る感情ではないのかな?思うんですけどね。
ついでに加えると、オレンジが「私自己価値あります」って主張してるものって、
証拠があるうえでの自己価値なんです。
証拠というのは、過去〇〇をしてきたから(できているから)とか
過去の実績や経験の上に成り立つ自己価値です。
でもね、自己価値って、別に、実績とか必要なくても持っていいじゃないですか。
価値の証拠が無くても、そのままのできない自分でも価値があるからです。
つまりオレンジの人は、何も持たない自分、何もできない自分に価値がある。
とは、どこをどうやっても思えない、という課題があるわけです。
まぁ、そんなやりとりをずっと横で見ていて、
ワークの核の部分に入った時、
はじめてKさんが、「わかってるんです」を言わなくなったんです。
それまでずーーーーーーーっと、
わかってるんですけど、繰り返してたKさんが、
実はそうじゃないって、認めた瞬間があって、
その瞬間は、ものすごい見応えがあったというか、
私も同時にその世界に入って、Kさんの気持ちに共鳴できて、
この体験が、すごい痺れたわけです。
涙が止まりませんでした。
その瞬間、Kさんは神と確実に交わっていました。
神様とかっているの?とか、いないの?とか
討論してもしょうがない話を、延々人類はやってますけども、
あの瞬間に立ちあったら、もう、そんな議論は意味がないとわかります。
あの体験は、圧倒的ですから、いるとかいないとか、
そんなつまらない話は、する気も起きなくなります。
トリニティを生きる、無条件を生きるって、そんな感じです。
先日も、「トリニティってよくわからないけど受けます」
って方にフラワーオブライフ伝授をしたんですが、
「あれ・・・?なんでだろ。。。涙が出るんですけど!??」
っておっしゃって、ポロポロ泣いておられました。
神と交わると、こういったことが起きるのだと思います。
神って・・・本当にいいーんですよ。(o^―^o)