親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙の中で、「先生は健全で信頼できる方だ(とわたしは思っている)」と書いたのですが、全然言葉足らずでしたね。

 

今日は、なぜわたしがこれほど先生をお慕いしているのか、を書いてみようと思うのですが……難しそう。

 

なので、現段階ではとりあえず概略だけ、ってことで。
もっと文章力がついて、うまく書けるようになったら、また書くかもしれません。

 

※ 煩雑になるのを避けるため、ここでの“先生”は、何人もいる中から、一番最近出会って、一番記憶に残っている方に絞って、述べていくことにします。

 

その頃わたしは、“学校”にウンザリしてきたところでした。
なんか事なかれ主義的というか、マニュアル主義的というか……だったんですよね。

 

そんなときにあらわれたのが、先生です。
とはいっても、直接ことばを交わしたわけではなくて、ただ先生が皆の前であいさつというか話をしただけでしたが。

 

世の中には、その人が入ってきた途端に部屋の中が明るくなるような感じのする人がいることに、
気がついたことがありますか?
または、人混みの中に明るいエネルギーを出している人がいて、
思わず目が行ってしまった、という経験はありませんか?
そういう人は、まちがいなくポジティブな強い自己イメージを持っていて、
何かとてもポジティブな内的独り言のプログラムを実行してるんですよ。


聞かせてよ、英語のお話・わらべ歌 |臨死体験で末期癌が消えた! ④

 

このブログ記事自体は、そのときからだいぶ経ってから知ったのですが、先生は、ちょうどこんな感じだったと思うのです。
そういう性格なんだ、と、片づけてしまうこともできたのですが。
もし、この「とてもポジティブな内的独り言のプログラム」があるのならば、ぜひ知りたいと思うようになったのです。

 

……こんなんじゃ、きっと全然伝わらないですよね。
まあ、気長にいこうと思います。

それでは、また。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日は、いきなり、論理が破綻しているようなことをいいだして、すみませんでした。

あんなこといわれたら、リアルでは、まず引きますよね。


もしかしたら、先生は健全で信頼できる方だ(とわたしは思っている)から、そんなことはないかもしれないけど。

でも、こわいんです。
自分の本心をさらけだしたりしたら、みんな嫌がるに決まってる、と思い込んでる。

きっと、自分の欲求が非現実的すぎる、という自覚があるからなんだろうな。

 

チヤホヤしてほしいとか、手放しに褒めてほしいとか、まさに幼児が親に求めるようなことを、周囲の人にも求めてしまうのです。


深刻な生きづらさは愛情不足のせいかもしれない |感想『「大人になりきれない人」の心理』加藤諦三 - ししもとの読書ノート

 

この、加藤諦三さんという方の理論は、上記のみならす、他にもいろいろなサイトとがブログとかツイッターとかに見受けられ、けっこう考えさせられるんです。
きっと、今の自分にとっての、大きな課題のひとつといえるでしょう。
今後もじっくりと考察していけたら、と思っているところです。

 

ところで、話は変わりますが。
昨日の、あのお手紙を書いたあと、不思議なことに、心の中をわかってもらえたようで、なんだかほっとしたんです。
読んでもらえたわけないだろうし、ましてや返事がくるなんてありえないのに(自分からコメント等拒否設定してるくせにナンだけど)。

 

これって、けっこう希望が持てることですよね?
やってることは、ただ、そのつもりになってるだけなんだけど、一定の効果がある、ってことなんですよね?

 

それでは、今日はこのへんで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

この「親愛なる先生へ」っていう呼びかけ方、ヘンでしょうか? なんだか外国語からの訳文みたいで?
でも、他にしっくりくる言いまわしが思いつかないし、わたしたちの関係自体が、通常とはちょっとかわっていて、いわゆるヘンなもの(?)なのだから、当面はこれでいくことにしますね。

 

それと、なにしろ「先生」は何人もいるので、「先生方」というふうにしようかとも思ったのですが、
何人もいるとはいっても、いちどに想定するのは、そのうちのひとりであることがほとんどなので、単数形のままにしておきます。


あと、最初のうちは、言いたいことが全然うまく言えなさそうなので、そのうちおんなじようなことを何度も繰り返すことになるでしょうが、どうぞ大目に見てくださいね。

 

前置きが長くなりました。

年末年始休みが終わったところですが、先生はいかがでしたか?
(あ、先生の場合は、まだ「冬休み」かな? )
わたしは、疲れました。とはいえ、大したことはしていなくて、ただ親戚と会って挨拶した程度だったりするので、きっと「人疲れ」なのでしょう。
でも、これが、つくづく苦手なのです。人とうわべだけのつきあいしかできない。だいたい友達ってのがいない。

だから、先生に友達になって欲しいのです。
「もう会えない」っていうのに矛盾してますか?
いや、「もう会えない」からこそ、です。
先生とは、「あたたかい心のふれあい」が持てる。そんな気がしてならないんです。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

ブログの説明(サブタイトル)についての説明の続きです。

 

この“人生の先生”について、もう少し詳しく言っておいたほうがよさそうな気がするのですが、今のところはまだいろいろうまく伝えられそうにないので、これからおいおい述べていけたら……って感じなのですが、それでも一応、補足的に、今のうちに言及しておいた方がよさそうなことを、二点ほど。

 

その1。
実在する人物ですが、ひとりではなく、何人もいます。
それぞれ、その立場も、こちらとのかかわり方も、さまざまだったのですが、
共通するのが、皆先生と呼ばれていたこと、だったのです。

 

むろん、皆名前は出さないし、こちらだって名乗るつもりはないから、バレやしないはずで、誰のことやらさっぱりわからないままでしょうけど。

 

なお、余談ですが、カウンセラーとかではないです。
そもそも、わたしはカウンセリングって受けたことがありません。
これはきっと偏見なんでしょうが、カウンセリングって、いわば、お金を払って思いを遂げる、売買春みたいなのとかわりないんじゃないの? と思えてしまったりして……。

 

その2。
ここでの“先生”というのは、じつは下敷きにしている書籍があります。
こちらのブログ記事:内田樹 『先生はえらい』 | 身近な一歩が社会を変える♪

などで書評されている本なのですが。

 

もちろん、この本にあてはまらない部分はあるし、そもそも、この本のこと、ちゃんと理解していないのかもしれない、ってことは、おことわりしておきます。

 

さて、そろそろ次回あたりから、具体的な「お手紙」に入っていこうと思います。

 

昨日変更した、ブログの説明(サブタイトル)についての説明の続き。

 

「もう会えない」というのはどういうことかというと、なにも死別したというわけでは(たぶん)なくて、今となってはもう連絡のとりようがない、ということです。(そもそも、それほど深い交流があったわけではなかったことだし。)

 

でも、その相手に対して、このブログを、手紙形式で書いていこうか、と考えているのです。

 

手紙形式というのは、そもそも、このブログを頻繁に更新していこうと決めたきっかけとなった、「ひらめきラジオ」主催者のひとりによるブログ記事がヒントになったりしたのですが。

 

ちょうど、自分のこのブログが、いったい誰に向けて書いているんだろう? ただの自問自答? と思えてきて、ちょっとやりにくいかなー、って感じだったことでもあるし。

 

まあ、読まれるかどうかわからないけど、絶対読まれないわけではない……っていうか、膨大なネットユーザーの中のどこかには相手がいるわけで。

 

なんか、いわばボトルメールをネットの海に流す感じ?

 

いや、それとも、

『あのときの王子くん(フランス語原題:Le Petit Prince)』

の中の、つぎの一節を、いわば主客転倒させた感じ?

 

夜、空をながめたとき、そのどれかにぼくがすんでるんだから、そのどれかでぼくがわらってるんだから、きみにとっては、まるで星みんながわらってるみたいになる。きみには、わらってくれる星空があるってこと!

 

また次回以降にも、説明は続きます。