前日までの記事を受けて、ブログの説明(サブタイトル)を変更することとしました。

 

つまり、まず、「いいこと日記」というのは廃止することにしました。
そうでないと、心からの納得を追求できそうにない、という考えに至ったためです。

 

そして、やはり心からの納得を追求するために、環境整備が重要と考えました。
前日の記事では「『信じられるもの』・“心の中の母”」という言葉を使っていましたが、
これをもう少し発展させて“人生の先生”とすることにしました。

 

今日のところは、とりあえずここまで。
くわしいことは、また次回以降にしようと思います。

 

このところの記事の論調だと……。

当ブログにて12月25日に書いていた、未解決だったギモン「『いいことに着目する』と、『臭いものに蓋をする』とは、どう違うのか? 」について。


現時点でのわたしの状況からすると、つぎのようなことになりそうです。

 

ズバリ、「臭いものを蓋でおさえこむのに必死で、いいことに着目するどころではない! 」(ガーン! )

 

もう、はやいとこ、臭いものをなんとかしないと! ってことですね。
とはいえ、これまでずっと、その環境・対象、がなってなかった、ってわけなんだよなー。

 

親に愛されなかった人はこれからどう生きればいいだろうか? それは何でも良いから目には見えない「信じられるもの」を持つことである。 ピンチの際に「おかーさーん!」と心の中で叫べるものを持つことである。

 

Old Tweets chocodama_ Pg 10

 

実際の母親とは別の「母親代わりの存在」を見出すことで、救われる人は多い。

それは身近な人でもいいし、芸能人、作家などの著名人、あるいは小説の中の登場人物などを”心の中の母”にする場合もあり得る。

人ばかりでなく、私はときに、心に深く響いた本なども母親代わりを果たしてくれることがあると考えている。本だけでなく、大切な人からもらった手紙やお守りといった心のよりどころとなる物、ということもあるだろう。

重要なのは、その人物や物に、どれほど感情移入して愛着を感じられるか、そして何よりも、それが健全な対象であるか否かが重要だ。

 

前を向いて生きるために、母と縁切りするしかない娘もいる | あんな母でも、許さなければいけませんか? | ダイヤモンド・オンライン

 

これらをふまえて、今、考えていることがあります。

くわしくは、次回以降に。

 

昨日記事にしたことによると、つくづく自分は、幼少期に心の傷を負って安心できない状態におちいっていたんだなあ、と思ってしまいます。

 

そして、現在はきっと、つぎに引用する文のようなことになってるんだろうなあ。

 

感情を我慢している人が、
なぜポジティブな言葉でイライラしたり、
ワクワクで生きる、
というメッセージに腹がたつのかー?

それは、
『自分のフタをしていた感情を見ることになる』
と、無意識で分かっているからです。

なので、頭・身体が、全力で抵抗します。

そして、そういう時は、
無理に希望なんて選ばなくていいのです。

なぜなら、感情を感じてしまえば、全ては変わっていくから。

目の前の視界が開け、がんじがらめだった考え方は溶けていきます。

私たちは心配しなくとも、
感情を吐き出したあとは、
自然と、まったく違うように考えだすのです。

 

人生には3つの段階がある!「好きなことをやりなさい」は万能薬ではない。 あーす・じぷしー公式ブログ

 

とはいえ、「感情を吐き出す」ってったって、当然ながらカンタンにいくわけない。
むしろ、つぎのようなことになりかねないんだから、細心の注意を払わないと。

 

周囲と考えが合わず、意見を述べると同意を得られず、反対に無理やり矯正されそうな場合、人は本音を語れません。真意を押し殺して同調するのが無難というものです。自分を出すには、出して安全な環境が必要なのです。

 

自分をたいせつにする心理学 社会的ひきこもり その心理

 

昨日の記事の瞑想法、たしかに心がすっきりする感じはあるのだけれど、
その一方で、

『こんなことしてる場合じゃないんじゃないか』

『自分の気づかないところで、なにかとんでもない間違いでもしでかしてるんじゃないか』

という思いがぬぐえない……。

 

この「間違い」というキーワードでググッてみると、こんな箇所に行き当たりました。

 

子どもの心は共感で育つ。
子どもの中にある正解を共感してもらえないと子どもは「私は間違っている、私は悪い子だ、わかってくれない」などの心の傷を負ってしまいその傷は大人になってもコミュニケーションの不具合として人生の質に影響を及ぼしてしまう。

 

共感不足とコミュニケーション不全(≒対人恐怖) - 過食症と副腎疲労のための分子栄養学~東洋医学と対人関係療法のエッセンスを加えて~


もっと調べていくと、こんなのもありました。


で、

『だからなのかー! 「自分のことがわからない」とかって悩んでいたのは! 』

って、ちょっとだけ、見通しが明るくなってきたような気になったりして。

 

子供が自然に感じてしまう、「うれしい」、「楽しい」、「好き」、「わくわくする」などのポジティブな感情とまったく同じように、自然に感じてしまう「悲しい」、「さみしい」、「嫌い」、「腹が立つ」、「恐い」などのネガティブな感情も、ただありのまま受けとめてあげると、子供は心からの安心感を感じます。

 幼少期にその回数が多ければ多いほど、その子の心には安心感が定着して、もうそれは一生消えないものとなります。

これをもらえなかった子供は、ありのままでいれずに安心できていないため、周りの物事や人にしか意識がいかなくなり、「自分としてどうしたいのか」、「どう感じているのか」などという自然な自分の思いを感じることが出来なくなります。

 

超おすすめの本! 『ちゃんと泣ける子に育てよう』 - 心理セラピストのひとりごと

 

昨日の記事で述べた「自動思考」というのは、どうやら、かねてから話題としている「マインドフルネス」と真逆の関係にあるようですね。

自動思考とマインドフルネスの関係性とは – rurupi logs

というサイトに、そういうふうに書いてあります。

 

そして、このサイトには、つぎのような「皿洗い瞑想法」というのを、自動思考の支配から自由になるべくマインドフルネスを身につけるための練習として、紹介しています。以下引用します。

 

1.まず皿洗いをはじめます。
2.考え事をしながら家事をすることをやめて、皿洗いという作業そのものに意識を集中するようにします。手にかかる水の冷たい感覚や、食器に触れたときのツルっとした感触をじっくり観察するようにします。
3.しかし、必ず、意識の中に様々な思考や感情が紛れ込んできて、皿洗いへの注意は何度もそれることでしょう。
4.そうなったら、そうした思考や感情を静かに観察します。そして受け入れます。暫くしたら、またそっと皿洗いに意識を戻します。

 

これ、とっても身近なことだし、役に立ちそうなので、さっそく実践してみることにしようと思います。