親愛なる先生へ
昨日のお手紙で書いた「考察」をはじめるにあたって、まず思い出したのが、だいぶ前にネットで拾っていた、つぎの文のことです。
幼少期の不幸な体験の抑圧は、その後の人生に多大な影響を残します。
たとえば小学生や中学生のとき、ちょっとしたことで怒ったり泣き出したりする子が、まわりにいなかったでしょうか。
あるいは、ありふれた言葉なのに、ひどく傷ついてしまう子供が、まわりにいなかったでしょうか。
そうした子供は、そのちょっとしたことやありふれた言葉に関係した、抑圧された体験があると考えられます。そのせいで、異常なまでの反応を示してしまうのです。
それだけではありません。その異常なまでの反応のせいで、まわりの子供たちから、さらに傷つけられたり敬遠されたりして、また新たな心の傷をつくってしまうことにもなりかねません。
そうなると、新たな耐えがたい状況から、また新たな抑圧が発生することにもなってしまいます。
このように、抑圧された幼少期の不幸な体験は、次から次へと心の傷と抑圧を増やし続ける元凶ともなるわけです。
第1章第1節 (続き) (葛藤と不安、幼少期の不幸な体験、不安の克服)
もしかすると、この「ちょっとしたことで怒ったり泣き出したりする子」というのが、昨日のお手紙で言う「辛い側」にあたるってことになるのかな? と、思い付いたのです。
だってそうですよね、「椅子取りゲーム」とか「ドッジボール」とかって、本来、みんなで楽しいひとときを過ごすためにこそ存在してる、って考えるのが妥当なところなのに(きっと先生はそういう認識でおられるでしょうね)、イヤな思いをしたり怖がったりするのは、明らかに「異常なまでの反応」になってしまいますよね……。
まあとにかく、引き続き考えてみることにします。
あなたの一番弟子(でありたい) elaineより
親愛なる先生へ
昨日のお手紙に書いた、「もっと桁違いに忌避していたモノ」というのは……。
なにをかくそう、「ドッジボール」なんです。
詳しいことには少なくとも今はふれるつもりはありませんが、とにかくイヤでイヤでたまらなかった。
一方で、先生はといえば、明らかにお好きなんですよね。そういうようなことを、ちょっと自慢気? に書いてらっしゃるの、拝見したことがあるもの。
もしかすると、リアルバージョンの先生とわたしとは、この点においては、全く相容れなかったかもしれないですね……。
もっとも、「ドッジボール」については、「椅子取りゲーム」とは違って、少し前にネットで論争になってたことが、ありましたっけ。
例えば、こんなブログ記事のように。
ドッジボール、学校での強制参加を禁止にするべきでは? | 勝部元気のラブフェミ論
このブログ記事、とにかく盛りだくさんで、しかも、いちいち頷けるところ満載なのですが、中でも一番気になるのは、次の箇所です。
今回の一件を通して、ドッジボールほど、やって楽しい側とやられて辛い側がこれほど明確に分かれる競技は無いと感じました。楽しくやっている側は悪気は無いのですが、自己の優位性を自覚することが難しく、辛い側の心の痛みが理解しにくい。ですが、逆にそれが、余計に苦手な人が声をあげにくい雰囲気を招いているように思います。
この、「楽しい側」と「辛い側」というのは、いったいどうして分かれてしまうのでしょう?
なんかこれって、ドッジボールに限ったことではなくて、人生のあらゆる面において無縁ではないような、ひいては、それこそ先生とわたしとの違いの核心に迫れそうなほどの、重要な問題となりえる予感がしちゃったりして!?
ここはひとつ、じっくりと考察をはじめてみることにしようと思います。
あなたの一番弟子(でありたい) elaineより
親愛なる先生へ
てか、ちょっと言い過ぎちゃったかもしれないですね!?