親愛なる先生へ
昨日のお手紙に書いた、「もっと桁違いに忌避していたモノ」というのは……。
なにをかくそう、「ドッジボール」なんです。
詳しいことには少なくとも今はふれるつもりはありませんが、とにかくイヤでイヤでたまらなかった。
一方で、先生はといえば、明らかにお好きなんですよね。そういうようなことを、ちょっと自慢気? に書いてらっしゃるの、拝見したことがあるもの。
もしかすると、リアルバージョンの先生とわたしとは、この点においては、全く相容れなかったかもしれないですね……。
もっとも、「ドッジボール」については、「椅子取りゲーム」とは違って、少し前にネットで論争になってたことが、ありましたっけ。
例えば、こんなブログ記事のように。
ドッジボール、学校での強制参加を禁止にするべきでは? | 勝部元気のラブフェミ論
このブログ記事、とにかく盛りだくさんで、しかも、いちいち頷けるところ満載なのですが、中でも一番気になるのは、次の箇所です。
今回の一件を通して、ドッジボールほど、やって楽しい側とやられて辛い側がこれほど明確に分かれる競技は無いと感じました。楽しくやっている側は悪気は無いのですが、自己の優位性を自覚することが難しく、辛い側の心の痛みが理解しにくい。ですが、逆にそれが、余計に苦手な人が声をあげにくい雰囲気を招いているように思います。
この、「楽しい側」と「辛い側」というのは、いったいどうして分かれてしまうのでしょう?
なんかこれって、ドッジボールに限ったことではなくて、人生のあらゆる面において無縁ではないような、ひいては、それこそ先生とわたしとの違いの核心に迫れそうなほどの、重要な問題となりえる予感がしちゃったりして!?
ここはひとつ、じっくりと考察をはじめてみることにしようと思います。
あなたの一番弟子(でありたい) elaineより