親愛なる先生へ
昨日のお手紙では、5月8日のお手紙にあった「辛い側」についての、いわば仮説? について、少し検証してみました。
そしてそれは、「幼少期の不幸な体験の抑圧」に起因するんでしたよね。
ここで、ちょっとここ最近のお手紙の流れを振りかえってみますと……。
もし、「無限」と認識していたのなら(証拠はないのだけど)、むやみに焦ったりしなくていいなど好印象(?)になるけれども、それが逆に、「有限→足りない」といったような認識になってしまうと、「椅子取りゲーム」に代表されるような、ともすればネガティブとも受け取られかねない状況が生じてしまうのではないか……てな感じでしたかね(乱暴なまとめ方過ぎ? )
この流れを、踏まえる、となると。
「幼少期の不幸な体験の抑圧」をどうするか? とはいっても、なんのことはない、「『有限→足りない』といったような認識」をこそ、何とかすべきじゃないか? って気がしてきちゃうんですよね。
やっぱり、引き続き考えを要する状態のようですが……。
あなたの一番弟子(でありたい) elaineより