親愛なる先生へ
昨日のお手紙では、「『有限→足りない』といったような認識こそ、何とかすべき」というような話になったのでした。
ここでちょっと思いついたのですが。
一般的な印象として、「『有限→足りない』といったような認識」でいるのは、もっぱら「大人」って感じ、しませんか?
子ども(とくに年齢が一桁くらい)だと、概して自由だから、あんまり制限って感じてなさそうですけど。
現に自分も、「つもりごっこ」っていうのかな?
何かになりきったりして遊ぶの、大好きでした……はずでした。
さて、なぜここで「……はずでした」と付け加えたのか?
それは、すっかり屈託なく「つもりごっこ
」の類を楽しむわけにはいかなかったから。
なんか、「そういうのは幼稚だからやっちゃダメ」みたいな圧力をかけられてた、っていうか……妹たちの手前、とくにそうだったのかな?
つまり、“大人”でいないといけない感じだったのです。
だからといって、ホントに大人扱いなんてされるわけもなく。よく親同士の話に口をはさもうとして「子どもは黙ってなさい」と怒られたもんだったっけ。
要するに「都合のいいときだけ“大人”でいさせられてた」っていうことなのかなあ。
なんかつくづく、居場所がなかったんだよなあ……と思ってしまうのです。
では、今日はこのへんで。
あなたの一番弟子(でありたい) elaineより