親愛なる先生へ


昨日のお手紙で、こんな疑問について述べたんですよね。「果たして、3歳くらいの幼児が、我慢すること』というのを、しっかり理解できていたのだろうか? 」と。


で、ちょっと考えたのですが、「我慢すること」というのもさることながら、2019年2月4日のお手紙の例にあるような、「お姉さん

なんだから」というのの方こそ、しっかり理解できていなかったのではないか? と思えてならないんですよ。


だってですよ。それこそ、2019年11月29日のお手紙の、「お姉さんなんだから(これくらいのことは出来てなきゃいけないというのに、お前は出来ていない。だからお前は至らなくて馬鹿だ。でも、お姉さんなんだから馬鹿であってはいけない)」って文。

大人ですら、背後にこんな意味が潜んでるなんて、いちいち認識してるの困難だってのに、ましてや年端もいかない幼子には到底ムリってもんですよね。


あまつさえ、しまいには、理解してようがしてまいが関係なく、実力行使されることになってるんです。

そういうことが毎日のように、幾度となく繰り返されるんです。いつまで続くのかみえないままに……。

こんなので、深刻な影響が出ない方がおかしいってもんですよね!? 


ではでは。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine

親愛なる先生へ


昨日のお手紙に、「もしかして自分って、『我慢すること』の意味付けが常人と異なっていたりするの!? 」と書いたことについて、もう少し踏み込んでみますね。


まず、自分にとって、「我慢すること」というのが、いったいどういう状況で登場してきたのか、というのが、けっこう重要なんじゃないかと思うんです。だって、その状況下での印象によって、言ってみれば先入観が形作られるわけですからね。


そうなるとですよ。自分にとっての「我慢すること」って、今までさんざんみてきた通り、2019年2月4日のお手紙の例にあるような、まだ小さい頃なんです。だいたい、3歳くらいから、って感じでしょうかね。

だとすると、こんな疑問にぶつかるのではないでしょうか。「果たして、3歳くらいの幼児が、我慢すること』というのを、しっかり理解できていたのだろうか? 」と。

そもそも、3歳くらいの幼児って、そうとう小さいですよ。なのに、当時のうちの親たちはというと、もっと小さい子(胎児も含む? )が複数いたりして、比較するとどうしても「もう大きい」と思ってたおそれがあったりして……。

そういうとこ、おろそかにするわけには、いかないですよねえ。


それでは、今回はこのへんで。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine

親愛なる先生へ


昨日のお手紙に書いたような、「人付き合いとは、すなわち我慢すること」なんていう発想について、もしかすると先生は、『なんて大袈裟な! 』というようにお思いになるかもしれませんね。


確かに、ちょっと傍からみてみると、バランスってものが極端に崩れているよなあ、と感じますもの。

なんで、いっつもこっちばっかりが我慢して、相手に合わせっぱなしでいないといけないのか? こういうのは本来、お互いさまってもんじゃないの? って。

要するに、どうしてもそういうふうに出来ないで、アンバランスにならざるをえない事情が潜んでる、ってことなんでしょうね……。


そこでちょっと、ひらめいたのですが。

もしかして自分って、「我慢すること」の意味付けが常人と異なっていたりするのだったりして!? 


まあ、ちょっと次回までに、考えてみることにしようと思います。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine

親愛なる先生へ

昨日のお手紙の後半部分で、またもや、「他の人の気分がどうなのか」という、知るよしもないことに思いを巡らせてしまいましたね。
でもまあ、そりゃ一概にはいえないのでしょうけど、「なんら屈託なく、『友達と仲良く! 他の人とうまくやれ! 』るようなひと」は、たのしいからそうしている可能性が高い、ということは、否定できないんじゃないんでしょうか。

一方、わたしの場合はというと、これまでみてきたとおり、人付き合いとは、すなわち我慢すること、っていうふうだったのだもの。
当然、たのしくなんて、あるわけない。
ホント、人付き合いにおいて、いい思いをしたことなんて、無かったんだよなあ……。

逆にいうと、そういうふうだったからこそ、先生のことが、ひときわ印象的にみえていた、ってことだったんでしょうね。(もっとも、きっと自分の希望的観測がそうだったってだけで、リアルではじつは違う、ってことなんでしょうけど……。)

ではでは。

あなたの一番弟子(でありたい) elaine

親愛なる先生へ

昨日のお手紙では、「ひとりでいる」ことに対する罪悪感をどうしたらいいのか、という問題提起をしたのですが、考えてみりゃ、これも、2019年12月4日のお手紙で述べた、「やんなきゃいけない、さもないと社会でやっていけない」ってやつに、バッチリあてはまっちゃってますね。

だいたい、「学校では友達を作んなきゃダメ! ひとりでいるなんて、もってのほか! 」っていうような圧力が、ひっきりなしにあったのだもの。
そんな状況下で、罪悪感をおぼえるな、っていう方がムリってもんですよ。

そりゃあ、わたしだって、他の人とうまくやれるのだったら、そのほうがいいにきまってます。
でも、昨日のお手紙に書いたように、他の人といるとペースを乱されてばかりで、こちらにあわせてもらえるなんてことがまったく無かった、っていうエピソードがずーっとあったのだもの。
なのに、そういう事情を一切考慮することなく、ただやみくもに「友達と仲良く! 他の人とうまくやれ! 」っていってくるひとたちって、ひどいですよね!? 

なんか、ここでチラッと思ったのですが。
なんら屈託なく、「友達と仲良く! 他の人とうまくやれ! 」るようなひとって、どんな気分なのかなあ……って。
よっぽど、他の人といて、たのしかったりとかするのかなあ……。

ともあれ、今日のところは、この辺で。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより