親愛なる先生へ


昨日のお手紙で、「自分なりに、やっとのことで編み出した処世術みたいなものに、周りは理解を示してくれっこなんかない。だったら、どうするか? 」というような疑問をなげかけたんですよね。


これに対して、まず思いつく回答は、これです。

それは、究極の「できるだけ少ない人と」いる状態、つまり、「ひとりでいる」ってこと。


そもそもですね。誰かと一緒にいるのだと、必ず、こちらのペースを乱されちゃうのだもの。

もしも、その「誰か」に、こちらの都合にあわせてもらえるのだったら、そういうことにはならないだろうになあ……。

でも、どうしたらそうしてもらえるのか、全然わからない。

ついつい、こちらがその「誰か」の都合を気にして、それにあわせようあわせよう、としちゃうんだもの……。


とはいえ、この「ひとりでいる」ってこと、すっごくいけない、駄目なことなんだ! って罪悪感を感じずにはいられないんです。

いくら、誰かといると苦しいのだとしても……。

どうしたらいいのでしょうね? 


まあ、次回までに、考えてみることにします。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine

親愛なる先生へ


昨日のお手紙に、「あきらめるしかなくなってくる」と書いたのですが、「そんなんじゃ、ハッキリいってたのしくなんかない」。そのままでずっと居続けるのは、拷問ってもんですよ。


で、自分としては、処世術みたいなものを、編み出すわけですね。

例えば……ちょっと思いつくのは、2019年8月7日のお手紙で引用した、このようなことだったりしますかね。一応再掲してみます。


幸せになるコツって、できるだけ少ないことを、できるだけゆっくりと、できるだけ少ない人と、できるだけ集中して熱心にやることにある。

 

これはすなわち、いまのこの瞬間を愛することなのだ。
たくさんのことをしようとしたら集中できない。
少ないことを丁寧に心を込めてやっていると、そこに愛が生まれる。

 

 尾崎真奈美の天使語同時通訳します|SQ Life - スピリチュアル・ライフはじめよう

 

で、こういうのって、2019年8月7日のお手紙でも書いてましたが、現代の風潮だと、「なかなかこういうふうでいさせてくれません」。ていうか、完全に時代の流れと逆行しちゃってはいないでしょうか!? 

少なくとも、自分の周りの人々は、この引用部のような生き方・態度に、理解を示してくれっこなんかないんですよ……。


だったら、どうするか? 

続きは、また次回以降に。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


親愛なる先生へ


昨日のお手紙で書いたように、自分は、「『有り得ない』ものを求めざるを得なかった」くらい、なんとしてでも悪く思われたくなんかなかった、叱られたくなんてなかった」んですよね。


それなのに、どーしても、悪く思われた」り、「叱られた」りしてしまう。

そりゃそうです。そもそも不可能なことをやってんだから。


そうなると、残る方法はというと、あきらめるってことだけ、なんですよね。

最初のうちこそ頑張っていられるかもしれなくても、いずれは、あきらめるしかなくなってくる。

そんなんじゃ、ハッキリいってたのしくなんかないってもんですよね!? 

自分が、なんか無気力でパワーがなかなか出ないでいるのは、そのせいなのかもしれないなあ……。


さて、この続きは、また次回以降としますね。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine

親愛なる先生へ

昨日のお手紙では、こんなふうな感じに考察しました。
「もし『完璧』だったら誰にも文句のつけようがないのだから、悪く思われることだってないはず。だから、『完璧主義』になってしまったのでは」……と。

つまり、自分は、なんとしてでも悪く思われたくなんかなかった、叱られたくなんてなかった、ってことなんだなあ、と思ってしまいます。
だって、そもそも“完璧”なんて、どう転んだって有り得ないじゃないですか。それだっていうのに、どうしても、その「有り得ない」ものを求めざるを得なかった、ってことなのだもの。

ここでちょっと、思いついたことがあるのです。
2019年12月14日のお手紙に、「ふつうになりたくてなりたくてたまらない! 」ような時期があったというようなことを書きましたっけね。
もしかしたら、これも似たような構造をしてるのかな、なんて。
なぜなら、「みんなと同じはイヤ」という気持ち、すなわち「ふつうはイヤ」ってな気持ちが、たしかにあったはずなのだから。
それを、ねじまげざるを得なかった、ってことは、やっぱり「なんとしてでも悪く思われたくなんかなかった、叱られたくなんてなかった、ってこと」なんだ、と思えてきちゃうんですよね……。

ではでは。

あなたの一番弟子(でありたい) elaine

親愛なる先生へ


昨日のお手紙の中で、自分はどうやら親たちから「良いところなんてなんにもない、って思われてたんじゃないか」と書きました。

なんか、こういっては大袈裟かもしれないですが、もしかして自分ばっかり“影”担当で、一方の妹たちの方はもっぱら“光”担当だったりしたのかもな、なーんてことさえ頭をよぎっちゃったりなんかして……。


だけど、ひょっとするとコレ、当たらずといえども遠からず、なのかもしれないです。

なぜなら、2019年1月30日のお手紙などに出てきた「完璧主義」だとか、他にもやたら持ち出してきてた「向上心」だとかのことがあったりするから。

もし、自分が何かにつけて悪いように悪いようにしか受け取られてなかったのだとしたら、そりゃ「完璧主義」にもなるわ、ってもんじゃないですか!? だって、「完璧」だったら誰にも文句のつけようがないのだから、悪く思われることだってないはず……って考えちゃいますものねえ。


それでは、今回はこのへんで。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine