親愛なる先生へ

昨日のお手紙では、こんなふうな感じに考察しました。
「もし『完璧』だったら誰にも文句のつけようがないのだから、悪く思われることだってないはず。だから、『完璧主義』になってしまったのでは」……と。

つまり、自分は、なんとしてでも悪く思われたくなんかなかった、叱られたくなんてなかった、ってことなんだなあ、と思ってしまいます。
だって、そもそも“完璧”なんて、どう転んだって有り得ないじゃないですか。それだっていうのに、どうしても、その「有り得ない」ものを求めざるを得なかった、ってことなのだもの。

ここでちょっと、思いついたことがあるのです。
2019年12月14日のお手紙に、「ふつうになりたくてなりたくてたまらない! 」ような時期があったというようなことを書きましたっけね。
もしかしたら、これも似たような構造をしてるのかな、なんて。
なぜなら、「みんなと同じはイヤ」という気持ち、すなわち「ふつうはイヤ」ってな気持ちが、たしかにあったはずなのだから。
それを、ねじまげざるを得なかった、ってことは、やっぱり「なんとしてでも悪く思われたくなんかなかった、叱られたくなんてなかった、ってこと」なんだ、と思えてきちゃうんですよね……。

ではでは。

あなたの一番弟子(でありたい) elaine