親愛なる先生へ


昨日のお手紙に、「もしかして自分って、『我慢すること』の意味付けが常人と異なっていたりするの!? 」と書いたことについて、もう少し踏み込んでみますね。


まず、自分にとって、「我慢すること」というのが、いったいどういう状況で登場してきたのか、というのが、けっこう重要なんじゃないかと思うんです。だって、その状況下での印象によって、言ってみれば先入観が形作られるわけですからね。


そうなるとですよ。自分にとっての「我慢すること」って、今までさんざんみてきた通り、2019年2月4日のお手紙の例にあるような、まだ小さい頃なんです。だいたい、3歳くらいから、って感じでしょうかね。

だとすると、こんな疑問にぶつかるのではないでしょうか。「果たして、3歳くらいの幼児が、我慢すること』というのを、しっかり理解できていたのだろうか? 」と。

そもそも、3歳くらいの幼児って、そうとう小さいですよ。なのに、当時のうちの親たちはというと、もっと小さい子(胎児も含む? )が複数いたりして、比較するとどうしても「もう大きい」と思ってたおそれがあったりして……。

そういうとこ、おろそかにするわけには、いかないですよねえ。


それでは、今回はこのへんで。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine