親愛なる先生へ


昨日のお手紙で引用した文、いきなり主語が「お母さん」になってたりして、なんか『あれっ? 』って感じになるかもしれませんね。


そう、あの文って、わたしのこととして読むんじゃなくて、わたしの親のこととして読むよう引用したつもりなんです。


そうするととにかく、11月10日のお手紙の「『間違っちゃいけない! 』、っていう強迫観念」「『間違っちゃう』というのが、すごくこわかった 」っていうのが、こういうわけで起きていたのかー! って、けっこう的を射てるんじゃないか、と。


だから、思うんです。

なんか、過剰な責任をとらされてるんじゃないのか? と。

そもそも要因としては、こっちではなく、もっぱら親の方にあるってのに、まるで

こっちにばかり非があるかのように責められて……。

ほんと、やってられない、って感じですよ。


ではでは。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaine


親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙に書いた、だいたいこんなようなこと。

「『間違いなんてない』と思おうとしても、じつはそんなことはなくて、『知らぬは当人ばかりなり』なのだったらどうしよう? 」

 

このことに関連して、『もしかしたら、遠い要因となっているのは、こういうことなのかもしれない!? 』と思えるような文を見つけたので、以下に引用することにします。

 

お母さんは子育ての「プロ」ではない。特に一人目の育児に関しては完全な「素人」。

 

そんな素人に対して、世間はやたら「きちんと育児しろ」というプレッシャーばかりをかける。そこで自分の親や夫や保育士さんや、きちんと相談相手がいる人はいい。だけど、そうじゃないお母さんは、不安ばかりを抱えることになるだろう。

 

しかも育児に「正解」はない。育児書やインターネットの育児サイトには、本当に無数の育児方針が書かれている。そして、お母さん同士、めちゃくちゃ論争している。

 

何を食べさせればいいのか。反抗期をどうするか。言葉を覚えるのが遅くないか。

 

だが子どもによって置かれた状況が違う以上、万人に当てはまる「正解」は、本来ほとんどないはずだ。

そんな時、育児経験者が周りにいれば「あんまり気にしなくてもいい」といったアドバイスをもらえるだろう(現にだいたいのお母さんは一人目より二人目、二人目より三人目のほうが育児が適当になっている)。

 

だけど、孤立した育児ではそうもいかない。誰もが無料で電話相談ができる「育児ホットライン」などもあるが、CMをガンガンやっているわけでもないので、それを知っているのは「情報強者」のお母さんくらいだろう。


虐待をしてしまう親に共通すること【古市憲寿/保育園義務教育化・9】 — 保育園義務教育化9 | Hanako ママ web

 

さて、この文について、自分がどのように考えたか、ということなどについては、また次回以降に、ということで。
 

あなたの一番弟子(でありたい) elaine

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙に、「本質的には、何ひとつ捨てるところ、っていうか、おろそかにしていいところなんて、存在しない」って書きましたが、こう考えることによって、かなり救われた気分になるんです。

 

というのは、どうもわたしには、「間違っちゃいけない! 」っていう強迫観念が、凄くあるようだから。

現に、これまでのお手紙でも、12月29日の『自分の気づかないところで、なにかとんでもない間違いでもしでかしてるんじゃないか』とか、9月29日の「自分の存在そのものが、なんか間違いなんじゃないかと思ってきたみたい」とか、書いてきてましたっけ。

 

とにかく、「間違っちゃう」というのが、すごくこわかったんです。

だから、「間違いなんてない」と思えるのなら、とても安堵できて有難いのでありますが……。

問題は、『でも、やっぱり「知らぬは当人ばかりなり」でしたー、っていうふうなんじゃないの? 』って、すぐ不安が頭をもたげてしまうことなんですよねえ。

 

さて、今日のところは、このへんで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaine


親愛なる先生へ


昨日までのお手紙の流れだと、なんか、ありとあらゆることが「本当のこと」なんじゃないか、って感じになっちゃってるようですが……。


むろん、リアルの世界ではそんなわけなくて、明らかに「嘘」とか「隠し事」とか存在する。

だけど、そういうふうに、事実を曲げたり隠蔽したりというのを、どうしてもせざるを得なかった事情のようなものがあって、その事情に忠実に従った結果が、そういった「嘘」とか「隠し事」なのでは……というふうに捉えるのならば、やっぱり広い意味での「本当のこと」になるのかな? なーんて。


そうなると、本質的には、何ひとつ捨てるところ、っていうか、おろそかにしていいところなんて、存在しないってことになるんですよね。

ちょうど思い出したんですが、1月18日のお手紙にあった「祝福」の態度って、こういうのにつながるといえるのかも!? 


ではでは。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine


親愛なる先生へ


昨日のお手紙で、ますます謎が深まっちゃった」なんて、書いていたんですけど……。


もしかしたら、その原因は、ちょうど算数か何かのように、「正解はたったひとつで、それ以外はバツとなってしかるべき! 」みたいに捉えちゃってたところにあるのかもしれないですね。


けれど、“心”が関与するような分野においては、そんなふうにはなっていないのかも。


だから、ちょっと思いついたのは。

昨日のお手紙での論調だと、「どれも嘘ではなく、本当のこと」ってなってましたけど、この「本当のこと」って、あるものは「自分にとって望ましい・納得がいく『本当のこと』」であり、一方、別のあるものはそうでないものであり……っていうふうなのかな!? なーんて。

で、それらは、もしかすると、スペクトラムみたいになっていたりするのかな!? なーんて。


……なんだか、いつもにまして、わかりにくい内容になっちゃてる気がしますが、今日のところは、これにて。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine