親愛なる先生へ


昨日のお手紙にて、「本当の自分でないと、人間関係って有り得ないのでは」というようなことを書いたら……またまた疑問が生じてきました。

『そもそも、「本当の自分」って、何だっけ? 』、と。


というのはですね。

 1月3日(お手紙形式にする直前)に書いた、「下敷きにしている書籍」の中に、以下のようなことがらに言及している部分があるんですよ。

 

人はそもそも、相手の反応をみて口調をかえたり、はしょったり、膨らませたりする。これから何をやりたいのかと聞かれた学生が、先生には「大学にいく」と答え、友人には「ロックミュージシャンになりたい」と答え、親には「うるせえな、俺の勝手だろ」と答える。それはどれも嘘ではなく、本当のことだ。相手にあわせて語る言葉を変えるし、聞いてくれる人に対しても自分が言いたかったことではなく、途中で相手の反応をみて内容を変えてしまう。はじめに言いたいことや聞きたいことがあるのではなく、言葉が行き来した後で「言いたかったこと」「聞きたかったこと」を勝手につくっている。つまり、言いたいことが相手によって変わるから誤解を生むというのだ。

 

教養 「先生はえらい!」 内田樹著 - モトジってさー、30才超えないと魅力が分からないよね。

  

つまりですね。

「相手にあわせて語る言葉を変え」たとき、もしそれらの言葉が互いに矛盾するものだったらどうなの? と思ってしまったわけ。

そんなふうであったとしても、「どれも嘘ではなく、本当のこと」であるならば、そもそも「本当の自分」であるかどうかを考えることからして、ナンセンスだったりするのかな? なんて……。


なんだか、ますます謎が深まっちゃった感があったりしますが、さしあたっては、今日のところは、このへんで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaine


親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙では、「自分って、そもそも、『傷ついてた』ということ自体を意識できないで来たんじゃないか? 」と述べたのですが……。

 

もっと、よく考えていくうちに、つぎのような疑問まで、浮かんできてしまいました。

 

『11月4日のお手紙では、「人間関係で傷ついた心の癒し方」って言ってたけど、自分の場合は、そもそも「人間関係」って、あったのだろうか? 』……と。

 

どうしてか、というと。

つぎの一文のことを、思い出してしまったからなのです。

 

だいたい、本当の自分でないまま人間関係をつくろうと思っても、そもそもそこには「関係」などありません。

 

『未来は、えらべる!』 星占い&幸せのヒント ジーニーの「助けてエンジェル」

 

振り返ってみると……。

すでに、昨日のお手紙で、「ちょうど、1月31日のお手紙の『解離』とか『離人症』とか、もしくは2月10日のお手紙の『ボーッとしてしまう』とかで、なんとかやり過ごして来てた、ってことなんじゃないかなー」などと、書いてますし。

 

もっといえば、1月26日のお手紙でも、「“ほんとの話”ってのを、してきた覚えがない 」なんて、書いてましたっけ。

 

こんなに、「本当の自分でないまま」だった、って要素が出そろってるんだから、上記の引用文の通りなら、「人間関係」なんて呼べるものは有り得なかったといえるのかも?

 

なんかちょっと、混乱気味のようなので、少し考えてみることにしてみますね。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaine

 

親愛なる先生へ


昨日のお手紙にて、「人間関係で傷ついた心の癒し方」ってのをご紹介したんですよね。


で、それについて、意見・感想などを述べるつもりだったのですが……。

意見・感想など」について思いをめぐらしているうちに、気づいたんです。

「自分って、そもそも、『傷ついてた』ということ自体を意識できないで来たんじゃないか? 」ってことに。


どういうことかというと。

11月3日のお手紙に、「ほんとうは自分としてはイヤだったはずなのに、親や妹たちとの付き合いをうまくやらないといけないからこそ、それまで自分が使っていたおもちゃを、我慢して妹たちに使わせてやってた」って書いてましたでしょ。

これ、まさに当時の日常だったんです。しかも、自分ではどうにもならない、逃れられないことだったわけで。

それだってのに、いちいち「自分が傷ついてる・傷ついてた』なんてこと、意識してられませんわね。

なんていうか、それがデフォルト・原体験みたいになっちゃってた、ってことなんでしょう。


だからですね。

ちょうど、1月31日のお手紙の「解離」とか「離人症」とか、もしくは2月10日のお手紙の「ボーッとしてしまう」とかで、なんとかやり過ごして来てた、ってことなんじゃないかなー、と、思ったりしてるんです。


では、今日のところは、これにて。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine


親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙の中で判明した、「自分が傷ついても、人付き合いをうまくやらねば」って考え方。

これのせいでどうやら、幼少時から現在にいたるまでずっと、人付き合いがイヤになっちゃてるんじゃないのか、って気がするんですよね……。


じゃあ、どうすればいいか、ネットで調べていて、つぎのページをみつけました。

 

人間関係で悩む人へ~傷ついた心の癒し方

 

コレ、さしあたって目をひかれた小見出しだけ紹介すると、こういうことだそうです。

 
◆目の前で起きていることをすべて「自分事」にすると
辛い気持ちは解消される。
 
◆怒りは限界まで感じる。ただ、それは
「自分の気持ちを癒すため」に行う

 

 で、これを読んで、どう思ったか・考えたか、というようなことは、また次回以降にさせていただきますね。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine


親愛なる先生へ


昨日のお手紙で、こんなふうなことを述べました。

「『自分も相手も傷つかなければOK』だなんて、『だったら、今まで自分がさんざん苦労してきたのは、いったい何!? 』」、と。


だけど、後になって考えてみたら、どうやら自分ってずっと、その正反対のことをやらなきゃいけないみたいだったんですよね。


つまり、こういうことです。

「たとえ自分がイヤな思いをしたとしても(つまり自分が傷ついたとしても)、人付き合いをうまくやろうと考えなければならない」、っていうふうだったんじゃないかな、と。


まあ、そりゃそうだよな、と思うんです。

だってほら、何度も持ち出している、2月4日のお手紙の例。

あれなんて、まさにその通りじゃないですか。

ほんとうは自分としてはイヤだったはずなのに、親や妹たちとの付き合いをうまくやらないといけないからこそ、それまで自分が使っていたおもちゃを、我慢して妹たちに使わせてやってたんだから……。


とにかく、この、「自分が傷ついても、人付き合いをうまくやらねば」って考え。

こんなのをいだいていて、人付き合いがイヤになっちゃわない方がおかしい、ってもんですよね!? 


では、今日のところは、このへんで。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine