読んでいただきありがとうございます。

以前、泌尿器科に通ったことはお話しましたが

 

以前のブログはこちら↓

 

 

 

ようやく今日、10回目のブルブル椅子に座り、無事、通院を卒業することができました。

機械の強さは最高がレベル100らしく、前回からも少しずつ強くしていき

ラスト3回くらいは100で座りました。

一番強いレベルで座った人はその病院ではほとんどいなかったので、看護婦さんも驚いていましたが

私は今までいろんな痛い体験をしてきたので、この椅子に関してはもう少し強くても全然いけそうな気がしました。

アソコが鍛えられているのかは内部のことなので全くわかりませんが、座面に接している太ももなどは筋肉痛のような痛みがあったので、きっと引き締まってるんでしょうね。

 

思い返してみると、おそらくこの椅子に座って3回目くらいで、ほとんどチビッあせるたこともなかったような…

ここ最近は全く失敗はなかったので、実際、通院する前はどれくらいの頻度でチビッあせるっていたのかも思い出せません。

 

 

先生いわく『もしまた気になったら座りに来ればいいけど、普通の筋トレに比べるとアソコはたるむスピードも遅いから、

結構もつと思うよ』とのこと。看護婦さんも『おそらく1年くらいは大丈夫ですよ』と言っていたので、少し安心しました。

 

最初は恥ずかしかった泌尿器科ですが、通院して気づいたことは、わりと若い女性も通っていたりする…

何のトラブルかはわかりませんが、いちおう内科も謳ってるので、そんなに恥ずかしがる場所でもありませんでした。

ただ受付で看護婦さんが

『あ、今日は椅子ですね!奥へどうぞ~』

とか

『オシッコの勢いの検査しますけど、いま出そうですかぁ?』

などと、オジサンたち(おばさんの私から見てのオジサン)でひしめき合う待合い室で、大きい声で言うのはやめてほしい…ショボーン

あれだけは毎回嫌でした。

 

でもまぁ、仕方ないです。とりあえず卒業と言うことで、今は心晴れやか。

 

あ、あと以前のブログでこの椅子の治療は保険で500円と書きましたが、実費でした。

安いですね。

もしお悩みの方がいらっしゃったら、ものは試しでぜひぜひ座ってみてくださいね。

 

 

 

先日の出来事です。

中学3年の息子が夕方、近所にあるいきつけの鍼灸院に行きました。

私は息子を車で送り診療中は近くで買い物をし、迎えに行くため鍼灸院に戻ったんですが、診療を終えた息子が『Aちゃんがいるよ』と。

 

Aちゃんは私の6歳年下の友人で、15年以上前に私が鍼灸院を紹介しました。高速を使うほどちょっと離れた場所に住んでいるのでここ1年半ほどは会っていませんが、たま~にこの鍼灸院に来るので、お互い時間が合えば会ったりしていました。

 

その日偶然にも、息子とAちゃんは同じ時間帯で治療を受けていたようです。

でもAちゃんも忙しかったので、私に連絡はせずそのまま帰るつもりでいたので、私は息子を車の中で待たせ、ちょっとだけ立ち話しました。

 

Aちゃんはこの夏に乳がんが見つかり、現在、抗がん剤治療中。そのことは前にLINEで話していたので知っていました。ウィッグをつけていたのですが、もう髪の毛もないようで。抗がん剤がかなり効いて癌が小さくなったので、その後手術する話や、そうはいっても体調が悪くて先週まではずっと寝ていたこと。でもまだ子供が小学生なので、頑張らなきゃ…そんな話をして別れました。

 

彼女と出会った時はお互い20代で、当時はもちろんお互い若くて元気で。でも今はこんな病気の話をして、でもお互いまだ育児があるから元気でいなきゃね…なんてこと言い合っている。いつの間にか年月は流れてて、まさか彼女の命の心配をする自分がいるなんて…と複雑な気持ちに包まれながら帰る道中、今度は息子の電話が鳴りました。

 

隣の県に住む友達からで、今、交通事故にあって、救急車の中からだと。

自転車に乗っていて車にはねられたようです。

息子が『病院名は!?』と聞いていて、その事故した友人が救急隊員に尋ねていて、〇〇病院と言うことがわかり息子はすぐさま携帯で場所をチェックし『わかった、今から行くわ』と返答。

 

私が『アンタが今行っても、どうにもならないんじゃないの?』と聞いたんですが

『アイツのあんな弱った声初めてだし心配。とりあえず行ってくるわ』と

 

聞けばウチから40キロ以上ある病院。あ、でも息子はロードバイクのレースに出ていて、いつも何十キロと走っているため、そんなにすごい距離ではないんです。

で、家に戻り、ジャージ(ロードバイク乗りが着るピッチピチの服)に着替え、出かけていきました。

 

もう17時半近く。私は携帯のGPSで息子の動きを時々チェックしながら

無事病院に到着したことを確認。

 

病院にはお母さん、学校の教頭や担任まで駆け付けていたそう。

結局その友達は骨折もしておらず、擦過傷と口を何針か縫って、歯が折れただけですんだそうです。とりあえず命に別状はなく、良かった良かった。

 

息子が戻るのが夜になったので、私が車で迎えに行きました。

車を走らせながら会話した母子の会話

 

『今日はなんか偶然にも、私たち二人とも友達の命のことについて考えちゃった日だったね』

 

『ほんとだね…』

 

もちろん状況は全く違いますが。でもやはり癌も交通事故も、命を大きく左右する事態。母子それぞれが、なぜか同じ日に“友達の命”を考えたこと。小さな偶然かもしれないけれど、ちょっと印象に残る一日でした。

 

 

 

前回の続きです。

 

前回はこちらをご覧下さい↓↓

 

 

ということで、その椅子に座ってみました。まずはパワーを控えめにして、慣れたら

どんどん上げていくようです。

座り方によってお尻の方(ちょっと後ろ側)に座るとヒップアップにもなるそうで、それはそれで嬉しいのですが、今回は治療なので、膣?というかそのあたりに振動が来るように座るんですが、いまいちどの位置で座ればいいのかよくわからない。

お尻を動かして、この位置でいいのか?と探りながら座り方をあれこれ考えてみました。

椅子はガタガタ…と大きめの音を出しながら、基本ブルブルッ…時々ピリピリッとした感じがお尻に響きます。シックスパッドのEMS運動?みたいな感じと言えばいいのかな。

 

お試しの15分間の時は65のパワーで初めましたが、今日は5回目で、90でやってもらいました。

もう痛くて我慢できない!と立ち上がってしまうくらいの2割減の強さでやるのがいいみたいあせる※看護婦さん曰く

もうちょい強くても私はいけそうです。

 

で、結果のほどですが

昨日も大きな3連発クシャミをしましたが、大丈夫でしたチョキチョキ

なのできっと効いているのでしょう。

ケガの治り具合を見ているようなワケにはいかず、なんせ隠れた部分だし

実際クシャミとかしないとわからないので、絶対治ってきている!と断言はできませんが、でも以前のようにヤバっあせると思わなくなったので、改善はされていると思います。

 

生理の悩みや更年期の悩みなら話せても、やっぱりこういうことって、仲良しの友達にも恥ずかしくて言えないものです。

でも私はこの椅子の存在を10年前から知っていたので良かった~ニコニコニコニコ

知らなかったら、きっとあきらめてほっといて、もっと大変なことになってから

病院に駆け込むことになっていたと思うので。

 

あ、ちなみにこの椅子に座る治療は、私の病院では保険を使って500円です。

1コイン治療は、残り5回、ガンバロ~びっくりマーク

 

 

 

 

 

 

 

 

今年になって、大きなくしゃみを連続でしたりすると

ん…?なんかちょっとおもらしした?みたいな感じのことが

何回かあって、ヤバイヤバイ…これがいわゆる尿もれってやつか?

と思ってたんですね。

 

10年くらい前、母が頻尿のため泌尿器科に通院していて

私もそれに付き添っていたので、先生といろいろ話すなかで

 

『尿もれや頻尿防止に膀胱を鍛える運動をやっている人いるけど、アレではなかなか内部を鍛えるのは難しいんだよ。ウチにいい椅子があるから、座りに来たらいいよ。ワッハッハ…』

 

と豪快に笑っておっしゃっていた先生の言葉をずっと覚えていて

どんな椅子?椅子でどう鍛えるの?と想像を膨らましていたんですが

ついにその正体を知る日が来たのね…と悲しみ半分、ドキドキ半分で

私も母と同じ泌尿器科に行ってみたんですよ。

 

10年の年月は恐ろしい…豪快なしゃべり方はそのままでしたが、年齢を重ねた先生の白髪交じりの頭を見て

あ~私も歳をとったのね…と感じました。

大きなクシャミをするとちょっぴり漏らす、水道の蛇口を見るとトイレに行きたくなるなどの症状を話しました。先生曰く

 

水を見ると、もよおすってのは本能。

若い時は理性が勝つけど

これからはだんだん本能に戻っていくんだよ~

はい、これ自然なことだからチョキ

 

 

だそうですわ泣き笑い泣き笑い

で、私は

 

『あの時おっしゃっていた椅子に座りたいんです!』

 

と即リクエストしました。

 

1回25分で10回くらい座ると改善されていくようで、筋トレみたいなものだから、やったりやらなかったりは効き目がないらしく、できれば週2とかで、コンスタントに通ったほうがいいらしい。では今日はお試しで15分くらい座ってみましょう。と言われ、その椅子のある部屋に通されました。

 

むか~し流行ったロデオボーイ?とかって言う乗馬みたいな動きをするマシンがあったじゃないですか?私は勝手にあ~いうのを想像していたんですが

全く違っていました。

 

これです↓↓

 

 

 

 

 

 

 

一見普通の椅子ですよね?

では次は座ってみた感想を書きます。

 

 

読んでいただきありがとうございます。

前回までの話はこちらから↓↓

 

 

 

 

 

 

 

先生はう~ん、う~んと首をかしげながら

出た言葉は、耳を疑うものでした。

 

あなた、C型肝炎じゃありませんよ

 

私、唖然。「は?」と聞き返し、はっきり言いました。

 

いえ、私、C型肝炎ですけど?

 

先生が再度

 

いいえ、C型肝炎じゃありません

99.9%あり得ません!

もし信じられないなら、よそでもう一度

検査してみてください。

 

ガーンガーンガーンガーンガーン

私、ボーゼン。言葉が出ない。

人間、こういう時、うれしいとか、そういう感情になれないんですね。

ただひたすら、ボーゼンなんです。

 

先生は『う~ん検査の時に同じ名前がいて間違えたのかなぁ』などと

言ってましたが、結婚前の私の苗字はそんなにポピュラーではないので

名前間違えはないと思う…

 

その日、病院の結果を母と一緒に聞きにきていて

待合室で母は私のガクゼンとした顔を見て

『あ~治療ができないって言われたんだ』と思ったみたいです。

 

なので、先生の話をしたら

『良かったじゃない!!』と喜んでくれたんですが、

とにかく私はその日一日

ただただボーゼンとしてました。

私、C型肝炎じゃなかったんだ!ヤッター!!と思えるまでには

少し時間がかかったと思います。

 

 

この一連の話をすると、友達は

『そんなの最初の病院のミスじゃん!訴えたら良かったのに』

 

と言いますが、もういいです。とにかく私は今まだ生きているので。

いや…でもさ、私のあの1年返してよ!とは言いたい。

あの未来を夢見た瞬間、気分が一瞬で落ち込むあの1年間を…

もういいんですけれどね。

家の近くにあるので、よく前を車で通るのですが

どんな病気になったとしても、二度と行くものか!と誓っています。

 

※今はC型肝炎も薬物で完治する可能性がかなり高くなったと聞きます。

本当に良い時代になりました。ちなみに私は妊娠した際に、

病院でC型肝炎の検査を受けました。やはり…陰性でしたにっこりにっこり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読んでいただきありがとうございます。前回はこちらから↓↓

 

 

 

 

 

 

C型肝炎の宣告を受けて1年が過ぎたある日、仕事関係の40代男性と話していた時に、その人がふとこんな話をしだしたんです

 

『おれさ、前にB型肝炎だって言われたんだけど、時間が経ったら治っちゃってたんだよな』と

 

え!?私はC型だけど…B型肝炎?治った?そんなことがあるの?と。

 

それまで私は、自分がC型肝炎だという話もごく一部の親しい友人にしか話していませんでした。

普段の生活で移ることはなくても、でもやはり話した相手が私をどう見るのだろうと考えると、安易に話せることじゃなかったんです。エイズとは違いますが、でもそれに近い感覚でした。

 

で、私、そんな喜ばしい話を聞いたからにはもっと情報がほしい!と言う想いが先走り、その男性に話したんです。実は私、C型肝炎で…と。

 

その人はひとこと

『それはつらかったなぁ…』と言ってくれました。

 

ようやく同志というか、仲間に会えた気がして、うれしいというか、安心感に包まれて、涙が出そうでした。

そしてその彼は、今アメリカでC型肝炎に効くインターフェロンの治療があって、来年頃には日本でも認可されるかもということ。タイプによるので全員に効くわけではないけれど調べたほうがいい。M病院が専門だから、行ってみろ…など教えてくれました。

 

こうして書きながらふと思ったんですが。ネット時代の今じゃ信じられないけれど、ひと昔前はこんな情報でさえ得るのに1年もかかってたんですね知らんぷり知らんぷり

確かに私も自分の病気のことを人に言えなくて、なかなか情報収集できなかったということもありますが。

 

で、私は教えられた通り、そのM病院に行き、先生に伝えました。

自分はC型肝炎であること。日本で近々認可されるであろう治療(インターフェロン)ができるタイプなのかを知りたいと。

 

先生は

『わかりました。ではまず血液検査をしましょう。そして来週結果を聞きに来てください』と。

 

そして血液検査をし、一週間後、また病院へ。

 

診察室のドアを開けると、う~んと渋い顔をして腕組みをしている先生が。

私は『あ~ダメだったんだ。私は治療できるタイプじゃないのね』

とがっかりしたんですが、

先生が口にしたのは予想を超えた言葉だったんです。

 

 

 

前回の続きです。

前回の話は下からお読みください↓↓

 

 

 

 

もちろんC型肝炎の話はダンナにもすぐに話しました。

私が暗い顔で話したので、真面目に話は聞いてくれましたが

最後は

『ダイジョウブ!キミは シナナイ』

でした。

は!?その根拠は何?だって治療薬もないんだよ。

いつか肝硬変になったら、高い確率で肝臓がんになってそのあとは…

でもダンナは

『ダイジョウブ!キミは シナナイ』

のみを繰り返す。

 

きっと日本人だったら、もう少し気の利いた

なぐさめの言葉を言えるんだろうけど、

まぁしょうがないね…と半ば私もあきらめて

もうダンナにもこの不安な気持ちは話さなくなりました。

とりあえず今は元気なんだから、いいや!そんな感じで

日々を過ごそうと思ったんです。

その時はまだ籍を入れてなかったので、たとえば将来の話を二人で

するじゃないですか。結婚とか子どもとか。

でも頭をよぎるんですよね。

 

その時には私はこの世にいないかもしれない

 

…って悲しい悲しい悲しい

 

そんな時は心に暗い影が差します。あ~これからどうなるんだろうな私、と。

でもとりあえず、やれることはやらなきゃと考えました。

 

あ、ちなみにあの皮膚の痺れはいつの間にか消えていました。

 

のちに心配してくれた母からの情報で

『アガリクスが効くらしい』という話を聞けば

当時1万円もしたアガリクスを漢方薬局屋まで買いに行って

飲んだりしていました。

煎じて飲むんです。何回か買ったのを覚えています。

半年後、言われていた検査にも行きました。

エコーで肝臓の状態を見たんですが、異常なし。

さらにそのまた半年後(C型肝炎の宣告を受けた1年後)2度目の検査。

異常なし。

ま、とりあえずこの1年は変化なしだったな~と安心していたのです。

 

続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは。読んでいただきありがとうございます。

 

私は若い時から子宮系といいますか、シモのトラブルがすごく多くて、たとえば

最初は膀胱炎から始まり、大小さまざまな病気を経験してきました。

そこで今回はこれまでの病気にまつわるエピソードの1つで

え~!それはないっしょあせる

 

というお話をさせてください。

 

真顔真顔真顔真顔真顔真顔真顔

 

今のダンナと出会ってまもなくのことなので、今から20数年前のこと。

ある日、なんと言いますか…ピリピリするような?足が痺れた時のような感覚が、

身体の皮膚全体にあらわれてそれが数日間続いたんです。

「何だこれは?」と思い、近くの総合病院に検査をしに行きました。

 

症状を話すと、お医者さんも「う~ん…」みたいな感じで、とにかく血液検査をすることに。

 

そしてその結果はなんと…

 

あなた、C型肝炎です!

 

と言われたんですよ…ポーンポーンポーン

今のようにC型肝炎はメジャーじゃなく、私は

「何それ?」って感じだったんですが、

簡単に言うと肝硬変になっていずれ肝臓がんに移行していくそうな。

 

私はよくわからないまま、とにかく今はそんなに病気が進行しているわけではないので

「とりあえず半年に1度は検査しながら様子を見ていきましょう」

とお医者さんに言われ病院を後にしました。

そのまま私は本屋に向かい、調べてみることに。。。

※当時はネット検索よりまだ本で調べる時代でした

 

で、C型肝炎の本を手に取り、ページを開いた時に目を疑ったんですわ。

本の冒頭に書いてあった言一文、今も忘れられません…

それが

 

“生きることをあきらめないでください”

 

だったんですよ。

は!?私、死ぬかもしれないってこと?

と一人で衝撃を受けました。

 

とりあえずどこでこの病気をもらったんだ?

と、その可能性を頭の中で思い巡らせてみました。

その本によると、子どもの頃の予防接種の注射針とか歯医者の治療とか

そういうところで移る可能性があると書いてあったので

 

そんなぁ汗不可抗力じゃん!

あ~ん!!私、死ぬんだ~

 

とショックを受け、当時ひとり暮らしをしていた母に電話しました。

やっぱりこんな時はお母さんだよね

私のこの悲しみを受け止めてくれて一緒に泣いてくれるはず!

そういう期待をこめて電話したんです。

 

母はちょうど仕事から帰ってきたところだったらしく

私が病院に行ったこと、検査を受けC型肝炎だと言われたこと。

そして本屋で“死ぬのをあきらめるな”と書いてあったことなど

一気に話したんです。

 

うんうん、と聞いていた母ですが

 

『ちょっとごめん、よくわからないんだけど

今から洗濯しなきゃいけないんだよね…

また今度改めて話聞くわ…』

 

ゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリ

 

ひ…ひどい!!娘が死ぬかもしれない病におかされたとショックを受けているのに

何?その態度…親なら…親なら、なぐさめてくれるとかしてくれるんじゃないの!?

 

とさらに悲しい想いに打ちひしがれました。

 

ま、あとから聞いたら、突然私が興奮状態でまくしたてるように話して

理解できなかったと言われましたが。

 

とにかく私はその病気宣告のおかげで

未来も考えられない日々をそれから過ごすことになるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の続きです

 

前回の話はこちらから↓↓↓

 

 

 

 

で、とりあえず子どもがプールに入っている間に家に戻りました。

ダンナが母の様子を見守ってました。母は最初は苦しんでいたようですが、

今はう~~ん💦と言いながら、身体をくの字にして動かない感じ。

とりあえず、救急車を呼びました。

ほどなくして、救急車が到着。私は母に付き添い救急車に乗り込んで病院へ。

ダンナは子どもを迎えにプールへ。

 

真顔真顔真顔真顔真顔真顔

 

病院ではいくつかの検査をしてもらった記憶があります。

その間、私は待合室でひたすら待っていました。

お腹空いたなあ…

途中、ダンナが子どもを連れて病院に来てくれたような。でもまだ母の診察&結果が出なかったので、一度家に帰ってもらい、終わったら迎えに来てと伝えたと思います。

 

夜の10時半過ぎ…私の空腹も限界に達した頃、母の診断結果は異状なし…と言うか、数時間病院のベッドで寝ていたせいか、母も普通に立ち上がれるようになっていました。

 

「ま、とりあえず良かったじゃん」と言いながら母のもとへ。

 

すると母、私に向かって

「いろいろすみませんでした」と丁寧に頭をさげ

 

ところで、どちらさまでしょうか?

 

と…ガーンガーンガーンガーンガーン

ダンナに対するイライラ…空腹…まさかこんなオチが待っているとは!?

もう怒りを通りこして笑うしかないわ。

今から10年ほど前、母が施設に入る2~3年前のマダラ呆けした頃のお話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時で言えば母は高齢出産で私を産んだので、私の友人の親に比べると、10歳くらい上なんです。

さらに私も高齢出産だったので、ママ友の親なんてかなり若い。ま、それでも高齢者になってきてます。

そんななか、今からさかのぼること、10年ちょい前くらいに私が味わった経験をし始める友人、ママ友が増えてきました。

『うちの父親、最近薬をいつ飲んだかわからなくなってきてさ』とか

『今日は仕事を休んで親を病院に連れて行かなきゃ』などなど。

 

そんな話をほうぼうから聞くようになり

『そうだよね。大変になってくるよね』と答えながら

思い出した事件がありました。

 

~~亡くなった母とダンナがテーマの昔話です~~

 

10年ほど前…子どもが保育園だった頃。スイミングに通っていたので、車で10分ほどのプールまで送迎したんです。おそらく18時頃だったと。とりあえず送り届けたのでプールからあがって戻ってくるまで40~50分、家に戻ってもまたすぐ来なきゃだし、このまま見学するかぁ~と考えていたんですね。そしたら仕事から家に戻ってきたダンナから電話が。

 

「オカアサンがなんかオカシイ!ドウシヨウ!あせると。

 

あの…ダンナは外国人なので会話はカタカナで書いてみましたが、もう30年近く日本にいるので普通の会話はできます。イントネーションがおかしいだけです。ただ難しい言葉は理解できません。たとえば“大変”はわかっても“困難”はわからないとか。

 

で、話は戻り-

とにかくダンナの話によると、今仕事から戻ってきたところ、同居していた母が玄関先で苦しそうにうめいていると。母はその時から認知もありましたが、今回は胸のあたりを押さえて苦しそうにしてるらしい。

なので私は『今私はプールに来てるから、まずは救急車呼んで』とダンナに言ったんです。そりゃあ、そうですよね。

そしたら何て言ったと思います?

 

「ワカラナイ!デキナイ!」

 

って答えたんですあんぐりあんぐり

ダンナ、警察は110番、救急車は119番なんて当たり前に知ってます。

「は!?電話してくれればいいだけじゃん。あなたが今お母さんの状態を目の前で見てるんだから。私が電話しても状況を説明できないじゃん」と言ったんです。ですがダンナは

 

「デモ、ナニカキカレテモ、

ウマク セツメイ デキナイ…」

 

あんぐりあんぐりあんぐりあんぐりあんぐり

 

私はあんぐり…

あのさぁ、アンタ40半ば過ぎの大人だよね?日本に来たばっかの外国人でもないよね?(当時で日本滞在20年ほど)今、子どもがプールに入ってて、もう少ししたら戻って来るんだって!とりあえず救急車だけでも呼ぶことできるでしょ!!

 

でもそんなことでケンカもしていられないので、とりあえず私は家に戻りましたよ悲しい

 

次に続く…