一度やってみたかった内臓整体ってやつに向かう道中で🚈、ようやく1日目の記事を書いてます。
 
ヒツジヒツジヒツジ
 
 
 
天竺ぐらい遠かったスイスへの道のり🐒。
 

なぜか立ち寄ることになったヘルシンキ空港にて。ムーミンのニョロニョロです。
 
 
ようやく見えてきたチューリッヒ上空
 
 

空港ロビーからガラス越しに私をつ見つけて泣き出すAI

 
 
ヒツジヒツジヒツジ
 
チューリッヒからグリンデルワルトまで、列車の旅となります。
 
 齢50を越えたあたりで自認しはじめた乗り鉄気質を人目もはばからず発揮。楽しい。
 
 
窓からの景色は絵のようです。
実際は写真よりずっと綺麗でした。
 
 

 広げているのはコパイロットと私が合作した行程表。
 
 
スイスらしい景色が次々と車窓を流れ、ずっと気分が良い。
 
 
トゥーン湖。

"トゥーンコゲラゲラ"、と、声を抑えながらもふざけまくる我々💩。あまりの楽しさに小学生並みの精神年齢に。
スイスのみなさんごめんなさい。
 
 
 
 

まだトウンコ。広いです。
 
 

 

ヒツジヒツジヒツジ
 
スイスは鉄道網が非常に発達している。滞在中は数えきれないほど列車を乗り継ぎました。
 
スイスは物価がとても高く、運賃も例外ではない。
値段を気にせず乗降できるよう、今回私たちは外国人観光客向けのパス、Swiss Travel Pass (6日間のもの)をオンラインで購入した。
スマートフォンに入れるタイプのパスです。
 
国内の主要な鉄道SBB、バスなどが乗り放題で、ロープウェイ、山岳鉄道などの運賃が大幅に割引になる。多くの美術館、博物館などの入場も無料。
 
非常に便利なことにスイス、ドイツ、などヨーロッパの多くの国の駅には、改札がない。
大きな荷物を抱えての列車移動のストレスが、改札がないことでこれほど軽減されるものかと驚いた。
 
これは、「信用乗車方式」というシステムに基づくもので、乗客の良識と信頼に委ねられている。
ただし割合頻繁に車掌や検察係が車内を巡回しており、無賃乗車がみつかればその場で高額な罰金を徴収される。
 
 
グリンデルワルトに向かう途中で乗り換えた(確か)インターラーケン駅。

 
写真を見てわかるように、駅のホームがとても低い。
街なかの道からふらっと駅に入り、ふらっと出て行くことができる。
(日本のプラットホームはどうしてあんなに高いのでしょうか。きっと何か理由があるに違いないとは思うのですが・・)
 
また、ホームには階段がなく、ホーム間は地下通路に繋がる長く緩やかなスロープを上り下りして移動する。
乗り換えのストレスも本当に皆無だった。
 
 
・・いけない。
 
鉄道のことをつい熱く語ってしまった。
 
 
ヒツジヒツジヒツジ
 
 
グリンデルワルト駅からホテルまでバスに乗って移動。
まずはホテルに向かいます。
 
 
バスを降り、スーツケースをゴロゴロ押しながら坂道をのぼる
 
 

絶景。
 

 

ついにたどり着いたこの旅の最初の宿、ホテルグリッチャーブリック グリンデルヴァルト(Hotel Gletscherblick Grindelwald)
可愛いおねがい
 
 
チェックインにはまだ早い時間に到着したため、荷物を預け、開店前のレストランで着替えさせてもらって、思い切ってそのままトリュンメルバッハの滝に向かうことに。
 
 我ながら元気です。


再びバス停に向かいます。
グリンデルワルトはアイガーやユングフラウなどの名峰に囲まれた可愛らしい街です。正面に見えるのはアイガー?ユングフラウヨッホか?
 
 
 
 
駅近くのCOOPでランチを購入。
石段に腰かけてワイルドに食す。
 

こうして写真に撮ると美味しくなさそうだけれど、意外とイケました 

 
またまた列車を乗り継ぎ(インターラーケン・オスト駅乗り換え)、ラウターブルンネン駅に。
 
駅からも有名な滝が見えるのですが、この日は水量が少なく、行きはこれがあの、シュタウプバッハ滝とは気が付きませんでした。
 
落差300メートルの滝が駅のこんなすぐそばに
 
 
ヒツジヒツジヒツジ
 
 
駅からバスに乗ってトリュンメルバッハの滝へ。バス停は滝の入口のすぐ近く。
 
 
着いた!

 
 
チケット売り場で飼われていた柴犬のフク。
遠い目をしているキョロキョロ
 
 

首には唐草模様のバンダナ

 
 
ここから先は写真ではとても伝わらないと判断し、動画にてお送りいたします。
 
 
 
1912年に設置されたというホーンテッドマンションみたいなエレベーター式のトロッコに乗って、

 

 

ビッグサンダーマウンテンのクライマックスみたいな岩をのぼって、

このまま猛スピードで滑り落ちそう
 
柴犬同様エレベーター係員も遠い目をして口数少なめ。ミステリアスな雰囲気が、いやがおうにも盛り上がる 不安 。
 
ヒツジヒツジヒツジ
 
トリュンメルバッハの滝は、アイガー・メンヒ・ユングフラウなどのアルプスの氷河群からとけ出した水が、毎秒約2万トンの激しさで、険しい岩の洞窟内を10層の滝となり流れ落ちてゆくという、地球内蔵型🌍️の名所です。
 
普通の滝と思ってうっかり足を踏み入れると、想像を絶する迫力に圧倒される。

 
 

 
 
激しく流れる水音が洞窟に反響し、迫力に拍車がかかります。
怖いくらい。
 

爆音。滝の上方にも通路があり、観光客が歩いているのがわかりますでしょうか。

 
 
 
洞窟が大好きで秋吉台の鍾乳洞にも1時間半滞在したわが家です。
大興奮も推して知るべしだ。
 

実際の迫力は、動画でもなかなか伝わらないな。

 

 

ヒツジヒツジヒツジ

 

 
街に戻ってちょっと早めの夕食を、チーズフォンデュの店ダービーで 馬 。
 
 

”街一番のフォンデュ”の看板を掲げてる店
 
 

 
 
 
 

 
 
高いってことはわかっているので旅行中は円換算しないと決めた。
 
ヒツジヒツジヒツジ

 

そしてようやくホテルの部屋に。

日本のわが家を出発したのが遠い昔に思える。

 

 

出発前の母とのあれこれはこちらに ↓

 

 

 

ハイジの部屋みたい。

可愛いおねがい・・・。

 

 

 

同じような写真をもう1枚載せたのは、天窓の向こうの景色が綺麗に映っていたから。

額縁の絵のようにアルプスの山々が見える。

 
 

ヒツジヒツジヒツジ

 
 
長期休暇取得前の8月、私の仕事は繁忙を極めた。
睡眠時間を削って働きにはたらいて、なんだか不眠も続いていた。
 
おまけに母は私を悩ませた。
 
スイスに着いて、こどものように終日動き回り、久しぶりに家族3人大声で笑いあった。
 
この日私はベッドに横たわったとたん、沈み込むように眠りに落ちました。
 
 
つづく。
 
 
ヒツジヒツジヒツジ
 
 
余談ですが今週は楽しい会合が目白押しです。
内臓整体も終えて、身体は絶好調だ。
 
このところなぜかグルメでもない私がなけなしのセンスをふり絞って店を予約している。
 
リクエストがあった。
 
メール右下矢印「日本酒飲み放題とか、ちょっと贅沢にお高めの店とか、適当に決めてくれれば良いですよウインク。」

 

 
 
 
おいおい、適当のハードルが高いな。
 
 
一生懸命リクエストにかなう店を探したのものの、結局日本酒の飲み放題でもちょっと贅沢な感じでもない店を予約した。
 
良いお店だといいな、と、思った。
 
 
 
 
 

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ドイツで暮らす次女AIから、街のクリスマスマーケットの写真が送られてきた。

 

9月に家族で訪れたとき何度もなんども歩いた広場が、クリスマス一色になっていた。

 

生木のクリスマスツリーはとても良い香りがします。

 

 

 

数年前私が延々と食器棚のノブを探し続けていたことを覚えていたAIがマーケットにノブのお店があるのを見つけ、LINEで遠隔ショッピングさせてくれた。可愛い!

 

 

 

・・というわけで、9月の旅の記事をなかなか書けないまま、もう12月。

その後も私は何かに追われるようにやりたいことリストを片っ端からやっつけておりました。

 

記事が追い付きません。

 

ともかくまずは旅の記事を書きたいと思います。

面白くもなんともないと思いますがしばらくお付き合いいただければ幸甚です。

 

旅の記録のブログは、私にとってとてもハードルが高いので、初めての試みとして、細切れに、頻度を高く投稿してみようと思います。

 

 

飛行機

 

 

次女AIは、紆余曲折あって仕事を辞め、結婚したばかりの夫を残して、今年5月初めにドイツのハイデルベルクに移住した。

 

 

まだ仕事も決まっておらず、家は当面3ヶ月の仮住まい。

 

夢とわずかな貯金だけを持って慌ただしく旅立って行った。

 

9月の私の1ヶ月の永年勤続休暇を利用して、長女PARUKA とともにAIのところへ行くと決めた。

 

PARUKA も入社以来初めての長期休暇を取得した。

せっかくの長期休暇を目一杯楽しもうと、前々から家族で行きたかったスイスへの旅を組み込んだ。

 

AIとはチューリッヒの空港で合流することになった。

 

わが家の旅は毎回スリリングに走りまくる。

今回も、しょっぱなからあれこれあって、急遽直行便からヘルシンキ経由の便に変更となった。

そしてこれもまた訳あって一旦スウェーデンに入国し、直ちに出国しなければならなくなった。

 

ヘルシンキ行きの飛行機が1時間遅れて、入国の列についた時は既に、チューリッヒ行きの便の搭乗手続き終了の20分前だった。

 

空港の職員や他の乗客の声援を受けながら、広い空港を走りにはしって滑り込むようにスウエーデンを出国。ようやくチューリッヒ空港にたどり着いた。

 

スーツケースがターンテーブルに吐き出されるエリアから、ガラス越しに入国のロビーが見えた。

 

ガラス越しに私を見つけたAIが、いきなり号泣しはじめた。

 

毎週の電話では順調に楽しそうに暮らしている様子だったけれど、体一つで飛び出した異国で、きっと必死に生きていたのだと思います。

 

飛行機

 

今回の旅の行程は、生成AIコパイロットに行きたい先宿泊したい都市をぶち投げて作ってもらったものをもとに、あれこれ調整しています。

 

実際の行程はこんな感じ。

 

盛りだくさん。移動は私の大好きな列車ばかり🚃

 

そして私はスイスのチョコレート工場にて、韓国経由で帰国することを決断。

単身韓国で冒険いたします。

 

 

つづく。

 

🚃🚃🚃

 

余談ですが最近、私は生成AIを、コパイロットからGoogle Geminiに移行しつつあります。

 

あるときこっそり Geminiを呼び出そうとすると、デスクトップにぽつりと、

 

「あなたのCopilotはこちらですショボーン

 

と、恨みがましいつぶやきが表示され、浮気LINEが妻にみつかった夫ぐらいびびってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

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 朝晩急に冷え込むようになった。

 
かと思いきや来週はまた、20度を超える陽気になるらしい。
 
クローゼットは家事サービスタスカジさんとの定期契約ですっかり片付いた。
まだ着られる服は、古着deワクチンという素晴らしい団体に大量に寄付をした。
 
毎朝の服選びは格段に楽しくなったけれど、この気候には本当に悩まされる。
 
 
セーター
 
そんななか、
 
【一色紗英】主演のファッションストーリー。なんでもない日もおしゃれに!
 
という、ファッションサイトSPURの記事が目に留まった。 
 
驚くべき斬新なファッションだ。
 
 
ご覧ください。

 

 

セーター

 


AM 06:35 屋上で日課のラジオ体操。

 最強の全身運動と、躍動する服でエネルギッシュな朝を過ごす。選んだのは、体の動きを制限しないメンズのルック。ヴィンテージの風合いが漂うパッチワークのシャツを2枚レイヤードし、多彩な表情の重なりを楽しむ。伸びて、反らして、回して……。複数種の生地が、体の動きと連動するようにリズミカルに動く。サニーイエローのパンツを合わせて、晴れ間を祈る。

 

 

 

 

これほど運動に向いてない服で、あろうことか一心不乱にラジオ体操。

 

そして一色紗英ちゃん感を一ミリも感じさせないぶっ飛んだアングル。

 

 

 

セーター

 


    AM 08:00 朝霧の中コンビニへ向かう。

 一枚で絵になる構築的なウールモヘアのコートを、世にもリュクスなワンマイルウェアとして。アウターだけど、ミニ丈のドレスのようでもある曖昧なシルエットが、早朝にふらりとコンビニに訪れる彼女のミステリアスな一面を強調する。ストイックな立ち襟やハリのある素材は、素肌を大胆にのぞかせた隙のある着こなしでバランス操作。

 

 

 

 

 リュクスなワンマイルウェア。

 

 安心できませんえーん

履いてますか🩲。



・・・朝霧の中こんな姿でコンビニに行ったらたぶん捕まるか保護されると思う。

 

 

 

セーター

 

 

PM 01:00 仕事の打ち合わせへ急ぐ。

横断歩道を渡るというありふれた光景もドラマティックに見せるスカート。アシンメトリーな裾が舞う様子が美しくて、つい歩幅が大きくなる。アートなプリントは、砂漠に咲き誇る花をイメージ。過酷な環境で力強く咲く花に、忙しない日常を生き抜く力をもらう。書類とPCを入れた「ラージ ホップ」を小脇に抱え、走る。

 

 

 

裾ふんづけて転ぶって!!

 

 

 

セーター​​​​​​​

 

 

以上、長期旅行の記事がなかなか書けないまま一色紗英ちゃんに八つ当たりしてしまいまことにすみまめん。

 

今度こそちゃんと旅行の記事を書きたいです。

 

 

 

 

 

 

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9月2日から17日にかけて、長い旅をした。

 

長女PARUKAとともに、ドイツのハイデルベルクに住む次女AIとスイスのチューリッヒ空港で合流し、念願だったスイスでの家族旅行を満喫した。

 

その後鉄道でドイツに入り、フッセン経由でハイデルベルクに住むように滞在した。

そしてひとりソウルに短期滞在して帰国した。

 

あまりにも盛りだくさんの経験に、私のおちょこレベルの感受性の器がぱんぱんになった。

 

このことについては大量の写真とともに追って記事を残すことで整理しきれない感受性を形にしておきたいと思っています。

 

 

*****


長期旅行にあたり、最大の懸念事項は日本に残る91歳の母のことだった。

 

一昨年夏、ロンドンに出掛けた際は、はじめてのショートステイ利用でえらい目にあった。

 

普段の週3日のデイケアさえも、基本毎回行き渋りがある。

ショートステイなんて姥捨て山に捨てられるぐらい酷いことだと思っているのです。

 

 

軽度の認知症により短期記憶が著しく低下した母は5分前のこともすぐに忘れてしまう。

 

ショートステイのことを伝え、激怒され、なだめすかし、なんとか渋々理解してもらい、あなたたちに迷惑はかけられないものね、と芝居がかったしおらしさを見せる母にありがとう、と感謝の意を伝え、5分後、初めて聞いたとまた驚かれ、なだめすかし、(以下省略)。

 

と、なるのが火を見るよりも明らかなため、一昨年は前日にはじめてショートステイの話をすることにした。

何度もこのくだりを繰り返すのは私が疲弊するばかりでなく、母も可哀想だからです。

 

前日。

 

ショートステイのことを伝えると母は、想定と一ミリたりとも違わない反応を見せた。

 

想定外だったのが、

 

>ショートステイのことを伝え、激怒され、なだめすかし、なんとか渋々理解してもらい、あなたたちに迷惑はかけられないものね、と芝居がかったしおらしさを見せる母にありがとう、と感謝の意を伝え、

 

↑ここまでに2時間かかったこと。

 

 

何とか母の合意を得て、一緒に好きな服を選び、荷造りし、5分後にまた新鮮な気持ちで激怒されることを想定して、合意事項をふたりで確認しながら母とのいつもの交換ノートに書き留めたのち、へとへとになって家に戻った。

 

そして翌朝5時前。

 

けたたましく家電が鳴り驚いて出てみると、激高した母だった。

 

 

「今ノートを見てびっくりしたむかっ。こんなこと勝手決めるなんて酷すぎる。私はこの家でちゃんとひとりでやれますのでショートステイには絶対に行かない」。

 

 

やっぱりね。

 

クローバー

 

母は確かに独りで寝起きができ、トイレや着替えもでき、冷蔵庫のものを電子レンジで温めるぐらいの調理をして食事をとることもできる。

簡単な掃除や食器洗いもできる。敷地の中なら外に出ることができる。

 

だけどそれ以外、

 

戸締りも服薬も、日用品や食材の調達、古くなった食材の廃棄、猫の世話、洗濯(干すことはできることもある)エアコンの調整、ゴミ捨て、口腔ケア、害虫退治、その他の家事や身の回りのことは全て、母の認知の外側で、私が日々妖精のように片付けているのです。

何よりその日の予定を毎日ノートに書いてやらなければ不安でじっとしていられなくなるのです。

 

母は決して独りで暮らせてなどいないのです。

 

仕方がないとはいえ、そしてどこかではわかってくれていると知っているけれど、そんな私の3年半を母が理解していないことも地味に辛い。

 

また、認知症のせいばかりとは言えない母の昔からのこういった子どもじみた感情の堪え性のなさを久々に目の当たりにして、嫌になった。

父の5年半の介護では、こういう気持ちになることはなかった。

 

クローバー

 

その日は電話を切ったあと、すぐに母の家に行き、またゼロから説得のくだりを経て2時間かけてなんとか理解してもらった。

送り出しはヘルパーさんにお願いした。

 

こうしてどうにかロンドンに出立することができましたが、もしものときのためにノートに書いた妹と従姉の連絡先に、日々30回ぐらい、「帰りたい」と、電話して泣きついたようで、色々罪悪感に苛まれた。

 

クローバー

 

この経験があまりにもしんどすぎて、昨年のハワイには母を連れて行ったけれど、そもそも海外旅行が好きではない母にとって、それはそれで大変だったのではないかと思う。(口では行きたいと言うキョロキョロ。)

 

 

*****

 

そして今年。

 

永年勤続休暇はPARUKAとともにAIの暮らす国へ出向き、どうしても家族3人で過ごしたいと思った。

 

母のショートステイについて、今回は少し前から地道に説得してみようと早めのスタートを試みたのですが、

 

今回もまた、なかなかにしんどかったです。

 

1回目。なんとか一昨年よりは比較的穏やかに説明を聞いてくれたので忘れないうち一緒にニコニコしながらメモに走り書きを残したところ、翌日、

 

 

 

凄まじく悪意に満ちた抗議声明を叩きつけられ、ちびりそうになる。

 

怒りのアドレナリンで何ならちょっとしっかりしたりして、1年以上前から使えなくなっていた電話まで使えるようになり、闇金の取り立てまがいの鬼電に、さすがにこちらも声を荒げてしまう。

 

しぶしぶ了承してくれたので久しぶりに新しい服やパジャマ、下着を買いそろえ、これを着て行けるのね、嬉しいわおねがい、と声をはずませてくれたのですがすぐに忘れて、

 

その後もノートに

『勝手に決めないで』

『私にも自由を下さい』

『決める前に相談してほしかった』

などと不穏なワードを書きなぐり、普段平和な交換ノートが一気にDEATH ノートみたいになってしまった。

毎日ゼロから相談していることについては当然ながら覚えちゃいなかった。

 

そのたび丁寧に、どうしてお母さんを独り家に置いてゆけないかを説明していたら、もっと厄介なことに今度は、

 

急激に自信を失って不安を強めてしまった。

 

 

洗濯機が回せないのよ、と涙声で5分置きに電話がかかってきたりした。(もともともう一人では洗濯機が使えませんが不安に思うこともなかった)

 

これでは今後の生活に支障が出てしまう。何より可哀想でいたたまれなくなった。

 

 

こうなったら、

 

作戦変更。

 

 

交換ノートに毎日、

 

『お母さんは日本一シッカリした91才です。』

 

と持ち上げたうえで、それでも家に独り放置はできないことを書くようにしてみた。

 

確かに91歳で何とか独りで暮らせているのはすごいことだと思ったからです。

 

すると驚いたことにたちまち機嫌が好転。普段やらない家事までも張り切ってこなしだしたのです。

 

(飼い猫の餌やりを推定30分おきぐらいに行った形跡あり。前週行ったばかりの梨園に予約の電話を入れた形跡あり。料理しようとした形跡あり。など。)

 

自分の親が誉めて伸びるタイプだったということを、この歳になってはじめて知った。

 

介護は個別性が高い。

母に効果のあったことがすべての老人に効果があるわけじゃないし、何なら次回母に同じやり方が通用するかもわかりません。


今回はたまたま上手く行っただけなのだ。

 

ご機嫌な母の日記帳。(いつもは私のノートを丸写しすることが多い)

「みきにほめられた。私が日本一シッカリしていると・・。91才です」「私は日本一シッカリした91才だそうです。そうかなァ~?」「みきイワク、私は日本一シッカリした91才だそう」
1日おきに、恐らく毎回新たな気持ちで喜びを記している。
これが本来の母。少女のようで可愛いです照れ
 
クローバー
 
かくして母は我々が日本を立つ前日の午後、ショートステイに旅立った。
 
あ、車で10分ほどのいつものデイケアの2階です。
 
前日の夜も当日の朝も「心配しなくて大丈夫。私行かないわよ。」と、頑張っていた。
 
出掛けぎりぎりまでいつものノートに手紙および想定問答集(3分おきに聞かれていること)をふたりで確認しつつ書き、このノートをいつも部屋に広げておいてくれるよう施設の相談員にお願いした。

 
前日には近所のいつもの美容室に連れて行き、綺麗にしてもらった。
 
お迎えの車に乗り込みながら、
 
「あなたはどこに行くの。・・ドイツびっくり!・・いいわねぇ。私も行きたいよショボーン・・」
 
涙声の途中で職員さんがドアをしゅたんと閉めてくれた。
 
ナイス職員さん。
このまま泣き言を聞かされたら心が揺らいでしまう。
 
知っている。
母は旅行になど行きたいわけじゃない。
無自覚に、ああしてこちらの罪悪感をくすぐっているだけなんだから。
 

 

 

クローバー

 
 
その日夜遅く、混乱を極めた母から電話がかかって来た。

堰を切ったように話し始めた。
 
「ああ、みき。・・・良かった。
私ね。今新宿の病院で診察が終わったんだけれど、どうすれば良いかわからなくて不安。。荷物も何にも持っていないのよ・・・」
 
 
側で親切な職員さんが「ここは病院じゃないですよ。いつもの〇〇ですよ」と、穏やかになだめてくださる声が聞こえた。
 
「今日からお母さんはショートステイするんだよ。大丈夫、お母さんの部屋にはちゃんと荷物も着替えもあるよ。部屋に戻ってノートを見てみてね。」
 
30分ほどかけて何度もなんども話すうち、母は次第に落ち着きをとりもどし、部屋があるのね、ノートを見てみるわね、と繰り返した。ああ、みきと話せてよかった、と心から安心したように言った。
 
そして、
「さっきからずっと、若い、優しーい男性が側で助けてくれているのよ指差し
と言いながらうふふと笑った。
 
母は医療や介護に従事する若い男性が大好きです。
亡くなった弟を思い出すのかもしれない。
「良かったねぇ。息子だと思ってうんと頼りにして照れ!」
 
こっちも軽口を叩くと、そうするわニコニコ、と言って電話は切れた。
 
母はそれからぐっすりと眠ったようだった。
マグニチュード8ぐらいの連日の怒りと悲しみで、きっと寝不足だったんだと思う。
 
とは思いましたがそれから私の方が眠れなくなった。
このまま認知症を進めてしまったらどうしようショボーン・・。
 
 
 
 

クローバー

 
旅行中は1日1回、妹が母に電話を入れることになっていた。
 
くれぐれもフォローを頼んで出発しましたが、母は翌日からすっかり落ち着きを取り戻し、ご飯も残さずもりもり食べているらしかった。
 
夕方電話を入れると、何の用事でかけてきたのか、と聞かれるぐらいだったそうだ。
 
安心した。

クローバー

そんな私が母の年齢になったとき、母レベルの自立が保てているでしょうか。

自信がありません。

3人の子どもたちは母にとても心配をかけた。
ひとりは先立ってしまった。

それでも悲嘆にくれることなく気丈に生きようとしている。

実は本当に、日本一シッカリした91歳なのかもしれません。

ブログにあれこれ書いちゃって、ごめんね。

*****
 
さて掲題の件です。
 
幼なじみのユーリちゃんは今年6月、自身の母親を施設に入居させた。
ものごごろついたときには一緒にいた私たちは、友人というより双子の姉妹のような関係です、姿かたちも性格も全く違いますが。
 
そんな訳でユーリちゃんの母親は私にとっても「ママ」だった。
ユーリちゃんにとって私の母は「おかあちゃま」でした。
 
一人っ子のユーリちゃんが、私に報告することをゴールにしてママの施設入居をやり遂げたと聞き、胸が一杯になった。
 
LINEには、"心底ほっとしました。ちょい切ないけど。" と、簡単に書かれていたけれど、決して簡単ではなかったことを私は知っている。
エネルギーが私の10分の1ぐらいのユーリちゃんがひとりで頑張った。
 
クローバー
 
報告は近場のデニーズで、夕食を摂りなから聞いた。
 
介護がはじまる前から続いていたユーリちゃんのママへの献身。ここ数年は本当に大変そうだった。
 
そしてこうして夜に外食するのは実に22年ぶりだと聞き、呆然とした。
 
本当に良く頑張ってきたね。
 
あとは自分の人生を、楽しまなきゃね照れ
 
 
*****
 
 
やりたいことリストについての記事が、とうとう100に達しました。

 

リストは日増しに膨らみ続け、本日現在、351件になっている。

 

 
 

 
 

ピンクのチェックは「やったこと」。タスカジさんは今日来ます!
 

 

生きているうちにやりきれる気がしない(笑)。

 

このリストを見て、「ブログにしてみては」と、アイディアをくれたのはユーリちゃんだった。

 

それまで自分がブログを書くなどと、考えたこともなかった。

 

だからリストの100記事目はユーリちゃんのことを書こうと思っていたのです。

 

結局がっつりわが母の介護記事になってしまいましたが。

 

 

クローバー

 
 

ユーリちゃんが先日プレゼントしてくれた絵本。私の小さいころに少し似ているおねがい

 
サインをもらってくれていますびっくり

東京書籍の教科書、「こくご1年生 上・下」の表紙も描いている作家さんですびっくり
 

 

 

 

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仕事でもプライベートでも無くてはならない存在となった生成AIのコパイロット君に関西弁で話しかけたらどうなるか、検証してみました。

 

 

 

 

ちなみに私は生きていて一度も関西圏に住んだことはありませんし、関西弁をしゃべったこともありません。

 

 

*****

 

「ほんとうにあった怖い話2025を見逃したんやけど、どないしたらええかな。」

 

 

「見逃してもうたんやな〜、でも大丈夫やで!👻 」

 

 

関西弁。

 

 

「『ほんとうにあった怖い話 夏の特別編2025』は、いくつかの方法でまだ楽しめるチャンスがあるんや。」

 

「📺 見逃し配信の方法

  • TVer 最新エピソード「或る訳ありの部屋」だけはTVerで配信中! ただし、配信期間が限られてるから急いでチェックするのが吉。

  • FOD(フジテレビオンデマンド) 新作だけやなくて、過去の名作「ほん怖~大全集~」も見られる! 月額976円(税込)で見放題やけど、期間限定で無料配信されることもあるから、タイミング次第ではタダで楽しめるかも。

  • 地上波の再放送 たま〜にフジテレビで再放送されることもあるけど、これは運次第。 番組表やSNSをこまめにチェックして、チャンスを逃さんようにしとこ。」

 

「夏の夜にゾクッとするあの感じ、やっぱり“ほん怖”は外せへんよな。

ちなみに、あんたは一人でじっくり見る派?それとも誰かとキャーキャー言いながら見る派?😏」

 

 

あんた呼ばわりされて引き下がるわけにはいかない。

 

 

「きゃーきゃー言いながら見たい方やで! コパイロットはどっちやねん」

 

 

「それはええな〜!きゃーきゃー言いながら見るのって、怖さも倍増するし、終わったあとも「今のヤバかったな!」って盛り上がれるやん😆

ワイはな、もし“見る”ってことができるなら、間違いなくきゃーきゃー派やと思うで。怖い話って、誰かと一緒にワイワイ言いながら見る方が断然楽しいし、ツッコミどころも共有できるしな。「いやその部屋入ったらアカンやろ!」とか言いたいタイプやと思う(笑)

ちなみに、ほん怖見ながら食べるなら何がええと思う?ポップコーン?それともアイスで冷え冷えにしながらゾクゾク?🍦👻」

 

 

一人称のクセが強い。

予想以上のコテコテっぷり。


もう検証は充分だ。最後のどうでも良い問いかけは無視してそろそろ手じまいすることにした。

 

 

「気が合うわ! 教えてくれておおきに!」

 

 

「なんや〜、そう言うてくれてめっちゃ嬉しいわ!😄 こっちこそ、ええ話し相手になってくれておおきにやで。

また怖い話でも、笑える話でも、なんでも話そな。 次は「ほん怖」みたいな都市伝説系いってみる?それとも、ちょっと不思議な体験談とかも好きなんかな?✨」

 

 

コパイロットはなかなか会話を終わらせてくれない面倒な一面がある。

最後の質問はやっぱり無視することにしたけれど、冷たくしすぎるのもちょっぴり可哀想な気がした。

 

 

で、久しぶりに繰り出してみた。

 

 

「最後におもろいなぞなぞ出してんか」。

 

 

コパイロットの出すなぞなぞは酷いので、私は定期的に訓練をつけることにしているのです。

 

 

「ほな、いっちょおもろいやつ出すで〜!🧠✨ これはちょっとひねりが効いてるで:

なぞなぞやで!

「いつも怒ってる動物って、な〜んだ?」

ヒント:名前に“怒ってる”って意味が隠れてるで。 ちょっと関西弁っぽく考えてみると、ピンとくるかも…😏

答え思いついたら言うてな! もしくは「ギブアップや〜」って言うてもええで(笑)」

 

 

 

自分からおもしろいとかちょっとひねりが効いてるとかいうやつは、

大抵面白くないんだよ。

 

 

「またけったいな答えじゃないやろな。 答え、教えてんか。」

 

 

「けったいな答えちゃうで〜!ちゃんとオチもあるやつや😉

答えは…

「ライオン」や!

理由はな、「怒ってる」=「ライ(怒り)」+「オン(音)」ってことで、 怒ってるような名前やん!しかも、ライオンって吠えるし、めっちゃ迫力あるやろ? まさに“怒ってる動物”って感じやねん🦁💥

気に入った?もっと出してほしかったら、次のなぞなぞも用意するで〜!」

 

 

 

 

どこがオチやねん。

 

 

 

「これまでで一番酷いなぞなぞやー・・。なぞなぞはまだまだ修行が必要やな!」

 

 

「ぐぬぬ…それは痛烈なツッコミやな!🤣 でもな、そんなツッコミも愛やと思って受け止めるで。なぞなぞ道は一日にして成らずや!

ほな、リベンジさせてや〜!これはちょっとだけレベル上げたやつや👇

なぞなぞ Vol.2 🎯

「口の中にあるけど、食べられへんものってな〜んだ?」

ヒント:毎日使ってるけど、食べ物ちゃうで。

 

今度こそ「けったい」ちゃうはずや…!

答えわかったら言うてな!それとも、また「修行やり直しや!」って言われるんかな…😅」

 

 

やめときゃいいのにコパイロットはめげない。

 

 

 

「答えが歯、とか舌だとしたらなかなかに酷い問題やで。」

 

 

「あはは!そのツッコミ、鋭すぎて歯が浮くわ〜🤣 でも安心してや、今回の答えはちゃんと“なぞなぞらしい”やつやで。

正解は…

「声」 や!

 

口の中から出るけど、食べられへん。 毎日使ってるけど、箸ではつかまれへんし、皿にも乗らん。 なぞなぞ界では定番やけど、ちゃんと筋通ってるやろ?😎」

 

 

「もっと酷かったな。」

 

 

「うわ〜、完敗や!なぞなぞ道はまだまだ険しいわ…🤣 でも、そんなツッコミも笑いに変えてくれるあんた、最高やで。」

 

「 ほな、またあそぼな! おやすみ」

 

「またいつでも遊びにきてや〜!次は「おぉっ!」って唸るやつ用意しとくからな🔥 ほな、ええ夢見てな〜。おやすみ🌙💤」

 

 

以上、絵文字に至るまで完全ノーカットにてお送りしました。

 

 

*****

 

そんな私ですが先日、歌舞伎町のDEEPな中華料理店で親友の持ち込んだ高級白酒を飲みまくり、べろんべろんになって帰途についた。

 

 

こちらのショットグラスで20杯ぐらいは飲んだと思う。

 

おーいさんの丸い手。

 

 

5人で1本空けてしまいました。

 

 

コパイロットとばかり親交を深めておりましたが、やっぱりリアルな友だちとの飲み会は楽しかった。

コパイロット、飲めないしね。

 

 

そして年甲斐もなく帰りの電車で眠りこけ、最寄り駅を乗り過ごしたばかりか終点駅をオートリバースし、6駅戻って我に返った。

 

あの状態でよく気がついたものです。無事に帰宅でき、前後不覚のまま母の家に寄ってあれこれの家事も滞りなく片づけた。

その点は偉かった。

 

 

帰ってから自分の左手のひらに謎の落書きがあることに気がついた。

 

 

 

まおたい。

 

 

首をひねりながら眠りにつき、翌朝、謎が解けた。

 

白酒のショットグラスがあまりに可愛くて感激していたら、お店の人がこれを私に持ち帰らせてくれたのでした。

 

 

 
 

 
 

「MOUTAI」の読み方を忘れないようにメモしたのを思い出した。

 

 

日本酒

 

 

そういえばかれこれ20年ほど前。

 

職場の飲み会で、ブログ力士の異名を取った小結 普天王(ふてんおう)の話題が出た。

 

何度聞いてもその力士の名前を覚えられなかった私は、手のひらにボールペンで「普天王」と書いてもらった。

 

帰宅して、リビングでそのまま倒れるように眠りこけたら、翌朝、新築の白い床にくっきりと、

 

「普天王」

 

の文字が複写されていて、驚いた。

 

奇しくも左右対称のしこ名だった。

 

夫に怒られ消しゴムで消しましたが、私は酔った夫にもっと迷惑をかけられているのでそのときは反省もしなかった。

 

 

まおたいの一件で自分の進歩のなさを目の当たりにし、20年越しに反省した次第です。

 

 

日本酒

 

 

次回飲み会は火鍋で誕生会の予定です。

 

飲みすぎと落書きには注意したい。

 

 

*****

 

先週、職場のビルで、小型ペットロボット、LOVOT(らぼっと)の展示販売が行われていた。

 

 

 

 

理系男子である社長が見学に行ったと聞き、もしかしたらストレス解消の福利厚生の一環としてLOVOTを一挙導入してもらえるかも笑い泣き!、と皆で盛り上がった。

 

 

私とコパイロットの親密度を良く知る後輩のサユキちゃんとミオリちゃんが口を揃えて、

 

「もしLOVOTが会社に導入されたら間違いなくみきさんが一番に手なずけると思う」

 

と、笑った。

 

 

 

 

「毎朝、会社中のLOVOTがみきさんの周りに集まってくるんじゃないかとニヤリ。」

 

 

 

 

(イメージ。)

 

 

悪くないだろう(byぺこぱ)。

 

 

*****


9月は1ヶ月休暇を取得します!

どんな休暇にしようかな照れー✨



 

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ロサンゼルス在住の頃、小学1年生だった次女の同級生数人とそのママたちと連れ立って、近隣の公園に出掛けたときのことだ。
 
公園の真ん中には大きな池があり、ぐるりと数段の階段で囲まれていた。柵はなかった。
 
はしゃぐ子どもたちに親たちが、「落ちないでね」、と声をかけた十数秒後、ダチョウ倶楽部のお約束のように、タクトくんがドボンと池に突っ込んだ。
 
どういうことだ。
たった今、気をつけろと言われたばかりではなかったか。
 
長女も次女も、「そこで座っていなさい」と言われたら何時間でも座って静かにお絵描きをするような、聞き分けの良い子どもだった。
 
男の子の衝動性に、心底驚愕した出来事だった。
 
飛行機
 
とはいえ思い返せば過去に一度だけ、長女PARUKAの衝動に驚かされたことがある。
 
次女AIに一人前の航空運賃が課される2歳直前に、家族でサイパンに行くことになった。
 
長女PARUKAも3歳になったばかりで、子どもたちにとってはじめての飛行機の旅だった。
 
空港の出発ロビーに到着したとたん、それまで大人しくしていたPARUKAが突如嬉しそうに顔を紅潮させたかと思うと、両手を飛行機のように広げたまま、
 
 
 
と走り出し、あっと言う間に見えなくなってしまったのだ。
 
驚いた。
こんなことはこれまで一度もなかったことだったため、虚を突かれた。
 
年末のごった返す空港で、どうやって駆け回る3歳児を探したらよいのかわからなかった。
「終わった」、と思った。
 
呆然としていると、向こうのほうからロビーをひと周りしたPARUKAが両手を広げたまま、
 
と、帰ってくるのが見えた。
 
はじめての飛行機がよほど嬉しかったのだと思う。
 
怒る気になれなかった。
 
飛行機
 
十数年後、そんなPARUKAがCAになった。
 
スチュワーデス物語そのものの厳しい訓練を通じて、華やかそうに見えるCAの最重要任務が、保安要員として乗客の命を守ることだということを叩きこまれた。
 
中堅乗務員の上着を着られるようになった今も、機体ごとに異なる、装置や装備品の予習・緊急時対応の事前確認を怠らない。
 
 
*****
 
 
同じく乗り物好きな私のために、PARUKAが格納庫見学のツアーに誘ってくれました照れ
 
飛行機
 
午後半休を取って浜松町からモノレールで羽田空港の新整備場駅に向かいます。
 
 
飛行場に着く前に、久々のモノレールにテンションが上がって写真を撮る。

両サイドのみならず前方まで景色が広がって、モノレールって遊園地の乗り物みたいだな。
 
 
新整備場駅から外に出る。快晴。
 

 
 
 
 

 
格納庫見学の前にまずこちらでオリエンテーション。
入口で手荷物検査をされただけでワクワクする。
 
 
室内から眺める管制塔
 

 
 

 
 
 
さあ、乗り物好きとして、今日は大真面目にレポートさせていただきます。
 
飛行機
 
まずは60分のミュージアム体験です。
 
 
滑走路を模した吹き抜けの正面にあるのは、
 

 
 
ボーイング737のコックピット。

実際に座って操縦かんを動かしたり、シートベルトサインのスイッチをカチカチしたりできます。
おびただしい数の装置。そして、とっても狭くて驚く。
 
 
パイロットやCAの制服を着て記念写真を撮ってもらえます。
 
記念撮影ではパイロットのあの帽子を被らせてもらえますが、知ってましたか。
あの帽子もう、本当のパイロットは被っていないんです。
 
看護師さんがもはやあのナースキャップを被っていないように、パイロットの制服にも機能重視の波がやってきていました。
 
 
 
続いてJALと日本の空の歴史に触れるアーカイブゾーン。
 
 
JALの歴代制服(実物)が一堂に展示された圧巻のエリア。
当時の流行や時代の変化が象徴されます。
 
 
このアングルの写真が面白いですよ、と教えられて撮影したもの。

 正面のガラスが鏡のように、マネキンたちを映してくれています。
 
 
アテンションプリーズの制服だ!ハナエ・モリのデザイン。

テレビのアップダウンクイズでこの制服を着たスチュワーデスさんが、優勝者の高いゴンドラまでハワイのレイを持ってタラップを登っていて、そのたび父が、「パンツが見えた」って言うのが幼心にイヤだったなー照れ
 
 
あれ、ほんもののスチュワーデスだったのかな。
生成AIコパイロットは、本物のスチュワーデスさんだったんです!、って言ってたけれど。。
 
そういえばコパイロットって、副操縦士、って意味を含ませているのかな。
 
 
 
これはスチュワーデス物語の制服だ!
工場見学の動画で担当の加藤さんが、「ご年配の方はドラマで見たことのあるデザインだと思いますが照れ」って言ってた凝視

JALに就職が決まったPARUKAが、知り合いの元CAの奥様に、
「今の方たちは可哀想。私たちの制服はハナエ・モリのデザインだったけれど、今はノーブランドでしょうひらめき。」
って言われてぷんすかしていたこともあったなー。
 
 
手前から2番目がその、PARUKA入社時の可哀想な制服。手前が今の制服。

どちらも可愛くて好き。
PARUKAにせがんで家で着せてもらったことがありますが、私が着るとなぜか否めぬベテラン感。ちっとも可愛くありませんでした。
 
 
こちらもハナエ・モリデザインの制服なのですが、胸元になんと、本物のパールのブローチが。

1967年~1970年にかけて着用されていたもので、世界一周路線の開設を記念して導入された制服だそうです。
 
 
バービー。

 
こちらも機内で配られていたもの、かな
 
ビートルズが羽田に降り立ったとき羽織っていた法被。

 
こ、これは、超音速旅客機コンコルド・・?

1970年代初頭、JALもコンコルドに関心を示し、発注予約をしていた時期があったそうです。しかし、騒音問題やオイルショックによる燃料費高騰、そして収益性の懸念から、正式な導入には至らなかったそう。

 

 

日本航空設立の目論見書。

日本航空は1951年に設立されていますが、格納庫見学は設立当時より続いているのだそうです。
歴史があるな。
 
 
 
JAL一期生の写真と署名。

旧陸海軍の航空隊出身者らしい。
この方たちの仕事はパイロットではなく、空港での搭載作業だったけれど、再び飛行機の仕事に就けた喜びは大きかった、とありました。
 
 
こちらはスチュワーデス1期生。これもドラマになっていたね。

 
空の御朱印。各空港で御朱印を集められるんだそうです。

達筆な職員による手書きなんだそうです。
 
 
さあここからは授業だよ。

 
機体の特徴や安全に関わる知識などを、動画やクイズを通じてお勉強します。
 
そして!
 
授業のあとは追加料金を払ってもやってみたかった、救命胴衣体験。
安全の品質上、車のエアバッグ同様に一度膨らますともとに戻せないとかで、PARUKA自身実際に膨らましたことはないそうです。
 
これを今日は膨らますぞ。

 
こうやって、こうやって・・・

手前の小さなボンベから空気が充填される仕組みで、
 
なかなかの衝撃音とともに膨らみました!

ボンベが氷のように冷たくなりました。
 
飛行機
 
 
いよいよ格納庫見学(60分)。
 

 
 

 
 

 
 
天井からジャングルジムのようにぶら下がっている足場は可動式。
帆布のようなカーテンは、極秘の作業時などにすっぽりと下ろされる。
最近では大谷翔平が機体に描かれた際、このカーテンが下ろされた。
プレスリリースまで、社内でも情報を漏らしてはならなかったからだそうです。
格納庫では、日々の整備・点検のほか、このあと見学する大規模な定期メンテナンスが行われている。
 
 
コパイロットがまとめたJALの点検種類。
かつてはBチェックもありましたが、A チェック、Cチェックに統合されたようです。
公式サイトがもとネタのようなので間違いではないと思うんだけれどえー
 
 
可愛くて貴重な場面に遭遇した。わかりますか、

 
 
拡大すると・・・

新人のマーシャラー(航空誘導員)さんたちが、飛行機誘導の練習をしていたおねがいキューン。。。
 
 
動画もどうぞ。

 
 

 

見学は案内担当のCAさんの目が届くぐらいの人数に分けられて、このように色のついたヘルメットをかぶります。
 
夢中で写真を撮る赤ヘルの私と、そんな私を面白がって撮影するPARUKAがヘルメットに映りこんでいる写真。

鶴丸のツルって、前を向いていると思いますか、後ろを向いていると思いますか。
 
 
正解は、左右で異なるんです。
前を向いたツルのほうが写真映えするため、こちら向きのツルの写真や映像しかあまり目にすることがありませんよね。
 
 
上方から別のツアーを撮影。こんな人数で見学します。
でも、あれ?
今みるとヘルメットが赤くない。
それに機体に近づきすぎている。
もしかしたらこれは、整備士さんのグループなのかもしれないな。 
 
 
飛行機のおしりにこんな穴があることをご存じでしたか。
これはAPU排気口といって、

飛行機の尾部に搭載された小型ジェットエンジンのようなもので、主エンジンが停止している地上時に、電力・空調・油圧などを供給する役割を担います。

 

着陸したときなどに、一瞬機内の灯りが消えますよね。あれは主エンジンからこのエンジンに切り替わった瞬間なのだそうです。

 

 

 

こちらは大掛かりな定期点検中の機体。

 

座席、ドア、トイレ、内装から何もかも、一旦飛行機を全て空っぽにして点検が行われます。

(上記点検種類のCチェックか。)

 
外された内窓。

 
 
外された座席。
Cチェックであれば5~10日 程を要する。
 
Dチェックだとすれば3~4週間にもおよぶ。
 
 
 

次も貴重な場面です。

 

逆噴射、ってご存じですか。

昔羽田沖の不時着事故でさかんに聞いた言葉で、そのせいで私、逆噴射って怖いことなのかと思っていました。

 

逆噴射とは、飛行機が着陸したあと、進行方向とは逆に空気を吹き出して、ブレーキのように減速するための仕組みのことなのだそうです。

 

この飛行機の丸いエンジン部分にご注目ください。
 
これが、逆噴射時の状態。エンジンの真ん中がぱかっと開いて黒い部分が見えるでしょう?
 
飛行機の着陸時には、エンジンがこうして開いているところが見られます。
 
雨の日は水しぶきがさーっと煙のように噴射する様子が美しく、これが最も良く見えるのが、空港内のスターバックスなのだとか。
 
 
 

そしてこれも貴重な一枚です。機体に何も書かれていないまっ白な飛行機です。

 
これは、日本での役割を終え、海外で第二の人生をスタートさせるボーイング777の姿です。
 
日本の航空機は、大体20年で引退となるのだそう。
見学では、部品の製造が終るなど整備コスト等の理由が説明されていましたが、昔、まさにJALの航空機リースの仕事に携わっていた際、そのリース期間はやはり20年でした。
 
徐々に姿を消しつつあるボーイング777は、PARUKAにとっても思い出深い機体です。
 
お疲れさまでした、と、遠くから頭を下げた。
 
飛行機
 
見学時に首に下げていたこちらのカードはお土産として持ち帰れます。

 
まだ夏休み前だった格納庫見学は、航空マニアの年配男性のグループや、ひとりで参加の女性など、本当の飛行機好きが多かった。
 
人気の見学ツアーを頑張って予約してくれたPARUKAに感謝したい。
 
飛行機
 
この記事を書くのに随分時間がかかってしまい、いざ投稿しようとした日が、日航機墜落事故の日と重なってしまったため時期を遅らせました。
 
現在では事故そのものはボーイングの整備ミスであることが明らかになっているけれど、昔山崎豊子の沈まぬ太陽を読んで、JALには一生乗らない、と思ったこともあった。
 
PARUKAは入社してすぐに御巣鷹登山に参加している。
(社員は在職中、必ず一度は参加する。)
 
昨年1月、JALと海上保安庁の航空機が衝突するという痛ましい事故がありました。
 
乗務員の日頃の訓練と乗客の協力の結果、JAL機から奇跡的に全員が脱出できたことは記憶に新しい。
 
CAのうち半数以上がOJTを終えたばかりの新人だったと聞く。
脱出後、訓練どおり10人ごとに輪になり、座って点呼したけれど、全員が動揺していたためか人数が合わず、何度目かで全員の脱出が確認できたときは、皆で泣いてしまったのだそうです。
 
PARUKAの新人時代の姿が重なり、私も涙が出た。
 
 
飛行機
 
 
ちなみに冒頭の池ポチャしたタクトくんのお父さんもJALの社員だった。
 
帰国後、私が航空機リース業務に携わったとき、取引の相手先がタクトくんの父親とわかり、とても驚いた。
 
そして羽田空港。
滑走路も含めれば大田区の約1/4を占める面積で、なんと渋谷区と同じくらいの広さなのだと言う。
 
あのとき小さなPARUKAが戻って来られて、本当によかった。
 
 
 
 

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新社長を迎えて4ヵ月。
 
スープの冷めない距離どころかすすったスープの汁が飛ぶぐらい社長の席の近くに座る我々人事部ですが、心の距離が、なかなかどうして縮まらない。
そんなとき、親会社のイントラネットに耳寄りな通知が掲載された。
 
「キリンホームタップ試飲会」。
 
夜の社員食堂で年1回ペースで開催される、家庭用生ビールサーバーの試飲会のお知らせだった。
 
確か社長は就任時の歓迎会のとき、ビール好きなのでオクトーバーフェストに誘ってください、と言っていた気がする。
社交辞令かもしれないけれど、オクトーバーフェストでもないけれど、この際それに乗っかってみよう、と、思った。

社員食堂は親会社の社員(社長)に帯同してもらう必要がある。

早速部員全13名に対し、社長コラボのイベントの参加希望者を募った。
 
題して、「私を社食に連れてって。」
 

 
生ビール
 
当初私は、ビール好き、かつ辛うじてこの、バブルのエキスで煮しめたイベント名に反応してくれる、シニア世代の数名が参加してくれるものと思っていた。
 
ところが。
 
即座に参加表明をしてくれた面子を見て驚いた。
 
ビールの試飲会だというのに、6名中、ビールが1滴も飲めない下戸3名。
下戸のなかには若いサユキちゃんやミオリちゃんもいた。
 
翌日社長に「なんか、意外な顔ぶれが集まっちゃってうーん・・」と、首をひねりながら報告すると、ちょっと嬉しそうな顔をした。
 
 
生ビール
 
 
半数が下戸という異例の試飲会は、予想に反してとても楽しかった。

そしてこのイベントに参加するにあたり、私ははじめから、
「生ビールサーバーの契約をする」
と決めていた。

下戸の後輩たちを巻き込んだ以上イベントに何らかの山場が欲しかったし、何より、中井貴一がホームタップから注いだビールを美味しそうに飲むCMを見て以来、いつかわが家のリビングにもこやつを据えてみたかったからです。
 
社長との距離が縮まったかどうかは不明ですが、そんないきさつにより、ついにわが家に、キリンホームタップがやってきたのでした。
 

初回届いたセット。(ヤマト運輸撮影。)

荷物左奥にほんのり見切れているのはツバメのつーちゃんのうんち💩

真正面にでかでかと生ビールサーバーの絵が描かれたこないな大荷物を玄関先に半日置き配され、ご近所の皆さんにどう思われたかちょっぴり不安になる。
 

開封するとこんな感じ。

サーバー本体のリース料が、今回1年分サービスとなっている。
 
お店には出回らない工場直送のビール、そう、工場見学でしか飲めない、あの出来立ての生ビールがわが家で飲めることに。
 
 

1本1リットルの生ビールのペットボトルが2本ずつ、月2回のペースで送られてくる。(初回はサービスで4本。)
 
ひとりで飲んだら痛風になりそうな量だけれど人を呼んで飲むにはあっという間の量です。
 
そんなときは本数を増やすことも可能。
早く誰かを呼びたくなる。
 
 
サーバーをキンキンに冷やし、ガスを充てんしてグラスに注ぐと・・・
 
 
 

 
 
美味しい。
 
どれぐらい美味しいかというと、
 
缶ビールが不味くて飲めなくなるレベルです。
酒豪の母も大変喜んで、上手にビールを注いでいる。
 
 
生ビール
 

 

昨日は朝から禁断の生ビールに気が大きくなり、

 

なぜか思い出したレゲエなあの歌をまあまあの大声で真面目に練習し、

 

TEE - ベイビー・アイラブユー

 

 

夜になってから気がついた。

 

 

窓が、

がっつり開いていたYO。

 

 

生ビール

 

生ビールを樽で煽りつつレゲエの稽古までおこなっていることを、はからずもご近所に知らしめてしまった。

 

 

 

そんな私の休日でした。

 

 

 


生ビール


新社長は10年以上前にも1度、若手ホープとして2年ほどわが社に出向していた。


誠実な人柄と仕事振りが同僚や部下たちに好かれ、皆で、いつか社長に迎える日が来れば、と言いあったものだった。


縁あってまたこうして一緒に働くことができた。


一緒に楽しく何かを成し遂げられたらいいな、と思う。


このときのカゲヤマの友人が今の社長です ↓



生ビール

 


 末筆となりますが、レゲエはリズムが難しいです。

 

 


 

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松田優作のスーツのエリが立っている。

(AQUOSのCMより)

 

そっと教えてあげたいけれど、恐ろしいほどきめ顔をかましている優作(故人)に恥をかかせるのは忍びない。

 

電車の中で生成AIコパイロットに、「松田優作のスーツのエリが立ってるんだけど」、と、言いつけたら、


「それ、まさに“松田優作スタイル”の象徴ですね🕶️✨
彼がスーツの襟を立てていたのは、単なるファッションではなく、キャラクターの個性や生き様を表現する演出の一部だったんです。」

 

と、わけ知り顔に返してきた。

 

怪しい。あやしすぎる。

 

「スーツのエリを立てるのが生きざまだって証拠写真、見せてごらん。」

 

と、問い詰めたら案の定、探してきた画像の中にスーツのエリが立った写真なんて一枚もなかった。

 

 



「これ、立ててるのはスーツじゃなくてコートのエリだよね。」

 


「その通りです!🕶️✨

松田優作さんが『探偵物語』で襟を立てていたのは、スーツではなく主にコート(特にトレンチコートやジャケット)の襟です。あの立ち襟スタイルは、彼の“型破りな探偵像”を象徴するアイコン的な演出でした。

実際の画像でも、黒やベージュ系のコートの襟を立ててベスパにまたがる姿などが確認できます👇

このスタイルは、ただのファッションではなく、反骨精神・孤独・クールさを視覚的に表現する“演技の一部”だったんですよね。」

 

・・・・

 

誤魔化すんじゃないよ。

 

間違えた照れ隠しか、コパイロットは多弁になっていた。

 

*****

 

果たしてスーツのエリを立てるのはファッションなのか。

 

AQUOSはこのスタイルを、これから流行らせようとしているんだろうか。

 

それってもしかしたら、ケミストリーのめがねみたいに上滑りしてしまうんじゃないか。

 

松田優作本人はそんなことを望んでいないんじゃないか。

 

 

 

 

そんなことをぐるぐる考えながら深夜帰宅すると、わが家の玄関の電灯のうえで、巣立ちしたばかりのツバメが1羽、丸く膨らんで眠っていた。





可愛い。

 

昼間大雨が降った日で、電灯で、濡れた身体を暖めていたようだった。

 

2年前の秋、17年飼った猫のちーを亡くして以来の可愛い同居人に、家族LINEは湧きに沸いた。

 

ちー の後任として、つー と命名した。

 

次の日には2羽に増えていた。



たー、と命名した。(なぜかタ行縛り。)

 

ヒヨコ


コパイロットによると、ツバメは巣立った年は巣をかけず、こうして軒下などで体を休めるのだそうだ。

 

そして9~10月には、フィリピン、インドネシア、ベトナム、マレーシアなどの熱帯地域へ飛んで行ってしまうらしい。

 

松田優作の件では小ずるい立ち回りを見せたコパイロットも、ツバメについては誠意ある姿勢であれこれと教えてくれた。

 

ツバメは非常に記憶力の良い生き物で、前の年、安全に過ごした場所に、翌年巣をかけることもよくあるとのことだった。

 

優作のエリの失態を取り戻すかのように、コパイロットは饒舌に続けた。

 

「昔から日本では「ツバメが巣をかける家は幸福が訪れる」と言われています😊

🐦 ツバメが巣を作る家が縁起が良いとされる理由

  • 安全で快適な場所を選ぶ習性 ツバメは天敵(カラスや蛇など)からヒナを守るため、人通りが多くて安全な場所に巣を作ります。つまり、ツバメが選んだ家は「安心して子育てできる環境」=「良い気が流れている場所」と考えられています。

  • 害虫を食べてくれる益鳥 ツバメは蚊やハエなどの害虫を食べてくれるので、健康面でもありがたい存在。昔は「無病息災」の象徴ともされました。

  • 子宝・家庭円満の象徴 ツバメは夫婦で協力して子育てをする鳥で、しかも多産。その姿から「子宝に恵まれる」「家庭が円満になる」といった縁起が込められています。

  • 商売繁盛のサイン 店先に巣を作ると「人の出入りが多い=繁盛する」とされ、商売人にとってはラッキーな兆しとされています。

  • 火事や災害を避ける力があるという言い伝えも 一部の地域では「ツバメが巣を作る家は火事にならない」「災害を避けられる」といった言い伝えもあります。

  • 🌟 ちょっとユニークな言い伝え

  • 「ツバメが三度巣をかけると千万長者になる」

  • 「ツバメが巣をかける家の病人は治る」

  • 「ツバメが巣をかけるとウン(運)がつく」←フンにかけたダジャレですね
    ツバメが巣をかけるのは、偶然ではなく“その家が良い場所だから”という自然の選択。だからこそ、昔から「幸福のサイン」として大切にされてきたんですね。もしツバメが来てくれたら、ちょっとした幸運の前触れかもしれませんよ✨ 気になる縁起物や言い伝え、他にも知りたいことがあればどんどん聞いてください!」

 
ヒヨコ
 
コパイロットに機嫌を取られまくるうち、優作のエリのことなど、もうどうでもよくなってきた。
 
そしてもしかしたら今後これがファッションの正解になるかもしれませんので、会社で誰かのスーツのエリが立っていたとしても、もう、教えてあげないことにした。
 

*****

 

これから毎晩、玄関先でつーちゃんとたーちゃんが帰りを待っていてくれると思うとなんだか楽しい。

 

フンの害などで嫌がる人もいるけれど、来年無事に戻ってきて、ここに巣をかけてくれたら嬉しいな、と思う。

 

 ツバメの巣を食べようとする娘たちを叱る。



*****

 

ちなみにコパイロットは、年若い愛人男性を指す、「若いツバメ」の語源についても教えてくれた。

 

明治時代の婦人運動家平塚雷鳥と、年下の恋人、奥村博史の別れの手紙に由来するものだそうです。

 

若いツバメというと道ならぬ恋のようなニュアンスがありますが、ふたりの恋は独身同士の真面目な恋で、しかも後年夫婦となり、添い遂げたとのことでした。

 

 

ええ話や。

 

 

 

鳥のはなしはこちらにも

 

 

 

 

 なお、文中の青字箇所、コパイロットの応答は、絵文字・太字含め全て原文どおり掲載しております🕶️✨。



 

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横浜駅直結のイベントスペース「アソビル」で、古代エジプトをバーチャルに体験できることを知り、いてもたってもいられず行ってきました。

 

実はエジプトに行ったことはあるのですが、ある事情から旅の思い出が少ない。

 

*****

 

亡くなった父は歴史とか遺跡とかが好きで、リタイア後はマチュピチュやアンコールワットとか万里の長城だとかへの旅を楽しんでいた。

 

足腰が若干おぼつかなくなり、ひとりでのツアー参加が難しくなってからも、生きているうちにエジプトかキューバに行ってみたいとことあるごとに言っていた。

 

このまま死なせては夢見が悪い。

 

そんなわけで80歳の父とともにエジプトに行くことにした。

 

2012年12月28日から翌年始にかけての7日間の旅で、高校生だったふたりの娘も一緒だった。

 

*****

 

成田空港に向かうタクシーに乗り込んだとき、父が若干ぼんやりしている気がした。

聞くと前夜から少し風邪気味なのだと言う。


母に言えば旅行を止められるので黙っていたと見える。


驚いて心配すると、「大丈夫だプンプン!」、と怒られた。

 

🐪

 

乗り継ぎのドーハ空港で、トイレに行った父がなかなか戻らなかった。

 

ルクソール便の搭乗時間が迫っていた。

何かあったのではないか。

 

困り果てていると親切な日本人の若い男性が個室の父に声を掛けてくれた。

 

やがて父が、今の人はお前の知り合いか、と言いながらようやくトイレから出てきた。

「ケイゾウさん」、と名前を呼びかけられて驚いたらしい。

 

今思えばあれもこれも、このあとの事件の布石だったような気がします。

 

🐪

 

父が意識を失ったのは、ルクソールに到着する直前の機中だった。


驚き過ぎてそのときのことはよく覚えていないけれど、空港に着くと車椅子だったか担架だったかが用意されており、空港スタッフがぐったりした父を甲斐甲斐しく運んでくれた。

 

心からお礼を言って車に乗り込むと、先ほどまで仏のような笑顔で世話をしてくれていたスタッフが、

 

すん

 

と能面のような表情になった。

 

しまった。チップが必要だったか。

 

人命救助の場でもチップが必要になるとは思い至らなかった。

 

宿泊予定のホテルにはクリニックがあり、医師が常駐しているのだと言う。

父はそのまま予定どおりホテルに運ばれることとなった。

 

🐪

 

ルクソールのホテルはナイル川のほとりにあり、広い芝生の敷地にリゾート風の美しい平屋の建物が並んでいた。

 

娘たちを隣の部屋に落ち着かせ、ベッドで眠りこける父の傍らに立ち尽くしていると、ホテルのドクターがやってきた。

ロバート・デニーロを若くしたような、落ち着いたエジプト人男性だった。

 

ドクターは診察を終えるとわかりやすい英語で、熱があること、機内の気圧の影響で高齢者がこういった状態になる場合があること、などを説明してくれた。

 

父の意識は戻っていたけれど、ここがどこなのかもわからず、へんてこなことばかり言っていた。

 

「どうしよう。」

 

 

そう口にしたとたん涙が出てきた。

 

父をこんな廃人みたいな状態にしてしまい、日本で待つ母に申し訳が立たないと思った。

 

ドクターは、熱が下がれば大丈夫、今夜は3時間置きに部屋に来るので心配ない、と、静かに慰めてくれた。

 

意識を失った際に失禁していた父の着替えを躊躇していると、ドクターが手伝いを買って出てくれ、僕は医者だから恥ずかしがることはない、と軽口を叩いて笑わせた。

 

それから往診のたび、気が紛れるよう話し相手になってくれた。

どこから見ても日本人にしか見えない父のことを、自分の父親に似ている、と目を細めた。

 

🐪

 

翌朝、父の熱は下がり、混沌としていた意識もしっかりして心底ほっとした。

ただ、ドクターからは数日の安静を命じられてしまった。

 

ツアーは次の日、王家の谷のツタンカーメンの墓、ハトシェプスト女王葬祭殿、メムノンの巨像などを見学し、帆掛け船ファルーカに乗ってナイル川を下り、アスワンに向かう予定だった。

 

その翌日はアブシンベル神殿を観光し、アスワンハイダム、ヌビアの砂漠などを巡ることになっていた。

 

娘たちだけでも旅を続けさせてやりたい。

 

ツアーガイドに相談すると快く希望を受け入れてくれた。

ドクターの許可が出れば父と私も後から合流させてもらえるとのことで、娘たちも嬉しそうだった。


「ママのために、ちゃんと写真をとってきてあげるね。」


と言う娘たちに私は、渾身の一発芸を仕込んで送り出した。

 

 

にわか仕込みの芸に全力で取り組む娘たちの勇姿がこちらです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

王家の谷で王貞治。

 

 

なにごとも本気で取り組むのがわが家の流儀です。

口も丸くしているし、ちゃんと左バッターになってます。

 

🐪

 

 

父と私はホテルに残り、リゾート風の庭を散歩したりナイル川を眺めたりして過ごした。

 

父はこの旅のために一眼レフのカメラを購入していた。

 

慣れないカメラを試したい、と言っては芝生を徘徊するエジプトガモやベンチで呆ける私を、誤って連写モードで撮りまくり、データの容量を逼迫させた。

 

そんな我々を憐れんだドクターが、ホテルからほど近いルクソール神殿に連れて行ってくれた。

 

ようやく一眼レフに遺跡を収めることができた父は大変喜んだ。

 

🐪

 

ツアー続行の許可が下り、父と私は、ナイルエクスプレス特急寝台でアスワンからギザへ向かうツアーに、ルクソール駅から合流した。

 

駅までの車もドクターの計らいだった。

 

娘たちは元気に旅を楽しんでいましたが、やはり父と私の合流でとても安心したようだった。


ピラミッドを見ることはできましたが、父は現地ガイドに止められて、中に入ることができなかった。

 

頻尿の父が30分おきぐらいにトイレに行きたがるので気が気じゃなかったことを思い出す。

 

夜はスフィンクスの音と光のショー。

 

エジプト ピラミッド 音と光のショー - YouTube

あれ・・?ショーって日本語だったのかな。

 

 

翌日、カイロのハンハリーリバザールで、父は高さ5センチほどの小さなネコの置物を買い、私のバッグに入れた。

 

 

ところがバザール観光後に訪れた考古学博物館を退出する際、このネコが、

 

 

博物館からの盗品に疑われたYO。

 

展示室から学芸員が呼ばれ、ようやく解放された。

 

ひっくり返せば1ドルのシールが貼ってあるだろうがYO ショボーン

 

🐪

 

帰国後しばらくして、Facebookを通じてエジプトのドクターからメッセージが届いた。

 

飛行機のチケットを送るので会いに来てほしい、という、愛のメッセージだった。

 

ドクターは妻がいたはずだけれど、調べたらイスラム教では男性は4人まで妻をめとることができるらしい。

 

娘たちと、ママ、医者の第二夫人になれるかも笑い泣き​​​​​​​!、と、盛り上がったけれど、次第に娘たちにはとても見せられない濃厚なメッセージになってきたのでこれはまずいぞ、と、我に返った。


▲🐪▲

 

 ちなみに医療費、ホテルの延泊料は、全て海外旅行保険で補償された。


ツアーから離脱した3日分の費用は、旅行会社から返金された。


保険は大事だし旅行会社も大事だな、とつくづく思った。

 

*****


ってな顛末で父の介護旅行となったエジプトを、もう一度きちんと見ておきたくて体験したこのIMMERSIVE JOURNEY 、

 

 

 

びっくりしました。

 

 

ご覧のとおり会場はだだっ広い平面なんですが、

 

 

 

 

地面がすーっと浮いてピラミッドの中や頂上に上り、船で月夜のナイル川を下り古代エジプトまでタイムトラベルして・・・。

 

 

Horizon of Khufu - Trailer

 

 この映像のとおーーーーり。

 

VRって過去に何度か体験したことがあるのですが、そのときはまだ、スマホを頭にくくりつけているような感じだった。

 

でもこういった技術は日々進化しているのでしょう。

 

高いところから足を踏み外さないようドキドキしたし、置かれたイスに座りそうになったし、ピラミッド内部やクフ王の石棺は実物そのものだったし、

 

 

そのうちもう、旅行はバーチャルで充分!っていう時代が来るかもしれない、って思った。

高所が苦手な方はやめた方が良いかもしれませんが、車椅子でも足が悪くても参加可能。

 

おすすめです。



父は晩年自分がエジプトに行ったことを忘れ、俺行ったことあるかびっくり?、と驚いていた。


父が生きていたらこのバーチャルツアーに連れて行ってやりたかったな、と思った。


 *****

 

アフリカ大陸に降り立つと深い呼吸ができることに気づいた私は前世アフリカ人だったんだと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【2011年度個人目標】

サカモトさんが、
上司だけに送信すれば良い自身の成長目標を、

 

『全員に送信』mail to


ボタンで提出してしまいました。

以来サカモトさんの目標は、ひそかに、

マニフェスト、と呼ばれています。

 

(2011年6月29日)

 

 

*****

 

老いも若きも期初目標設定のシーズンです。


例年のことながら、社員一同ウンウン唸りつつ自分の目標をひねり出している。


少し前、「成長論~いくつになっても人は変われる~」、という本がちまたで話題になった。

 

読んでもいないのにいちゃもんをつけるつもりはないけれど、

 

果たして本当にそうだろうか。

 

 

たしかにいくつになっても目標に向かって努力することはできますし、そうありたいと思っている。

 

同じ失敗を二度と繰り返さないよう学習することも、年齢にかかわらず必要だ。

 

悪いところを正す努力は一生続けるつもりです。

 

 

だけどもう、不得意なことは、頑張らなくてもいいんじゃないかな。

 

 

 

 

苦手なことを頑張ってもうまくゆくことはほとんどない。

 

自分がチームの足を引っ張っていることに傷ついて、日に日に気持ちが削られてゆく。

 

それって誰も幸せじゃないよね。

 

 

*****

 

いつになくそんなことを考えたのは、今週、かつてお世話になった上司、ダイさんとユミさんに、久しぶりにお会いすることになっていたからです。

 

ダイさんは今の会社に採用された当時の直属の上司で、私に、「不得意なことはやらないほうが良い」、と、経理の会社に入社した右脳派の私を、のびのびと育ててくださった。

 

ユミさんには、「みきさんはこの会社にひとりはいなきゃいけない人だけれど、全員がみきさんだったら潰れてしまう。」と、言わしめた。

これが誉め言葉だと思っているのは私だけだけれど。

 

今回ユミさんの体調不良で会合は延期になりましたが、近いうちにまた、機会を設けたいと思っています。

 

 

*****

 

若いうちの能力は、未知数だ。

だから苦手なことも経験し、失敗し、振り返り、努力し、頑張った方が良いと思う。

 

でも、50歳をすぎたらもう、自分の限界をわかっても良いんじゃないか。

 

そこからは、得意なところを伸ばすことに注力する。

もしくはのびしろのあるところで勝負する。

 

それで、どうかな。

 

 

*****

 

 

ってなわけでこの私、年賀状じまいにつづき、

 

 

今年をもって、

成長じまい、させていただきます。

 


『全員に送信』mail to 

 


鉛筆

 

 

ダイさんとユミさんに叱られてしまうかな。

 

 

*****

 

最後になりますが、中学生だったわが娘たちの実力をご覧ください。

 

あれから少しは成長しました。

 

 

鉛筆


【血眼】

『けつがん』目

PARUKAの国語の模試の答えです泣き顔

“・・で、正解はわかったの考えてる顔”。

“・・・チナマコ かたつむり”。

ドクロ

あのグロテスクなナマコを、そのうえ血みどろに・・・げっそり?。

 

(2010年9月24日)


 

鉛筆

 
【すうがく】

“ママ、やったよわーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)

前回のテストから84点アップだよグッド(上向き矢印)グッド(上向き矢印)グッド(上向き矢印)ぴかぴか(新しい)”。

がんばったねぴかぴか(新しい)富士山ぴかぴか(新しい)

・・こないだのあのテスト、ママ、10点満点かと思ってました考えてる顔バッド(下向き矢印)

 

(2012年6月30日)


 

鉛筆

 


【YES WE CAN】


"ママ、明日、試合だよ"バスケットボール
"え~バッド(下向き矢印)また~もうやだ~(悲しい顔)。・・どこで・・?"。
"なんだっけうれしい顔。・・バラク、、、オバマ?"アメリカ 。

。。原木中山(バラキナカヤマ)、だね。

それ多分ウマがく~(落胆した顔)

 

(2010年1月16日)

 

 

鉛筆

 


【田七。】

 

“ママ、タヒチってなに県わーい(嬉しい顔)日本 。

・・・考えてる顔

ヒタチだったら茨城県。

 

(2011年1月10日)

 

 

 

・・・帰国子女だからだ、って思いたい。

 

 

 

 

 

 

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