横浜駅直結のイベントスペース「アソビル」で、古代エジプトをバーチャルに体験できることを知り、いてもたってもいられず行ってきました。
実はエジプトに行ったことはあるのですが、ある事情から旅の思い出が少ない。
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亡くなった父は歴史とか遺跡とかが好きで、リタイア後はマチュピチュやアンコールワットとか万里の長城だとかへの旅を楽しんでいた。
足腰が若干おぼつかなくなり、ひとりでのツアー参加が難しくなってからも、生きているうちにエジプトかキューバに行ってみたいとことあるごとに言っていた。
このまま死なせては夢見が悪い。
そんなわけで80歳の父とともにエジプトに行くことにした。
2012年12月28日から翌年始にかけての7日間の旅で、高校生だったふたりの娘も一緒だった。
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成田空港に向かうタクシーに乗り込んだとき、父が若干ぼんやりしている気がした。
聞くと前夜から少し風邪気味なのだと言う。
母に言えば旅行を止められるので黙っていたと見える。
驚いて心配すると、「大丈夫だ
!」、と怒られた。
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乗り継ぎのドーハ空港で、トイレに行った父がなかなか戻らなかった。
ルクソール便の搭乗時間が迫っていた。
何かあったのではないか。
困り果てていると親切な日本人の若い男性が個室の父に声を掛けてくれた。
やがて父が、今の人はお前の知り合いか、と言いながらようやくトイレから出てきた。
「ケイゾウさん」、と名前を呼びかけられて驚いたらしい。
今思えばあれもこれも、このあとの事件の布石だったような気がします。
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父が意識を失ったのは、ルクソールに到着する直前の機中だった。
驚き過ぎてそのときのことはよく覚えていないけれど、空港に着くと車椅子だったか担架だったかが用意されており、空港スタッフがぐったりした父を甲斐甲斐しく運んでくれた。
心からお礼を言って車に乗り込むと、先ほどまで仏のような笑顔で世話をしてくれていたスタッフが、
すん

と能面のような表情になった。
しまった。チップが必要だったか。
人命救助の場でもチップが必要になるとは思い至らなかった。
宿泊予定のホテルにはクリニックがあり、医師が常駐しているのだと言う。
父はそのまま予定どおりホテルに運ばれることとなった。
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ルクソールのホテルはナイル川のほとりにあり、広い芝生の敷地にリゾート風の美しい平屋の建物が並んでいた。
娘たちを隣の部屋に落ち着かせ、ベッドで眠りこける父の傍らに立ち尽くしていると、ホテルのドクターがやってきた。
ロバート・デニーロを若くしたような、落ち着いたエジプト人男性だった。
ドクターは診察を終えるとわかりやすい英語で、熱があること、機内の気圧の影響で高齢者がこういった状態になる場合があること、などを説明してくれた。
父の意識は戻っていたけれど、ここがどこなのかもわからず、へんてこなことばかり言っていた。
「どうしよう。」

そう口にしたとたん涙が出てきた。
父をこんな廃人みたいな状態にしてしまい、日本で待つ母に申し訳が立たないと思った。
ドクターは、熱が下がれば大丈夫、今夜は3時間置きに部屋に来るので心配ない、と、静かに慰めてくれた。
意識を失った際に失禁していた父の着替えを躊躇していると、ドクターが手伝いを買って出てくれ、僕は医者だから恥ずかしがることはない、と軽口を叩いて笑わせた。
それから往診のたび、気が紛れるよう話し相手になってくれた。
どこから見ても日本人にしか見えない父のことを、自分の父親に似ている、と目を細めた。
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翌朝、父の熱は下がり、混沌としていた意識もしっかりして心底ほっとした。
ただ、ドクターからは数日の安静を命じられてしまった。
ツアーは次の日、王家の谷のツタンカーメンの墓、ハトシェプスト女王葬祭殿、メムノンの巨像などを見学し、帆掛け船ファルーカに乗ってナイル川を下り、アスワンに向かう予定だった。
その翌日はアブシンベル神殿を観光し、アスワンハイダム、ヌビアの砂漠などを巡ることになっていた。
娘たちだけでも旅を続けさせてやりたい。
ツアーガイドに相談すると快く希望を受け入れてくれた。
ドクターの許可が出れば父と私も後から合流させてもらえるとのことで、娘たちも嬉しそうだった。
「ママのために、ちゃんと写真をとってきてあげるね。」
と言う娘たちに私は、渾身の一発芸を仕込んで送り出した。
にわか仕込みの芸に全力で取り組む娘たちの勇姿がこちらです。


王家の谷で王貞治。

なにごとも本気で取り組むのがわが家の流儀です。
口も丸くしているし、ちゃんと左バッターになってます。
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父と私はホテルに残り、リゾート風の庭を散歩したりナイル川を眺めたりして過ごした。
父はこの旅のために一眼レフのカメラを購入していた。
慣れないカメラを試したい、と言っては芝生を徘徊するエジプトガモやベンチで呆ける私を、誤って連写モードで撮りまくり、データの容量を逼迫させた。
そんな我々を憐れんだドクターが、ホテルからほど近いルクソール神殿に連れて行ってくれた。
ようやく一眼レフに遺跡を収めることができた父は大変喜んだ。
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ツアー続行の許可が下り、父と私は、ナイルエクスプレス特急寝台でアスワンからギザへ向かうツアーに、ルクソール駅から合流した。
駅までの車もドクターの計らいだった。
娘たちは元気に旅を楽しんでいましたが、やはり父と私の合流でとても安心したようだった。
ピラミッドを見ることはできましたが、父は現地ガイドに止められて、中に入ることができなかった。
頻尿の父が30分おきぐらいにトイレに行きたがるので気が気じゃなかったことを思い出す。
夜はスフィンクスの音と光のショー。
エジプト ピラミッド 音と光のショー - YouTube
あれ・・?ショーって日本語だったのかな。
翌日、カイロのハンハリーリバザールで、父は高さ5センチほどの小さなネコの置物を買い、私のバッグに入れた。

ところがバザール観光後に訪れた考古学博物館を退出する際、このネコが、

博物館からの盗品に疑われたYO。
展示室から学芸員が呼ばれ、ようやく解放された。
ひっくり返せば1ドルのシールが貼ってあるだろうがYO
。
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帰国後しばらくして、Facebookを通じてエジプトのドクターからメッセージが届いた。
飛行機のチケットを送るので会いに来てほしい、という、愛のメッセージだった。
ドクターは妻がいたはずだけれど、調べたらイスラム教では男性は4人まで妻をめとることができるらしい。
娘たちと、ママ、医者の第二夫人になれるかも
!、と、盛り上がったけれど、次第に娘たちにはとても見せられない濃厚なメッセージになってきたのでこれはまずいぞ、と、我に返った。
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ちなみに医療費、ホテルの延泊料は、全て海外旅行保険で補償された。
ツアーから離脱した3日分の費用は、旅行会社から返金された。
保険は大事だし旅行会社も大事だな、とつくづく思った。
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ってな顛末で父の介護旅行となったエジプトを、もう一度きちんと見ておきたくて体験したこのIMMERSIVE JOURNEY 、

びっくりしました。
ご覧のとおり会場はだだっ広い平面なんですが、

地面がすーっと浮いてピラミッドの中や頂上に上り、船で月夜のナイル川を下り古代エジプトまでタイムトラベルして・・・。
Horizon of Khufu - Trailer
この映像のとおーーーーり。
VRって過去に何度か体験したことがあるのですが、そのときはまだ、スマホを頭にくくりつけているような感じだった。
でもこういった技術は日々進化しているのでしょう。
高いところから足を踏み外さないようドキドキしたし、置かれたイスに座りそうになったし、ピラミッド内部やクフ王の石棺は実物そのものだったし、
そのうちもう、旅行はバーチャルで充分!っていう時代が来るかもしれない、って思った。
高所が苦手な方はやめた方が良いかもしれませんが、車椅子でも足が悪くても参加可能。
おすすめです。
父は晩年自分がエジプトに行ったことを忘れ、俺行ったことあるか
?、と驚いていた。
父が生きていたらこのバーチャルツアーに連れて行ってやりたかったな、と思った。
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アフリカ大陸に降り立つと深い呼吸ができることに気づいた私は前世アフリカ人だったんだと思っています。
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