「みきさんが定年を迎えた暁には、盛大なパーティを開きますね」、と後輩たちにからかわれた。

 

できればそっとしておいてほしい。

そっとしてほしいけれどもどうしてもと言うのなら、

 

 

赤いドレスを着て青い珊瑚礁を歌う、リサイタル形式でお願いします。

  

 

 

 

 と、軽口を叩いたつもりが、「任せてください」と真顔で返され、本気で後悔している。

 

 

*****

 

 

そしてこの夏。
 
とうとう行ってきました。
長年の夢だった松田聖子の武道館コンサート。
 
 

 

"PRE 45TH ANNIVERESARY"、とある。

 

そうか。

みずみずしいあのデビューから、早44年の月日が経っていたんだ。

 

ルンルン

 
開演は17時ですが、13時には九段下駅に集合。
 
早くも物販の列に人が並び始めている。

 
 
すぐ側の休憩所のようなカフェで涼みながら、三々五々に集まってくる老若男女、もとい、男女を眺める。
 

 
そう。客層はみごとに50代後半オーバーです。
 
だけど心は当時のまま、という熱烈なファンが多く、このようなスタイルのツワモノもあちこちにいて、楽しい。
 
さいたまスーパーアリーナの過去の画像を拝借しています。
このメンツは恐らく今回のコンサートにも来ていた。
 
 
今回のチケット。

 
武道館へは何度か行ったことはありましたが、先のJUJU苑の東京ドームのイメージがあったため、思ったより小ぢんまりと感じられた。


二階席右寄りでしたが、舞台袖を走り回る聖子ちゃんの表情まで肉眼で確認できる、とても良い席でした。
 
そう言えば双眼鏡の持ち込みが禁じられていて驚いた。
 
お肌の小皺を見せたくないからじゃないか、と邪推した私たちでしたが、昨今巧妙な録画機能つきの双眼鏡なるものが出回っていることを知って、どん引く。
 
 
聖子ちゃんにとんだ濡れ衣を着せてしまい、心から反省した。
 
 
ルンルン
 
 
会場の灯りが落ち、音楽が鳴り出すと、泣きそうになった。
 
我々世代の青春は、聖子ちゃんの歌とともにある。
 
ピンクのモーツアルト、天国のキッス、秘密の花園、渚のバルコニー、瑠璃色の地球、風立ちぬ、SWEET MEMORIES、赤い靴のバレリーナ、LET'S BOYHUNT、ハートをROCK、時間の国のアリス、青い珊瑚礁、風は秋色、白いパラソル、未来の花嫁、Roc'n Rouge、チェリーブラッサム、夏の扉、
 
今の職場に入社した当時、直属の上司スズキさんが鼻歌をうたっていた、ピンクのモーツアルトのB面、硝子のプリズムも。
 
夫が高校の野球部上級生の引退式のとき歌わされた赤いスイートピーも。
 
赤いスイートピーのイントロがはじまると、観客一同、いつの間にか揃ってこんなものを左右に振り始めた。
 
赤いスイートピースティック、と呼ばれるコンサートグッズらしい。
武道館の巨大な日の丸の下、会場はまるで共産党の党大会のようだった。
 
 
そのほか毎回恒例となっているらしい、客席からのリクエストに応じてほんのひとフレーズ口ずさんでゆくコーナーも。
 
制服、抱いて、レモネードの夏、青いフォトグラフ、愛されたいの、夏服のイヴ、などなど懐かしい曲が次々と。
 
リクエストのワンフレーズも含めれば、全部で42曲。
 
時に激しく踊りながら、舞台を駆け回りながら、ドラムやギターの演奏も披露しながら、
 
 
御年62歳。
 
聖子ちゃん。本当にすごいよ。
 
 
 
 
 
*****
 
 
開始直後、武道館の屋根をつんざく雷雨に見舞われた九段下周辺も、外に出てみると何事もなかったように静かな夜空が広がっていた。

興奮冷めやらぬ高齢男女の群れ。
 

 

今回のチケット手配から何もかもを準備してくれた友人に、50周年のコンサートも一緒に行ってねおねがい、と言われて嬉しかった。

 

 

もちろんですおねがい

 

 

50周年まであと6年。

 

この群衆の5分の1ぐらいはもう、自力でコンサートには来られない状態になっているだろうお願い 。

 

 

きっとチケットも取りやすくなっていると思います。

 

 

 

 


 

 

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ぐっすり寝られるようになって、母の混乱は少しだけ落ち着きはじめた。

 

昼間ベッドで一休みしていた母が、天井のシーリングファンを眺めながら子どものように指を折りつつ小声で何かを数えていることに気がついた。

 

「January、February、March、April、June、July、August、September、November…違うわね…October!November、December!」

 

 

街なかで韓国人家族に、日本語は話せるか、と韓国語で聞いたりしもした。

 

好奇心と意欲を半端なく取り戻していた。

 

一方スケジュールも運転も会話もすべて娘たち任せだった私は9日間、サンキュー以外ほぼ英語を喋っていません。

 

 

ハイビスカス

 

 

PARUKAの運転する車でブーツアンドキモズへ。

生きいきと楽しそうに働く店員さんたちに目を奪われた。

どうしたらあんな風に楽し気に働くことができるのでしょうか。

 

これが有名なマカダミアンナッツパンケーキ。

ハワイアンパンケーキの権化のようなこのビジュアル。

 

 

ハイビスカス

 

 

その後、前日クアロア・ランチの日本人スタッフにお勧めされた平等院テンプルへ。

予約が一杯で引き返すことになった我々に同情し、一見の価値がある、と教えてくれた。


1968年にハワイへの日本人移民100周年を記念し、宇治の平等院鳳凰堂を模して建立されたものだそうです。

周囲には日系人たちが眠る墓地も。

 日本人観光客が見当たらないなか、左奥に小さく写る鐘楼で、誰よりも上手に鐘をついた我々。


 本堂の隅の椅子に腰掛けて阿弥陀如来坐像を見上げる。

 


末期の癌だという寺の守り猫と遊びながら、ここがハワイであることをしばし忘れたひとときでした。


ハイビスカス

 


オアフ島北東に位置するクアロア・ランチへ。

 

 

古代には王族しか立ち入ることが許されなかった聖なる地で、パワースポットとしても有名です。



4,000エーカーの広大な土地は、ジュラシック・パークをはじめ数々の映画のロケ地になっている。

 

 

私たちが参加したのはこちらのツアーです。

 

 

 

 

ワイルドなこのバスに乗り、90分かけてロケ地を巡る。

 

 

 

 

 
 

 

 

海を眺める母。楽しそう。

 

 

 

木や花を見ると必ず歓声を上げる母。持って帰れるかしら、と。

 
 

 

途中バスから降りられるスポットが2か所ありました。

 

1か所目は、第二次世界大戦中に米軍が使用していたバンカー(要塞)。第二次世界大戦中、米軍の沿岸警備のためにつくられたのだそうです。

 

 
要塞の中では第二次世界大戦の資料やクアロア・ランチで撮影された映画などの小物やセットを見学することができるのですが、

 

 

乗降が大変な母は、バスのドライバー兼ガイドのパワフルな女性とバスでお留守番。

バスのフロントに置かれた恐竜のマスコット、見えますかね。

母はガイドさんにこのマスコットで遊んでもらっていた由。

 

ガイドさんにもらった小さな恐竜のおもちゃを眺める母。

 

 


神秘的な山々。

 

バスを降りた2か所目のスポットはジュラシックパークの撮影場所です。

母はバスに残るかと思いきや、

「ここで降りてもいいのおねがい・・?」

と、我先に立ち上がり、誰よりも楽しそうに歩き回った。

 

 

 

 

 

 

野生のイノシシ。

 

母とガイドさん。

 

ツアーの皆さんは母にとても優しくしてくださいました。

 

 

ハイビスカス

 

 

滞在中、ハワイの祝日キングカメハメハデーのパレードに遭遇した。

 

こちらのフェスティバルでは太平洋諸国の力強い踊りに胸を打たれた。

 

 

アイスクリームで有名な高橋果実店はホテルのすぐ側。

 
 

 アイスクリームもサンドウィッチも美味しかった!

 

どうしても亀と泳ぎたくて早朝海に入ってみたら大きな亀がすぐ横に顔を出してくれたり、

 

ホテル目の前のアメリカ陸軍博物館の庭から聞こえてくるトランペットの練習に夜な夜な耳を傾けたり。

 

 

金曜日にはヒルトンホテルが打ち上げる花火をテラスの特等席で眺めた。

 

 

なのですが

 

その3日前、テラスでの夕食中、背後から地響きとともに爆音が鳴り響いた。

恐怖で縮み上がっていると、次の瞬間目の前のヒルトンホテルの窓々に美しい閃光が反射した。

 

 

慌てて部屋から外通路に出てみると、

目前の海上からダイハードばりの花火の数々。

 

まったく知りませんでしたが、この日はハワイ最大級の花火大会だった。

母はこの日、現地でAIに買ってもらった綺麗なムームーを着ていました。よく似合った。

 

 

てなわけで、この辺で適当ハワイレポートを終了させていただきます。

 

 

ハイビスカス

 

 

母の家は私の住む家から徒歩3分の距離にあって、平日は仕事帰りに、たとえ飲んで帰っても、必ず母の家に寄っている。週末は夕食を共にする。

 

だけど夜どんな風に寝ているのかも朝起きたときに何をしているのかも、一緒に暮らしていないのでよくわからなかった。

 

旅行中、母の日常が少しだけわかったような気がした。

 

夜中にたびたびトイレに起きるね。転ばないようにすごく気をつけて歩いているね。

化粧水をつけたのを忘れて、3回も塗っているね。うるうるだ。

気がつくとうたた寝しているね。どうりでいつ電話しても、おはよう!っていうわけだおねがい

 

お母さん、独りで頑張っているんだね。

 

 

そして繰り返しの質問攻撃も昼夜問わず受けていると、ときに優しい気持ちになれなくなる。

 

今更ながら、母にいらいらを募らせていた弟の気持ちがわかった。もっと助けてあげればよかった。

 

 

ハイビスカス

 

 

最後に。

 

 

旅行中、混乱した母にはたびたび驚かされましたが、

 

 

帰国前日、ホテルのテラスで絶景の海を眺めながらしみじみこう言われたときは、心の底からびっくりした。

 

 

 

 

「船橋がこんなにひらけているとは思わなかった」。

 

 

 

 

梨汁ぷっしゃー。

 

 

ハワイに行ったことを忘れてしまったわけではないようですが、いったいいつから船橋だと思っていたのだろう。

 

船橋は母にとって、縁もゆかりもない土地です。

 

まあいい。

帰国後すぐに日常生活に戻れたのも、船橋からのソフトランディングがあったお陰かもしれません。

 

 

 

 

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昨日、酷暑の中、ようやく弟を近隣の霊園に埋葬することができた。

 

弟が望んでいたことをひとつ叶えてやることができ、ほっとしている。

 

 

 

 

 

 

分骨した小さな父の骨壺も、弟のとなりに納めた。

 

墓石の裏には建立者として、弟の名前を刻んでもらった。

 

黄色い花

 

この霊園は小高い丘上の、弟が好んで散策していたエリアにある。

夭逝した優しい同級生もここに眠っていて、弟から度々その話を聞いていた。

 

一昨年2月、弟の葬儀までのあいだにそのことを思い出し調べてみたら、もう長らく新規の分譲は行っていないようだった。

 

それでもと電話を入れてみると、十数年ぶりに分譲することが決まったばかりと言われ、急遽母を伴い見学させて頂いた。

販売前に連絡をもらえることとなり嬉しかった。

 

その後紆余曲折あって、やっとこの日を迎えることができた。


真新しいお墓の前に置いたふたりの小さな写真を前に、ほとんど涙を見せない母が堪えきれずに泣いた。


黄色い花

 

父が元気で存命のころ、母はよく、父と同じ墓になど入りたくない、と言っていた。

 

だから納骨の際、お母さんもここに入れるよ、と言ったら、私もお父さんと同じように分骨してもらわなきゃ、と言う。

こっちに入ってしまったら夫婦別れわかれになってしまうじゃないの、と。

 

そうだよねごめんごめん、と言いながら、性懲りもなくまた振り回されたな、と、笑ってしまった。

 

黄色い花

 

菩提寺からはるばる住職を迎えるため朝から実家を片付けていると、台所の調味料入れの裏側からこんなものが出てきた。

 

 

 

 

 

弟が最後に残したノートに、母の好物が書かれていた。

 

そのなかにあった、ホロニガカフェオレ、が一体どんなものなのかずっとわからずにいた。ネスカフェで検索したけれど出てこなかった。

 

 

 

 

これのことだったんだね照れ

 

今度スーパーに行ったら買ってやろう。


黄色い花


弟は私にときどきこうして親孝行のヒントを与えてくれる。

 

母を喜ばせたい一心で生きていた弟と、今、二人三脚で母に尽くしているような気がしています。

 

弟の戒名には、好きだった「海」という字を入れていただいている。

 

母とのハワイ旅行も、海が好きだった弟の差しがねだったのかもしれません照れ

 

黄色い花

 

でき損ないの旅ログが続いており、私自身も少々飽きてきておりますが、あと1回だけおつきあい頂ければ幸甚です。

 

 

 

 


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ハワイ5日目からはその日の予定を母との連絡ノートに書くのをやめた。

 

良かれと思って書きつづけた予定ですが、盛りだくさんの予定を見ることで、落ち着かない気持ちになっているような気がしたからです。

 

 

こちらの続きです ↓

 

 

ハイビスカス
 

 

早朝、ホテル眼下のビーチに泳ぎに行ったPARUKAとAIが興奮して戻って来た。

 

大きなウミガメがすぐ横にぷはっと顔を出したと。

 

現地の男性の話では、早朝、沢山のウミガメがこの場所の海藻を食べに来るのだそうです。

 

海水浴は嫌だけれどカメとは泳ぎたいびっくり。。。

 

 

ハイビスカス

 

 

その後、朝食はワイキキ小学校近くの

 

 

地元の人たちにも人気のこちらのお店で、

 

美味しいアサイーボウルとベーグルサンドをテイクアウトして、

 

 

ダイヤモンドヘッドが綺麗に望める気持ちの良い公園で

 

 

赤くて尖がった頭の羽がかっこいい鳥と遊びながら食べた。

 

 

かっこいい鳥と戯れる母。90歳。

ブラジリアン・カーディナルという鳥だそうです。

ヌートバーのいるあのカージナルスの赤い鳥の仲間でしょうか。

 

 

ハイビスカス

 

 

ここからPARUKAの運転でオアフ島最大の植物園、Ho'omaluhia Botanical Gardenへ。

 

恐竜が出てきそうな原生林でなかなか楽しかった。

車椅子で下るのは難しい、と言われ、湖見学は断念しました。

 

 

横着してこちらのYouTubeを引用させていただきます。

 

 

 

ハイビスカス

 

 

この日はジュラシックパークなどのロケ地、クアロア・ランチに向かう予定でしたが、あいにく予約が取れず、翌日に繰り越すことに。

 

ならば早くホテルに戻ってのんびりしよう、と、オックステイルスープが有名なこちらのアサヒグリルで夕食を摂った。


 

 
 

 

美味しい。。。。。おねがい

 

しかも安い。
 
 
ハイビスカス
 
 

日本を出発してからこの日まで、母は夜ほとんど眠れていなかった。

 

そのせいか、いささか心配になるような発言も増えてきた。

 

 

 

 

「他の人たちは後ろの車に乗っているの?」

 

 

誰。

 

 

 

 

 

「男どもはニヤリ?まだ帰ってこないの?」

 

 

うん。

みんな死んじゃったし。

 

 

 

 

 

 

「あらやだ!わたし、まだパンツ履いてなかったわ。」

 

 

 

安心してください。

履いてますよ。

 

 

 

 

ハイビスカス

 

 

 

母の夜中の転倒が怖かったので、クイーンサイズのベッドに母を挟んで3人、エキストラベッドには母以外が交代で寝ていた。


でも、同じベッドで寝ている誰かが起きれば母も目が覚めてしまうし、母が起きれば両脇のふたりも起きてしまう。

 

そこでこの日は思い切って母をエキストラベッドで寝かせてみました。

 

あらゆることに混乱していた母ですが、トイレの場所は間違えたことがなかったし、常にどこかにつかまりながら慎重に歩いていることもわかったからです。

 

 

機中泊も含めれば日本を発って6日目。

 

 

ようやく皆が熟睡できました。

 

 

 

 

 

 

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ハワイ4日目からはPARUKAが手配してくれたレンタカーで動き回った。

日本の免許証で運転可能です。

 

これまでの旅行はいつも私が運転手でしたが、今回の運転はすべてPARUKAが請け負ってくれた。

 

海外での運転は特に神経をすり減らす。

年齢とともに、怖さも感じるようになっていました。

 

今回運転を引き受けてもらえたのは、本当に有難かった。

 

 

 

 

 

ハイビスカス

 

父が生きていたら絶対に行きたがったと思うパールハーバー。

まさか真珠湾が見られるとは、と、母も言葉少なにため息をついた。

 

観光客などいるのだろうかと思っていたのですが、団体ツアーはじめ大勢のアメリカ人が訪れていて、正直怖くなった。

 

子どもたちがアメリカの現地校に転入したのはちょうど9.11のテロのすぐあとで、高学年の授業では「あの憎むべきパールハーバー以来のテロ」、といったレジュメが配られるなど、ひりひりとした空気を肌で感じることがあった。

 

日本人の私たちがこんな場所にのこのこやってきて、石でも投げられたらどうしよう、と真面目に心配になりました。

 

 

手荷物は財布以外一切持ち込めません。

 

パールハーバーには、アリゾナ記念館、戦艦ミズーリ号、ボウフィン潜水艦博物館、太平洋航空博物館、の4つの施設があります。

アリゾナ記念館はボートを含めて無料、のこりは有料です。

 

今回は湾を見渡せる公園散策のみ。

 

 

さすがに写真は撮れませんでしたが、真珠湾攻撃で亡くなった方々の名を刻んだ慰霊碑があった。

 

当然ながら日系人の名前も少なからずあり、中には小さな子供のものもあった。

 

 

母の家族は終戦まで朝鮮で暮らしていたいわゆる引揚者です。

 
開戦当時小学一年生だった母は、開戦日の日付も、そのとき祖父が「これはもう日本に帰れなくなるかもしれないぞ」と言った言葉も、はっきり覚えていた。
 

 

4人で静かに海や解説のパネルを眺めたあと、ミュージアムショップに立ち寄ると、

広島で被爆し、12歳のとき白血病で亡くなった佐々木禎子さんの折り鶴をモチーフにした商品が置かれていた。

 

博物館にはきっと、真珠湾攻撃の悲劇だけでなく、原爆の悲劇についても展示されているに違いないと思った。

 

 

見学を終えたアメリカ人家族がにこやかに、写真を撮るよ、と声を掛けてくれた。

 

 

ハイビスカス

 

 

こんな味のある橋をわたって、

 

 

GREEN WORLD COFFEE FARMを見学する。

 

咲き終わりのジャカランダの木。大好き。

 
コーヒーの畑の間の小道。夏休み、って感じ。メイちゃんが走ってきそう。

 

 

 

ハイビスカス

 

 

 

ドールプランテーション。パイナップル園です。

 

 

不思議の国のアリスを思い出させるはちゃめちゃな標識。


 

 

ハイビスカス

 

 

現地の人にも大人気のマツモトシェイブアイスでかき氷を食べる。

 

 

 

 

私の記憶が確かならば昔歌舞伎町で、こんな色のカツラを被ったおじさんが自転車のサドルに腹ばいになって新聞配達していた。

 

 

現地のコロナ対策のポスター。「人とハグしない。シャカ(アロハのハンドサイン)だけ。」

 

 

 

ハイビスカス

 

 

ウミガメが見られるという海岸へ。

駐車場から交代で母の車椅子を押しつつ亀探し。

 

 

HONUというのは現地の言葉でウミガメのことだそうです。

亀がパーキングするところ、ってジョークなのかなおねがい

 

 

 

 

 

 

 

 

・・いた!!!

 

 

 

 


母に何度も「亀、死んでるの?」と聞かれる。

 

 

この子の名前はプナヘレちゃん。体重150キロの巨漢の女の子です。

 

既に夕方4時半を回っていましたが、レンジャーさんによれば12時ごろからここでずーっと甲羅干しをしているそう。

 

レンジャーさんたちは甲羅の模様で個体を識別しているそうです。

 

 

 

ハイビスカス

 

 

夕飯はホテルの1階にあるステーキシャックをテイクアウトした。

安くて美味しいーー!

 

 

*****

 

真珠湾を目の当たりにしたためか、開戦の話、引揚の苦労など、この日を境に母の繰り言が若干軍事色を帯びてくる。

 

夜の寝つきは相変わらず悪く、ベッドの中で盆踊りのようなダンスをしながら軍歌を口ずさむ。

 

こんなに寝ていないのにとっても元気。

 

母の頑丈さに脱帽した。

 

 

 

 

 

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ここで記憶違いが発覚。

 

ノートを見るとどうやら2日目に予定していたeggs'n thingsは、3日目に延期していたようです。

雑な記録となりまことにすみません。

 

いずれにしても、母は混乱しており、早くもそろそろ家に帰りたい感が垣間見えていた。

 

 

こちらの続きです ↓

 

 
ハイビスカス
 
 

 

 

母は家に残してきた保護猫みみちゃんのことをしきりと心配していた。

 

またしばしば、「娘一家の住む外国に訪問している」、と勘違いする様子も見受けられた。

部屋から海が見えたり娘たちが一緒にいたり、というシチュエーションが、昔私たちが住んだロサンゼルスの家を想わせたのかもしれなかった。

 

 

そしてそのふたつがコラボすると、以下のような会話が繰り返されることとなります。

 

 

 

「みみはどうしているかしらショボーン

 

「いつものペットシッターさんがお世話してくれているから心配ないよ」

 

「よかった。それなら安心ね照れ。・・ここにも猫、いるおねがい?」

 

「いないよ。ここはハワイだよ」

 

「そうよねおねがい。・・でも、いたわよね、三毛猫」

 

「ちーは死んだよ」

 

「そうだったわね。

 

 

・・埋めた?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母は去年死んだうちの飼い猫ちーの話をすると、どういうわけか必ず、埋めたのか、という謎の質問をセットでぶち込んできます。

 

ちなみに、埋めてません。

 

 

ハイビスカス

 

 

サンセットの時間帯に出掛けた、クヒオビーチの無料のフラショー。

毎週火曜日に開催されているそうです。

 

無料とは思えないクオリティで、とってもおすすめです。

 

 

 

車椅子の母のために現地の男性が、あなたたちのためのお席ですよ、とスマートに特等席を譲ってくれた。

 

どことなく亡くなった弟を思わせた。娘たちも同じことを感じていた。

 


PARUKAがうっかり幼い金髪姉弟の相手をしてやったら、ショーの間ずっと懐かれるはめに。

 

教えてあげよう。

 

幼児はしつこい。

 

相手をするときは、それなりの覚悟が必要だ(笑)。

 

 

*****

 

 

以上本日もハワイ情報薄めにお届けしました。

 

もうちょっと続きます。


 


 書きました ↓


 

 

 

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残るハワイ紀行を若干雑めにご報告させていただきます。

 

 

ハイビスカス

 

こちらの続きです ↓

 

 

ほとんど寝られないまま迎えた朝、皆がぐったり寝静まるなか、部屋のキッチンで、前夜の丸鶏の残がいとセロリ、たまねぎ、残り物のサラダを煮込んでスープを作った。

 

昔からクリスマスの翌日などに必ず作っていたもので、旅先でキッチンつきの部屋を借りたときはいつもせがまれた。

 

最近はじっくりお料理をするゆとりもなかったので、なんだか幸せな気持ちになれた。

 

 

・・が。優雅な時間はここまで。

 

 

ここからは娘たちの立てた怒涛のスケジュールでオアフ島を徘徊します。

こんなかんじで。下矢印

 

 

短期記憶を無くして混乱する母のために日頃から「その日の予定だけ」を書いているノート(ときどき母からの苦情や要望も)。常に殴り書き。ハワイにも持っていった。旅行中は娘たちが一生懸命書いてくれた。
母が何かにつけて費用は自分が払う、と気にするのでお金のことも記載している。事実関係についてはまた追って書きたい。
 

ハイビスカス

 

 

ワイキキから少し離れた有名なマラサダのお店に向かうも、バス停まで母の体力が持たず、南国の花が咲き乱れる公園で力尽きて座り込む。

 

 

 

娘たちが急遽JALパックの車椅子貸出サービスに駆け込んで旅の間の母の足を確保した。

 

今回の旅に最も欠かせなかったのは、この車椅子だった。

 

ハイビスカス

 

ワイキキを少し離れると親しみのある街並みが続く。昔住んだロサンゼルスのサウスベイにちょっと似ている。

 

 

 

箱も可愛い。

 

ふわっふわ。

揚げたてが忘れられず、帰国前日も買いに行きました。

 

ハイビスカス

 

 

朝ドーナツからの昼パンケーキ。

 

ワイキキ沿いのeggs 'n things

 

 

 

 

景色と空気の良い席で母が道行く肥満体の人をしつこく指さすので注意したら、もう何もしゃべらないプンプン、と子どものようにヘソを曲げられ空気が悪くなる。

 

そういえば父も晩年認知が危うくなってから、デブと出っ歯を見かけると黙っちゃいなかった。

 

父はもともと人の容姿にシニカルなところがあったことに起因すると思うのですが、母の場合、私たちを笑わせたい、という気持ちがそうさせたような気もする。

 

ちょけて怒られ、むくれていた母は、通り向こうの木を見るうち、挿し木にして持ち帰りたい、という次なる悪事を思いつき、機嫌を直した。

 

またむくれられては面倒なので、できないと思うよ、と言うに止めた。

 

ハイビスカス

 

 

夜は外食。ツリーハウスのような楽しいお店で母も上機嫌にビールを堪能。

 

この店はこの日、ずーっとハッピーアワーです。

 

 

母にビールを飲ませるといつも、久しぶりに飲んだわチュー、とはしゃぎますが、

 

お母さん。昨日もおとといも飲んでいるんだYO。

 

 

 

 

 

 

みんなで食べて、飲んで、ちょっと泣いて、大声で笑った。

 

 

ハイビスカス

 

 

長旅の翌日に盛りだくさんのスケジュール。

さぞかし今夜はぐっすり寝てくれるだろうと思いきや、

 

 

この日も母は1時間おきに目を覚まし、この部屋は会社から借りているのかお金はいくらかかっているのか、という質問を無限に繰り返した。

 

 

 

 

つづきます。

 

 

 


 書きました↓




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親友が会社を退職した。

 

順番から言えば私が先に見送ってもらう筈だったので、ぽっかり穴のあいたような気持ちになっている。

 

 

ブーケ1

 

 

20年近くのあいだ、何でも話したし、何でも話を聞いた。

 

困ったときは助けてくれたし悲しいときはスナフキンぐらいの丁度良い距離感で見守ってくれた。

 

 

 

楽しいお酒を沢山飲んで、大笑いした。

寂しそうにしている人やつまらなそうにしている人にいつも気がつき、必ず声を掛けた。

 

嫌なヤカラにはわがことのように怒ってくれた。

 

友だちの少ない私に、良い仲間を沢山紹介してくれた。

 

 

ブーケ1

 

 

商社の入社面接で、海外には行きたくない、と答えた。

受けやインパクトを狙ったわけではなく、本気でそう思っていた。

 

「”海外に行きたいから商社に入る”、と言うのは、”芸能人に会いたいからテレビ局に入る”、と言うのと同じだ」

 

と詭弁をかましたにもかかわらず、なぜか合格した。

 

はじめての海外出張の前日は、さながら学徒出陣前夜のようだった。

 

その後中国に転勤が決まったときは明日が出発という歓送会の隅っこの席で、

「今からでもいいので中国じゃなくて中国地方になりませんか」

と上司にぼやき、往生際が悪かった。

 

なのに行ってみたらすぐに現地スタッフたちの勤勉な優しさの虜になり、帰任が決まったときは悲しがった。

 

 

ブーケ1

 

 

退職前、最後に会ったのは、先月のキンちゃんの帰任送別会だった。

キンちゃんもまた、親友が縁で出会えた友だちだった。

 

会を主催した同僚は、メキシコのゲレロネグロから帰任したばかりだった。

親友が、海と塩田しかないようなその地に ”一度行っておきたかった” 、と言うのをなんだか意外な気持ちで聞いた。

大人になったんだな、と、思った。

 

 

 

 

 

 

 

思った、だった、してくれた。

 

 

 

 

 

 


・・・いや、

追悼記事の書きっぷり凝視

 

 

ブーケ1

 

 

人間味に溢れる人柄は後輩に慕われ、先輩には可愛がられた。

だから会社を辞めてもきっと面白い人生が待っているに違いないと思う。

 

健康で、長生きして、家族仲良くありますように。

 

ありがとう。

 

 

*****

 

 

次回こそ90歳のハワイ紀行の続きを書こうと思います。

 

やったことリストの報告って意外とおもしろくなくて(笑)、でもこのブログのコンセプトですので書ききろう。

 

 

 

 

 

 

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ハワイに行ってみたい、という母のひとことを真に受けて、この度7泊9日の行程で、オアフ島に行ってきました。
 
20代で初めて海外旅行に行って以来、私自身、数十年ぶりのハワイです。
なかなか休みの合わない長女PARUKAと次女AIも一緒です。
 
散々、楽しみだわ照れ、と言っていた母を当日迎えにゆくと案の定嫌な顔をして、
「私、行かない。皆で行ってきて。」
と言われましたが、そんなことは想定の範囲内です。
いざ出発してしまえばいつものように誰よりも楽しんでくれる。
 
と、考えていましたが、齢90の母にとって海外旅行は想像以上に大変だったと思います。
 
母、とっても頑張りました。
 
 

 

出発~1日目

 

 
成田空港で車椅子を借りたとたん、斜め45度だったご機嫌もすっかり治り、空港職員の皆さんやすれ違うすべての赤ちゃんに話しかける母。
 
母とAIにはZIPエアのこちらのサービスを使い、フルフラットシートで往復してもらいました。
 
でも行きは結構揺れも激しく、ほとんど寝られなかったようです。
 
黄色い花
 
 
別便で追いかけたPARUKAと私は、ダニエル・K・イノウエ空港で合流。
 
母は疲れも見せずにAIに買ってもらったスターバックスを飲んでいた。
 
郷愁をそそるモダンレトロな造りの空港内。

ところどころ天井板が抜けていて、小鳥が出入りするのも可愛い。
 
 
妙なところばかりに目がゆく私。
 
可愛い。

 
トイレの写真ばかりになってしまうため掲載は自粛しましたが、日本で言う「多目的トイレ」は「Family」と表記されていた。
 
気が付かなかったけれど欧米では皆そう表記しているのでしょうか。
 
素敵ですよね?
 
黄色い花
 
ところでここは確かつい最近まで、「ホノルル空港」と呼ばれていたはず。
 
あのパールハーバーに隣接する空港に日系人の名前が冠されるとは、よほど立派な人だったのだろうな、と思って調べましたら、
 
 
本当に立派な人でしたえーん

 
トイレと空港からなかなか話が進みません(笑)。
 
 
黄色い花
 
 
暮らすように過ごしたい、というコンセプトの旅ですので、宿泊は、大型食洗器やディスポーザー、洗濯機・乾燥機を部屋に備えたコンドミニアムにした。
 
部屋番号が”PH7”と伝えられて、一同首をかしげます。
 
まがりなりにもリケジョのAIが、PH7といえば中性だ、と、なけなしの学をお門違いに披露する。
 
 
 

PARUKAが出発前、90歳の祖母に部屋から見える海や花火を楽しみにしている、とホテルに連絡してくれていた。

 

エレベーターに乗って、ようやくPHの意味を理解する。
 
 
PENTHOUSE の7号室!
 
 
部屋全体の写真がなかったので拝借したもの。テレビの位置が右手前に移動していた以外はこのまま。
 
 

 
 
 
 
 

 
 
 
キッチンの写真を撮りそびれたので同じ建物の別部屋の写真を拝借しています。後方のシンク側の窓からはダイヤモンドヘッドがよく見えた。
 
 
 

この日は皆疲れていたのでPARUKAとAIが地元のスーパーで購入したポキやフルーツなどを部屋でゆっくり食べた。

 

交代でシャワーを浴び、クイーンサイズのベッドの真ん中に母、両脇にPARUKAと私、窓側に並べたエキストラベッドにAI、と4人並んで就寝。

 
が、
 
 
母、ちっとも寝てくれず。
 
この部屋は会社のものなのか、フミオ義兄さんは来たことがあるのかなどと謎の質問をまあまあの大声で繰り返し、両隣のPARUKAと私もほぼ一睡もできないないという事態に。
 
 
 
先が思いやられるよ。

 


 

*****
 
 
続きは小刻みに書いてゆきたいと思います。
 


 書きました ↓

 

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3月、残業続きの帰り道、同僚に、謎解きイベントに参加してみたいけれど一緒に行ってくれる友だちがいない、と、つぶやいたら、行きましょう!と誘ってくれた。
 
約束した謎解きイベントは、私のゴールデンウィークで唯一の遠出だった。
 
その日、都内の待ち合わせ場所に向かう電車の中で、母の通うデイケアから着信があった。
 
良い知らせであるわけがない。
 
途中下車して折り返すと案の定、ヨシエ様が今日はめまいがするから帰ると仰っているので今から迎えに来てほしい、との呼び出しだった。
 
熱は平熱、血圧も正常、血中酸素濃度も異常はないのですが、とのことだった。
 
 
チッ。
 
 
母は2週間に1回ほど、朝の登園拒否がある。
 
足が痛いだとかめまいがするだとかへちまだとか言う。
 
その都度なだめすかしているのですが、最近は先手を打って、朝、電話で励ますことでなんとか機嫌を損ねずに通ってくれていた。
 
なのにこの日に限って朝の電話を忘れてしまった。
 
おばあちゃん
 
呼び出しがあった以上迎えに行かないわけにゆかない。
 
連休の貴重な1日を私のために割いてくれた同僚は、既に待ち合わせ場所に着いていた。
事情を伝え平謝りすると、連休の後半も暇にしているのできっとリベンジしましょう、と、慰めてくれた。
 
申し訳ないやら情けないやらで泣きたくなりながらとんぼ帰りした。
 
病院にも連れて行くようにと言われているので実家に保険証や診察券を取りにゆくと、ヘルパーさんの残したノートには予想どおり、どうして行かなきゃならないの、と不機嫌をまき散らして出発した様子が記録されていた。
 
年を取って大分穏やかになったのですが、母は若いころから不機嫌のスイッチがあちこちにあって周囲に気を遣わせる。
 
今回も不機嫌が治らないまま、呼び出しに至ったものと思われた。
 
 
おばあちゃん
 
 
デイケアの玄関で待っていると、車椅子に乗せられた母が登場した。
 
私をみとめると、悪かったわねぇ、と申し訳なさそうな顔をした。
 
これから病院に行くよ、というと驚いて、大丈夫よ、と言う。

大丈夫だろうよ。

でもめまいがすると言われた以上、病院の診断を仰がなければ今後もデイケアに通えません。
 
車に乗せ、めまいは大丈夫?、と気遣うと、めまいがするなんて誰かが言ったのちょっと不満、と気色ばんだ。
 

あんただよ、とも言えず、やれやれと思いながら休日診療の病院に向かった。
 
 
短期記憶力が著しく低下している母は、自分が言ったことなどもうケロリと忘れているのでした。
 
 
 
 
*****
 
 
休日診療の待合室は、腕を骨折した中学生や庭の池で足を滑らせ頭を打ったおじいちゃんなどが順番を待っていた。
 
おじいちゃんは付き添いの娘に、二度と池を見に行くな、と大声で怒鳴られていた。
 
怒鳴られているおじいちゃんを見るうち、私の中のいらいらが消えていった。
 
おじいちゃんも母も、娘に迷惑をかけたかった訳ではない。
 
池を見たかっただけだし、デイケアに行きたくなかっただけなのです。
 
ささやかなやりたいことも自由にできなければ、今日は家にいたいなー、というのも許されない老人の気持ちを考えると、少し悲しくなった。
 
 
おばあちゃん
 
 
診察室に入ると若い当番医がひととおりあれこれ確認してくれた。
どこも悪くないため、困って奥の部屋にいたベテラン医師を呼んできた。
 
ベテラン医師に、めまいは収まりましたか、と尋ねられた母は、
 
「めまい、というほどのことではないですけれど、ふっと立ち上がったときにクラっとすることってありますでしょう。」
 
と、可愛らしく首をかしげた。
 
いつそのめまいを感じましたか、と聞かれて、おととい、かしら、と答えていた。

今日はいかがですか、と聞かれると、今日は別になんとも、と、ついに口を割る。

ベテラン医師がベテラン刑事に見えた瞬間だった。


今日なぜ病院に来なければならなかったのか、もはや誰にもわからなくなった。

「そうかー、どうしましょうかね。今日は一旦帰って、様子を見る、ということでよいですかね。。。」
 
異存があるはずもない。
母はただただ、機嫌が悪かっただけなのです。
 
医師たちもわかっていたに違いない。
母自身、やっちまったな、と思い始めているようだった。
 
忙しいなか、丁寧に母の相手をしてくださったふたりの医師に、深く頭を下げて家に帰った。
 
 
*****
 
 
こうして私のゴールデンウィークの一日は介護に終わった。
 
優しい同僚が仕切り直してくれて、連休最後の日に、こちらのイベントにチャレンジしてきました。
 
会場は普段私が働く街です。
 
 
*****
 
 
東京駅前の丸善で待ち合わせ、参加キットを購入。
 
 

 
 
 
 
 

 
 
以下謎解きの問題になった現場のほんの一部の写真です。
 
 

私が社会人になったたころは、こういった趣のあるオフィスビルが左右に立ち並んでいた。

真偽のほどはわかりませんが、皇居を見おろすのは不敬にあたる、という理由で、建物の高さが制限されている、と聞かされたことがある。

 今はつんと澄ました高層ビルばかりになってしまった。

皇居も見おろし放題。

 

 

箱根駅伝スタート地点/ゴール地点にはこんな銅像が。はじめてみた。

 
 
歴代優勝校。一杯になったら横に広げるのかな。

 
 
前に日本橋クルーズをしたときも思いましたが、日本橋近辺はお濠や川に囲まれた、いわば島です。

 
 
東京駅前に毛沢東像みたいにそびえる井上勝君の像。

 
 
 
仲通りに点々と置かれたアートの数々。
いずれも巨大、かつ小さな子どもが見たらうなされそうなビジュアルです。
 

 
 
 

 
 
 

 
 
 

 
↑いつも心のなかで花輪くん、って呼んでいる。
 
 
 
これは草間彌生さん。かぼちゃ。

 
 
途中人気の回転ずしで腹ごしらえ。外国人観光客多し。
40番目だったので謎解きしながら順番を待った。
入店後、隣り合った中国人観光客の二人連れ(金正男似)と、互いの食欲を讃えあった。
 
 
私はグリコジャイアントコーンで充分美味しいと思っているのですが、カカオサンパカでアイス。 

謎解きは、こうして街の飲食店にも貢献しているのですね。
 
 
重要文化財の明治生命館。

昔ここの地下のオイスターバーで窓際に荷物を置いたら、文化財なので、と注意されたことがある。
今は同じ場所がウルフギャングステーキハウスになっている。
先日の歓迎ランチの際、荷物は膝の上に置くように、と、したり顔で皆に教えてあげたら、窓際をお使いください、と、お店の人に言われてちょっぴり恥ずかしかったです。
 
 
ティファニー前のお花。造花かと思ったら生花だった。

 
 
無時クリア!!

 

規則性を見つけたり計算したりが得意な同僚と、とんちやひらめきに強い私は、まるで右京さんと亀山くんみたいに良き相棒でした。
 
 
 
*****
 
 
あれから母は大人しくデイケアに通っている。
みきに迷惑をかけてしまったと、反省しているのかもしれない。
 
最近母は、私の結婚式のアルバムを繰り返し眺めている。
私の写真を見ているのではない。
 
昨年2月に亡くなった弟のタカユキの写真を見ているのです。
 
タカユキの顔が見れるから
 
と、申し訳なさそうに言われ、かける言葉がみつからなかった。
 
 

あじさい

 
 
その弟の命日のころ、母に、どこか行きたいところはある?、と聞いたらハワイに行ってみたい、と言われてびっくりした。
 
海外旅行には常に後ろ向きで、私たちがロサンゼルスにいるときも、猫がいるから、とかあれこれ並べ立てて、来てもらうのに難儀した。
 
ハワイに行きたいと思っていたなんて、知らなかった。
 
色々なことがあってなお、明るく前を向いて生きようとしている母が頼もしく、この夏はハワイに連れて行くことにしました。
 
 
弟も、飛行機に乗って母と海に行きたがっていた。
みんなで一緒に行こう!
 
繁忙期に休暇を取ることになるので、今必死に働いています。
 
 
 
 
 
 

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