ぐっすり寝られるようになって、母の混乱は少しだけ落ち着きはじめた。
昼間ベッドで一休みしていた母が、天井のシーリングファンを眺めながら子どものように指を折りつつ小声で何かを数えていることに気がついた。
「January、February、March、April、June、July、August、September、November…違うわね…October!November、December!」
街なかで韓国人家族に、日本語は話せるか、と韓国語で聞いたりしもした。
好奇心と意欲を半端なく取り戻していた。
一方スケジュールも運転も会話もすべて娘たち任せだった私は9日間、サンキュー以外ほぼ英語を喋っていません。
PARUKAの運転する車でブーツアンドキモズへ。
生きいきと楽しそうに働く店員さんたちに目を奪われた。
どうしたらあんな風に楽し気に働くことができるのでしょうか。
これが有名なマカダミアンナッツパンケーキ。
ハワイアンパンケーキの権化のようなこのビジュアル。
その後、前日クアロア・ランチの日本人スタッフにお勧めされた平等院テンプルへ。
予約が一杯で引き返すことになった我々に同情し、一見の価値がある、と教えてくれた。
1968年にハワイへの日本人移民100周年を記念し、宇治の平等院鳳凰堂を模して建立されたものだそうです。
周囲には日系人たちが眠る墓地も。
日本人観光客が見当たらないなか、左奥に小さく写る鐘楼で、誰よりも上手に鐘をついた我々。
末期の癌だという寺の守り猫と遊びながら、ここがハワイであることをしばし忘れたひとときでした。
オアフ島北東に位置するクアロア・ランチへ。
古代には王族しか立ち入ることが許されなかった聖なる地で、パワースポットとしても有名です。
4,000エーカーの広大な土地は、ジュラシック・パークをはじめ数々の映画のロケ地になっている。
私たちが参加したのはこちらのツアーです。
ワイルドなこのバスに乗り、90分かけてロケ地を巡る。
途中バスから降りられるスポットが2か所ありました。
1か所目は、第二次世界大戦中に米軍が使用していたバンカー(要塞)。第二次世界大戦中、米軍の沿岸警備のためにつくられたのだそうです。
乗降が大変な母は、バスのドライバー兼ガイドのパワフルな女性とバスでお留守番。
バスのフロントに置かれた恐竜のマスコット、見えますかね。
母はガイドさんにこのマスコットで遊んでもらっていた由。
ガイドさんにもらった小さな恐竜のおもちゃを眺める母。
神秘的な山々。
バスを降りた2か所目のスポットはジュラシックパークの撮影場所です。
母はバスに残るかと思いきや、
「ここで降りてもいいの・・?」
と、我先に立ち上がり、誰よりも楽しそうに歩き回った。
野生のイノシシ。
母とガイドさん。
ツアーの皆さんは母にとても優しくしてくださいました。
滞在中、ハワイの祝日キングカメハメハデーのパレードに遭遇した。
こちらのフェスティバルでは太平洋諸国の力強い踊りに胸を打たれた。
アイスクリームで有名な高橋果実店はホテルのすぐ側。
どうしても亀と泳ぎたくて早朝海に入ってみたら大きな亀がすぐ横に顔を出してくれたり、
ホテル目の前のアメリカ陸軍博物館の庭から聞こえてくるトランペットの練習に夜な夜な耳を傾けたり。
金曜日にはヒルトンホテルが打ち上げる花火をテラスの特等席で眺めた。
なのですが
その3日前、テラスでの夕食中、背後から地響きとともに爆音が鳴り響いた。
恐怖で縮み上がっていると、次の瞬間目の前のヒルトンホテルの窓々に美しい閃光が反射した。
慌てて部屋から外通路に出てみると、
目前の海上からダイハードばりの花火の数々。
まったく知りませんでしたが、この日はハワイ最大級の花火大会だった。
母はこの日、現地でAIに買ってもらった綺麗なムームーを着ていました。よく似合った。
てなわけで、この辺で適当ハワイレポートを終了させていただきます。
母の家は私の住む家から徒歩3分の距離にあって、平日は仕事帰りに、たとえ飲んで帰っても、必ず母の家に寄っている。週末は夕食を共にする。
だけど夜どんな風に寝ているのかも朝起きたときに何をしているのかも、一緒に暮らしていないのでよくわからなかった。
旅行中、母の日常が少しだけわかったような気がした。
夜中にたびたびトイレに起きるね。転ばないようにすごく気をつけて歩いているね。
化粧水をつけたのを忘れて、3回も塗っているね。うるうるだ。
気がつくとうたた寝しているね。どうりでいつ電話しても、おはよう!っていうわけだ。
お母さん、独りで頑張っているんだね。
そして繰り返しの質問攻撃も昼夜問わず受けていると、ときに優しい気持ちになれなくなる。
今更ながら、母にいらいらを募らせていた弟の気持ちがわかった。もっと助けてあげればよかった。
最後に。
旅行中、混乱した母にはたびたび驚かされましたが、
帰国前日、ホテルのテラスで絶景の海を眺めながらしみじみこう言われたときは、心の底からびっくりした。
「船橋がこんなにひらけているとは思わなかった」。
梨汁ぷっしゃー。
ハワイに行ったことを忘れてしまったわけではないようですが、いったいいつから船橋だと思っていたのだろう。
船橋は母にとって、縁もゆかりもない土地です。
まあいい。
帰国後すぐに日常生活に戻れたのも、船橋からのソフトランディングがあったお陰かもしれません。
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