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5月のきらめき

過ぎ去った4月を思う時、妙に長かったなと考える。
特に心にかかるのは謡曲のことであった。


瀬川爾朗blog-鼓 この欄では今まで私の謡曲についてはほとんど話すことが無かったが、今日は少し触れてみようと思う。
これまで10年以上、いや、途中で中断したことも含むと20年以上にわたって日本古来の芸能である謡曲(室生流)に親しんできたのであるが、4月からこれまでの稽古を中断することにした。

その理由は複雑であるが、ただ一つ挙げれば、やはり私には謡曲(仕舞も鼓も)が本当には合わない、ということであった。
謡曲について言うと、リズムと音質は何とかなるが、舞や鼓では相当に勘の悪さが目立った。
普通謡と舞・鼓で月に4日は潰され、発表会が近づくと、その倍ぐらいは消えるので、いろいろと障害が起こる。
そこで4月1日以降当分やめてみることにしたのです。
実はそれに代わることがあるのだが、そのことについては後日触れることにする。


それにしても、20年もやった謡曲をやめることは、やはり心残りである。
そこで2‐3点記憶に残ることを述べようと思う。


ほぼ50年も遡るが、学部の学生のころに能 小督 の中で小督をつとめたことがある。
小督は平清盛の時代に当時の高倉天皇の側室であった女性であるが、正妻の建礼門院(清盛の娘)への遠慮によって、お屋敷を抜け出し、山中で野宿の生活をしていた。
高倉天皇はこのことをひどく悲しみ、部下の源仲国をもって山中を捜索させる。
この二人は実はかねてより気になる関係だったので、話がよく通じて気持ちをくみ取ることが出来た。


もう一つはこれも学生のころのものだが、敦盛だと思ったが、仲間が大勢いて大変に賑やかな能だったことを思い出す。


仕舞についてはY先生に特に詳しく教えてもらった。
特に謡のリズムと舞の動きがよく調和していて、自然に美しく見えるような指導をしてくれた。
能の芸として3年ほど鼓もやってみた。
その先生は1年前に病で亡くなられた。
しかし、非常に厳格な指導でしたので、大変に役に立ったのである(挿絵 小鼓)。

いずれにしても謡、仕舞、囃子が大変よく調和していて、どうしてもそうでなければという場面を見せてくれて、大変に感銘を受けた時がある。


さて、5月になりました。それなりのことをやらなければならない。
私の今の仕事は、精密機器の開発です。地球の重力は微妙に変化しているのだが、それを測って種々な事柄に応用しようとしているのだ。

このために私の家の一部を改造した。
これらはいずれ、私の体力と気力でもってやっていこうと思っている。

これを可能にすることが私にとっての「5月のきらめき」なのである。
岩手県人連合会の皆様もそれなりのユニークな発想で新しいことを始めたらどうだろうか。

4月を迎えて

私も、また、心ある大勢の仲間にとっても、4月はいろいろな革命がおこる時ではないだろうか。

少なくとも60才を過ぎた仲間であれば、何がしかの強い印象を、この時期に持っても不思議ではない。



4月の印象の中では、実に多数の事柄があるが、中でも最近問題になっていることは、これからの新学期をいつから始めるか、という問題である。

学校の新学期は明治以降、小、中、高校、大学を合わせて、一般に、4月が新学期となっているものが多い。

これが桜の4月、水泳の7月、紅葉の10月、そして雪の1月、と将に日本の生活と季節とが一体化しているということで、これまであまり問題にされていなかったのだが。


ところが最近、9月を新学期に、という声がマスコミ等を介して声高になっているのである。

特に東京大学がかなり大規模にそのことを世の中に訴えることになって、まず日本の各大学が教授会等で議論されるようになったのである。


似たようなことは10年以上前の東京大学で、当時の有馬朗人学長は、大学の中心は学部ではなくて大学院であるということを強く主張して、大学教授を大学院教授とし、教授は大学院教授の下に置く、ということを主張し、それを文部省が認めたのである。

有馬学長の心底には、大学の使命は研究にあって、研究部門を最優先することにより、研究費、備品費などが最優先され、全体として大学の研究費が増大することを狙ったものであった。

実はこれがここ10年の間にほぼ全国の大学(国立、私立)に広がったのである。



この度の新学期を何月にするかという考えも、東京大学が頭を絞った挙句に、それでは全国の大学の先頭に立とうという気になったと考える。

これにはまだまだ問題があり、特に小、中、高校、大学をすべて統一するのか、また、そうでなければ、9月に合わせた時に、約5か月の空白をどうするのか、などがまず問題になる。これについてはここの所これ以上に議論が進まないようにも見えるが、世界も注目しているようなので、いずれ妙案が浮かぶのかもしれない。


4月と言えば植物にとっても大事な時期である。

我が家では2月の雪の跡にまず雪割草とシクラメンが咲く。

そして間もなく真っ白なこぶしが咲く。そしてピークは山桜である。

5月に入ると紫のフジや真っ赤な椿が実を落とす。


いずれも、並みの気候のときには教科書的に花実をつけるが、時にはそうではないこともあるようだ。

どうも今年はその手には乗らないように見える。


あと数日で4月という時に、どうも桜や梅の花のつき方がおかしいようだ。

気象予報では今年は「ラニーニャ」というタイプの世界の気候であるために、春先が冷夏であるという予報だ。

今年はどうなるという大学の先生の考えとは異なり、どうなるか分からないという心配もある。


いずれ、いいにつけ悪いにつけ、我々の遭遇する問題はさまざまなようだ。

新学期をいつにするかとか、なんだかよく解からない世の中だな、というようなことが次々とでてくるように思う。

プロバスクラブとは何だろう

私もこれまでいろいろなグループに加わってきたが、最近、止むをえず加わることになったプロバスというクラブについて話をしてみましょう。


私が現在参加しているクラブでは岩手県人連合会、釜石はまゆり会、釜石応援ふるさと大使、などがありますが、これとは異なって、現在住んでいる自分の街の仲間同士で、なんとなく手を結ぶという繋がりもあるのです。

その一つが「プロバスクラブ(東京日野)」なのです。


このプロバスクラブは全くの新クラブではなくて次のような歴史を持っています。


----生き生きと活躍し、知り合いとともに視野を広め、

     豊かな人生経験を生かして、地域社会に奉仕する----


プロバスとはProfessionalとBusinessmanとを組み合わせたもので、専門・実業を併せ持ち、非政治的、非宗教的、非営利的な団体ということになっています。

私の加入したクラブは日本全国で105番目、という序列になっており、創立時は会員が26人でしたが、1年を過ぎた今はかなり増えております。

会則などによると、プロバスクラブは歴史の長いロータリークラブやライオンズクラブに似ておりますが、ただ、入会者の年齢が60才以上となっております。


そして、例会が月1回、また会費が安いという取り柄があります。

私も、53から60才まではロータリークラブに加入していましたので、その間は結構大金を払うこともありましたが、それに比べると大分安いことになります。


そして今、74にして改めてプロバスクラブに加入した訳です。
月1回の会の集まりですが、その中身は少しずつ分かってきたように思います。

必ず昼食を食べ、どなたかが30--40分程度の卓話をいたします。

いまだ講演者が10人に満たないので、卓話の話題は千差万別です。


現状では特に何ということもなく、何となく興味を持って話をし、また他人の話も聴いております。

これらの話が皆済んだあとで、恐らく本当の問題が起きてくるのでしょう。

これまでの話で、2つ、3つ話題を紐どいてみましょう。



平成23年2月には、多分2回目だと思うのですが、「海底鉱物資源とその実用性」というテーマで私が話をしました。

特に1828年生まれのフランスのジュール・ベルヌの「海底2万里」の話とか、1872年から始まった英国エジンバラ大学教授ワイビル・トムソンによる「チャレンジャー航海」、また1万メートルの深海盆にも生命が存在するという大発見などは150年の歴史をもつものでした。


平成23年8月には菊池昭雄氏によって、この世の中の「放送メディアの変遷」という話がありました。

岩手放送の社長をしていた菊池氏による話でも、中尊寺の「春の藤原祭り」が特に面白いものでした。

昨年は中尊寺の世界遺産化が成功したことにより、その意義がますます明らかになったためです。


今年の2月には榎本吉伸氏の「味の素グループ百年」という話があり、自分に関係の深かった「味の素」の実に多種多様な応用面の開発が披瀝されたのも面白いものでした。