4月を迎えて
私も、また、心ある大勢の仲間にとっても、4月はいろいろな革命がおこる時ではないだろうか。
少なくとも60才を過ぎた仲間であれば、何がしかの強い印象を、この時期に持っても不思議ではない。
4月の印象の中では、実に多数の事柄があるが、中でも最近問題になっていることは、これからの新学期をいつから始めるか、という問題である。
学校の新学期は明治以降、小、中、高校、大学を合わせて、一般に、4月が新学期となっているものが多い。
これが桜の4月、水泳の7月、紅葉の10月、そして雪の1月、と将に日本の生活と季節とが一体化しているということで、これまであまり問題にされていなかったのだが。
ところが最近、9月を新学期に、という声がマスコミ等を介して声高になっているのである。
特に東京大学がかなり大規模にそのことを世の中に訴えることになって、まず日本の各大学が教授会等で議論されるようになったのである。
似たようなことは10年以上前の東京大学で、当時の有馬朗人学長は、大学の中心は学部ではなくて大学院であるということを強く主張して、大学教授を大学院教授とし、教授は大学院教授の下に置く、ということを主張し、それを文部省が認めたのである。
有馬学長の心底には、大学の使命は研究にあって、研究部門を最優先することにより、研究費、備品費などが最優先され、全体として大学の研究費が増大することを狙ったものであった。
実はこれがここ10年の間にほぼ全国の大学(国立、私立)に広がったのである。
この度の新学期を何月にするかという考えも、東京大学が頭を絞った挙句に、それでは全国の大学の先頭に立とうという気になったと考える。
これにはまだまだ問題があり、特に小、中、高校、大学をすべて統一するのか、また、そうでなければ、9月に合わせた時に、約5か月の空白をどうするのか、などがまず問題になる。これについてはここの所これ以上に議論が進まないようにも見えるが、世界も注目しているようなので、いずれ妙案が浮かぶのかもしれない。
4月と言えば植物にとっても大事な時期である。
我が家では2月の雪の跡にまず雪割草とシクラメンが咲く。
そして間もなく真っ白なこぶしが咲く。そしてピークは山桜である。
5月に入ると紫のフジや真っ赤な椿が実を落とす。
いずれも、並みの気候のときには教科書的に花実をつけるが、時にはそうではないこともあるようだ。
どうも今年はその手には乗らないように見える。
あと数日で4月という時に、どうも桜や梅の花のつき方がおかしいようだ。
気象予報では今年は「ラニーニャ」というタイプの世界の気候であるために、春先が冷夏であるという予報だ。
今年はどうなるという大学の先生の考えとは異なり、どうなるか分からないという心配もある。
いずれ、いいにつけ悪いにつけ、我々の遭遇する問題はさまざまなようだ。
新学期をいつにするかとか、なんだかよく解からない世の中だな、というようなことが次々とでてくるように思う。