瀬川爾朗blog -22ページ目

マグニチュード9以上という地震

日本でM=9以上という地震が起きました。

日本の東太平洋地域で日本海溝 に沿って昨年の3月11日にM=9 あるいはそれ以上の地震が起こり、その後の1--2日の間に発生した地震のエネルギーが延べ9.5に迫ったといいます。
これは実に大変なことで、これまで数10年の間に起こった環太平洋地域---日本、カナダ、アメリカ、インドネシア、台湾---などで起こった地震を総なめにして数えたことになります。


昨年の3月11日の地震では、気象庁の最初の計算でM=7.9という結果で発表されました。
これが後で大問題となったわけですが、それの追試による4--5件の再計算の結果が報告されています。

後から発表された気象庁の結果を見ると、地震発生から3分以内に津波警報をだそうとするとマグニチュードが8.4で頭打ちとなり、8以上かどうかを正確に調べようとすると15分以上かかるということです。
その一例の計算では、15分以上かけることによりM=9.0になるのです。


以上は地震波の計測から結果を推定したものですが、そうでない場合の推定方法はあるだろうか。
それが今度の事件以後、‘ある’という結果になりそうなのです。


北海道大の成果によると、東北太平洋岸では600—1300年間隔で巨大津波が繰り返し発生していた可能性が指摘されています。
宮城県気仙沼市の海岸で見つかった津波堆積物には崖の上に大きな石を含んだ海岸の砂が何層もあります。
この砂には津波堆積物があり、その火山灰は869年の超巨大な貞観津波の痕跡を示す目印になっています。


さらにもう一つ、宮城県の「松島町」は芭蕉の俳句にもみられるとおり、ものすごく風光明媚で、普段は静かなところであります。
ここの津波はどうなのかというと、今度の結果を見る限り、周辺の被害に比べ、あの入り組んだ湾形は、きわめて被害が少ないのです。
周辺の、例えば名取市などに比べ、ほとんど被害がないといってよでしょう。
これは将に松島湾の力学的な結果がそうしたもので、対津波の防波堤の理想的な形ではないかと考えられます。


以上、最近の日本における津波の特徴を示しましたが、実に色々な情報があり、また、新しいもの、古いものなどがゴチャゴチャであることが感じられます。
この津波の被害は所と時により様々でありますが、最後には、やはり人間関係が大きくかかわっていると思われます。

岩手県の釜石市は7—800人の死者を出しているところですが、こと学生については、その被害はきわめて少ないのです。
小中学生について言うと、その被害者は0.2%ということです。

もう一つ、この津波被害で、まっさきに被害を受けたのは新聞社だという話もあります。
岩手県でも地元紙を持っている新聞社が、地震津波の当日からの休刊をなくする、ということにいかに苦労したか、という話があります。

思うに、巨大地震津波についてみても、よく見ると、まだまだ不思議なことがあり、とても一朝一夕ではものにならない、と考え込んでしまうのです。

「浅田真央」と「なでしこジャパン」

 昨年の12月25日、フィギャースケートの全日本選手権女子最終日に浅田真央(中京大、21歳)が5度目の優勝を果たした。
先月の9日に母の匡子さんを病で失った直後のことでもあり、その心構えと慎重さには頭の下がるものがあった。


大阪府門真市がその会場である。
このフィギャースケートの上位者による会が翌日開かれ、真央は最後に登場して、母も一緒に選曲したリスト作曲の「愛の夢」で応えた。

1年半前のバンクーバー・オリンピック世界大会で、中国のほぼ同年のキム・ヨナ嬢と闘い、惜しくも2位になった時に比べ、舞の雰囲気はまるで異なっていたと見てよい。

この大会は国内選ではあったが、当時と比べ、真央の振る舞いはまさに慎重そのものであった。

国内選であるので2位の鈴木明子、3位の村上佳菜子ともども、なかなかの慎重な舞ではあり、今後が期待されると思う。



さて、それではサッカー女子ワールドカップ(W杯)に話を移そう。

日本時間で昨年の7月18日にドイツ・フランクフルトで行われ、日本のチーム「なでしこジャパン」が、なんとワールドカップを獲得したのである。

相手は米国の女子チームであったが、その差し迫った力のぶつかり合いは、日本人ですら目を回すような出来事であった。


少なくともこの時点でほとんどの日本人は日本が米国に勝つとは思っても居なかったのである。

勝負が決まったのは18日の午前5時ごろであった。

実は私も日本が決勝進出だということ知って、初めてテレビにしがみ付いたのである。


やまと撫子は日本における花の愛称である。

最近はよく使われる。

「なでしこ」というと日本という言葉の次に日本らしい言葉だという人もいる。

主将の沢穂希もゴールキーパーの海堀あゆみも、つい昨日までは知らない人が多かったのではないか。

それにも拘らず、あの素晴らしい体の動きを見て、全員がファンになったのではないか。



このように昨年は、3月11日の東日本大震災津波をきっかけとして日本は滅びるのではないかと思う一方で、その視覚をさますがごとく、特に女性の側からすばらしい掛け声がかかってきた。

それの何というすばらしさか。

これはまるで、太平洋戦争は男の戦いであったものが、男が静かになるとともに、次には女性が飛び上がってきたか、と思うようである。

まさに人間の助け合いとはこのことなのかと思わせるようだ。


それにしても、大地震と大津波は、よく考えてみるとまるで違うものではないか。

大地震は岩石の亀裂に沿った強い超すりあいから生じる大きな振動がもとで、その動きが数10メートルに達する。

一方、津波は基本的には海底と海面との相互作用によるが、人間(動物)の住居地と大地との間の相互関係により、時に大きな破壊と生命の焼失が起こる。

今回の大震災による1つの結論は、現状の設備では人間は数10%の命を失うことと、仕事場と休息場を上手に区別するために交通手段もさらなる工夫が必要なことである。

この両者を上手く組み合わせたものが地震予知であるが、組み合わせ方の論理がいまだはっきりせず、新しい考えが生まれない限り、当分現状が続くのではないだろうか。

我が家

私や私の家族も東京の今の場所に住み始めて48年前後になります。

この間に私を含めて我が家はどのように暮らしてきたのか、ちょっと反省してみようと思います。


あの当時は未だ20—27歳前後でしたので、親の援助を受けたこの家をあまりうれしくは思いませんでした。

しかし、やがてお互いに、互いの好意がわかり、それぞれの行き場もわかってきて、それぞれの道を見出し始めました。

最後には、東京日野市に落ち着くことになったのは私とその家族で、そのとき以来、私自身の行き方が始まったのです。


4月の始めには、我が家の前面には真っ白な桜が咲き乱れ、樹の下を通る人々の気持ちを和らげてくれます。この桜は岩手県の山から拾ってきたもので、桜の花が真っ白なので山桜なのです。

この花も後で述べる黒松と同年代です。

始めのうちは、花が貧弱なのであまり歓迎されなかったのですが、ある時期から急に花が成長し、いまや3月から4月にかけて近所のかたがたが集まってくるようになったのです。


我が家には背丈が10m、横幅が50cm位の黒松があります。

その中腹にただ1本の横枝があり、現在それが10数mの幅を占めています。

これはただごとではないと思い、これからこの黒松をこの家の柱にしようと考えました。

この松は土地を買ったときに植えたものなのですが、それがいまだにそのままで育ってきて、48年も経ったということです。

実は今月、いままでの手直しにさらに手を加えて、形をよくし、将来的にはこの家を取り巻く、というのはどうか、などと考えています。



我が家にはもう一つの自慢がありました。

それは家をぐるりと取り巻く塀なのです。

我が家では淺川が側を流れているので、周辺の家も、全体として、通常の地面よりも少し高めにできております。

私の家もその例に漏れないのでが、ちょっと無理をして高さ1.5m、厚み20cmの塀で家を包んでしまいました。

色は褐色なのですが、外部とのバランスがうまく取れていて、気に入ったデザインです。


植物には他に柿、栗、琵琶、藤、アメリカはなみずき、みかん、などがあり、特に柿、栗と琵琶は、これまでも何度か豊作の機会があり、皆で大いに楽しんだものです。

昨年の柿は、僅かに背丈4mものが2本なのですが、合わせて1,000個も実がつき、家内との合作で1、000個も干し柿を作り、それを数カ月かけて食べたという実績があり、大変なことでありました。


栗については、「つくば」という種類なのですが、これは実が4-5cmもあるというスゴもので、毬栗(いがくり)の中に大きいのは3個は入っています。

これも偶然に買った種から育ったもので、驚くべきものです。


琵琶についても同様で、やはり当たり年があって、ある年には数100個の実がなります。

いずれにしても、我が家の庭に芽吹く植物には、人それぞれながら、大いなる感動を与えないものはありません。