創立40周年を迎えた岩手県人連合会
我が岩手県人連合会は昭和50年、つまり1975年に創設されました。
今は平成ですが、昭和と平成の境目が、昭和64年(1989年)1月7日で、1月8日から平成元年になった訳ですので、現在は実用上、昭和64年を平成元年としているようです。
さて、昭和50年の岩手県人連合会総会は、岩手県東京事務所所長の阿部 恭氏の働きによって実現したと言われています。
岩手県東京事務所は、この当時は永田町にありましたが、現在は銀座にあります。
昭和46年に事務所長になられた阿部氏は、在職中に県人会をつくる為の世話人会を結成して、昭和50年の第1回県人会を成功させるべく努力されたのです。
阿部 恭氏は、将に、県人会の元祖と見做される方でした。また、岩手県人会のためには、マスコミの岩手日報東京支社が大いに協力してくれたことも知られています。
岩手県人連合会の運営には、総会における参加者の数も大変に重要な要素でした。
創立直後の会では、1000人、2000人という会員が集まり、多すぎて開催そのものが難しくなるという状況でした。
しかし、4、5回目以後は500人前後に収まるようになり、落ち着いた会が催されるようになったのです。
昭和50年、つまり1975年の初代岩手県人連合会の会長は、上田常隆さんという方でした。
此の方は岩手県滝沢村(現在は市となっている)の出身で、当時毎日新聞社社長をなさっておりました。
上田氏は昔の原敬首相の甥にあたる方だそうです。
しかし、上田会長は会長職6回の後亡くなられ、その後永澤滋氏(第13回まで)、蒲生貞喜氏(第19回まで)、高橋圭三氏(第27回まで)、第28回は会長代理で堀合辰夫氏、ついで井上ひさし氏(第29回から32回)、そして瀬川爾朗氏(第33回から本年の第40回まで継続中)となっています。
岩手県人連合会は在京の元岩手県人の集まりで、岩手県の出身市町村ごとに、それぞれふるさと会を持っています。
各ふるさと会は、個々の事情によって、市、町、村、その他、のグループに分かれております。
その他では、例えば岩手県庁の関係、税務署の関係、など、職場ごとにグループをつくる、という場合もあります。
現在、岩手県全体で100前後のふるさと会が参加しており、これに関わる在京岩手県人は数万人に及ぶと推定されます。
岩手県人連合会の関わる事業には、岩手県と在京岩手県人を支援する10カ条程度のテーマがあり、岩手のために尽すという事を最大の目標としております。
これまでに関わった岩手県の事業では、最近の最大の目標として、東日本大震災(2011年3月11日)による災害復興支援がありますが、さらに過去には、鈴木善幸総理大臣の就任祝賀会、三陸海の博覧会の支援、歌手新沼謙治の招待、俳優村上弘明の招待、等々多くの支援を行ってきました。
ちなみに、本会は2011年の東日本大震災津波被害に対して、これまでの積み立てをもって、550万円を岩手県にご寄附いたしました。
本年は創立40周年を記念して、総会の中で行うアトラクションにもかなり力を注ぎました。
盛岡劇場で舞われる盛岡芸妓による常磐津の舞を、盛岡から7人の芸妓に来ていただき東京で舞っていただきました。
盛岡劇場は東京の帝国劇場より2年後に建てられたところで、100年前の帝国劇場で舞われた舞を、盛岡で復活させたという由緒ある舞なのです。
数少ない芸妓さんが、古い舞に再び挑んだということで、大変意味深い舞なのです。
今は平成ですが、昭和と平成の境目が、昭和64年(1989年)1月7日で、1月8日から平成元年になった訳ですので、現在は実用上、昭和64年を平成元年としているようです。
さて、昭和50年の岩手県人連合会総会は、岩手県東京事務所所長の阿部 恭氏の働きによって実現したと言われています。
岩手県東京事務所は、この当時は永田町にありましたが、現在は銀座にあります。
昭和46年に事務所長になられた阿部氏は、在職中に県人会をつくる為の世話人会を結成して、昭和50年の第1回県人会を成功させるべく努力されたのです。
阿部 恭氏は、将に、県人会の元祖と見做される方でした。また、岩手県人会のためには、マスコミの岩手日報東京支社が大いに協力してくれたことも知られています。
岩手県人連合会の運営には、総会における参加者の数も大変に重要な要素でした。
創立直後の会では、1000人、2000人という会員が集まり、多すぎて開催そのものが難しくなるという状況でした。
しかし、4、5回目以後は500人前後に収まるようになり、落ち着いた会が催されるようになったのです。
昭和50年、つまり1975年の初代岩手県人連合会の会長は、上田常隆さんという方でした。
此の方は岩手県滝沢村(現在は市となっている)の出身で、当時毎日新聞社社長をなさっておりました。
上田氏は昔の原敬首相の甥にあたる方だそうです。
しかし、上田会長は会長職6回の後亡くなられ、その後永澤滋氏(第13回まで)、蒲生貞喜氏(第19回まで)、高橋圭三氏(第27回まで)、第28回は会長代理で堀合辰夫氏、ついで井上ひさし氏(第29回から32回)、そして瀬川爾朗氏(第33回から本年の第40回まで継続中)となっています。
岩手県人連合会は在京の元岩手県人の集まりで、岩手県の出身市町村ごとに、それぞれふるさと会を持っています。
各ふるさと会は、個々の事情によって、市、町、村、その他、のグループに分かれております。
その他では、例えば岩手県庁の関係、税務署の関係、など、職場ごとにグループをつくる、という場合もあります。
現在、岩手県全体で100前後のふるさと会が参加しており、これに関わる在京岩手県人は数万人に及ぶと推定されます。
岩手県人連合会の関わる事業には、岩手県と在京岩手県人を支援する10カ条程度のテーマがあり、岩手のために尽すという事を最大の目標としております。
これまでに関わった岩手県の事業では、最近の最大の目標として、東日本大震災(2011年3月11日)による災害復興支援がありますが、さらに過去には、鈴木善幸総理大臣の就任祝賀会、三陸海の博覧会の支援、歌手新沼謙治の招待、俳優村上弘明の招待、等々多くの支援を行ってきました。
ちなみに、本会は2011年の東日本大震災津波被害に対して、これまでの積み立てをもって、550万円を岩手県にご寄附いたしました。
本年は創立40周年を記念して、総会の中で行うアトラクションにもかなり力を注ぎました。
盛岡劇場で舞われる盛岡芸妓による常磐津の舞を、盛岡から7人の芸妓に来ていただき東京で舞っていただきました。
盛岡劇場は東京の帝国劇場より2年後に建てられたところで、100年前の帝国劇場で舞われた舞を、盛岡で復活させたという由緒ある舞なのです。
数少ない芸妓さんが、古い舞に再び挑んだということで、大変意味深い舞なのです。
負けた日本のサッカーは何故なの?
最近、気持ちにゆとりが出たためか、新聞やテレビのスポーツ欄に関心を持つようになり、今年の2-3月の冬季オリンピックでは、ソチのスケートやスキーに妙に関心を持ち、続いて6月には、サッカー・ワールドカップ(W杯)ブラジル大会が始まり、テレビから目を離せない状態になってしまった。
ブラジル大会W杯での日本の評価は、初めは大変に高かった。
ある程度は勝ち上るに違いないとの前評判であった。しかし結果は、無念の1次リーグ敗退であった。
1次リーグはAからHまでの8グループに分かれ、それぞれ4か国より成り、総勢32か国より成り立っていた。そして各グループの中で互いに戦い、それぞれ2グループを勝ち残り者として、W杯決勝トーナメントで組み合わせを行う。このトーナメントの決勝は7月14日に行われるとのことであるから、今日は7月1日なので、まだ先の話になる。今年のアジア勢の成果は、1次リーグで日本、韓国、イラン、オーストラリアがいずれも白星なしの敗退であったので、次回はアジア勢の数を減らそうという話も出ているとのことである。
さて、
今年の日本サッカーの選手陣は、往年よりは、はるかに技術レベルが高く、前回には世界で8位とか16位とかに評価されていたので、今回、日本は、それ以上と思われていたのが、結果は逆であった。
ザッケローニ監督(イタリア国籍)は、日本の選手に対しては、試合中には、常に優しく接していたと思われる。先日、ザッケローニ監督は、帰国を前にして、次のように語った。
「4年間を振り返って見ると、適切な選手も選べたし、プレイ内容の精度も高められていた。しかし、短期間では、その実力を示せなかった」、と。
また、何人かの選手たちは、次のような感想を漏らしていたーーー
「チームの実力はこの4年間で確実に進化してきた。今回は残念」
「4年間で鍛えた自分の実力は十分に発揮できた」
「相手がメンバーも代えてきたのに、それをくずせなかった」
「特に後半は世界との差を感じた。もっと守備をしっかりしないと」
「すべてのレベルが足りない。縦パスをうまく仲間に合わせることが出来なかった」
「相手は決める所は決めてくる。その差は大きい。」
「逆転したかった。しかし、試合のリズムを変えられなかった」.....等々。
今回のサッカーに対する私の印象を述べたいと思う。
まず、サッカーの戦いについて、外国の選手たちは、本気の戦いをしていた、と感じた。
彼らの多くは、試合の間は、敵も味方も、また、己の監督のことも忘れて、将に眼前の敵にまともにぶつかっていったという事である。
これの極端がウルグアイのルイス・スアレス選手の敵にかみつくという行為であった。
今回も彼は不法行為により、高額の罰金とW杯出場停止、という罰を受けている。
もう一つ、サッカーの驚きは、身長の差を、積極的に武器として使っていることである。
ヘディングでボールを飛ばすことを積極的に行い、敵との身長の差を利用して、相手よりもより高い位置から、相手より一瞬早く、ヘディングするという技である。
最後に、
まとめとして、実際に試合の観覧を行った元日本代表MFの中田英寿氏の言葉を引用する。
平成26年の6月27日の朝日新聞に書かれたものである。
「日本は攻める姿勢は見せるものの、早く点を取りたいという気持ちのあせりから、日本らしい連動性のある動きがなかった。気持ちと頭とプレイにずれが生じていた。一方、コロンビアは日本の攻めを上手にいなし、リズム感のあるボール回しで、最後に1:4で日本に勝ったのである。」
ブラジル大会W杯での日本の評価は、初めは大変に高かった。
ある程度は勝ち上るに違いないとの前評判であった。しかし結果は、無念の1次リーグ敗退であった。
1次リーグはAからHまでの8グループに分かれ、それぞれ4か国より成り、総勢32か国より成り立っていた。そして各グループの中で互いに戦い、それぞれ2グループを勝ち残り者として、W杯決勝トーナメントで組み合わせを行う。このトーナメントの決勝は7月14日に行われるとのことであるから、今日は7月1日なので、まだ先の話になる。今年のアジア勢の成果は、1次リーグで日本、韓国、イラン、オーストラリアがいずれも白星なしの敗退であったので、次回はアジア勢の数を減らそうという話も出ているとのことである。
さて、
今年の日本サッカーの選手陣は、往年よりは、はるかに技術レベルが高く、前回には世界で8位とか16位とかに評価されていたので、今回、日本は、それ以上と思われていたのが、結果は逆であった。
ザッケローニ監督(イタリア国籍)は、日本の選手に対しては、試合中には、常に優しく接していたと思われる。先日、ザッケローニ監督は、帰国を前にして、次のように語った。
「4年間を振り返って見ると、適切な選手も選べたし、プレイ内容の精度も高められていた。しかし、短期間では、その実力を示せなかった」、と。
また、何人かの選手たちは、次のような感想を漏らしていたーーー
「チームの実力はこの4年間で確実に進化してきた。今回は残念」
「4年間で鍛えた自分の実力は十分に発揮できた」
「相手がメンバーも代えてきたのに、それをくずせなかった」
「特に後半は世界との差を感じた。もっと守備をしっかりしないと」
「すべてのレベルが足りない。縦パスをうまく仲間に合わせることが出来なかった」
「相手は決める所は決めてくる。その差は大きい。」
「逆転したかった。しかし、試合のリズムを変えられなかった」.....等々。
今回のサッカーに対する私の印象を述べたいと思う。
まず、サッカーの戦いについて、外国の選手たちは、本気の戦いをしていた、と感じた。
彼らの多くは、試合の間は、敵も味方も、また、己の監督のことも忘れて、将に眼前の敵にまともにぶつかっていったという事である。
これの極端がウルグアイのルイス・スアレス選手の敵にかみつくという行為であった。
今回も彼は不法行為により、高額の罰金とW杯出場停止、という罰を受けている。
もう一つ、サッカーの驚きは、身長の差を、積極的に武器として使っていることである。
ヘディングでボールを飛ばすことを積極的に行い、敵との身長の差を利用して、相手よりもより高い位置から、相手より一瞬早く、ヘディングするという技である。
最後に、
まとめとして、実際に試合の観覧を行った元日本代表MFの中田英寿氏の言葉を引用する。
平成26年の6月27日の朝日新聞に書かれたものである。
「日本は攻める姿勢は見せるものの、早く点を取りたいという気持ちのあせりから、日本らしい連動性のある動きがなかった。気持ちと頭とプレイにずれが生じていた。一方、コロンビアは日本の攻めを上手にいなし、リズム感のあるボール回しで、最後に1:4で日本に勝ったのである。」
人類を滅亡から救うために
今、我々人類は、滅亡の危機に瀕しているのではないか?
言い換えれば、人類が新たな目覚めにより、その見返りとして、滅亡を招くことになったのではないか?
私の10代、20代を振り返ると、人が減る、つまり子供が生まれなくなる、ということはあまり考えられない時代であった。私事で恐縮であるけれども、私の若い頃は、仮に色気がついても、子供が生まれるようなことをしてはいけないと、必死になったものである。ということは、当時は男女が関係すると、すぐ妊娠をしてしまい、その後始末が大変であった。つまり当時はいかにして妊娠を避けるかが、医学界の大問題であったのである。
ところがである。現在、西暦2014年の段階では、この世の男女は、お互いの性的な引合いが大変に希薄となり、妊娠しにくい状態になりつつあると言われる。精神的にも肉体的にもそのようになっているらしい。更に不都合なことは、男女が経済的文化的に対等になるとともに、性的な問題は二の次になり、男女の結婚の意味が消えてしまいそうになっているという事である。現在、これが大問題となったのである。
世の中がこのように変化したのには次のような理由がある。特に日本のような国では
1) 親が子供の教育にお金をかけ、男女ともに、一人でも生きて行ける力を持った。
2) 従って、子供、特に男が、庇護的母親の教育の影響もあって、親ではない別の女性に対して何の期待も持たなくなった。
3) 一方、男女ともに年を取ると、やはり子供が欲しいという事になる。ところが、40過ぎた男女
は、もはや子供が産めない体になってしまっているのである。
-----さて、どうしたらよいだろうか?
最近、日本での子供の出生率は1組の夫婦に対して1.09人と言われている。これは夫婦共に結婚年齢が高くなったこと、夫婦共に育児の費用を極端に抑えようとしていることである。これを突き詰めれば、日本人は滅亡せざるを得ない。
女子の出産が減ったのはやはり女子の教育が進んだためであろう。その結果として育児の時間が無くなり、独身女性が皆40歳を過ぎてしまっているのである。
この問題のカギは、40過ぎると男女、特に女子が妊娠できなくなってしまう事を、何とかして解決することであると考える。
高齢の女子の出産は、仮に妊娠したとしても、早産したり、ダウン症の子が生まれたりと、かなり問題が大きい。私が思うには、高齢者の男の子種の欠如、あるいは女の卵子の欠陥などが、今後、医学が取り組むべき重大な問題であり、これこそが、人類の減少と破滅を避け、未来の人間世界を一段と高めるカギになるものと信じる。これはつまり、出産にはかなり高齢となってしまった男女に対して、せめて50歳ぐらいまでは良い子供が生めるような世の中にしたいと思っている。こうすることによって、男女ともに働き盛りの時に働きながら良い子が生めるようになる。一夫婦が育てられる子供が2ないし3人であることが今後の理想ではないだろうか。
言い換えれば、人類が新たな目覚めにより、その見返りとして、滅亡を招くことになったのではないか?
私の10代、20代を振り返ると、人が減る、つまり子供が生まれなくなる、ということはあまり考えられない時代であった。私事で恐縮であるけれども、私の若い頃は、仮に色気がついても、子供が生まれるようなことをしてはいけないと、必死になったものである。ということは、当時は男女が関係すると、すぐ妊娠をしてしまい、その後始末が大変であった。つまり当時はいかにして妊娠を避けるかが、医学界の大問題であったのである。
ところがである。現在、西暦2014年の段階では、この世の男女は、お互いの性的な引合いが大変に希薄となり、妊娠しにくい状態になりつつあると言われる。精神的にも肉体的にもそのようになっているらしい。更に不都合なことは、男女が経済的文化的に対等になるとともに、性的な問題は二の次になり、男女の結婚の意味が消えてしまいそうになっているという事である。現在、これが大問題となったのである。
世の中がこのように変化したのには次のような理由がある。特に日本のような国では
1) 親が子供の教育にお金をかけ、男女ともに、一人でも生きて行ける力を持った。
2) 従って、子供、特に男が、庇護的母親の教育の影響もあって、親ではない別の女性に対して何の期待も持たなくなった。
3) 一方、男女ともに年を取ると、やはり子供が欲しいという事になる。ところが、40過ぎた男女
は、もはや子供が産めない体になってしまっているのである。
-----さて、どうしたらよいだろうか?
最近、日本での子供の出生率は1組の夫婦に対して1.09人と言われている。これは夫婦共に結婚年齢が高くなったこと、夫婦共に育児の費用を極端に抑えようとしていることである。これを突き詰めれば、日本人は滅亡せざるを得ない。
女子の出産が減ったのはやはり女子の教育が進んだためであろう。その結果として育児の時間が無くなり、独身女性が皆40歳を過ぎてしまっているのである。
この問題のカギは、40過ぎると男女、特に女子が妊娠できなくなってしまう事を、何とかして解決することであると考える。
高齢の女子の出産は、仮に妊娠したとしても、早産したり、ダウン症の子が生まれたりと、かなり問題が大きい。私が思うには、高齢者の男の子種の欠如、あるいは女の卵子の欠陥などが、今後、医学が取り組むべき重大な問題であり、これこそが、人類の減少と破滅を避け、未来の人間世界を一段と高めるカギになるものと信じる。これはつまり、出産にはかなり高齢となってしまった男女に対して、せめて50歳ぐらいまでは良い子供が生めるような世の中にしたいと思っている。こうすることによって、男女ともに働き盛りの時に働きながら良い子が生めるようになる。一夫婦が育てられる子供が2ないし3人であることが今後の理想ではないだろうか。