瀬川爾朗blog -14ページ目

大学で天才は育つのだろうか

一年の中で二月、三月という時期は、若い頃から、私にとっても、複雑な気分で過ごした季節でした。
私の受験した国立大学は、もう50年以上前でしたが、3月3日に入試が始まり、3月20日頃に入試結果の発表、ということで、未だに覚えています。

私は、その後、数10年間、大学に職を得ていましたので、大学紛争でいろいろな体験をしました。


ここ数10年間に、日本の学生教育の方針もめまぐるしく変わり、文部省の方針も、ほぼ10年刻みで、逆の指導をしてきたのではないかと思うほどです。
まさに国の教育方針は思いつきでなされたのではないかと疑いたくなります。


最近のニュースによれば、東京大学が、秀才ではなく、特別に優れた部分を持つ学生を別枠で合格させるという制度をつくる、といっています。
言い換えれば天才を選ぶという事なのでしょう。

このためには東京大学の教員が天才的でなければいけないのでしょうが、これまでの東大の先生が天才であったかどうか、即答は出来ませんね。
天才を教育できる先生はどのような先生なのでしょうか。

私は、これに一言で答えられる人はいないと思っています。
そこで最近知った日本の若い理系女子の話題を採りあげたいと思います。


先月の一月が終わろうとしていた矢先に、将に突然、理系女子の日本人の研究成果が英国のNATURE誌で採り上げられたことが報道されました。
分子生物学の範疇の仕事でありましたが、その成果は、一昨年ノーベル賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授のiPS細胞との優劣を検討できるレベルの成果であると見做されました。

その日本人は理化学研究所の小保方晴子(おぼかたはるこ)さん30歳であります。彼女のこの成果は、理学に弱いと言われた日本の女性が、理系女子としての能力をりっぱに発揮できた見本として大いに評価できるというものです。


山中教授の開発したiPS細胞は万能細胞(人工多能性幹細胞)でありましたが、その処理の過程から、癌化する危険性がある、と見られています。
それに比べて、小保方女史の成果は、細胞が窮屈な環境(例えば酸性の液体中)にさらされると、万能細胞としての機能を持ち始めるという訳で、細胞が癌化する危険性が少ない、と見做されるのです。
彼女は、この細胞をSTAP細胞と名づけています。
この方法の一例をもう少し具体的に示すと次のようになります。


新型万能細胞のつくりかた:
たとえば二十日鼠(mouse)の細胞を37°C 、
弱酸性(pH5.7)の溶液中に25分間置く。次に遠心分離して上澄みを取り除く。
この段階で約20%の細胞が生き延びる。これで得た細胞を3日間培養する。そうすると、それの1/3程度がSTAP細胞になる。(参照:朝日新聞2014年1月30日)



という訳ですが、この研究については現在、世界の研究者が注目している段階だそうで、当事者にとっても、口を慎まなければならない状況のようです。
私は、癌化に関しても、外部からの刺激で起こることもあるので、一概に除外できないと思っています。

年賀郵便を大事に

1月1日、つまり元日の今日は年賀を受け取る日です。

私は子供のころから、元日の朝が楽しみであったが、ただ、前夜は夜更かしをすることも多く、朝目が覚めた時には、枕元に私宛ての年賀郵便が数枚置かれてあって、それを最初に見た者が自分ではなかったと分かり、ちょっと機嫌を損ねたりしたものでした。


しかし、年賀郵便の意味は、インターネットとの兼ね合いもあって、かなり、ぐらついてきたように思います。
個人から個人に情報を伝える手段としては、スピードとか手軽さの点では郵便よりもインターネットの方が優れており、それが今後どちらに向かうかは予測しにくいと感じます。

ただし、年に一度だけの貴重な通信であり、その葉書を一生大事にしたい、という向きにとっては、葉書の有難さが身に染みるのではないでしょうか。


私は職を得てから此の方、毎年250枚前後の年賀状を受け取り、あるいは発送しています。
人によっては、500枚、1000枚という人もいるが、そのような人は特殊な職業の人か、年賀状を増やすことを生きがいとしている人だと思います。
最近、私も、外国人や日本人からインターネットのメイルによる年賀を何通かいただくが、何とも実感がなく、困っています。
その瞬間には目を通すという意味では葉書の年賀と同じだが、相手が電子画像であって、いつ消えても不思議ではないため、実感の伴わない文書という事になるのでしょう。
幸か不幸か、これまでの所、インターネット年賀がどんどん増えそうな気配ではないので安心しているのですが。


今回発送した年賀状の中で、7--8枚が住所不明という事で戻ってきました。

不明の理由は、指定の住所は本人に該当しない、ということで、その理由は古い住所を使ったとか、最近住所が変わったとか、いうものですが、中には、2度出したのにだめで、3度目の訂正をすると、新しい切手を貼ってくれ、という注文になる事です。

確かに、年賀の住所は配達先の郵便局(他県の郵便局)で調べて、該当しなければ、発送先の郵便局に戻して、発送者に返す、という事なので、大変な手間になることは確かです。
郵便局に対しては、ご苦労様と言いたい所なのですが、発送者の受け持つ手間などを考えると、お互い様なのかと思うことも有ります。


私も最早若くはないのですが、今まで年賀をもらっていた方の何人かから、歳なので来年から年賀をやめますので、よろしく、という年賀が来ました。
相手の年齢は私よりも±5歳位の方たちです。
これは人によってもかなり異なり、私よりも10歳以上歳上でも、がんがん年賀をくれる人もいます。
将にこれは個人の人生観なのですが、個人的には私はこれからもまだまだ年賀を出そうとしております。


以上、年賀郵便の問題点の一部を抜書きしました。
いろいろ問題はあるでしょうが、これが実は日本、および世界に点在する仲間との関係をがっちりと掴むものではないかと信じています。

今後も年賀郵便を大事にして生きて行こうではありませんか。

達増拓也知事の面白さ

最近特に、岩手県知事達増氏のユニークな人柄に妙に引かれ始めています。
日頃私は、県知事とは、どちらかと言えば地味な職務だと思っていたが、今頃になって、達増拓也知事のユニークさに気付いたのです。

思えば達増知事は先日、10月28日に東京でお会いしたときに、私は49歳になったと言っておりました。
ただ、最近の新聞記事で、達増さんがマンガの話をよくするということを訊いていましたので、先日会った時にも、私はマンガのことを話題にしました。


振り返ってみると、私の子供の時代はマンガの無い時代でした。
特に年齢が9歳以下の時には、日本は戦争一色に染まっていましたから、本屋さんでマンガ本を買ったという記憶もなく、親が持っていた昔の本の挿絵などを見るのが精一杯のことでした。
その内に、大戦後の町にも本屋が出始めたのですが、本を買うことはなかなか出来ませんでした。

しかし、ある時、本屋で「宝島」というマンガを見つけ、これは英国のロバート・スティーブンソンが1883年に公表した子供向け海洋冒険小説だと分かりました。
そして、これの翻訳をちらりと見て、そのまま目を離せなくなってしまったことを思い出します。

これは少年ジムと意地悪な大人のシルバーとの争いだったのですが、最後には少年が勝つという物語だったのです。
これ以外の私の読書と言えば、今でも続いている誠文堂新光社の「子供の科学」位なものでした。


一方、達増知事の時代は、日本の出版物は本屋にあふれていましたね。

達増知事の岩手県に関するマンガの編集・出版活動は、平成23年1月のマンガの単行本「コミックいわて」(岩手県知事達増拓也編)の3万6千部の売り上げという成功から始まったのです。

ここでは達増拓也責任編集という謳い文句が功を奏したと言えます。
これは東日本大震災直前の仕事だったのですが、その震災後にも重要な成果がありました。

この達増知事が昨年、平成24年11月30日に、岩手県で取り組んだ「いわてマンガプロジェクト」が、法政大学から新機軸の政策を立案・実施している自治体として「イノベーティブ・ポリシー賞」を頂いたのですが、これは岩手県において、ソフトパワー戦略が有効であることを証明したものでした。


私の時代には、小学生はマンガを読んではいけない、などと言われた時代なのですが、達増さんを取り巻く多くの漫画家の中には優れた人が居るようです。
彼のもう一つの仕事である平泉の中尊寺の世界遺産化に伴う仕事の中で、「東北復興平泉宣言」を日本全国に広げるために、仙台市出身の漫画家荒木飛呂彦氏の協力を得ました。

荒木さんは、「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズの出版をしているのですが、この中で「ジョジョ立ち」する姿が面白いという事で、日本中で有名になっている方だそうです。
両手を開いて前につき出し、腰を右(左)に曲げ、片足を少し前につきだす。
この姿を人間や動物にやらせて、その奇妙な雰囲気を楽しむらしい。

中尊寺の初代藤原清衡公とか、フィギャースケートの浅田真央さんとか、時には猫ちゃんなどにやらせて楽しむのだそうです。
これも、ゆくゆく岩手県の成果となるのでしょうか。