短篇小説「偽善者の3つの願い」作者リニア 起承転結の計4話、<承の巻>



あれ?


なんだろう?


あそこに落ちているのはランプかしら?



アパートの自分の部屋に至る廊下で、擦ればアラジンが出てきそうなランプが落ちていた。


このわざとらしい展開をわざとらしいと気づきながらもわざとらしくランプを擦ってしまった私。


擦ってまだ何も出てきてないのに、願い事を3つ、頭の中で速攻で考え、妄想し始めていた。



ん?


何にも出てこない。



しかし、自分の部屋に入った途端、



ボワッ!


と煙が立ったかと思ったら、


部屋の中にはイケメンの魔人らしき男が立っていたのだった。


イケメンでなかったらすぐに部屋を出て警察に連絡をしていたことだろう。


この魔人さんは私のために来てくれたのだと自意識を過剰にして話を聴くことにした。


「こんにちは、ご主人様。ご機嫌うるわしゅう…。」


あら、本物の魔人だわ。変な言語で話しているのに、頭の中では日本語で理解できるようになっている。


「3つの願いを叶えられます。何から願いますでしょうか?」


一つ目の願いを言ったらそれを元に二つ目の願いになるのだろうか?例えば、永遠の若さを保ちたいという願いを言ったら永遠に若くなった私として次の願いが言えるのだろうか?それを知りたいと思ったけど、それを聞いたらおそらく一つ目の願いとして捉えられてしまうおそれがあるから言わないようにしよう。


いざ、3つの願いを聞かれると、前提条件や範囲指定が必要となりそうで、願いをするにも頭脳戦のごとく言葉に気をつけなければならない気がしてくる。


このイケメン魔人さんは涼しそうな顔をしているが、人間の欲の深さをどのように考えているのだろうか?私が「さらに10倍の願い事を叶えて欲しい」といったら叶えてくれるのだろうか?でも、30の願い事を言っているうちに論理矛盾を突かれて、とんでもない不幸な現実になりそうで怖い。


願い事は適度に具体的で、適度に漠然としていた方が良いのではないだろうか?


う~ん。一つ目の願いって難しいわね。早くしないとイケメン魔人さんが帰ってしまうかもしれない。人間の欲の深さを見て、もしかして人間に失望しているとしたら、私が何とかしなければ。そう、私は自意識過剰で偽善者なのだから…。


「それじゃ一つ目は、【世界のみんなが幸せになりますように】という願いでお願いします。」


「それはお安い御用です。」

と、にこやかに魔人が言ったかと思ったら訳のわからない言語で呪文を唱え出したのであった。



<承の巻>終わり


20代独身、OL

私はよく偽善者と呼ばれる。


席を譲るとか、人の為に行動する行為に「わざとらしさ」が漂うからなのかもしれない。



人の為に善と書いて偽善。


人は自分の都合でしか善が行えないはずなのに、偽善といわれるのはいささか心外だと思うときもある。でも、偽善でも善は善だと信じたい。どうせなら偽善を極めたいとも思っている。


ただ問題なのは、偽善ぶりが鼻につくような私の行為だ。善意に自信がないからだろうか?



いかにも人の為という雰囲気を醸し出し、また、ぶりっ子しているかのごとくわざとらしい私の行為に私自身があきれることもある。実際、周りの目を意識しているところがあり、内心、良く思われたい、感謝してもらいたいという思いがあることを告白しなければならない。


でも、人はみんな同じように偽善者なんじゃないの?


私は、負けず嫌いだから他の人よりは偽善者だと思っている。

同時に、自意識過剰さでも他の人には負けていないと自負している。最近では、自意識過剰を通り越して、自意識中毒くらいになっているのではないか?


実際は、誰も私のことなんか見てもいないし、気にしてなんかいないはずなのに、見られているとか、あぁなったらどうしようなど妄想し、被害者意識を勝手に持つことが多い。



自意識過剰で被害者意識を持つからこそ偽善者なのだろうか?いや、その逆とも考えられる。


にわとりが先か、卵が先か・・・。


自意識過剰が先か、偽善者が先か・・・。



まぁ、

どうでもいいことを今日も考えている。



<起の巻>終わり

毎日蒸し暑いですね~。


愛猫のツイてるちゃんは暑くても元気です。


近況と言えば、

最近、富士山に登ってきました。


5合目から登ったのですが、本8合目で

高山病によりダウン。頂上でのご来光を

諦めました。


体力はまだあるので、下山後すぐ回復

して、筋肉痛にもなりませんでした。



先日は

崖の上のポニョを観にいきました。


完全に子供向けですね。


メッセージ性がよくわからず、

なんだかモノ足りませんでした。


ストーリー展開も急で、ツッコミ

どころ満載でした。


映画館よりDVDで充分だと思います。



その他、

色んな人とお会いしたり、死生学を

勉強したり、メルマガでは毎週更新

しているのですが、ブログを書くまで

には至りませんでした。



明日から

最近作った短篇小説でもアップ

しようかと思っています。


それでは、また~。


5月30日の読売新聞朝刊に「宗教観」についてのテーマで記事がありました。


何かの宗教を信じている人は26%

信じていない人は72%

という数字でした。


信じていない人が7割というのはだいたい見当がついていましたが、
この7割の中から「どのような時、宗教を信じたいと思うでしょうか?」
という質問があったらどんな数字になるのか気になります。
(「宗教を信じたくない人」っていう数字も気になりますよね。)


宗教が日常生活から必要とされなくなってしまったのでしょうか?


私は特定の宗教を信仰していませんが、宗教の必要性は信じています。



幸せになるため、心が健康になるために宗教があるのだと思っていますから
自分の心が健康になるための健康法やサプリメントだと考えると宗教は、選
択肢としてなくてはならないものだと思っています。


たまたま、私は今、心が健康だと思っているから宗教が必要ではないけれど
健康を維持させるために必要だと思ったら宗教知識のつまみ食い?を始める
かもしれません。

でも、もしかしたら心療内科にお世話になるかもしれませんし、温泉にでも
入って心を健康にするかもしれません。


結局、日本のようにある程度成熟した社会では、心を健康にする方法がたく
さんあり過ぎるから宗教という選択肢にまで届かないのでしょうかね?


サプリメントを摂る様に宗教に触れる機会があってもいいような気がします。


また、「そんな社会になったら…」と色々楽しく想像してしまいます。




それでは、また。




※ちなみにこんな数字も…。



死んだ人の魂については、「生まれ変わる」が30%で最も多く、
「別の世界に行く」24%、「消滅する」18%とこれに続く。


数字は一つの参考にしつつ、自分で選べるという楽しみを持ち、また実際に
ご自分で決めちゃうのもいかがでしょうか?


私は「別の世界に行った後に必要とされたら生まれ変わる」と

今は思っています。

先日、初めて「駐車禁止」のステッカーを
フロントガラスに貼られてしまいました。



「やられた…」

「ちくしょ~警察め!」



と、自分が駐禁という罪をおかしたにも
関わらず、ひとしきり悪態を独りごちたのです(反省)





「いつも警察が僕に何をしてくれているんだ!」



と、考えたところ思いつきませんでした。





そこで、私のサービスビジネスの師匠、ベルテンポの

高萩社長のセミナーで聞いた言葉を思い出したのでした。







「サービスをされたとお客様に思わせないサービスの良さ…」









 警察はサービス業ではありませんが、防犯をサービスと
した場合、警官は上質なサービスを提供しているのでは?と
考えるに至ったのです。



私の車が駐車してあったがために事故や迷惑につながるとしたら
それを防ぐプロとしての仕事があるわけで、警官は地域や街、
そこに住む人々へのサービスをしていると言えます。





「あ、やっぱり僕が悪いや…」

(でもなにもあの時に切符を切らなくても…笑)



と、納得?できたのでした。





警官から直接サービスを受けた覚えがなくても、しっかり
プロの活動をしている警察官。





多少悔しくても学ぶところはあります。

(駐禁代が授業料か?笑)




でも、警察と仲良くなるよりも、コインパーキングと

仲良くなろうと思っています。(笑)



皆さんも駐禁にはご用心を!





それでは、また。