悟りへの道 -2ページ目

悟りへの道

今にある 
-笑う門には福来る、有難いことに気づく人は幸せである、後悔より未来へ1歩、いいんだよ-
仕事、本、感じたこと、学び、今は、悟り的考え、等いろいろ書いています。

悟り的視点がもてる効用のようなことを

書いてみたい。

 

親の介護問題、

先日、家族間で意見の食い違いがあった。

 

 

 

 

昔なら、

相手はどうしてこうなのかと思い、

 

イライラ、不満、落ち込み、怒り、etc.で

ストレスで気分は憂鬱、

 

しばらく

負のエネルギーがたまりにたまり

それを放出したいような

うまく放出できないような

無意識だが、不快さ執着していたと思う。

 

 

 

 

それが悟り的視点が持てるようになった今、

まずは落ち着いている。

 

じっと状況を上からみて、

 

視点が違うので、色々な気づきがあり、

結果、よい対処法が浮かび、

 

反芻も執着もすくなく、気分の切り替えも早い。

また次のことに取り組める平安。

 

相手が悪いとか、

ひどいことが起こった、

のようにとらえない。

 

どう対処しようか、

何が大事か、

どんな気づきや学びが必要か。

 

結果、1つ成長できた経験になるな、といった捉え方。

 

 

 

 

例)

 

いやいやいや・・・まてよ

 

相手をものすごく批判する思考がでているな

 

わーわー頭の中でいいはじめ感情の出かかり

気分も下がりかけている

 

巻き込まれには気を付けてと、何が大切か・・・

 

みな意見や常識が違う(モノサシ)

 

あっ、相手の立場からしたらこういう気持ちかもしれない

 

そうか、”相手が悪い、相手は変われ”は、やはりない

 

今、そういう状況が起きているだけで、

自分がどうするかだけなのだ

 

この状況に対して

自分が取りうる選択肢のAを選ぶかBを選ぶか

どちらに覚悟を持つかだけだ

 

 

 

 

 

と、冷静に対応。

 

こんな風に対処できる。

 

 

 

 

 

ただ、

時折まだ、

一瞬のうちに思考・感情に巻き込まれそうになることはある。

 

少々巻き込まれたり、

感情がでてもいいが、

ただ、出ただけ、とわかっておき

それを眺められていることが大事かと思う。

 

 

 

 

****************************

余談だが、

ふと頭に浮かび書きたくなったので書いておく。

 

 

 

釈迦はその気づきを伝えよと夢で言われ、

ある賢者は人々が幸せになるのだから伝えなければと思い立ち、

 

賢者たちの話と比べておこがましいのはご容赦いただき、

 

私もブログで少々悟り的視点について書いているが、

まだまだとの思いがあった。

 

そう思いがちな性格傾向が大いにある。

 

以前の自分に比べたら

ほんとうに楽になれたのだから、

役に立つものは必ずあると思う視点をもつことが大切だ。

 

また、相性というものもある。

私の言葉だから、理解しやすいという人もいるだろう。

 

身近な人から聞ける利点というものもある。

 

富士山でいう5合目まではきたのだとしたら、

経験者として、富士山登頂初心者の人にはアドバイスできるこはあるはずだ。

 

完璧じゃないと、まだまだだと、

完璧主義、勇気がない、性格とも気づけた。

 

 

 

思いの発露があったときは

天が役に立ちなさいと言っている時だと思いたい。

 

 

 

 

 

どうでもいい独り言。

 

facebookを見ていると

友達では?ということで

おススメがでてくることがあると思う。

 

 

 

なんと、今回、

つきあいのある業者さんの私生活、

親戚複数人のアカウントらしきものが

複数表示されていた。

 

知らなくてもよいことを知らされた気分である。

といいつつ、クリックしたのは自分だが。

 

 

 

特に親戚Aさんについて。

 

グルメの親戚とは思っていたが、

インスタ映えする華やかな食事を通り越し、

 

見たことのないような

彩り、高級感のある食事の写真が次から次へと。

 

調べると、1万円以上のランチ、夜は数万円以上が

あたり前のようだった。

 

 

 

それだけの原資もあるのだろうが、

何よりも

食に、時間とお金をかけ、興味があり、エネルギーをそそいでいるんだなぁと思った。

また、芸術にも関心があるようだった。

 

 

 

私が、悟りとか初期仏教に関心があり、

時間もお金もエネルギーもかけているといったら、

不思議そうな顔をされるのかもしれない。

 

 

 

ひとそれぞれの人生があるんだなぁ、と

あらためて思った。

 

 

 

若干、自分もそうすべきでは?という

思考がでかかった。

 

そうしたいと思ったらそうすればいい。

 

もっともっと自分ももっとの欲かもしれない。

 

いったん思考をみつめてみてから

決めればいい。

 

 

 

 

今の私は、より悟り等について知れたら嬉しい気持ち。

 

でも親でも連れて、

たまには食べたこともない美味しいものを

食べにいってもいいかな、という気持ちにはなった。

 

その時は、

親戚の記事でおいしそうなお店を参考にさせてもらおうと思う。

 

 

 

 

仕事用のホームページを更新。

 

アップロードしようとしたら、

FFTTPソフト表示がおかしい。

 

 

 

他のPCに

FFTTPソフトをダウンロードして

無事、アップロードできた。

 

 

手順

●FFTTPソフト ダウンロード(bitに合わせて)

●サーバーよりFTP情報用意

●FTP情報入力し、アップロード

 

 

 

参考にさせていただき、

とても役に立った動画とURLを記載しておきます。

ありがとうございました 

 

FTPソフトのインストール・設定方法↓

 

 

ロリポップのFTP情報の見つけ方↓

 

『煩悩の教科書 あなたも菩薩になる 』

荒 了寛 , 苫米地 英人

 

 

煩悩の教科書 あなたも菩薩になる

 

 

 

 

 

 

この本を今読んでいる。

 

荒和尚は、ハワイにて天台宗を広められた方。

苫米地さんは、荒先生を師匠と仏教を学んだ、

そういう関係での共著らしい。

 

以前この本の中の「慢」についてふれた。

 

 

 

 

 

 

 

あらためて最初から再読すると・・・

 

いろいろな悟りや仏教関連の本はあるが、

学問としての仏教と荒和尚の人としての深さからか

大変分かりやすいし心に入ってくる。

 

分かる!と思っても人間すぐに忘れるので

何度も学ぶ必要はあると思ってはいる。

 

 

 

 

 

特に、P.52からの

「すべては3つの煩悩からはじまる」

 

3毒の貪瞋痴(とんじんち)の解説は、

今までの認識と違う視点も入っており

なるほどなぁと思う。

 

 

 

 

人は自分の心の動きを何も見ずに

無意識で過ごしているものだ。

以前の自分は、その最たるものでした。

 

同化し、巻き込まれまくり

「この苦しみはなんなのだろう」

とよく思っていた。

 

 

 

 

この本のように、分析・解説されると

はっ! とした気づきというか自覚のようなものが生まれる。

 

同じことを自分がしたときに気づきやすくなる。

 

 

 

 

よい本をありがとうございました。

万物に感謝、ありがとうありがとうありがとう。

 

 

煩悩の教科書 あなたも菩薩になる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

苦しみや不満足について。

 

 

 

人が他人に不満足になる時って、

 

・〇〇 された

・〇〇 してくれなかった

・〇〇 であるべきなのに、違う

 

という思いがある気がした。

 

 

 

その裏には

 

〇〇 しないのが、  当然

〇〇 してくれるのが、当然

普通は 〇〇 なのが、  当然

 

という価値観(モノサシ)がある。

 

 

 

自分の希望と違う状態でいてはいけない、

自分の思い通りの他人であってほしい

 

という欲がある。

 

 

 

 

 

結局「基準は自分」にあるのだ。

 

自分の価値観で、

相手が〇〇を「しない、した」と

その良し悪しを判断している。

 

 

 

そして「自分の基準は正しい」と信じており、

そうでない

という視点もないし、

一切気づけない。

 

 

 

この話は、

 

だから他人は悪くない、

他人を許せ、

 

ということではない。

 

 

 

 

”怒る” 必要はないということ。

 

 

 

自分のモノサシに気づき

 

自分の基準と違っていただけ。

そこから何を学べるか、

そこから何を工夫していけるかか、

 

考えることが大事なんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

繰り返し言葉を変えながら

下記が

主な 苦の原因 と考えてきた。

 

自分でも油断して生活していると

巻き込まれているので時々復習を兼ね書きたい。

 

 

・モノサシ

・欲

・比較

・自己価値観

・知らない

・勘違い、思い込み

 

 

具体的に言うと

 

・価値観、常識、正しさ、普通はという思い、こうあるべきという思い

・欲しい欲、避けたい欲、思い通りにしたい欲

・今より人より以前よりもっと or 手に入れたものは手放したくない

・自分は価値がある、勝っている、認められたい、嫌われたくない

・無知、経験不足、視野が狭い、抽象度が低い、などのその時点の実力

・完全に勘違いしていて、本人は思い込んでおり、事実でなくともそう見てしまっている

 

になると思う。

 

 

 

 

 

 

最近思うのは、

 

本当に上記のモノサシ等の事項が

つくづく苦の原因になっていると思う。

 

相手が悪いとか、世間が悪いとか、自分が悪いとか

ではなく、根本を見つめないといけないなぁと。

 

 

 

 

また、自分からモノサシ等で積極的に判断しなくても、

” 思考をみつめず油断” していると

 

それらモノサシ、比較、欲の気持ちなどが容易に起こり

妄想しはじめてしまうものだなぁも感じている。

 

 

 

いつも入れ忘れるが、

「 ”思考をみはりとらえる” ことをしない」

 

つまり、思考を自分だと思い

「思考と同一化している」

 

のも大きな苦の原因になっていると思っている。

 

 

 

 

今まで読んできたブッダ関連の本には

あまりでてこないように感じていたのは

 

「自分をみつめる」

 

というような書き方をされることが多かったからのように思う。

 

 

 

 

 

・モノサシ

・欲

・比較

・自己価値観

・知らない

・勘違い、思い込み

 

に加え

 

・思考を自己と同一化している(思考を見張れていない)

 

に気を付け、また歩んでいきたい。

 

 

 

 

先のブログで「慢」について書いた。

 

自分はスゴイと思う心。

 

 

 

 

今日、

「慢(まん)」に似ている

ある心の動きを見ることができた気がした。

 

それは、

自分は得るべきだ得てもいい、という思い。

 

また、

自分のことは大目にみてしまう、心。

 

そして、

人は批判し、自分ならできると思う、心。

 

さらに、

人がより得ることに、嫉妬する心。

 

加えて

自分へ承認が欲しい、好かれたい(その逆は嫌)という、心。

 

最後に

無関係なようだが結構大きい、

他人へ過度な期待をしてしまう、無知な心。

 

 

 

 

 

例えば、

己についてはこんな風に考えたりする。

 

自分は、努力したなら、〇〇を得るべきだ、当然の権利だ

自分は、努力していなくても、〇〇を得てもいい存在だ

 

自分は、正当、公平、に評価される得るべきだ

自分だけは、少し正当さ、公平さに欠け、高めに評価されてもいい存在だ

 

 

 

 

 

一方で他人についてはこんな風な思いを抱く。

 

他人は、努力していても、〇〇を得たら、ズルい

他人は、努力せず、何か得るならば、さらにズルい

他人は、どちらにしろ自分より得るのはねたましい

 

 

 

 

また、他人に、

あれはよくない、ああすべきでない

自分だったらしない(自分だったらこう出来るのに)

 

という思考がでることがある。

 

でも、過去をよく振り返ると往々にして

自分もしていたり、できていなかったり。

 

改善の手助けするならまだしも

相手へのさげすみで、優越感で終わらせることもある。

 

 

 

 

「期待と無知」は、

つい見逃してしまいがちだと思う。

 

人は他人みなに

自分を認めてほしいと思っていたりする。

 

だから、

否定されたり好かれないと

悲しみ、反発する気持ち、怒り等が出る。

 

しかし、

人はみな違い(境遇、モノサシ、好き嫌い等)

 

評価する基準

好きな人の傾向がそれぞれあり

 

全員から認められたり、

全員から好かれることはない。

 

また、相手の段階により

自分の価値を相手が見えないこともある。

 

それらを知らないから、

きちんと智慧として認識しきれていないから、

期待を他者にしている。

 

期待が満たされないゆえ不満をもってしまう。

 

もつべき期待でないという智慧があればよかったが

智慧がなかったので、不満思考をもってしまう。

 

他人にあり得ない期待をもち、、智慧がない無知な状態。

 

 

 

 

 

 

 

これらを「慢」のように一言で表すと…

今考えた造語だが、

 

「慢(まん)」:自分はスゴイ、他人は大したことない

「得(う)」: 自分は得て当然、得るべきだ

「盲(もう)」:己は大目にみる、有るとさえ思う

「判(はん)」:他人を判断し己の優越をえる

「嫉(しつ)」:他人の幸福への怒り、嫉妬

「賛(さん)」:己を常に認められたい、否定は嫌

「期待と無知」:(そのままの意味)

 

 


無意識に生きていると

 

これら他人への

「慢、得、盲、判、嫉、賛、期待と無知」の思考が

どれほどすぐ出ていることか。

 

 

 

 

思考を見張り、

生活を整え、

己を振り返り、

 

自己承認欲求のこれらが

 

暴走しないようにすることが大切だと思う。

 

 

 

 

 

<余談>

最後に、

 

貪瞋痴の”とんじん”については、

今までよく書いてきていると思う。

 

最後の「痴」についても

重要では、とふと思った。

 

迷い、無知、自分のことだけ考えている心、などと言われるが、

 

己に対する考えの無意識なクセであるように思うし、

それも大いに人生に影響を与えている気がした。

 

また学びを深め、平安な自分で世にも貢献していけたらと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

奇跡記録:(運がよい事の記録)

 

●植木

植木屋さんのプロの視点で植木がきれいになった

 

→ プロに依頼

→ 幾度か依頼先に失敗しても10回中1回はいい人との出会いがある

 

●ケガ

剪定の際、梯子から落ちる

骨折や枝が刺さるなどもなく

指一本の突き指ですんだ!

 

→ 本当についている

→ 私は運がいい、今日もいい日だと、さらに自己に刻む

 

●早起き

植木屋さんのおかげで早起きして仕事がすすんだ

忘れていた早起きしようと思えた

 

→早起きする

→すべきことに集中する

 

●できると思う心

銀行に行く時間がない、車も混んでいる

とあきらめそうになったが

完璧主義の考えを変え、7割できた

 

→細分化

→1割主義

 

●10割

自分が10割できないとあきらめがちな

思考をしていることに

あらためて気づけた

 

→完璧主義に気づく

→あきらめない

 

●家族へのアイデア

家族対応についてよいアイデアが浮かぶ

 

→投げ出さない

→1割主義

 

 

 

ありがたいことばかりで感謝。

夢がかなう私の人生、恵まれていてありがたい。

明日もさらによい日になります。

荒先生の本で、気になった言葉をメモ。

 

●最澄の名言を思い出す

「最下鈍の者も十二年を経れば必ず一験あり」

 

 

“自分にできる範囲のことを継続すること”

 

 

 

 

 

●荒先生の文章と同じではないが、

奇跡のリンゴ 木村さん が

以下の趣旨のことを言っていたという。

 

「稲づくり。

稲は自分が作った!

という自分だけの手柄という気持ちが人にはある。

 

稲を植え、田んぼを整えるなどはしたかもしれない。

果たしてそれだけで育ったのか?

 

水、

土、

虫、

太陽、

微生物、

風・・・

 

自分の力以外の

自覚のない

これら多くの力があったこそではないか。

 

そのくらい人間は、

 

自分がやった、

自分一人の手柄だ、

自分の力だけで今の自分の成果がある、

 

と傲慢に生きている。」