「自由意志はない!」
と言い切っていたラメッシ。

昔は、それが知りたくて
大事にしていものの
意味がさっぱり分からなかった本だった。
また読みたくなって目を通した。
言っている意味が分かるようになっていたが、
まだまだ日常、
巻き込まれていたなぁと思う。
つまり「私」という存在中心に生きていた。
ブログでは「私」を意識的に登場させている時もあるし、
「私」に巻き込まれている時もある。
自分はいない、
全ての感覚や思考、世のことは
わきおこっているだけで
それを眺めている意識が自分。
この巻き込まれは、
悟りと縁がない人、以前の”私”が100%だとしたら、
今の”私”は20-40%ぐらいか。
賢者は限りなく0%に近いのだと思う。
まだ読み始めだが気になった部分。
・御心のままに (すべて明け渡す、”自分”と思っているものにできることはない、プログラム通り=神の意志どおり)
・創造されたものは無力、と完全に受け入れることが肝心
・出来事は起こり、行為はなされるが、そこに個々の行為者はいない by 仏陀
・誰が悟るかはプログラムされており、神の意志によって決まる
・あなたはどんな罪を犯すこともできないし、称賛に値する行為を行うこともできない。あなたの原初の理解は無知によって曇らされている。(「あなた」という存在もいないが、この表現は、理解者の段階までおりてきてあえて使われている)
宮本武蔵は「鍛錬」をこのように表現したという。
「千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす」
千日は3年、
万日は30年、のこと。
悟りへの道も「鍛錬」の日々と心したい。
またみなで幸せに🍀





