ヤッタ者勝ち

いい時代だね、言った者よりヤッタ者勝ちの時代の再来だ!今の時代は勉強した奴より好きが高じて仕事にした奴でも成功のチャンスがある―――、恋や情熱は褪めても好意は永久の勝者だとある詩人はいったが同感ですね。気持ちさえあれば何でも作れる環境はそこら中に存在しているから資金さえ有れば誰でも小さなメーカーの一つや二つは設立可能―――、ところが運営というとまた事は別な話でそこには絶対的にセンスが必要な訳ですよ。 これがねぇ大問題なのですョ・・・。 へたにやれば大恥かいて、うまくやったらツキだと言われ自分の才能に気づくまで10年はかかる。若い才能の持ち主達!君達のチャンスは一度だけだよ、たった一度しか成功はできないのだからな!
足元にある今をヤル。

ぼくの友人でUという男がいる。彼は東京出身だがいわゆる一身上の都合で北の地へ―――、慣れない地方都市でそれはそれなりに地元の洗礼を地味に受け止めながらジッとチャンスを狙っていた。「空想は力学を持った確かな存在」の言葉通り自分の未来を知っていたのだ―――。 小売業と言うモノはほんとうに難しい、ぼくには理解出来ない「コツ」があってその「コツ」には自身の性格とモノと金に関するシステムの理屈みたいなものが大きく関与しているかに観える。 もの作りが正業のぼくには多分店舗の運営は成功しないと確信する。「餅は餅屋」のたとえ通りに彼は成功し、やがて大成功するに違いない。そう、出来ない事はどんなにカッコつけても出来ないのだ。自分に出来る事の発見と実行と継続こそ社会に対する大儀だと思う。ぼくは今をヤル。
貧乏人と金持ち

誤解を恐れずに言うならぼくは怠け者の貧乏人が一番カッコ悪いと思う。そして二番目にカッコ悪いのが金持ちだが英国貴族みたいな真の金持ち(貴族には貨幣という概念は無い)の事ではない。テレビで趣味の悪い豪邸や家具、さらには乗れもしないスポーツカーや「家族」まで見せる奴の事だ。 寺山修司は思い出せる奴よりも忘れられない奴になりたい・・・と言ったが同感である。ぼくは「貧乏人の怠け者」は経験あるのだが金持ちの経験は幸いにない―――、金は稼げるが持った憶えも無いし持ちたくも無い、しかし遣いたいのだ。だから稼ぐ事に恐れも疑問もないでいる。 社会へ放り投げながら回収し、また蹴って手放しながら人生に質問を繰り返す―――、いったいオレは何の為に生まれてきたのか?答えは無いと解っていながらもとにかく偉大な質問を持ち続けている。 自分という宇宙の中で。