Mr.REDMOON 後藤惠一郎オフィシャルブログ K-GOTO'S EYE Powered by Ameba -2948ページ目

亀田史郎氏(亀田道場)を訪ねて。



空手家(元極真会)山崎照朝先生の粋な計らいと亀田家専属カメラマン ヤナガワ・ゴー氏の紹介であの!亀田史郎氏にお会いした(亀田興毅、大毅、和毅の父)。 場所は亀田道場(スポーツ記者も入れない亀田家の聖地)だった。亀田兄弟は練習の真っ最中(スパーリングの時だった)であったが終了後亀田家はぼくを温かく迎えてくれた。 背広にキチッと着替えた父とヤナガワ氏とぼく等は食事に向かい、そしてごちそうになってしまった。3時間位お互いの話をし合う中で共通の考え方、生き方、現在がオーバーラップして二人とも興奮する自分を抑えながらやがてお開きとなった。 父は正直で冷静で上品な男だとぼくは思う―――、ぼくもそうだがただ少し彼も裸で道の真ん中を歩けてしまうのが他人には疎ましく、また怖いのだろう。 体を張って世に出る男の姿は実直で情のある優しい人の形に見えないのはなぜだろう?亀田史郎と亀田興毅を語る前に亀田道場へ評論家(コメンテーター)達は行くべきだ!そしていつも言葉だけで世間を渡る自分らに恥じて是非体を張って正道を歩いてもらいたい。風評によっては人の命も奪いかねない現代社会に警鐘をかき鳴らしているのは亀田家だけではないのに彼等だけが体制の的になる事に大きな疑問をぼくは持つ。

人生の事件



長く短い人生というのは時間のマトリックスの中で様々な体験をする・・・、とりわけ大病、極貧、懲役または成功など「人生の事件」に遭遇した時人は奇妙な感情を知る。 言い方を変えれば「何かを見てしまう」のである。そしてこの時人は変化、または進化するのでありここが「勝負」の「時」である。 人として、男としても真価はココで現れるのだ。ぼくの知る身近な人々もそんな経験を過て「看板」を両手にかかげながら生きている。残念ながら一度も「カラダを張らず」に何かあると逃げの一手でかわし、その度にカッコイイ言葉でごまかしながらどんどん情けなくなる奴もいる・・・こんな奴にインタビューして雑誌に載せる奴等も同胞だろうが誠に残念だがかつてのぼくの弟子(従業員かな?)である。 「一度ぐらいはカラダ張らないと見栄えがいいのも 罪になるヨ」男の末席も汚せない。

ある天秤の法則(相互リスク)



最近おもしろい事に気づいた。物販だろうが飲食だろうが、ホテルやレジャー産業に至るまで・・・法則があるのだ。それはたとえば店と客の関係は同じレベルの人間関係で成立しているということだった。 あるレストランは有名な今時店だが、スタッフのホスピタリティーがまるでなっていない!・・・料理も値段に合致せず客層も悪い。また、ある老舗のレストランはスタッフのプライドが前店とはまるで方向性の異なるベクトルで「さすが」の一言であり、しかも味と価格のバランスは充分な満足と納得のメーターは絶妙な指針で金を出させてくれる。 これらはトップの「力量」が結果的に評判を突き抜け売り上げに影響し、店の存続に関わる重大な局面に繋がる危険性をはらんでいる。他人のフリを見て我フリを直すようなこの思い・・・ ぼくもトップとして充分な注意をしてユーザーの方々に満足していただかなくては―――、だがしかし、まれではあるがあまりに理不尽なユーザーのクレームが事実ある。ぼくは思う・・・何にしても限界がある、そして限界を超えればお互いがリスクを持たなければならない現実がある―――、出来ればそんな徒労をぼくはしたくない。

元極真会チャンピオン 山崎照朝先生と久々にお会いして感じた事。



人にはそれぞれ考え方というものがある。流儀とかイズムとか―――。考え方が相異しても必ずしも敵では無く、一致するとて味方でも無いところが人間関係ではないだろうか。 仕事していると様々な人間関係の局面に遭遇し、一喜一憂を体感する事で我々は社会を識る。知らぬが楽な人生も愉しいだろうが知って厳しい人生の方がオーソドックスではないか。 人が争い殺し合うのは生きるためと言うよりは本来の闘争本能に火がつきっぱなしと理解したほうがシンプルであり、男にとって「力」の価値は永遠に揺るぎないDNAの基本原理に他ならない。表現の方法は違えどみんな持論をはためかせながら道程を刻み根を這わす―――、咲く花をどれだけ具体的にイメージしたかで実現の可能性は大きく変化するという。咲いたとて他人には見えぬその花は自分だけのモノ、きっとこの花を「ロマン」というのかな。



プロフェッショナルの条件の中に「顔」と言うものがあると思う。いちばん分かりやすい風格の事だが、例えばロックスターにはロックの顔がある・・・ミックジャガー、ロッドスチュアート矢沢永吉しかりで、特に俳優、役者の顔は「命」であろう。 それぞれに男として責任を持つ上で言いかえれば「顔」はウソをつかないのだ。エセは顔つきにどこかインチキくささがただようし、政治家などは美男子では逆にウサンくさいものだ。 この場合、善と悪の話では決してなく、様々な職業上の顔の事なので誤解しないでほしい。また、善と悪を「顔」で見分けることは絶対出来ないので、顔で判断するのはきわめて危険であるからさけてほしい。 ところで男の顔は「履歴書」、女の顔は「領収書」といって男は前記の通り・・・女は「幸せ度数」が顔に出てくるらしいのでそこはよく観察しようではないか。