権力闘争(党争)

今朝のスポーツ紙に暴力団の抗争記事が載っていた。恐ろしい事に銃器発砲による殺人事件に発展したのだった。 折しも政局は自民、民主の参院選を控えた前哨戦(愛知知事選)後の一騎打ちの最中で社会裏表共に最大勢力同士の権力闘争が同時進行で繰り広げられる様相を呈し帝都(東京)は戦場と化している。当事者達はさしずめ当面の間「戒厳令の夜」を余儀なくされ、その精神的重圧はそうとうなモノであるに違いない。 事の大小は別として我々は我々の世界で似て非なる思いを体験し、一喜一憂するのである。社会は常に男達の凌ぎの現場なのだ。権力を持つ事は豊かさの所有と同時にもっと男の本質に近い「生き物」としての生存本能に帰属しているように思えるのはぼくだけではないはずで、そう思える男達だけが戦う資格を有するのだと断言する。
鋭い眼

ロードサイドの小売り屋の衰退には原因がある。大手の進出、町全体の不活性化、景気など―――、RMが創業されたアメカジ(?)全盛期('93)をピークにあった町のカジュアルショップも現在は生き残りを賭けた戦いの過渡期であり、残念ながら消滅を余儀無くされた店も多い。現実である。 本人達にすれば本当に厳しい現実であろうが、ハタから見れば「間違い」であり、誰でも経験する失敗なのだ。 ぼくのいる世界での小売り屋の「間違い」は小売業の在り方を勘違いしたところにある所が多く、メーカーの作るモノを評価し、付加する事をオリジナルと称してOEMしてしまった事だろう。 小売り屋は小売り屋、メーカーはメーカーであるのにと思うが本人達はデザイナー兼商品プロデューサーだと思っているところが情けなく、カッコ悪いのだ・・・そして売れ残る。 大手のセレクトだって一番残すのはSHOPオリジナルであり、SHOP別注なのだ、それはそうだろう。これらの商品には基本的に開発コストがかかっていないから商品にオーラが無く存在感がウソ臭い、ユーザーの眼は金を出す鋭い光を持つことを忘れてはいけないのに。
大きなカン違い。(店は客のものだ)

お店とはマーケットである、市場と言えば分かりやすい。戦後の闇市の単なる進化系にすぎないとも言えてモノ(メーカー)と客達の夢の生活現場であり、本来囲いはジャマである。中心的要素はアベニュー(径)であるからモールが主体となる現代流通形体が成立している。 ロードサイドの大きな衰退(一部)と誤りはこの辺りが要因となるのだろう。野中の一軒家はやはり厳しい!人は道をたどり都へ上るのは世の常、ローマ帝国もまず道ありきだったはずだ。 店主は店を自分のモノだとカン違いしている、モノも客も店主のモノではない、買いとったからとて店にならべれば公物であるとぼくは思う。 店主のモノはただ一つ、レジスターだけであるということだ。