★責任の所在
あっという間に3ヶ月の育休も明け、年末。ライフステージが大きく変わった2021。喜びと戸惑いと楽しさと。京都でメンズ忘年会。寒いわ。。。久々の京都は快晴。歓迎してくれる街。すくすく娘。対面バギーから外向きデビュー。過ぎ去った時間は取り戻せないからこそ今のどの瞬間も見逃したくないよ。わが子を愛しく思うとき、僕の中の愛の深さを知りました。わが子にイライラするとき、僕の中の愛が減らないことに気づかされました。他を見て自分をまた一つ知る。結局のところ、周りは関係ないんだね。矢印は一周回って自分に戻る。トランスで生まれたことで、心と身体の性が一致しないことで、深く長い葛藤があったことを思い出した。「何も悪いことしてないのに」その葛藤は、まるで罰を受けているかのように思えた。普通とは程遠く、努力をしてもどうにもならない憤り。悪いことなんてしてないのになぜ。行き場を失ったその責任の所在。誰も悪くない。何も悪くない。そんな中でも小さな幸せを見出すことはできたはず。同じ太陽の光を浴びて、四季の美しさは目の前に絶えず「あった」のだ。周りの人の愛、世界の優しさ。もがく苦しみの代償を求めて、責任をどこかにぶつけたくて、誰かの何かのせいにしたかった。心と身体の性の不一致があってこその完璧な僕なんだと理解、納得するまでに40年近くかかったよ。結局のところ、今という与えられた幸せを見ようとしなかったのは僕。死んだように生きることを選択したのはまぎれもなく僕だ。責任の所在は悔しいことに僕自身にあったのだ。その事実に愕然としたが、その失望の大きさこそ、今を大切に生きようとする進化した僕を生み出した。どんな世界に生きることを選ぶ?どんな気分で今を生きる?全部選べるのだ。これまでも当たり前にあった陽の光や風の匂い、四季の移ろいに感動し、家族や友人との時間を心底大切に思える自分にHUG。目の前の現実は何一つ変わりはしないのにまるで違って見える景色。僕の人生の責任は僕にある。僕を笑顔にできるのは結局のところ僕だけなのだ。それを解せたとき、僕の鼓動は再び動き出した。