9/2(木)00:36 第一子長女誕生。

おかげさまで、
母子ともに健康です。

入院は前日の早朝でした。
睡眠の妨げになってはいけないと
午前0時から5時までの前駆陣痛を
ひとりで過ごしてくれた妻。

6時に病院へ送り届け入院が決まり、
8時ころ僕は一時帰宅。

僕は妻と話し合い、
9/4から育児休暇を3ヶ月申請した。



男の育児休暇なんて名ばかりな所も多いのに
推奨してくれる会社と
共に働く先生方には
本当に恵まれている。

感謝でしかない。



出産予定日が8日だったので、
多少前後するだろうと有給も含め
少し早めに設定したのだ。

でもその日は早くなった。

引き継ぎもあるのにどうしよう。
みんなに迷惑がかかってしまう。
予定が狂ってしまう。
やらなければならないことがあるのに。

休暇はもうすぐそこなのに。
さらに迷惑かけてしまう。



そんな当たり前に湧き上がる罪悪感も
そこに隠された本音も知ってる。

百回は
思考が一度持って行かれてしまうけど、
僕は自分に問う。

そばにいるのは
今でなければいつだ?

本当はどうしたい?

自分に問うという訓練の賜物だ。
それで僕の選択は変わり、行動も変わる。

そんな問いの答えは簡単なはずだが、
僕自身にはとても勇気のいることであり、
まだ時間がかかること。

妻は静かに
いつも待っていてくれる。





僕と妻は
コロナ禍でも立会いが可能であろう
個人病院を選んだ。

分娩室での立会い13時間。

絶え間なく来る陣痛のたびに、
腰やおしりを押したりさすったり。

少しでも
痛み緩和の一助になりたくて。

合間に、
家族や友人たちの声を届ける。

みんなが待っていてくれていること。
祈ってくれていること。

陣痛の感覚がだんだん早くなってくるのに、
痛みはどんどん増していく。

休みがない。
休みの時ですら痛みは続く。




少しの合間を見つけては、
僕らはハグをした。

妻は少し呼吸を整えて
またリングに立ち向かう。


まるでボクサーとセコンドみたい。




ただそばに居ること。
ただそばで見届けていること。
それってすごく力になるらしい。
安心というとてつもなく大きな力に。



おっぱいと子宮は連動していて、
助産師さんがおっぱいマッサージをしてくれると
陣痛も促され、さらに痛みも増す。




長丁場になってきたと
促進剤投与が再び始まる。
妻から笑顔が消えていく。






8時間を過ぎたころ
妻の体力が
どんどん奪われ底をつき始めてくる。

僕の体力も底をつき始めてくる。



助産師さんが僕に声をかけてくれた。
交代してくれるというので、
近くのコンビニへご飯を買ってもどる。
分娩室で食事を摂る。




目の前で泣きながら苦しむ姿は
変わらずそこにあり、
死闘という言葉しか思いつかない。




それもそのはず。
妻はこの時点で30時間起きているのだから。





指の疲れ、
眠気、
手首の腱鞘炎、、。

そんなことちっぽけではあるが、
僕にとっては一緒に闘っている証に思えた。






叫ぶ声すらエネルギーがもったいないと
呼吸法を促す助産師さん。


最後は吸引にて赤ちゃんを引き出す。

陣痛の上、
麻酔も吸引器も全てが痛みの連鎖。









僕はもう見てられなくなった。








ただそばに居ること。

苦しむ姿を見るのは辛いつらいツライ。




最後のひと踏ん張りを繰り返す妻。




妻の肩に目を覆い、
ガンバレと、
か細い祈りを送る僕。






その空気を打ち破るゴングは産声。






取り上げられたばかりの我が子を
胸に抱く妻と
渡されたハサミでへその緒を切る
案山子の僕。





目を覆いたくなるこの光景を
忘れっぽい僕でもきっと生涯覚えているだろう。




この長きに渡る死闘を、
ひとりで乗り越えるママも多いというが、
僕は無理言って仕事を休んだ
自分の選択を心から良かったと思えた。




どれほどの苦しみと痛みがあったのかを
理解するには、
その場にいないと僕にはわからないから。



見たからと言って、
本当の痛みはわからないんだけど、
見ていなかったらきっと
もっともっとわからない。







妻とともに手袋をはめ、
胎盤から伸びるへその緒、
着いてる位置もそれぞれ違うらしい。
赤さんを包んでいた卵膜も触らせてもらった。






助産師さんは簡単な言葉で
丁寧に説明してくれた。





神秘としか言いようのない自然の産物は、
グロさなんて1ミリも感じさせない。




むしろそれらは
なにもかもが完璧で、
生命そのものだった。




ようこそ地球へ。

ようこそマイファミリーへ。





そして何より、
妻へお疲れ様とありがとう。

退院したら、
お寿司と焼肉だねと言って笑う。




写真撮影があるのが今時。
思い存分撮ってねと言われる。
撮影もしてくれる。





分娩室から妻の実母へビデオ電話。

ゆうに深夜1時を回っていたが、
やはり起きていた。
それでこそママだと思って嬉しくなった。
喜び、誇り、愛が感じられた。







始まりから終わりまで
終わりからまた次の始まりまで
全部見ていたよ。



今日の体験は、
明日から続く夫業と育児の
価値観を大きく変えてくれた。
それは僕自身に流れているエッセンス。




夏でもホワイトクリスマスを歌い、
さとる菜園のパセリがのった
スクランブルエッグを作るのだ。

宇宙人が出てきたらどーしよ、
思ってましたが人間だったのでホッとしました。

髪の毛フサフサでも帽子。

指も5本揃っていました。
立派な御御足。


たくさんの祈りと
たくさんの祝福を
届けてくれたみなさまへ
本当に本当にありがとうございました。


今か今かと
電話やメッセージをくれたり、
大変だろうからと控えていてくれたり、
もうどこもかしこも
なにもかもが愛でしかなくて、
でもその愛に助けられて
今日を迎えることができました。



できたてホヤホヤの報告と
僕の備忘録を
ホヤホヤのまま伝えておきたくて
書き記しています。



妻と僕と赤さん、
そしてニャンズ2匹。
今後ともよろしくお願い致します。


感謝と愛を込めて、
みなさんにも素晴らしい今を
感じられますように。

合掌。

今から寝まーす!😆