フジコ・ヘミングは一躍時の人となった。
1999年2月のNHK番組の放映後、デビューCD「奇蹟のカンパ
ネラ」が大ヒット。
発売3ヶ月で30万枚という異例のセールスを記録した。
その年の日本ゴールドディスク大賞を受賞している。
10月には東京オペラシティで復活リサイタルを行い、2001年6
月にはニューヨーク・カーネギーホールに進出。
遂に世界デビューを果たした。
彼女は、それからの25年間を文字通り駆け抜けた。
決して止まることを知らなかった。
若い日の失われた30年を埋め合わせするかのように。
死の約3年前、赤裸々に内面を語った雑誌インタビューが残っている。
〜出典:2021年2月9日、婦人公論.jp(中央公論新社)
元来の自分は恥ずかしがり屋であること。
人からどう見えるかをいつも気にしていること。
昔から惚れっぽくて、ずいぶん苦労したこと。
悪い男に貢いで騙されたこともあった。
同時に見放すのも早く、男に依存することはしたくない。
なぜなら自分はスウェーデン人の血が入っていて、孤独を愛するからだ。
独りの時間が絶対に必要なこと。
本能のサブタイプがセクシャル優位な人は、どこかタイプ4的な芸術家気質の人が多い。(*下記に注)
いわゆる自意識過剰な、今でいうならメンヘラ気質。
セクシャルエネルギーとは人を魅了し魅惑するエネルギーのこと。
タイプ8ではこのエネルギーが圧倒的に大きい。
相手を試したり、悪ぶったり、からかい挑発して、相手のエネルギーを引き寄せる。
彼女の演奏スタイルに決定的な刻印を与えていると思う。
私の研究では、フジコ・ヘミングはタイプ8のセクシャルタイプ。
その性格描写はこうだ。(リソ&ハドソン)
魅惑的領域において、欲望の強さのコントロールが人生のテーマとなる:
・カリスマ的で感情が強烈である。
・外からは内面でマグマか何かが燻っているように見える。
・人生の浮き沈みを人間関係で捉えたがる。
人生の出発点で父の不在による最初の躓きがあった。
ピアノを教えてくれ、宗教的な祈りに導いてくれ、同時に子供時代を、青春を奪った、厳しかった母への愛憎。
タイプ8にとっての愛着の対象は母親だ。
その後のアンビバレントな人間関係の原体験となるもの。
タイプ8の女性は、内なる女性性に自信が持てなかったり、母性が傷ついている人が多い。
また晩年の彼女は、演奏旅行を重ねながらリストやショパンが生きた足跡を辿る旅に生きた。
タイプ8は、愛する人達に自分の爪痕を、生きた証を残したいと強烈に望む。
晩年の映像で彼女は答えている。
天国に行ったら、リストやショパンに会って直接聴いてみたい。
私の演奏(解釈)はあれで良かったのか?
「あれでいい」
「よくやったと褒めてくれると思いますよ」
と言い切っていたのが印象的だった。
別な場所ではこうも答えている。
質問者「あなたにとってピアノとは?」
フジコ「猫達を食わせていくための道具ね」
陳腐な常套句にはからかうしかあるまい。
と同時にまんざら嘘でもなく、むしろ事実には違いなかった。
フジコ・ヘミングは、聴力を失っても魂でピアノを弾き続け
る強さを持ちつつも、動物愛護を実践して保護猫を多数引き
取り、また被災者や大変な思いをしている人達へのチャリティ
コンサートを積極的に行うなど、慈愛の心に満ちあふれた人で
した。
〜訃報を伝えた公式サイトの挨拶文(一部)より〜
彼女がタイプ8で、統合の方向がタイプ2であることの間接的な証拠にはなりえるだろう。
猫達を前に、彼女は心を開き、思いやりと慈愛を表現できた。
タイプ8の定義と主な動機はこうだ。
「挑戦する人」
パワフルで仕切るタイプ;自信がある。決断力がある。強情。対決的。
特徴は:自己拡張性
過度の情動が支配し、攻撃的なエネルギーを外側へ放出させる。
求めるものは生存。生き残ること。
タイプ8は生まれながらのサバイバー。
主な動機:
自らを頼みにし、自分の力を証明したい。弱さには抗したい。(自分の世界において)重要人物でありたい。周囲を支配し状況をコントロールしていたい。
弱点(囚われ)は:
力ずく(力が入り過ぎてしまう)。その意味は、すべてを押し通そうとする。強く自己主張する。
えにあひろ(リアルラブ)
*追記:
私の研究では、「月光」で有名な歌手・鬼束ちひろさんがタイプ8のセクシャル。彼女こそタイプ8のセクシャル-自己保存の典型。
曲の中で「どこにも居場所なんて無い」という歌詞がリフレーンされる。
タイプ8の人達はなぜか、生まれながらにして「居場所がなかった」と共通に語る人が多い。
その源は前述したように、幼児期の母親から切り離されたという感覚(拒絶体験の痛み)から来ている。
まるでそのことを証明したいがためか、大人になって居場所の無い現実を作り出してしまう人のなんと多いことか。
記憶が曖昧だが、オノ・ヨーコさんや草間彌生さんの評伝に「(日本の)どこにも居場所がなかった」心象風景を語った箇所があった気がする。
もちろんフジコ・ヘミングも例外ではない。
母国日本への印象は愛憎に満ちている。
戦後のドイツへ音楽留学した折、同胞であるはずの日本人から嫌われ、差別された体験を語っている。