フジコ・ヘミングの真実(前編) | 例年60%越え。高成婚率の秘訣は?!恵比寿の結婚相談所 夫婦セラピストが語る

例年60%越え。高成婚率の秘訣は?!恵比寿の結婚相談所 夫婦セラピストが語る

東京・恵比寿で結婚相談所を開き婚活セラピーを行っている湯田佐恵子&博和です。驚異の成婚率の理由は、自分の中に結婚できる状態を作っていくこと。一度体験にいらしてみてくださいね!

 ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ。

 この長いお名前がフジコ・ヘミングさんの本名である。

 父親がスウェーデン人で、生まれはベルリンだ。

 5歳の頃、一家で母親の国日本へ移住した。

 だが、時局が悪化し父親は強制送還されてしまう。

 以来、父親とは一度も会っていないという。

 

2024年4月21日未明、惜しまれながら彼女は92年の生涯を終えた。

不慮の事故から永眠に至る間際の、4ヶ月余りの過酷な日々を追ったNHKスペシャルの映像が残っている。

「魂のピアニスト、逝く〜フジコ・ヘミング その壮絶な人生」に詳しい。

(2024年5月26日放送)

 

再起を期してリハビリ中の出来事だった。

オルガンのような小さなピアノを弾いてみて、聴覚が完全にダメになっているのを自覚。

「ふっー!」

「フン」でなく「ふっー!」という、その時の詠嘆調の溜め息が印象的で。

彼女の(このタイプの人達の)癖が会話の中に挟む「フン」。

自嘲とも、他人を冷笑するようにも取れる「フン」。

 

フジコ「ピアノ 弾きたくない」

(職員が「本当?」二度三度と確かめる)

フジコ「たぶんもう 弾きたくない」

「わかんない(困惑)」

 

時に映像は残酷だ。

人が本当の意味で絶望する一瞬の眼を、初めて観た気がした。

魂が宿るのも眼だし、魂が消えていくのもまた眼なのだ。

ピアノは彼女の魂そのもの!

「魂のピアニスト」の「魂」は彼女の場合、単なる形容詞ではない。

 

 

記録映画「フジコ・ヘミングの時間」(2018年公開)で、私は初めて彼女の存在を認知した。

性格タイプ的にはほぼ確信するものがあった。

その後、NHKのETV特集「フジコ〜あるピアニストの軌跡」(放映は1999年2月11日)をAmazonで視聴。

 

念には念を入れてと思い、いやそれ以上に彼女の存在感に打たれた。

内面はデモーニッシュなはずなのだが、それを感じさせない実にピュアな魂の人だと思った。

私の研究では、画家の草間彌生さんが同じ性格タイプ。

作家の瀬戸内寂聴さん、オノ・ヨーコさん、樹木希林さんらも加えていい。

ただ、彼女らと本能のサブタイプの順番が異なる。

草間彌生さんがまったく同じ順番かも。

 

 

人種の違いに関わらず、ヒトには生まれながらにして9つの異なる動機に基づく9つの性格タイプがある。

フジコ・ヘミングさんはエニアグラム・タイプ8。

7寄りの8で、セクシャル-自己保存の順番、つまりソーシャルが盲点だと思われる。

(タイプと本能の説明は後述する。)

 

以下の語録は、前述のETV特集「フジコ」からの引用。

・私は自分の「カンパネラ」(リスト作曲)が一番気に入っていて、他の人の弾き方 嫌いなのよ。

 

・一つ一つに魂が入っているようなさ ぶっ壊れそうな「カンパネラ」だっていいじゃない(鍵盤を叩くマネ)

*カンパネラはイタリア語で「鐘」の意。人生の節目節目で鳴らされる鐘の象徴。

 

・私はぶっ壊れそうな繊細なピアニスト 芸術家のほうが好きだもん あまり完全でさ 機械みたいなのは嫌い

 

・(間)そう それがいいわよ 少しは間違っていてもかまやしない  機械じゃあるまいしさ!

 

この1999年の番組での演奏(収録)が彼女の運命を変えた。

フジコ・ヘミング67歳の一世一代の演奏だった。

後にも先にも、この時の「カンパネラ」の音色は確かに、聴く者が魂を射抜かれる。

 

「機械じゃあるまいしさ!」

社会に媚びない闘う姿勢と、挑戦者的な会話のスタイルに度肝を抜かれた人は多いはず。

「カンパネラ」の演奏が彼女が本物だと証明していた。

毒舌が風刺を超えて、軽佻浮薄な時代にトドメを刺された気がした。

聴く耳と、心ある者達は。

 

 

ただ力強さだけならタイプ8の芸術家に有りがちな演奏スタイルに留まったと思う。

彼女は一度ならず二度までも致命的な挫折を体験している。

一度目は16歳の頃の右耳の聴力喪失。

中耳炎の悪化が原因だった。

 

二度目は38歳の頃、またもや悪夢が襲った。

バーンスタインらに見出され、1969年のウィーンでの初リサイタル直前だった。

風邪の高熱が災いし、今度は左耳がダメージを受けてしまう。

貧乏で困窮生活の余り、暖房を使えなかったのが原因と言われている。

世界デビューの夢は絶たれた。

 

「私はもう涙枯れちゃって全然出ない

涙が枯れちゃうことあるんですよね

さんざん若いときに泣いたから」

 

 

1999年に「再発見」されるまで、実に30年間のブランクを要したことになる。

母の死をきっかけに日本に帰国して4年後だった。

 

この30年間が、彼女の音楽を熟成させ非凡なものにしたと思う。

繊細さと力強さの奇跡的な融合。

リストはじめショパンら好きな作曲家の理解が深まった。

彼女は信仰を決して捨てなかった。

幼い頃、母に言われ教会に通い、自ら望んで受洗している。

 

後年、彼女はあるインタビューで語っている。

「神様は私を見捨てたりはしないって思い続けた。」

ピアニストとしの成功と世界的な名声を掴んでからだが。

 

彼女が非凡なのは、それでもピアノに向かい続けたことだと思う。

孤独を愛し酒などの嗜好にも走らず。

生涯独身を通した。

ただただ、来る日も来る日も座り続けた。

 

私は「只管打坐」の禅の精神を思う。

人は厳しい座禅修行の果てに「悟り」が待っていると思いたがる。

だが道元禅師曰く。

 

坐る、そのことがすでに「悟り」で、今朝も坐りたい、坐らないと気持ちが悪い。

坐ろうとするその発意の中にすでに悟りが、悟りの萌芽があるのだと教えている。

従って悟りとは一回性のものではない。

一生の行なのだ。

 

フジコ・ヘミングにとって、ピアノの練習が救いで、人生そのもので。

座禅に近いものだったと、私は思う。

人生のためにピアノがあったのではない。

ピアノの前に座るために人生を捧げた。

愛したリストやショパンや、父母、神様と対話するために。

もちろん己自身とも。

 

 

後編につづく。

 

 

 

えにあひろ(リアルラブ)