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1丁目住人のブログ

一人一人が楽しく生きるためのブログ。

上海の高級沖縄料理屋にて決起会。案の定、政治家、学者、弁護士、財界人、どなたも一流の相当な面々が集まった。皆さん、社会的なステータス以前に、気が良い。僕はなぜここにいるのだろう?という素朴な疑問は、徐々に、氷解してきている。 ・・・すべてが必然だったのだ。

決起会ということで、世界トーナメントNo.1の津軽三味線奏者の2人を日本から招き、腕前を披露して頂いた。日本人の21歳と24歳の方々。上海、沖縄、青森のメドレーにチャレンジ。自分よりも若者が、異国の地で、日本の心を持ち、本当にしっかりと心をこめて、仕事をしているじゃないか。正直半泣きになった。スキルというものはつまるところ、血を運搬する血管のようなもので、心臓や血の代替には、決してならない。運ばなければならない使命と、運びたいものがあるから、血管は存在するのだ。魂が楽器に憑依しているように感じた。

有名な北風と太陽の話がある。北風ではなく太陽の温かさで旅人の服を脱がせる話。美しいものや素晴らしいものを味わうことで、長い間”問題児”や”諸悪の根源”とされていた開かずの扉が開くのである。決着をつける手段は、前世紀的な、比較や競争や、それこそ最終手段の暴力ではない。・・・そういうことなのだ。

ちなみに、僕の前職の最終出社日である10月28日は、丁度コールマン博士によると、早い人はアセンションした日であったようだ(笑) そして明日は、昆明経由でシーサンパンナと言われるミャンマー、ラオス国境付近に行く。熱帯雨林。おそらくこれからはネット環境がなさげ。
国立科学博物館にて、インカ帝国展をみてきた。
このところの中国古代文明へどっぷりな身にとっては、良いリフレッシュ。

古代文明については、どこも同じような特徴がみられる。

太陽信仰、天体知識、生贄の儀式、蘇りの死生観、農耕・・

中でも、いかに古代の民にとって農耕がすべてだったか。
生贄も五穀豊穣のためだし、祈りやあらゆる儀式もそうだ。

狩猟民のように”自分で得たものは自分で頂く”という個人主義の社会から、トウモロコシや麦、米などの農耕を通して、共同社会となった。それにより、石切職人や武器職人、専門職や特権階級が生まれ、文明や文化が急激に発達した。農耕は社会システムのベーシックインカムのようなものだった。農耕の成績以上の生活はできない。

それが現在では悪魔的に頭でっかちで複雑な、金融資本主義の普及により、人々の欲望をエンジンにし、実際の成績上の暮らしをだましだましするシステムをsomeoneが作り上げたことで、様々なツケがまわってきている。リーマンショック直後にわかったように、10年間で世界のマネーが7倍になるほど、実際の成績が上がっているはずがないのだ。

マヤではジャガイモやトウモロコシの段々畑が有名だ。一方でこれから行く中国雲南省では棚田が有名。個人的に、この2つの古代都市にはある共通点があると思っている。それは「水の循環によって生まれる、協調と平和」だ。

水を高地から低地へ循環させ、その収穫物を皆でシェアする。高地の農民の成績は、低地の農民の成績に直結し、その逆も然りとなる。そのような暮らしをしていると、一体感が生まれる。流れる水が人々の心をつなぐのだ。こんなことを言うとマルクス主義者と思われるかもしれないが、自分の中では明確に違っていて、それは評価制度である。これを言い出すと長くなりそうなのでやめておこう・・・ 

雲南省の旅では、これからの世の中が向かうべき、一つの方向を指し示せる可能性があると思っている。そのために、一級のクリエイターとその支援者たちが集まっている。その中で思いのほか重大な役割を任されてしまい、ずっと僕は興奮気味なのだ(笑)ちょっとはこの興奮が伝わっただろうか。

早速初日は、上海でスポンサーたちと会食。決起会みたいのを行うことになっている。
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脱走ペンギンを見てきた。
まだ識別番号が取れたままで、彼だけない。お腹の部分は汚れが目立ち、羽もところどころ禿げている。

まだ群れには入れていない様子で、遠目からでもしっかりと識別ができた。

筋肉隆々のもっと大型のペンギンを予想していたが、実際は一歳児と言うこともあり、まだあどけない雰囲気がある。

彼だけ、完全に自我が芽生えてしまっているのだ。ほかのペンギンは飼いならされ、自分が何者なのか、どこにいるかなど思いつくこともなく、無邪気に戯れている。水槽に手を近づけると寄ってきてじゃれる。

脱走ルートも確認したが、どう登ったのか、1.2メートルはあろうかと思われる岩山を登ってそこから陸地へジャンプし、二つの塀をくぐり抜け、百数十メートルと思われる陸路を歩き、東京湾に逃げ込んだ。

明らかに、「逃げ出す」という意図を感じた。

問題の彼の今後であるが、水族園の群れにまた戻り、スポイルされてしまうかと思うと、心がキュッと、痛くなった。個人的には、また脱走を企て、逃げ切って本当の自由を勝ち取って欲しい。

葛西臨海水族館は、この脱走ペンギンに遅ればせながら、ネーミング案を募集しているらしい。脱走ペンギングッズもそのうち出てくるだろうと思われる。
本日とんでもないところから、とんでもないオファーがあった。
天はそれほどまでに僕を日本に留めたいのだろうか・・・(苦笑)

そしてもう1個の今見えているオファーだって、やばい。
2つとも一般的な就活路線ではなく、コネクションというやつだ。
それもただのコネクションではない。先日ロンドンのヘッドハンター会社から連絡が来たが、そんなものではない。

先日の茨城県つくば市の、竜巻ワン太郎のようだ。

何か大きな、竜巻のようなエネルギーに巻き込まれ、どんどんワープしていっている。着地の時は何ごともなかったかのような顔でするのかもしれないが、この1ヶ月の進展はまじですごい。

ここで、冷静になるべきである。必ず消えてゆく一発芸人のように、チャンスという現象に対して浮かれ上がって寿命を縮めることは愚かであり、チャンスに鈍感になって見過ごすのも愚かである。

こんな時にどう決めるかが、当然であるが、その後の人生を大きく左右する。

そんな時、極力エゴを取り除いた道を選ぶようにしている。

動機の中にエゴがあるとやはり自分以上の仕事はできず、逆にエゴがない選択をすると、地球や宇宙の法則とシンクロし易く、様々な奇跡が起こり易く、自分以上のことができることが多い。と最近学んだ。大きな仕事をするというのはエゴではなくて、”自分”を蚊帳の外に置いた状態で、他者や世の中に尽くすということを指す。人のためになっていると思えると、魂は充足するのだ。

今まで魂がワクワクするかどうか、が大きな決断の時の軸だったが、先日修正した。魂のワクワクに対して従うことはその人の魂のレベルが反映され、その軸で選んだ道では次の魂のレベルになるための要素がつまっていると考えるゆえだった。

一方で、エゴを取り除いた天任せにすることで、想像を超える展開が出現する。結果的にもの凄い魂の充足が得られるという体験をしてしまったし、そのような生き方で半端じゃなく成功している人をこの目でみてしまい、仲良くなってしまった。これは、アーティストの人生の歩み方であると思う。自己の反映としての直感ではなく、大地や自然の反映としての直感と近くなる。

やばいな、この話は。非常に宗教チックだ・・・

こんな事などを写真家の方と話していたら、「アンタは肌はツルツルだけど、精神は熟していてもう既に50代だ。意識レベルが異常に高い」と言われた(笑)

人生で大きなチャンスは少ない。そしてそもそも、人生どこで終了(あの世)になるかわからない。

「天任せ」というやつを実践してみようと思う。
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脱走ペンギンに注目している。
彼は約生後一年(ペンギンにしては幼年)のときに、小高い岩山からジャンプして柵を乗り越え、葛西臨海水族館を脱走した。「アバヨ」というポーズをして写真に写り、当時マスコミに注目された。

東京湾で小魚になどを捕獲して82日間生活、毎日決まった場所に同刻にもどるというフンボルトペンギンの規則正しい生活を熟知した飼育員により、先日保護された。

彼が一昨日から水族館でまた見れるようだ。82日間の野生生活で肉体は変化し、特に胸筋の発達は凄まじく、目つきも野生化しとても鋭くなっている。羽も薄汚れ、他の箱入りペンギンとは明らかにそのオーラが違い、一線を画している。まだ群れに戻れていないというが、一度広い下界を知ってしまった若者が、また元の群れにうまく馴染めるのだろうかと心配している。また脱走するんじゃないか。

非常に示唆を与えてくれる哲学的なペンギンだ。今度見に行こうと思う。