来週より、写真家の方と写真集出版と中国での展覧会開催のため、中国雲南省に2週間撮影旅行に行くことになりました。元多国籍企業の地域トップや某大物議員の関係者、有名大学院教授などが参加します。皆さん、揃いも揃って超大物です。僕は写真家のアシスタント役として同行します。
てっきり機材運搬や中国語の案内業鵜だけかと思いきや、
僕の旅の記録をほぼそのまま本に載せるという話に・・・これは責任重大ですな。
そのため、現在必死に中国黄河文明や長江文明、稲作漁撈民のルーツなどを勉強中です。
しっかりと名前がのりますので、出版された際にはみなさまに個別にご報告します。
ちなみに、このブログは仲の良い友人7~8人くらいにしか教えていませんが、記事を書くと70アクセスくらいあるようです。書いていなくても20~30アクセスくらい。同じような若者が見ていてくれて、何かしら得るものがあれば嬉しいなと思います。
「ガイアの法則」(千賀一生著)という本を読んだ。これはとんでもない本だ。
著者は旅先のイラクで古代シュメールの神官と出会い、そこで神秘的な世界に足を踏み入れ、極めて興味深い、目から鱗の話を聞いてゆくという、フィクションとして展開してゆく。
シュメールを起点に、インダス、メソポタミア、ガンジス、ギリシャ・ローマ、唐、アングロサクソンと、その時代を謳歌した文明にも一定の寿命があり、それは宇宙のある物理法則のようなものに従い、正確に綿々と運営されてきたのだという歴史の解釈を、そのシュメールの神官が著者に滔々と説いてゆく。それは、人類や地球の歴史を、全く新しい切り口で、一つ一つ筋の通った話を、包括的に一つの宇宙原理として、展開してゆく。
これがフィクションだとしても、人智を超えた仮説であると思われる。
「銃・病原菌・鉄」というピューリッツァー賞をとったジャレド・ダイアモンドの本も読んだばかりであった。これはざっくり言うと、なぜ白人種が覇権を握るようになったか、その環境と必須であたった要素を、地道な研究をもとに広範な学問体系を駆使して説いてゆく本だ。非常に斬新な切り口だったものの、中国の文明について非常に漏れているような印象を持ち、白人が書いた、”自己礼讃”のようなイメージを受けてしまった。
対してこの本は、そういったアイデンティティの中心軸がない。つまり無所属・無国籍であり、ニュートラルで、敢えて言うならば地球からの目線。フィクションであろうがなかろうが、このような壮大でつじつまが合う話を到底、人という存在が作れるとは思えない。そういった意味でも、一読に値する本であると感じた。ガイアの法則によると、次の800年の文明中心地は、日本であるようだ。
著者は旅先のイラクで古代シュメールの神官と出会い、そこで神秘的な世界に足を踏み入れ、極めて興味深い、目から鱗の話を聞いてゆくという、フィクションとして展開してゆく。
シュメールを起点に、インダス、メソポタミア、ガンジス、ギリシャ・ローマ、唐、アングロサクソンと、その時代を謳歌した文明にも一定の寿命があり、それは宇宙のある物理法則のようなものに従い、正確に綿々と運営されてきたのだという歴史の解釈を、そのシュメールの神官が著者に滔々と説いてゆく。それは、人類や地球の歴史を、全く新しい切り口で、一つ一つ筋の通った話を、包括的に一つの宇宙原理として、展開してゆく。
これがフィクションだとしても、人智を超えた仮説であると思われる。
「銃・病原菌・鉄」というピューリッツァー賞をとったジャレド・ダイアモンドの本も読んだばかりであった。これはざっくり言うと、なぜ白人種が覇権を握るようになったか、その環境と必須であたった要素を、地道な研究をもとに広範な学問体系を駆使して説いてゆく本だ。非常に斬新な切り口だったものの、中国の文明について非常に漏れているような印象を持ち、白人が書いた、”自己礼讃”のようなイメージを受けてしまった。
対してこの本は、そういったアイデンティティの中心軸がない。つまり無所属・無国籍であり、ニュートラルで、敢えて言うならば地球からの目線。フィクションであろうがなかろうが、このような壮大でつじつまが合う話を到底、人という存在が作れるとは思えない。そういった意味でも、一読に値する本であると感じた。ガイアの法則によると、次の800年の文明中心地は、日本であるようだ。
昨日、数々のカルチャースクールで教えている大御所と思われる占い師にお会いした。
おそらく70歳くらいの人。関係者によると1時間3万円とるらしい。
その人は僕が現在一緒にいる写真家の方をみて質問攻め。
「あなたは御神輿に担がれる稀な幸運の持ち主で、向こう10年は絶好調だ」
とのことだった。唯一アドバイスとしては、担いでくれる人には文句を言うなとのこと。
一方、僕については、「あなたはいい顔をしている」とだけ言って終了。
何もアドバイスはない。笑 ただし他の7~8人については何も言われなかった。
僕は、占いを職業にしている方に、あまり占ってほしいという気を出さないようにしている。
なぜかというと、依存したくないからだ。何か言われたら有り難く参考にさせて頂く程度。
毎日を大切に生きていれば、良いことも、悪いことも、停滞していたことも肥やしになる。悩みへの解決方法が常に占い(=人任せ)であってはいけないのだと思う。ここにも、何かを得ようとすると、何かを失うという原理がここでも働いているように思える。
また、その写真家いわく、その占い師がどの存在と繋がっているかが大事とのこと。低級な霊に繋がっていても予言は出来るのだそうだ。心で感じて、信頼がおけるかどうか、心地よいかどうか、で決めるべきなんだろう。ちなみにその写真家は過去に直感で、ロシアのスパイを見抜いている(笑)
おそらく70歳くらいの人。関係者によると1時間3万円とるらしい。
その人は僕が現在一緒にいる写真家の方をみて質問攻め。
「あなたは御神輿に担がれる稀な幸運の持ち主で、向こう10年は絶好調だ」
とのことだった。唯一アドバイスとしては、担いでくれる人には文句を言うなとのこと。
一方、僕については、「あなたはいい顔をしている」とだけ言って終了。
何もアドバイスはない。笑 ただし他の7~8人については何も言われなかった。
僕は、占いを職業にしている方に、あまり占ってほしいという気を出さないようにしている。
なぜかというと、依存したくないからだ。何か言われたら有り難く参考にさせて頂く程度。
毎日を大切に生きていれば、良いことも、悪いことも、停滞していたことも肥やしになる。悩みへの解決方法が常に占い(=人任せ)であってはいけないのだと思う。ここにも、何かを得ようとすると、何かを失うという原理がここでも働いているように思える。
また、その写真家いわく、その占い師がどの存在と繋がっているかが大事とのこと。低級な霊に繋がっていても予言は出来るのだそうだ。心で感じて、信頼がおけるかどうか、心地よいかどうか、で決めるべきなんだろう。ちなみにその写真家は過去に直感で、ロシアのスパイを見抜いている(笑)
昨年、3ヶ月ベジタリアン生活をしていてわかったことは、頭、身体、魂で求めている食事が違うということ。
頭は、見た目や香り、興奮や味のリッチさを求める。ガストロノミー派。
身体は、栄養と臓器との相性の良さを求める。質素派。
魂は、心の中からわき出る喜びや楽しさを求める。清らかな感動派。
1940年にマクドナルドができ、第二次世界大戦後に、世界各地へと広がった。現在では世界で3万3千店舗展開。共産圏だろうが戦争中の国だろうがどんな宗教国だろうが何だろうが、圧倒的に普及した。それまで日本は魚、納豆、おしんこ、ごはん、味噌汁を代表として、質素な食事だった。それが、戦後マクドナルドを代表とするカロリーリッチな洋食がメインで食べられるようになり、日本人の体は大きくなり西洋化したが、生活習慣病が多くなった。僕はこの流れを、頭を満足させる食の普及と捉えている。
しかし、ご存知だっただろうか?
2011年の3月には、ヘルシーなサンドイッチチェーンのサブウェイにマクドナルドの店舗数は抜かれている。もしかしたらこれは、食の豊かさ=カロリー時代からのヘルシー時代への変わり目の変化点なのかもしれない。つまり、20世紀の頭を満足させる食から、21世紀の身体を満足させる食への転換だと僕はみている。
そして僕はその次には、魂を満足させる食への転換があると思っている。そしてそれはまだ、黎明期。それはどんなものなのだろうか?きっと、身体の満足を満たしつつも、食べてて楽しい、嬉しい、といった魂の満足があるものなのだと思う。これからはもっと、栄養やカロリーといった古い指標からはなれた価値観が大事になってくるはずだ。そのときも絶対にガストロノミーは残るけれども、たまに行くような、歌舞伎やミュージカルやコンサートを観るような感覚になるのだと、何となく想像している。
これらについてはまったくの僕のカンだけれども、科学的なデータも集めて、裏を取りたいと思っている。そしたらここでまた発表してみます。
頭は、見た目や香り、興奮や味のリッチさを求める。ガストロノミー派。
身体は、栄養と臓器との相性の良さを求める。質素派。
魂は、心の中からわき出る喜びや楽しさを求める。清らかな感動派。
1940年にマクドナルドができ、第二次世界大戦後に、世界各地へと広がった。現在では世界で3万3千店舗展開。共産圏だろうが戦争中の国だろうがどんな宗教国だろうが何だろうが、圧倒的に普及した。それまで日本は魚、納豆、おしんこ、ごはん、味噌汁を代表として、質素な食事だった。それが、戦後マクドナルドを代表とするカロリーリッチな洋食がメインで食べられるようになり、日本人の体は大きくなり西洋化したが、生活習慣病が多くなった。僕はこの流れを、頭を満足させる食の普及と捉えている。
しかし、ご存知だっただろうか?
2011年の3月には、ヘルシーなサンドイッチチェーンのサブウェイにマクドナルドの店舗数は抜かれている。もしかしたらこれは、食の豊かさ=カロリー時代からのヘルシー時代への変わり目の変化点なのかもしれない。つまり、20世紀の頭を満足させる食から、21世紀の身体を満足させる食への転換だと僕はみている。
そして僕はその次には、魂を満足させる食への転換があると思っている。そしてそれはまだ、黎明期。それはどんなものなのだろうか?きっと、身体の満足を満たしつつも、食べてて楽しい、嬉しい、といった魂の満足があるものなのだと思う。これからはもっと、栄養やカロリーといった古い指標からはなれた価値観が大事になってくるはずだ。そのときも絶対にガストロノミーは残るけれども、たまに行くような、歌舞伎やミュージカルやコンサートを観るような感覚になるのだと、何となく想像している。
これらについてはまったくの僕のカンだけれども、科学的なデータも集めて、裏を取りたいと思っている。そしたらここでまた発表してみます。
アメリカ人の大学教授の手伝いの後、2回目のダンス教室に参加。
今回は、空手経験者の方とキューバの方も初参戦。
我々の目的は、各人の持つ身体の形、リズム、柔軟性、癖、を素直に引き出して解放することで、内側を満たし、素晴らしいダンスを踊るということなので、ダンス未経験の個性派が集まることは、とても楽しいことだ。
やっぱり自由に身体を動かすのは、楽しいというフレッシュな感想は毎回あるが、それ以上に、僕の中で、長い間葛藤していた対立軸がほどけつつある。
それは何かというと。
『欧米ルールの無国籍ジャングル』VS『日本発信グローバル』、という対立軸である。非常に個人的であるが、この2つのどちらかで、どういった進路を選ぶか迷いがあった。
「欧米ルールの無国籍グローバルで通用しなければだめだろう、まずそこだろう」なんて、思っていたふしがあり、語学を強化してある程度通用するようにしたが、その先にはやはり「国際感覚を身につけてどこでも通用する人」としてなること以外に何も見いだせなかった。そんな時に、この3ヶ月くらいで、一気に後者への理解と共感が深まった。魂がクリックしてしまった(笑)きっと、本物の人たちと出会ったからだと思う。
ちょっと話題はそれるが、中国人や韓国人が欧米への留学を夢見ており、年々留学者数が増えている一方で、日本人は留学人数が劇的に減っているとの話をそれはまあよく聞く。欧米の識者はそれに対して、「日本は沈んでゆく」とムカつくことを言う。かく言う僕もつい最近までそのように思っていた。でも今僕はそうは思わない。
僕はそれらの原因について、日本人の若者たちの精神性が熟してきた側面が強いと思う。アングロサクソンが主導して押し付けた、”自分たちの短期的な利益を追求した合法的な競争社会”である金融資本主義の崩壊をまざまざと見せつけられ、肌身で感じ、西洋の豊かさへの憧れが急激に薄れたのだ。しかし、その代替のイデオロギーやユートピアや価値観が見つからないので、内向きにエネルギーが噴出してしまっているのが今なのではないだろうか。そのポテンシャルが生かせず、ムキになっているのだ。中国人や韓国人などの、最近急に発展した国々の人たちはまだその世界がわからない。過去の時代の指標(欧米への留学者数や国民一人当たりの収入の伸びなど)では日本は負けっぱなしなのかもしれないが、その指標はもはや古い。
誇りを取り戻せ、日本人よ。その必要なプロセスとして、外を見るべきことは確かだ。そして新しい時代を切り開くのは、感性が豊かで行動力のある若者しかいないのだ。がんばろう。
・・・話は戻って、そういった意味で、今日の、国連の仕事もするアメリカ人の教授の手伝いと、ヨガや古武術や気功などを取り入れたダンス教室に通うということは、とても対照的・象徴的で、印象的な日であった。
しかし、今思うと、こんな対立軸を明確に持っていた訳ではない。なんとなく、あちらとそちらのどちらに進むか霧がかかっている時期が結構あったように思う。それが自然に晴れてきたということだ。
道に迷った時、答えを焦ってはいけない。自分自身の中に答えはある。答えを急ぐと、自分自身の中を満足に探索できない。だがしかし、ここで重要なことは、焦って空ぶったりつまづいても、気づきは与えられるので、何もしないで動かないよりはマシだとは思う。
僕の今の考えは、毎日すべきことを行っていれば、自然と答えは与えられるのだというもの。毎日のその瞬間に集中してして生きるからこそ、喜びと感謝も生まれやすい。きっと”答え”以上に素晴らしいものが手に入るのではないか。体験からそう思う。
今回は、空手経験者の方とキューバの方も初参戦。
我々の目的は、各人の持つ身体の形、リズム、柔軟性、癖、を素直に引き出して解放することで、内側を満たし、素晴らしいダンスを踊るということなので、ダンス未経験の個性派が集まることは、とても楽しいことだ。
やっぱり自由に身体を動かすのは、楽しいというフレッシュな感想は毎回あるが、それ以上に、僕の中で、長い間葛藤していた対立軸がほどけつつある。
それは何かというと。
『欧米ルールの無国籍ジャングル』VS『日本発信グローバル』、という対立軸である。非常に個人的であるが、この2つのどちらかで、どういった進路を選ぶか迷いがあった。
「欧米ルールの無国籍グローバルで通用しなければだめだろう、まずそこだろう」なんて、思っていたふしがあり、語学を強化してある程度通用するようにしたが、その先にはやはり「国際感覚を身につけてどこでも通用する人」としてなること以外に何も見いだせなかった。そんな時に、この3ヶ月くらいで、一気に後者への理解と共感が深まった。魂がクリックしてしまった(笑)きっと、本物の人たちと出会ったからだと思う。
ちょっと話題はそれるが、中国人や韓国人が欧米への留学を夢見ており、年々留学者数が増えている一方で、日本人は留学人数が劇的に減っているとの話をそれはまあよく聞く。欧米の識者はそれに対して、「日本は沈んでゆく」とムカつくことを言う。かく言う僕もつい最近までそのように思っていた。でも今僕はそうは思わない。
僕はそれらの原因について、日本人の若者たちの精神性が熟してきた側面が強いと思う。アングロサクソンが主導して押し付けた、”自分たちの短期的な利益を追求した合法的な競争社会”である金融資本主義の崩壊をまざまざと見せつけられ、肌身で感じ、西洋の豊かさへの憧れが急激に薄れたのだ。しかし、その代替のイデオロギーやユートピアや価値観が見つからないので、内向きにエネルギーが噴出してしまっているのが今なのではないだろうか。そのポテンシャルが生かせず、ムキになっているのだ。中国人や韓国人などの、最近急に発展した国々の人たちはまだその世界がわからない。過去の時代の指標(欧米への留学者数や国民一人当たりの収入の伸びなど)では日本は負けっぱなしなのかもしれないが、その指標はもはや古い。
誇りを取り戻せ、日本人よ。その必要なプロセスとして、外を見るべきことは確かだ。そして新しい時代を切り開くのは、感性が豊かで行動力のある若者しかいないのだ。がんばろう。
・・・話は戻って、そういった意味で、今日の、国連の仕事もするアメリカ人の教授の手伝いと、ヨガや古武術や気功などを取り入れたダンス教室に通うということは、とても対照的・象徴的で、印象的な日であった。
しかし、今思うと、こんな対立軸を明確に持っていた訳ではない。なんとなく、あちらとそちらのどちらに進むか霧がかかっている時期が結構あったように思う。それが自然に晴れてきたということだ。
道に迷った時、答えを焦ってはいけない。自分自身の中に答えはある。答えを急ぐと、自分自身の中を満足に探索できない。だがしかし、ここで重要なことは、焦って空ぶったりつまづいても、気づきは与えられるので、何もしないで動かないよりはマシだとは思う。
僕の今の考えは、毎日すべきことを行っていれば、自然と答えは与えられるのだというもの。毎日のその瞬間に集中してして生きるからこそ、喜びと感謝も生まれやすい。きっと”答え”以上に素晴らしいものが手に入るのではないか。体験からそう思う。