答えを求めること | 1丁目住人のブログ

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一人一人が楽しく生きるためのブログ。

アメリカ人の大学教授の手伝いの後、2回目のダンス教室に参加。

今回は、空手経験者の方とキューバの方も初参戦。
我々の目的は、各人の持つ身体の形、リズム、柔軟性、癖、を素直に引き出して解放することで、内側を満たし、素晴らしいダンスを踊るということなので、ダンス未経験の個性派が集まることは、とても楽しいことだ。

やっぱり自由に身体を動かすのは、楽しいというフレッシュな感想は毎回あるが、それ以上に、僕の中で、長い間葛藤していた対立軸がほどけつつある。

それは何かというと。

『欧米ルールの無国籍ジャングル』VS『日本発信グローバル』、という対立軸である。非常に個人的であるが、この2つのどちらかで、どういった進路を選ぶか迷いがあった。

「欧米ルールの無国籍グローバルで通用しなければだめだろう、まずそこだろう」なんて、思っていたふしがあり、語学を強化してある程度通用するようにしたが、その先にはやはり「国際感覚を身につけてどこでも通用する人」としてなること以外に何も見いだせなかった。そんな時に、この3ヶ月くらいで、一気に後者への理解と共感が深まった。魂がクリックしてしまった(笑)きっと、本物の人たちと出会ったからだと思う。

ちょっと話題はそれるが、中国人や韓国人が欧米への留学を夢見ており、年々留学者数が増えている一方で、日本人は留学人数が劇的に減っているとの話をそれはまあよく聞く。欧米の識者はそれに対して、「日本は沈んでゆく」とムカつくことを言う。かく言う僕もつい最近までそのように思っていた。でも今僕はそうは思わない。

僕はそれらの原因について、日本人の若者たちの精神性が熟してきた側面が強いと思う。アングロサクソンが主導して押し付けた、”自分たちの短期的な利益を追求した合法的な競争社会”である金融資本主義の崩壊をまざまざと見せつけられ、肌身で感じ、西洋の豊かさへの憧れが急激に薄れたのだ。しかし、その代替のイデオロギーやユートピアや価値観が見つからないので、内向きにエネルギーが噴出してしまっているのが今なのではないだろうか。そのポテンシャルが生かせず、ムキになっているのだ。中国人や韓国人などの、最近急に発展した国々の人たちはまだその世界がわからない。過去の時代の指標(欧米への留学者数や国民一人当たりの収入の伸びなど)では日本は負けっぱなしなのかもしれないが、その指標はもはや古い。

誇りを取り戻せ、日本人よ。その必要なプロセスとして、外を見るべきことは確かだ。そして新しい時代を切り開くのは、感性が豊かで行動力のある若者しかいないのだ。がんばろう。


・・・話は戻って、そういった意味で、今日の、国連の仕事もするアメリカ人の教授の手伝いと、ヨガや古武術や気功などを取り入れたダンス教室に通うということは、とても対照的・象徴的で、印象的な日であった。

しかし、今思うと、こんな対立軸を明確に持っていた訳ではない。なんとなく、あちらとそちらのどちらに進むか霧がかかっている時期が結構あったように思う。それが自然に晴れてきたということだ。

道に迷った時、答えを焦ってはいけない。自分自身の中に答えはある。答えを急ぐと、自分自身の中を満足に探索できない。だがしかし、ここで重要なことは、焦って空ぶったりつまづいても、気づきは与えられるので、何もしないで動かないよりはマシだとは思う。

僕の今の考えは、毎日すべきことを行っていれば、自然と答えは与えられるのだというもの。毎日のその瞬間に集中してして生きるからこそ、喜びと感謝も生まれやすい。きっと”答え”以上に素晴らしいものが手に入るのではないか。体験からそう思う。