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1丁目住人のブログ

一人一人が楽しく生きるためのブログ。

自分の考えの整理も含め、大きなことをまじめに書こうと思う。
 
「形のないものから形は生まれる」
  
これは先日、謎の整体師に言われたものなのだが、まさにこれだ、俺の長年追い求めているものは。

僕らが生まれ育った国である日本の良さとはつまり、形ないものを愛でる・有り難がる精神性だったのではないか。大きな神木に雨の恵みを祈年する人々。「ありがたや、ありがたや」と米粒に対しても言う百姓。どちらも日本のつい近年まであった原風景だ。

その精神性が戦後のモノ不足の時代からモノ余剰の時代に移り変わるにつれ、すっかり破壊されてしまった。

車だって家電だってなんだって、ジャパンアズNo1となった。外貨を稼ぎまくるモノ作り大国の誕生だ。モノに真心を込める精神性が、いつの間にか機能や精巧さ精密さとしてだけに成り下がったとき、つまりモノだけが一人歩きしたとき、日本のモノ作りはカタチに溺れ、廃れ始めた。形あるものは模倣できるように、そのまま真似されるようになったからだ。
    
実は、僕は学生の頃、着物職人のお手伝いを1年間くらいやっていた。
国際性のない日本の伝統芸を世界に広めるというミッションに共鳴し合い、当時インターンをしていた外資経営コンサル会社にいた東大院生数名と、プロジェクトを組んで行った。旅館や営業、海外デザイナーとのコラボ、ネット通販、グッドデザイン賞出展など色々やらしてもらえて楽しかった。
 
前の会社には、その流れもあり、そんな沈み行く日本をどうにかしたい、という気概で入った。しかしわずか2年目で会社の倒産。会社という形は残ったものの、債権者への大きな不良負債と従業員への何ともつらいツケを残した。といってもまだ2年目、成長フェーズだろうが停滞フェーズだろうが再生フェーズだろうが同じと思い、その後3年間それなりにやりきった。
  
会社が成長を続けて、新しくて、オモシロいシゴトが沢山舞い込んでき続けていたら僕は今頃どうなっていたのだろうか?と何回か考えたことがある。きっと、今いるところにまで到達していないのだというのが僕のいつも行き着く予想だ。それは貯金でも社会的な知名度でもモテモテ度でもない。僕の一生を通して背負っている個人的なミッション上においての到達度だ。
  
きっと会社という器がどうなろうと、どっちみち僕はその会社でのシゴトに飽きて脱走していた(笑)自己勝手な無理がある正当化をする気はないが、倒産という強制イベントが、逃げ腰だった背中を押してくれたのかもしれない。
  
僕がこのことに気づけたのは、伊勢神宮の体験があったから。
式年遷宮のお祭りにまで報道陣バッチをつけて参加できた時。
 
前回より説いているように、無条件に日本が素晴らしい、日本人は優れている、というのでは能がないし、第一フェアではない。そのような主張に世界の賢人たちが耳を傾けるはずがない。しかし、これだけは僕の半生をかけて言える。
  
「日本には今の世の中に最も必要なもの、目に見えないものを感じて尊ぶ精神性と文化がどの場所よりもあった」のだ。
   
日本だけではなく中国の山奥でもそれらに出会う事ができた。ネイティブアメリカンだって、ボリネシアの狩猟採集民だってあるところはあるだろう。多くの彼らはこの現代において非常に非力だけれども。問題は、場所やDNAではないのだ。無形のスピリットなのだから。宗教心よりもっと大きいものだが、それに近いだろう。
   
世の中は、便宜的に数値化、定量化、見える化したものが猛烈なスピードでどんどんつぶれて、とうとう自己崩壊の局面に向かっている。そのスコープごしに見ると、グーグルやFacebookは最後の刺客なのかもしれない。最後は自らを”食べる”ことをあたかも知っているかのごとく、飛ぶ鳥の勢いで必死で成長を志す。

どんなものも目に見えると信じ込むことで目に見えない世界をズタズタにした。そして自爆して自ら苦しみはじめている。僕らは今、人類の大きな学習のプロセスにいる。
  
僕がこれから生涯をかけて取り組みたい事はおぼろげながらそんなことだ。人類の立ち直りプロジェクト(仮称) ポイントは、”モノ作り”や”食”や”モバイル”とかいうコンテンツではなく、目に見えないものという”括り”。
  
空気だって、命だって、愛情だって、みんな本当に大事なものは形がないのだ。宇宙だって96%が科学で説明がつかない物質でできているらしい。地球だって宇宙の一部なのだから、見えないものの方が多いに決まっていると、僕は思う。見えないものは、実は膨大にある。見えているものはごく一部だ。皆それを忘れている。

それらに対する次の時代における正しい人類の向き合い方を模索し、良い方向に持ってゆけたらと思う。
以前オノヨーコや日本の元首相に専属でついていたという、謎の中国人整体師に身体をみてもらいました。

驚くべき事に、背中をさすってもらっただけなのに、一発で身体の疲れが飛んでしまいました。その方、腕は超一流なのはさることながら、霊的な方でいらっしゃいます。
またその方曰く、どうやら僕は転生ラマ(リンポチェ)らしく、過去に何度も転生してきたらしいです。(笑) 客観性を保つために(笑)をつけてみました。

たしかに、20歳のときに、単身バックパッカーでチベットに旅行に行っています。高校でドイツ語を習っていたので、19歳のときに一人でドイツを1ヶ月うろつきましたが、何故かその次がチベットであり、そこで様々な法具を購入したのを思い出しました。

僕はダライ・ラマとパンチェン・ラマの側近だったことがあり、2つの宗派をつなぐ役割であったようです。そのため、肉体的・精神的な鍛錬は過去生で相当にされており、幼い頃から、若年寄りのようなところがあったようです。(笑) 身体、頭、心の修行は完了しており、身体も強く頭もよく心もできていて、現世では魂を磨く新しいフェーズに来ているようで、これからがその本番と言われました。(あくまでその整体師の評価です)

「あなたはこれから神様のお仕事をやっていくことにナル。それは人間の魂に関わるシゴト。魂とは宇宙であり、すべてであり、無でアル。すべての有なるものは無から生まれるヨ。無の方が圧倒的に大きいの皆ワスレテル。アナタは前の会社を辞めた理由は何か?それは目に見えるものではなく、目に見えないものを追い求めるためヨ。アナタの強み、それは理性。アナタはもう形あるもの、お金や地位や名声、興味ないダカラ。アナタは前世で修行ガンバッタ。だから天のお役目に選ばれた! まだ確信がマダないみたいだけど、明確に分かってイル。」

カタコトの日本語で言われました。アナタは神様のお手伝いをこれからするから、とのことでタダでやってもらっちゃいました・・

内容の真偽はともあれ、一言言えるのは、あの方はただ者ではなかった・・ 

また中国に旅立つ前に会おうと思います。
7月半ばに友人結婚式二次会主催、そして7月末にまた中国上海と杭州へ展覧会と出版関係の仕事で飛ぶなど、いつの間にか、ハイパーメディアクリエイターぶりを発揮しております(笑)

ですが、こういう企画系の仕事は嫌いではないですな。今は、長くやっていた営業より楽しい。

「今、日本で最もツイている」と周囲から言われている男の冒険はまだ終わりません。

明日も昼は世界的な経済学の権威とお会いし、夜は日本の大女優とお食事という意味不明な一日。
社交と仕事のコンビネーションで、もう何がなんだか。穏やかな無職の日々はいずこに・・

竜巻に乗りながら感じるのは、もう今のスタンダードになっている西洋文明は完全に終焉を迎えるというのは、世界のトップ層での暗黙の了解になっているらしいということ。それは英語が廃れたり、米ドルの価値が下がるという表面的なことではなく、短期的合理、個人主義、人間中心主義といった1つの巨大なイデオロギーがまさに終焉を迎えているということ。

産業や政治、アート界のトップ達が、中国を経済を主眼とした発展ではなく、自然や文化の中心地として構築をし直そうとしている。中国を歩いていると、本当に文化大革命で破壊されてしまったものが無数にあるものだとわかる。そのリーダーシップを取っている人たちと今僕は付き合っているのだと思う。

アジアやBricsの経済発展に便乗してとりあえずその分け前を頂くという旧来の動機で進出をしてゆく日本人は依然として多いが、それとは明らかに一線を画している。このような志のあるビジョンに僕はときめいている(笑)

また公開できる内容があれば、極秘にレポートしようかとおもっとります。
旅を終え、東京で一息。

何かと経済や社会問題などで取り上げられる国、中国。今回はそういった側面ではなく、水の循環、少数民族の人々の暮らし、そして祈りといった切り口で中国の美しさをみてきた。雨期だというのに、連日天候にも恵まれ、まさに神様に祝福を受けているようだった。

例えば、伊勢に受け継がれてきてきた神道のスピリット、文化大革命で埋没してしまった孔子の魂、ネイティブアメリカンの自然に対しての畏敬の念。現代人が忘れてしまった”大切なもの”は大都市にはもはやなく、そこからは生まれないということがわかった。

「新しい」と時代が認識した技術や知恵や思想があればお金は集まり、経済が生まれる。それが人間や世界にとって正しいかどうか判断するセンサーがないままに。ニューヨークやロンドン、香港や上海、東京といった大都市がそのダイナミズムの受け皿になってきた。今まではそういう時代だった。しかしこれからは違う。

新しさに群がり、便利さを一心不乱に求めると、福島原発のような悲劇が起こる事が、日本人は文明が進んだ国の中で一番乗りでわかったはずだ。

しかしながら、「日本人の持つ精神性が一番優れている」「日本という国が一番素晴らしい」ということではない。そう唱えている年寄りや視野狭窄のゴロツキが日本にはゴマンといることを知っているが。僕はそれはフェアではないと思っている。

たまたま日本が一番、次の時代に必要なソリューションの種を持っていると信じるだけであって、それを所有物扱いして威張り腐ったり、儲けようとしたりなんぞは、前時代発想以外のの何ものでもない。所有や優位という欲望から脱却しない限り、ソリューションは生まれない。突破口は”切り離し”て”融合”することにあるのではないか。

僕はこれから、その今の時代が必要としている種を見つけ育ててゆきたいと思っている。日本人として。そのために必要な人たちにも会える事ができた。

まずは出版と展覧会。それが終わったら何をするのかまだ不明だけど(笑)、この調子だとたぶん大丈夫だろう。とりあえず、目先のことに集中しようと思う。
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この1週間、中国の少数民族や稲作文化についての撮影をベトナム、ラオス、ミャンマー近辺で撮影。雲南省南部のプーアル県にて7年モノの今まで飲んだことのない深みのあるプーアル茶を堪能し、お土産用に大量購入。熱帯雨林の町で蝶の標本も買いました。

数日間かけて数百キロを陸路で移動した後、本日雲南省北部シャングリラまで飛びました。これからチベット自治州近辺での撮影に移ります。

何といいますか、このようなアート関連の仕事をしていると、右脳が活性化し、その反面左脳が機能低下を起こすようで、頭がぼけーっとしてきます。その中でAD役というのは最後の守備のようなもので、アーティストのような右脳開放を最大限にされる方々に比べ、冷静な僕は適性があるようです。何より貴重な旅を楽しくやらせてもらっており、大感謝です。

本の構成も大体決まってきました。とんでもなく神がかった写真が今のところ取れております。出来上がりが楽しみですの。※写真は個人で記録用に取ったものなので写真集とは関係ありません