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1丁目住人のブログ

一人一人が楽しく生きるためのブログ。

イスラエル元大使と独立されたキュレータの方とイスラエル料理を食べた。
意図せず、イスラエルとインドについて人脈が非常に、増えている。なぜだかは分からない。

今年と去年で、人とのつながりが分断されリビルドされた感じで、新しい出会いもしっちゃかめっちゃかに入ってきて、どういった関係なのかジャンル分けができなくなっている。もうラベル付けは必要ないのかもしれない。古きをすべて捨て、新しきをめいっぱい取り入れた2012年。まだ半分しか終わっていないものの、間違いなく、今年は種まきの年だ。

僕は来年の2013年、資本主義、お金、仕組みを学ぶのと同時に、調和の美を学ぶ。つまり、サイエンスとアート。自分で決めた訳ではないけれど。

サイエンスの仕組みで起こった不具合を、またサイエンスの仕組みで解決しようとしても、同じくらいの新たな問題が浮き上がってくる。最早、”仕組み”頼みという人間の浅知恵では解決できない問題となってしまっているように感じる。

それは、先日25日のシンポジウムでムハマド・ユヌスさんや学生の頃憧れていた原丈人さんなどの話を霞ヶ関で聞いて思った。一緒に写真撮ってしまったけれども(笑) 彼らの論じていること・実践していることは、ネオ資本主義の仕組み作りのことだが、問題点への反論止まりである気がする。つまり同じ次元で考えているため、問題点の座標を移すだけで、根本的なものではないのだ。

今必要なのは、サイエンスではなく、アート。ハードではなくソフト。

言い換えると、法規制やルールなどの仕組みではなく人間の感性や価値観、で取り組むべきときが来ているのだと、大真面目に感じる。アセンションとは、このことではないか?と、世界の色々な人と出会う中で思う。

そのために仕組みをわかっていなければいけない。同時に新しい糸口を見いだす。そんな役割ができれば本望だとおもう。
写真家の方から就職祝いにと、新橋演舞場で歌舞伎を一等A席で見させてもらった。
何でも、市川團十郎さんや海老蔵さんとお友達とのことで、会ったら紹介するかもと言われ、久しぶりにフォーマルな格好をした(笑) その前に、前職の上司と、目の前にある宮本亜門のお父さんがやっている喫茶店で打ち合わせをしたが、そこも趣があって、いい感じだった。

本日は、市川猿之助の襲名披露とあり、報道陣がとても多かった。そして俳優の香川照之さんこと、市川中車の初披露とあり、この日にこの席を取る事は普通、ありえないらしい。。

そんな中、猿之助(えんのすけ)をさるのすけと呼んでしまったあたり、僕はドがつく素人であり、そんな席に見合う観客だったのか、はなはだ疑問である。

おそらく、このような歌舞伎や能のような日本の伝統芸能が僕はハマってしまうタイプで、上海雑技団やライオンキングも面白いと感じるが、こちらの方が性に合っているようだ。

歌舞伎については、人間の身体の動きや声の響き、台詞の間、所作や身のこなしの作法、を最大限に役者が意識をし、感覚を研ぎ澄ませることで、色気というか、演技に艶っぽさが生まれ、観客の視覚と嗅覚をとりこにしてしまう。interestingと一括りでまとめたくないほど、違うクオリア(質感)なのである。習字に似ている。字を書くという日常の一幕そのものを、意識して切り離し、芸にする。こういった感性は世界に類がないのではないか。

人間の意識や気という見えない力を向ける事で、身体や演技そのものが変化する。そして与える印象や質感も全く違うものになってゆく。まさに、”見えない世界”で生じたものが、見せない媒体で伝えられ、人間の見えない部分を動かしてゆく一連の現象ではないか。これこそクリエイティビティ。

感性のとても良い栄養になった。感謝。
秋から籍を置く予定であるファンドの社長と公認会計士のマネージャさんとご飯を食べた。

結果から言うと、「うちにはいつでも来て良いので、それまでにここ行けば?紹介するので」という提案を頂いた。基本的に、金融業に骨を埋めるつもりはないが、通り道としては必要だと思っている。まず金融業を把握するためには、一番いい道を辿れば?ということなのだ。

最近、入れ食い状態のオレ・・ 今日も社長から、君は素質があるから、きっと金融で成功すると言われてしまった。

その”素質”とは、1、リテラシー2、感性の高さ3、算数のセンス、の3つらしい。

リテラシーとはお金と自分との距離感、つまり金遣いが荒いやつは向いていないということ。多くの者が金を掴んでおかしくなり、自滅していったらしい。そして感性とは、社長曰く、インタンジブルズ=見えないものを見抜き掴む力。空気を読む、相手を気遣う、おかしなところに気づく、本物を見分ける・・。最後に算数のセンスとは数字に強い事。そしてこの数字やロジックの力があることが大前提となり、勝負を分ける感性の力があれば、その勝負に勝てるのだという。勝負に勝っても自律心がなければ、短命で終わる、そういうことらしい。3→2→1という優先順位を辿る。

これは非常に、面白い話だと思う。

社長さんもいまの僕と同じ28歳のころに、世界一の投資会社からヘッドハンティングがあったらしい。年収5000万円で。そこでなびかなかったのは、外資企業だから日本人だと部長までしかいけないことが分かったことと、何より、その面接の時にひどい嵐があってザーザー降りだったかららしい。それで嫌な予感がして、やめたと。今になってその予感は正しかったと確信。その道に行ったら必ず金に溺れて真面目に金儲けすることができなかったと振り返る。そのオファーを蹴った代わりに、香港とフィリピンで、3000億円の当時走りであるヘッジファンドをマネージしていたのだから、つくづく大したものだと思う。

彼も、人智を超える何かに対して、畏敬の念を持っていたのだ。同時に、そこに依存しない。ただただ、人智を超えるものがあると考え、一目置くというクールなスタンスを取っている。

中国でこの進路のことは考えようと思う。なかなかフィックスしない感じの、2012年の夏。来週は上海に飛ぶ。
マクロビオティックというものがある。これは桜沢如一という人物が始めた食事療法のことで、玄米を主食、野菜や漬物や乾物などを副食とすることを基本とし、独自の陰陽論を元に食材や調理法のバランスを考える食事法のこと。いまや世界的に広まっている概念である。

この陰陽を覚えておくと、料理を作ったり選んだりするときに良い。
以下の佐藤界飛さんがつくった特徴まとめはわかりやすい。

陰陽の軸でバランスをとった食事をしていると、理性と本能の両方のエネルギーがバランスが取れ、とても心身安定して過ごせるように感じる。なにより内蔵を中心に、体調がよい。

<特徴>
・産地
暖かい地域で栽培されている物が陰性。
寒い地域で栽培されている物が陽性。
同じ人参でも九州産と北海道産なら北海道産の方が陽性になります。
・栽培法
野菜は葉野菜程陰性で、背の高くなる物が陰性。
野菜は根菜類がより陽性で背が低く繁殖するものが多い。
・形
長細い程陰性。
丸い程陽性。
・色
白や緑は陰性、紫は強陰性、トマトは茄子の仲間なので強陰性。
オレンジや黄色は陽性。
・大きさ
より大きい程陰性。
小さい方が陽性。
・固さ
水っぽい程陰性で柔らかい。
固い程陽性。
・味
甘い、酸っぱい、辛いは陰性。
ニガイ、塩辛いが陽性。
・成分
果物、タケノコなどカリウムが多いのは陰性。
ナトリウムが多いのは陽性。

写真は三鷹・紗羅舎のランチ。
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愛犬が逝ってしまった。1週間前からご飯を食べなくなり、昨晩旅立った。
ラブラドールで16歳と7ヶ月という大往生である。人間が犬を人間のように扱い、犬も自分を人間だと思いながら生きていると、辛い別れになるのだろう。愛着という執着が、人の心を苦しめる。今日行った動物霊園には、犬や猫の魂というよりは、飼い主たちの哀しさでできた念のようなもので充満していた。

形あるものはすべて滅びる運命にある。滅びて、また生まれる。
ほとんどの生き物が生きていないと考えるか、生きていると考えるか。
どう捉えるかはその人の自由だけど、形は伴わない期間はきっと長くて、深大なものであり、死ぬとは、その無から再生への過程に入ってゆくことなのだと、僕は信じる。

死を含める、形ないものの解釈として、宗教がその役割を担ってきた。特に、チベット仏教の輪廻転生はとても”面白い”死生観だ。

1950年代、毛沢東はダライ・ラマ14世に「宗教とは人を腐らせる阿片である」と告げる。
そこから約半世紀以上、現在のチベットの悲劇は続いてきた。形のないものへの理解がない者達から、大切な教えを守り抜いてきた。ダライ・ラマ14世が亡くなったら現在は穏健派であるその下のチベット僧たちがどうなるかと思うし、パンチェン・ラマの過激派も一触即発の状態だという話を聞く。

確かに、来世利益しか考えていないチベット人はかなりいるのだという。現世での楽しさや喜びを求めないで、ひたすら来世志向であると生活に支障が出るし、社会基盤も脆弱になるだろう。それでは本末転倒だ。

とはいえ、自分たちが恐れるものを、焼畑のように破壊したところに、中国の最大の過失がある。まだ中国当局はその過ちを認めていない。人はバランスを失い、過ちをおかしうる存在なのだ。過ちに過ちを怨恨や復讐によって上乗せし、世界は疲弊しきっている。その通過点が9.11だろう。

ところで、9月に、中国での展覧会の合間をぬって、チベットへの写真撮影に行こうと思っている。また水先案内人として。。 僕にとっては二度目のチベットだが、前回とはきっと状況は変わっていることだろう。人類にとって、何が普遍で大切なものなのか。またヒントを見させてもらえれば、それ以上の喜びはないです。