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1丁目住人のブログ

一人一人が楽しく生きるためのブログ。

知り合い(Aさん)の代理人として、5ヶ月放置されている総額70万円の債権を回収しようと試みている。個人で負担するには大きな額である。

自称イベントオーガナイザーであるBさんは、英語が多少できるということで、経験がないにもかかわらず、米国にてイベントプロデュースの仕事を安易に引き受けてしまったが、自分の役割を果たせないばかりか、関係者に迷惑をかけ続け、自分のミスにより、金銭的にも予算をオーバーしてしまったのだ。そのため、協賛企業である某新聞社からの費用処理が遅れていると言い、関係者が立て替えた費用が放置されてしまっているばかりか、僕の知り合いのAさんに減額を求める始末。その件につき、善処もしていない。

そこで昨日、事前に弁護士の友人に手ほどきを受け、本人に直接会い、ばっちり音声を録音しつつ、渋谷で話し合った。

Bさんを通していると埒があかないので、協賛企業の連絡先を聞き出し、今週末に三者間で面談をすることになった。本来、遅延利息を取ってもよいケースではあるが、Bさんも個人であり、交渉がスピードダウンする可能性があることを鑑み、代理人である僕が窓口で費用処理を行おうという魂胆である。迅速な満額での返済をゴールとしている。具体的には9月末。

Bさんから思ったこと、それは、自分の名誉欲しさに仕事を引き受けるのはいいが、責任を取らないのはおかしいということである。おいしいとこばかり舐めようたってそうはいかないのだ。僕は全世界の無職代表として、そういう輩をこらしめようと思う(笑)

人道に反さない限り、どんな動機で仕事を得て、働いていてもいいと思うが、役割を果たそうとしない人は、労働市場から即刻退場して頂きたいものであります。利己利他の問題でも能力の問題でもはなく、人間としての根っこ、誠意の問題。
最初に、この話がフィクションであるかノンフィクションであるか、読者の判断に委ねたいとおもう。

昨日、師匠に連れられて、ある霊能力者にお会いした。その方の自宅に行ったのだが、僕が住んでいるところにとても近かった。ピンク色のアパートの中にそれはあり、とても質素な生活をしていることがわかる部屋であったが、どこか非常に高貴な気が流れているのが実感できた。

当人であるご夫人に挨拶をすませて麦茶を出されて、早速こう言われた。「あなたはこの師匠の桃(宝)である」と。「機が熟したのであなたたちは出会った。あなたと、この師匠は、これから神事をすることになる。師匠は来年から世界的に更に有名になってしまうのだが、それをガードするのはあなたの仕事である」と。

そのあと、奥に通され、指名と生年月日を伝え、上から筆を下ろしてよいか、と聞かれたので、お願いします、と答えた。

するとその方は、急に僕と目も合わせなくなり、目があいたお釈迦様とも見える、とても美しい顔をした方の神子様の絵を描いたのである。その神子様の指には赤い糸が結びつけられており、額には「直」と書かれている。そして、その余白にこう書いたのだ。

「慶事 幸多き 天命 拝領 神鏡に現す 天心 不動心 心御柱 気一本」

あなたは神様に遣われたようです、と。「選民は神の御意志ではないけれど、天界は急いでいる。あなたはこれから沢山の一流の方々に会い、彼らの気を感じて観て感性を研ぎ澄ませ、最初の数年は「数」の勉強をすることになる。それはあなたの鎧兜を強くすることになります。あなたは組織に弱いけれど、小さいことも大きなことと同じと思い、勉強しなさい。心を強く不動のものにすれば、柱が立ち、根が育って、大樹となるでしょう。まるく治めてしかくで括りなさい。」

そう言われた。結果的に8枚も予言書を書いて頂き、通常そんなことはないのだと、ご主人から言われた。すべて詩になっているのである。すらすらと筆を下ろし、とても人間が考えて書いているものとは思えない。

それ以外にも、家族のこと、身体的な弱点のこと、自分の性格のこと、すべからく当てられてしまった。

なんとも不思議体験であった。最近、この手の不思議な出会いが多い。そしてまたもや、お金を払っていないのだ。

師匠は言う。10年お付き合いしているけれど、「この人は間違いなく本物の人よ」と。

結局、前回の謎の整体師と同じ事を僕は言われており、まともに考えると理解不能で、謎は深まるばかりだが、特に解明する必要もないし、ありがたくアドバイスを頂き、謙虚にやっていけばよいのだと思った次第である。

僕は思う。思いもかけず、自分が浮上したとき、「自分は違う」「自分は特別だ」と思った時点で、腐敗が始まるのだ。例えば、オウムの麻原彰晃は、常人と違い、特別な力があったのかもしれない。だから弟子もたくさんいたのだろう。でも、それにより、一人の人間としての瞬発力や等身大の感性は死滅し、人が人として生きる道から外れて、世の中に役立たなくなるのだと思う。

だから僕は思う。定期的に合コンに参加して、女の子にモテようという動物的な生存本能を発揮して、等身大の自分をキープしようと。・・大真面目にである。 

以上、あと1ヶ月で29歳となる、2012年の夏の一コマである。
台風が来ているが、とりあえず明日一度帰国する事になった。
東京で色んな人に会わねばならない。

上海でまた沢山の国家級の魅力的な人に会い、さらに面白いことになってきた。
旅とはいつも、人を成長させるものである。

そして、アートのマネージメントがいかに大変であるか、学んだ。
牙がないライオンなんて見せ物にならないが、牙がある獰猛で魅力的なライオンを扱うには理解力と様々な知恵とテクニックを要するのだ。飼いならされているライオンなんて求めていないのだから、そこに挑戦するしかないのだ。

最後に、上海の外滩で、ある人にかっこいい写真を撮ってもらったので、ささやかな自慢として、UPしてみたい。暗い場所で撮られたので誰だかは、わかるまい。

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橋下知事に思うこと。

彼が日本の文楽業界に対して、強く批判しているようだ。長い間旧態依然として、金銭的な自立ができない伝統芸能に対して。

僕は今後、こういった意見が日本では益々、大きな割合を占めるようになってくると思う。こういったとは、世間という、現在における大多数の評価が受けられなければ、そのものが歴史や過去の栄光があろうがなかろうが、ダメなものと烙印を押し、何がなんでも潰すか縮小させて、その代わりとなるアテもなく、とにかく新陳代謝を図ろうとする方針。

ながらく前に進めないことを受けて、自己否定をエスカレートさせてゆく類のものだと感じる。

僕は文楽を知らないし、見たことがない。だから文楽が本当に良いものかはわからない。

しかし、これだけは言える。

本当に良いものや突き抜けているものは、多くの人が理解できないし、場合によっては感知もできない。これは今までの歴史上、多くの天才が世間に全く認められなかったことに似ている。

市場原理や多数決で決めることについての、弱点や危険性の配慮が欠けているようにうつり、反橋下派な人たちは、彼のこのところに強い本能的な怖さを抱くのだと思う。

「助かる道はこれしかありません」と、外科手術のように強行しようとする。進めないことへの解決にはなるが、必ずしも幸せになる解決とは合致しないことを本当に肝に銘じなければならない。手術はギャンブルのようなものだ。

なんでこんなことをつぶやくのかというと、中国にいると、昔の文化大革命で、本当に多くの良きものや生き智恵が潰されてきたか、というのがわかってくるからだ。

だから、このネガティブ動機からくる改革は非常に、危険だと感じている。乱雑さに苛立ち、デスクトップにあるフォルダを中身を確認せず全部捨てるようなもん。

必要なのは改革じゃなくて、人の感性。足るを知る感性。調和の感性。一人一人の瑞々しい感性やセンスがあって、自分と他人を喜ばせることができる。仕組みは、それがあって、初めて機能する。

そういうことをしなくっちゃとおもう。
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最近の僕の生活。

上海虹橋近くの高級レジデンスの13階に缶詰状態で、出版・展覧会に向けての編集と打ち合わせをこなしてゆく日々。

早朝からプールで泳ぎ、自炊したご飯を毎日食べて、またに外散歩して、仕事をして、寝る。たまに、会食。

仕事で缶詰のはずなのに、プールで泳いでいるもんだから、日焼けするし、どんどん肉体が引き締まってゆく。

なんて優雅な生活・・ 快適すぎて、人間としての生存本能がスポイルされてゆく気がする。何事も偏りは良くないのだ。

前の会社の同期とばったり会い、来週飲む事になった。

こういうのは、今しかないので楽しみまっす。