米国MITのベンチャー支援関連の組織てある、特定非営利活動法人の日本チャプターが行うカンファレンスの説明会に参加した。こういうカンファレンスは初だという。
監査法人がスポンサーとなっていて、ビジネスプランコンテストをカリフォルニアで企画しているのだから、現在のアベノミクスによる株高の影響を受けて、行政、民間(非事業法人も含む)と、非常に成長投資へ積極的になってきているのがうかがえる。日本の企業全体の現預金は15兆円まで回復したものの、この株高と円安がいつまで続くのか不安であるということ心理が背景にあるようにもみて取れる。
みんな現状を打破したいのだが、その方法が思いつかないまま時間だけが過ぎ去ったニッポン。まだ金はかろうじてある。なのでこういった業界活性化の集まりが生まれてくる。ベンチャーキャピタルや、支援家も相当増えてきたように思う。
しかしながら、本当に国境をこえた画期的なベンチャーをやって成功した人は残念ながらそういう場には出てこない。また、一方で国内で成功したとされる起業家の話もある種エキサイティングではあるのだが、視野が狭く、自画自賛的なものが多く、そのほとんどがツマラナイという印象だ。
こういう時勢には、とかく、声が大きくてイケイケドンドンの自信マンマンのちょっぴり海外経験なある人が前にしゃしゃり出てくる。
僕はそういう、ギラギラした、鼻息の荒い、ピノキオさんたちが苦手である。本物はそういう人たちではない。
僕の知るホンモノたちは、追い風だろうが向かい風だろうが無風だろうが、穏やかに言葉少なくただ己の為すべきことをやる人たちである。
出世欲や有名欲なんかに左右されず、本質を見極め、適切なことだけを言い続け、やり続ける。
いま僕はそういう人たちと一緒に仕事ができてとても幸せだ。そういう人たちは高齢が多いので、もうすぐそうもいかなくなってしまうのだし。
僕の定義するホンモノになれるよう、気持ちを確かめることができたのであった。
多くの業界関係者は、自分たちがアメリカの二番煎じで良いと割り切っているか、アメリカから輸入した考えのもと、思考していることを気づいてすらいない。
そこには、心踊るようなワクワク感はなく、よその成功を自分も味わいたいという、欲と期待が混合したベトつき、ギラつき、しかないのだ。
今は投資家という立場なので、色々と寄られてしまう。好き嫌いせずに、うまく付き合いながらやっていかなくてはならないこともあるだろう。しかし、僕が目指すのは、そういった、カッコ悪いムーブメントから訣別したところにある。そのことを忘れずにやってゆきたいものだ。
会社でアメリカ人の講師(失礼ながら、アメリカ人にしては珍しく、細身・小柄で控えめなポジティブ人間で、とっても可愛くて僕のタイプ)が来てくれて、英語の授業をつけてくれている。
まぁ、コミュニケーションはそつなくこなせるものの、僕がこだわって磨きたいのは適切な返答力と、事実とパッションの混じったよどみの無い説明力である。
前者については、だいたいネイティブと話すときは聞く時間の方が多いのだから、こいつ分かってるな、と思わせるユーモアの混じった相づちや被せを適切にクイックにできると、信頼され話が盛り上がる。言葉数少なくても、滑らかに事が進むのだ。商談などの本番環境では、それが結果に直結するし、仕事という枠を取り払った人と人の繋がりも、まず話していて面倒くさいとか、ストレスが溜まるなぁ、なんて思われないことが肝要だ。
後者については、本当に伝えたい内容を伝えてようとする時、筋道を立てて計算しすぎて話すとうまく伝えられない時がある。そんな時は、その本当に伝えたいコンセプトを殺さないように、単語やフレーズを繋ぎ合わせて、話をうまくまとめて着地させる、ソフトな集約力が必要になる。
とにもかくにも、まずナメられないことが大事であって、そこをクリアした上でさらに、「こいつ結構面白いかも」と思わせることを僕としてはストイックに狙ってゆきたい。
語学とは表現力であり、たしかに国際感覚は多少つくけれど、決して人間の中身までは語学で磨ききれないので、間違ってはならないのは、中身(人間力)を面白くするのと同時に、その出力方法である語学も磨きをかけるということだと思っている。
ちなみに、写真家のパートナーというのは、とてもウケが良く、僕もこれについてはネタ化していて、とても話しやすい。アートは国境を超えるのだ。
まぁ、コミュニケーションはそつなくこなせるものの、僕がこだわって磨きたいのは適切な返答力と、事実とパッションの混じったよどみの無い説明力である。
前者については、だいたいネイティブと話すときは聞く時間の方が多いのだから、こいつ分かってるな、と思わせるユーモアの混じった相づちや被せを適切にクイックにできると、信頼され話が盛り上がる。言葉数少なくても、滑らかに事が進むのだ。商談などの本番環境では、それが結果に直結するし、仕事という枠を取り払った人と人の繋がりも、まず話していて面倒くさいとか、ストレスが溜まるなぁ、なんて思われないことが肝要だ。
後者については、本当に伝えたい内容を伝えてようとする時、筋道を立てて計算しすぎて話すとうまく伝えられない時がある。そんな時は、その本当に伝えたいコンセプトを殺さないように、単語やフレーズを繋ぎ合わせて、話をうまくまとめて着地させる、ソフトな集約力が必要になる。
とにもかくにも、まずナメられないことが大事であって、そこをクリアした上でさらに、「こいつ結構面白いかも」と思わせることを僕としてはストイックに狙ってゆきたい。
語学とは表現力であり、たしかに国際感覚は多少つくけれど、決して人間の中身までは語学で磨ききれないので、間違ってはならないのは、中身(人間力)を面白くするのと同時に、その出力方法である語学も磨きをかけるということだと思っている。
ちなみに、写真家のパートナーというのは、とてもウケが良く、僕もこれについてはネタ化していて、とても話しやすい。アートは国境を超えるのだ。
とうとうプライベートエクイティの世界にきてしまった。キャピタリストデビューである。
ベンチャーとかスタートアップとか言う言葉の使用が、民主党政権により、この数年抑圧されてきて、ようやくリーマンショック前までの水準まで活気を取り戻してきた。2005年前後の堀江さんや村上さんの功罪はどちらも、大きい。
最近は、ベンチャー単独でのオーガニックな成長ばかりではなく、大企業によるM&Aも増えてきており、益々欧米に倣ったインフラを整えていると言える。昨日も経産省主催のイベントがあり、その趣旨は、大企業とベンチャーと支援者(VCなど)をコネクトする、といったものだった。
産業界が当面目指している、ベンチャーのエグジットが多様化するということは、短期的なリターンを目指す傾向が強くなることと同義であると感じる。
10年から20年かけて良いものを生み出すといった視点を持つファンドにとってみれば、必ずしも利点ばかりではないが、ようやく、日本の重い腰の正体である大企業が、背水の陣になったことで、新規性とリスクというものに対して正面から対峙するようになってきたのかもしれない。
ひねくれた考え方をするわけではなく、安定を伴った日本ならではの新陳代謝の生態系を目指さないといけないわけで、無闇にイノベーションが必要ということではないし、ベンチャーの創出自体が喜ばしいことでもない。つまり、新陳代謝を促しすぎて、社会が不安定化してしまったら本末転倒だ。
また、将来に結びつかない中途半端な雇用を創出しても意義が薄いし、雇用の品質も大事な観点である。
そういった意味で、産業や企業の誕生部分を担っているベンチャー産業は、考慮すべき事項が多い割に、その期待と責任は大きい。しかし、難易度が高くて、そのほとんどが失敗する。これがベンチャーを取り巻く難しさの大枠の内容であると理解している。
そもそもイノベーションという概念を作ったのはアメリカのシリコンバレーである。ということで、社長からシリコンバレーを見て感じて来いと言われ、近々出張することになった。
僕が目指すのは、究極的には、東洋の智恵と、欧米のインテリジェンスの融合であるが、日本にはその両者の概念をバランス良く咀嚼して自分のものとして使える素地があると思っている。
これは当然、通常の人の最低でも3倍の努力を要する。なぜならば、通常の人が一カ国ぶんの言語と歴史や文化を学ぶとして、その高い視座を得るためには、最低でもその3倍(例えば英語、中国語、日本語)必要だからだ。
その日本人としての孤高のアイデンティティに磨きをかけて、30代はまずキャピタリストとして力をつけ、戦いたいと思う。
日本もいい加減、昔の資産で食うなんて了見の狭くてものぐさなことばかり考えず、世の中の先頭に立つ気概と行動力を持たなくては、いつまでたっても二流国家で、このままだと新興国に抜かれて三流国家だ。
今のギリシャも世界の覇権を握っているときがあったように、盛者必衰がこの世の掟なので、うかうかすることイコール即敗北といっても過言ではないだろう。
「立ち上がれ日本!」みたいな、感性の鈍いおっさんたちがドメスティックに考えた標語の履行だけ若者に期待して任すんじゃなくて、僕たち若者の一部の感性がまだ豊かでやる気マンマンの奴らに、21世紀をリードする発想の基盤となる広くて深い視座を与えるため、おっさんたちは本当に全力を尽くして欲しいと思う今日この頃だ。
ベンチャーとかスタートアップとか言う言葉の使用が、民主党政権により、この数年抑圧されてきて、ようやくリーマンショック前までの水準まで活気を取り戻してきた。2005年前後の堀江さんや村上さんの功罪はどちらも、大きい。
最近は、ベンチャー単独でのオーガニックな成長ばかりではなく、大企業によるM&Aも増えてきており、益々欧米に倣ったインフラを整えていると言える。昨日も経産省主催のイベントがあり、その趣旨は、大企業とベンチャーと支援者(VCなど)をコネクトする、といったものだった。
産業界が当面目指している、ベンチャーのエグジットが多様化するということは、短期的なリターンを目指す傾向が強くなることと同義であると感じる。
10年から20年かけて良いものを生み出すといった視点を持つファンドにとってみれば、必ずしも利点ばかりではないが、ようやく、日本の重い腰の正体である大企業が、背水の陣になったことで、新規性とリスクというものに対して正面から対峙するようになってきたのかもしれない。
ひねくれた考え方をするわけではなく、安定を伴った日本ならではの新陳代謝の生態系を目指さないといけないわけで、無闇にイノベーションが必要ということではないし、ベンチャーの創出自体が喜ばしいことでもない。つまり、新陳代謝を促しすぎて、社会が不安定化してしまったら本末転倒だ。
また、将来に結びつかない中途半端な雇用を創出しても意義が薄いし、雇用の品質も大事な観点である。
そういった意味で、産業や企業の誕生部分を担っているベンチャー産業は、考慮すべき事項が多い割に、その期待と責任は大きい。しかし、難易度が高くて、そのほとんどが失敗する。これがベンチャーを取り巻く難しさの大枠の内容であると理解している。
そもそもイノベーションという概念を作ったのはアメリカのシリコンバレーである。ということで、社長からシリコンバレーを見て感じて来いと言われ、近々出張することになった。
僕が目指すのは、究極的には、東洋の智恵と、欧米のインテリジェンスの融合であるが、日本にはその両者の概念をバランス良く咀嚼して自分のものとして使える素地があると思っている。
これは当然、通常の人の最低でも3倍の努力を要する。なぜならば、通常の人が一カ国ぶんの言語と歴史や文化を学ぶとして、その高い視座を得るためには、最低でもその3倍(例えば英語、中国語、日本語)必要だからだ。
その日本人としての孤高のアイデンティティに磨きをかけて、30代はまずキャピタリストとして力をつけ、戦いたいと思う。
日本もいい加減、昔の資産で食うなんて了見の狭くてものぐさなことばかり考えず、世の中の先頭に立つ気概と行動力を持たなくては、いつまでたっても二流国家で、このままだと新興国に抜かれて三流国家だ。
今のギリシャも世界の覇権を握っているときがあったように、盛者必衰がこの世の掟なので、うかうかすることイコール即敗北といっても過言ではないだろう。
「立ち上がれ日本!」みたいな、感性の鈍いおっさんたちがドメスティックに考えた標語の履行だけ若者に期待して任すんじゃなくて、僕たち若者の一部の感性がまだ豊かでやる気マンマンの奴らに、21世紀をリードする発想の基盤となる広くて深い視座を与えるため、おっさんたちは本当に全力を尽くして欲しいと思う今日この頃だ。
本日思わぬ転職の誘いがあり、そのオファーに乗る流れで検討している。
金融コンサルタントから(ベンチャー)キャピタリストという感じだ。職場は変わるが、大きな資本市場という土俵の中からは出ずに、その中での立場が変わる。今のポジションも一時修業する場所という感じで社長にお願いをしてお世話になっていたので、関係者にも大きな迷惑はかけない。
誤算なのは、今年は中国語を徹底的にブラッシュアップしようと思っていたが、次の職場はシリコンバレー関連の仕事が多いので、そうブラブラやってはいられないということだ。
この半年間で金融業界をぐるっと俯瞰できた。超一流の人々にたらい回しにされて笑。
僕の中では、この業界での極みは、ファンドマネージャーか、キャピタリストのどちらかである。
金融業界には、経済や株式や債券を分析する人や儲かるスキームを作る人やそれを売ったりサポートする人など様々いるが、この二つに共通するのは、自らの仕事で他人から預かった金が減るか増えるかという、投資家としての極みの形であるということである。
そしてこの二つの違いは、端的にはアウトサイダーかインサイダーのどちらで投資に関わるかという点で、それに伴い、リターンや資本コストの考え方もショートタームか、ロングタームかも変わってくる。
その二つのどちらが自分がやりたいか、ちょうど答えが出たところだったので、流れがすんなり過ぎて、笑えてくる。
漢方ビジネスも、私にも売ってくれという方が増え、爆発寸前だ。笑 アーティストの手伝いもあるし、僕はこの三足の草鞋を果たして履き続けることができるのだろうか?!
God only knows...
金融コンサルタントから(ベンチャー)キャピタリストという感じだ。職場は変わるが、大きな資本市場という土俵の中からは出ずに、その中での立場が変わる。今のポジションも一時修業する場所という感じで社長にお願いをしてお世話になっていたので、関係者にも大きな迷惑はかけない。
誤算なのは、今年は中国語を徹底的にブラッシュアップしようと思っていたが、次の職場はシリコンバレー関連の仕事が多いので、そうブラブラやってはいられないということだ。
この半年間で金融業界をぐるっと俯瞰できた。超一流の人々にたらい回しにされて笑。
僕の中では、この業界での極みは、ファンドマネージャーか、キャピタリストのどちらかである。
金融業界には、経済や株式や債券を分析する人や儲かるスキームを作る人やそれを売ったりサポートする人など様々いるが、この二つに共通するのは、自らの仕事で他人から預かった金が減るか増えるかという、投資家としての極みの形であるということである。
そしてこの二つの違いは、端的にはアウトサイダーかインサイダーのどちらで投資に関わるかという点で、それに伴い、リターンや資本コストの考え方もショートタームか、ロングタームかも変わってくる。
その二つのどちらが自分がやりたいか、ちょうど答えが出たところだったので、流れがすんなり過ぎて、笑えてくる。
漢方ビジネスも、私にも売ってくれという方が増え、爆発寸前だ。笑 アーティストの手伝いもあるし、僕はこの三足の草鞋を果たして履き続けることができるのだろうか?!
God only knows...
今日は、ある地方の不動産事業の有名人がオフィスにいらっしゃった。銀行で幹部候補まで登り詰め、有名な経営海外大学院を出て、今は地元経済活性化に寄与しようとされている。和魂洋才の見事なキャリアである。
このオフィスは学者、弁護士、代議士、アナリスト、会計士、などなど、とても立派な方々がたくさんいらっしゃる。僕はもっぱらその方たちのお茶出し担当である。笑 そして、未だにこの会社にお金がどう入っているのか全容が把握できていない。営業経験者である僕は、営業活動や受注が見えないと不安に思ってしまうようである。
質を極めたプロフェッショナルたちは、闇雲にあくせくは働かず、意義の質を求めた仕事か、稼ぎの質を求めた仕事か、この二つのどちらかの質を重視しているようだ。
また、ほぼ、冬虫夏草を関係各位に配布完了した。今回はマージンはお金でもらわず、すべて在庫にして、調査研究することにした。
今日も、ミドリムシを培養して事業化している会社の説明会に行ったが、当然、機能性食品と、バイオ燃料とでの、品質基準は違う。たとえば、燃料には堂々と遺伝子組み換えのものを開発・使用するとその企業のCEOは豪語していた。
人が食べるものは、安全の最たる基準を満たすべきである。部分最適を目指した末、全体では最適ではなかったなんてことが、よくある話だ。その全体とは何なのか?その部分の範囲とは?を固めてゆかないと、確かな安全は作れない。まさにその部分こそが、僕を中医勉強に駆り立てる動機となっている。
なんだか、自然に見つかって決まってゆく、今後のやること。何時の間にか、何かのレールに乗っかってしまったようだ。
このオフィスは学者、弁護士、代議士、アナリスト、会計士、などなど、とても立派な方々がたくさんいらっしゃる。僕はもっぱらその方たちのお茶出し担当である。笑 そして、未だにこの会社にお金がどう入っているのか全容が把握できていない。営業経験者である僕は、営業活動や受注が見えないと不安に思ってしまうようである。
質を極めたプロフェッショナルたちは、闇雲にあくせくは働かず、意義の質を求めた仕事か、稼ぎの質を求めた仕事か、この二つのどちらかの質を重視しているようだ。
また、ほぼ、冬虫夏草を関係各位に配布完了した。今回はマージンはお金でもらわず、すべて在庫にして、調査研究することにした。
今日も、ミドリムシを培養して事業化している会社の説明会に行ったが、当然、機能性食品と、バイオ燃料とでの、品質基準は違う。たとえば、燃料には堂々と遺伝子組み換えのものを開発・使用するとその企業のCEOは豪語していた。
人が食べるものは、安全の最たる基準を満たすべきである。部分最適を目指した末、全体では最適ではなかったなんてことが、よくある話だ。その全体とは何なのか?その部分の範囲とは?を固めてゆかないと、確かな安全は作れない。まさにその部分こそが、僕を中医勉強に駆り立てる動機となっている。
なんだか、自然に見つかって決まってゆく、今後のやること。何時の間にか、何かのレールに乗っかってしまったようだ。