<4年後―はじめに②>これまでー⑴
(2024年時点で)夫と学生時代に知り合ってから、32年。
夫と結婚してから、23年。
その後、夫の転職問題からモラハラが始まり11年。
夫と知り合いモラハラ状態になるまでの21年は、
男性だから
理系だから
AB型だから
私の理解を超える言動は一般的な相違の範疇で何とか収まっていた。
しかし、モラハラが始まったこの11年は、
モラハラ=言葉の暴力
アスペルガー、発達障害ベース
一般的な相違を超えるものだった。
しかし、この11年間ずっとモラハラだった訳ではない。転機は2回。
まず初めに、一番大きく、きっかけとなったのが夫の転職問題。
当時、重い食物アレルギーやアトピー、喘息がある幼稚園児の長男と2歳児の長女、
そして、夫は理論物理のポスドク
(大学院卒業後、任期のある職で繋ぎながら、
研究所や大学の常勤職の学者を目指す)だった。
経済面は夫が管理し、私が口座から引き落とす生活費は10万円で、
インフルエンザの予防接種代や帰省時の交通費、電化製品が壊れた時の修理代など、
臨時出費は生活費と別に出ていた。
長男のアレルギーは重く、公立幼稚園や私立の幼稚園へ入園の相談をしたが断られ、
受け入れると言ってくれたのはプロテスタントのキリスト教系
とお寺系の幼稚園だけだった。
保育時間やおやつ、いろいろ考え、
プロテスタントキリスト系の幼稚園へ長男は3年保育で通った。
しかし、長女の幼稚園をどうするか、
それぐらいから夫は変わっていったと私は思っている。
アレルギーっ子長男の育児と長女の育児で私は疲れ果てていた。
後に落ち着いてから、お腹の底から「サバイバー」、
という思いが湧き上がった実感が今でも蘇る。
これまでの状況がわかっている夫に、
長女も3年保育で私立幼稚園へ通わせたいと言った。
しかし、私は専業主婦で長女にはアレルギーなど問題なく、
公立の2年保育の幼稚園だと言って譲らなかった。
長男を断った公立幼稚園は論外で、私は心身共に疲れ果て限界だった。
何の迷いもなく私立の3年幼稚園を選ぶママ友が多い中、
夫は何故2年の公立幼稚園に拘るのか。
その時の夫の年収は私が新卒時の年収の2倍。
貯金もありお金には困っていない。
私は心身共に限界で、
長女を3年保育の幼稚園へ通わせたいと夫に言っても、絶対に駄目。論破。
そんな心身共に限界な時に、
以前長男を受け入れると言ってくれたお寺系の幼稚園に長女を一時保育で時々預けていた。
その幼稚園はすごく人気があり、通常の入園申込時は電話が殺到。
必死だったから記憶がないのだが、4月前後の一時保育の時に、
空きができたら入園可能か職員さんに話したのだと思う。
4月の入園日直前だったが、子どもは途中入園より最初からの入園の方が良いと、
無理を承知で受け入れると言ってくれた。
夫へは、私が働くから3年保育のお寺系の幼稚園へ通わせてくれと言い、
何とか幼稚園代を払ってくれることになった。
この頃からだと思う。それまで生活費以外で出ていた臨時出費の話の度に、
「生活費の中でやり繰りできないお前が悪い」
「必要だとわかっていたのに節約できないお前が悪い」
夏や冬休み、先に私と子ども達だけで私の実家へ滞在し、
その後夫の実家で夫と合流することが多かった。
それまでは新幹線や特急で行っていたが、旅費を生活費から出せと言われた。
幼稚園児の長男とべビーカーの子どもと何時間もかけて在来線で行ったことがある。
出張先から合流した夫は寝転がって本を読んでいて、
横腹を蹴ろうと瞬間湧いた思いを忘れない。
インフルエンザの予防接種代を出さないと言い、
子どもは摂取させたが私は摂取するお金の余裕がなかった。
私はその時に、インフルエンザになってやると心底誓い、
実際その年の1月に家族みんながインフルエンザイに罹患した。
長男にいろいろアレルギーがあり、添加物のない、農薬をあまり使っていない、
子どもの体に良いものを食べさせたいと言っても、無駄だった。
国産である必要はない、高い、無駄遣い。
長女が幼稚園2年目、夫には公立の幼稚園にするか、
「お前が働いて幼稚園代を出すと言った」と責められたが、
心身共に働ける状態ではなかった。
こんな状況では働けないと泣いて訴えたが無駄だった。
幼稚園3年目はドミノピザや郵便局のパート、
日雇いの仕事で何とか稼ぎ幼稚園代を出した。
夫はお金がないから言っているのではない。
夫のこだわり。
私が何を訴えても鉄の壁。絶対に伝わらない。わからない。言っても無駄。