神々が暮らす古代の高天原はここにある | 運の良い座敷童子的な生き方

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こんにちは。

今日は満月ですね🌕

わたくしは朝からココスのモーニングに行ってきました😅

続々と梅雨入りをするようなので、足元には気をつけてくださいね☔️


 

 

 

さて、「高天原(たかまがはら)」と呼ばれるアマテラスなどの天津神が暮らしている天上界があります。

大祓詞でもあるように、



高天原に神留まり坐す〜すめらがむつカムロギ〜カムロミノミコトもちて〜




という言葉ですね。

まさに神話の世界ですが、この古代の高天原は、本当に日本に存在したようです。





「古代の」と言ったのは、後に場所が移っているからなのですね。

日本の首都も奈良→京都→東京に移ったくらいなので、高天原も遷都しているのです💦

 

 

 

 

さて、高天原はいったいどこにあったのでしょう?

 

 

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さて、この高天原からやってきたのは、我らがスサノオノミコトなのですね✨

「高天原から新羅の国にやってきたが、気に入らずに出雲に下りた」

のが、スサノオ伝説だったりします😅

新羅というのは、現在の大韓民国で、韓国という国は、古代は百済系と新羅系のふたつの民族の系統がありました。←ざっくり

 

 

 

 

さて、スサノオはいったいどこから、新羅にやってきたのでしょう?

 

 

 

 

 

さて、もうおひとり、高天原から天下った神さまがいらっしゃいます。

そう、ニニギノミコトですね。

アマテラスから「わたしだと思って祀りなさい」と言われて鏡を持って天下り、降り立った場所があります。

それが高千穂から近い「二上(ふたがみ)」という場所です。

 

 

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しかし、現地の人々は生活に困窮していて、ニニギノミコトはもう一度高天原に稲をつくる種もみを取りに戻ったということが、日向国風土記で伝えられています。

 

 

 

 

取りに戻れるくらいの距離である、

 

 

 

 

ということですね😅

さらにさらに、アマテラスとスサノオが誓約(うけい)を行った場所が、高千穂峡だと伝わっています。

 

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 ※高千穂峡


 

近づいてきましたね✨

そう、「高天原はここにある」という伝わる聖地がまさに九州の熊本県にあるのです。

阿蘇山の外輪山の南に、ずっと隠されていたお宮。

1995年から一般公開が始まりました。

まさに中央構造線上に存在する、

 



 

幣立神宮

 

 

 

 

でございます✨

ここに、「高天原発祥の地」と伝わる場所があるのです。

 

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※弊立神宮


 

なお、外宮と内宮がありますが、ここは元伊勢ではありません😅

ここに伊勢神宮を祀ったのは、平安時代の阿蘇神社の大宮司なのですが、その時に社殿も造営されました。

この幣立神宮の裏にある、

 

 

 

 

 

 

 

 

こそ、高天原なのです✨✨

ここはいったい何なのか?というと、真東から太陽がのぼり、真西に向けて沈んでいく、日宮(ひのみや)があるのですね。

森というのは、「杜(もり)」であり、もともとお宮ではなく、神が降臨する木だったのです。

 

 

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竹内宿祢と神功皇后が、三韓征伐のときに住んでいた場所でもありますので、「隠れ宮」としても名高いところです。

ここで書かれたのが、かの竹内文書と呼ばれる歴史書なのですね。





この幣立神宮の森に迷い込んでしまいまして😅

偶然に辿り着いてしまったのが、造化三神の陵墓です。

そして、この森の周辺には、豊富な湧水が古代から湧き出ているのですが、ニニギノミコトはこのご神水を全国各地に遷していったのです。




 

 

 

 

 

 

という、わたしたちが当たり前に呼んでいる言葉がありますが、朝の太陽を、「アサヒ」と言います。

 

 

 

 

 

 

と語源が同じなのは、とても大切な神事に用いられる草だったからなのですね。

しめ縄や茅の輪の原材料となります。

とてもエネルギーが明るく、光っておりますよ。

 

 

 

アサ+ヒ=阿蘇

 

 

 

であり、この周辺は「ソの国」でもありました。

ソというのは、クマソの国であり、九州の縄文時代からのルーツの人々が暮らす場所です。

古墳時代にヤマトタケルが平定に出かけた国でもありますね。




この幣立神宮の祭神は、もともとは「アソヒノオオカミ」であったそうですよ。

このアソヒノオオカミこそ、火であり、日であり、霊であるカムロギノミコトなのです。





それを受け入れたのが、カムロミノミコトであり、水の女神でありますね。

火と水で、なのです。


 

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※阿蘇山

 



大祓詞でいわれる、「高天原に神留まり坐す」というのは弊立神宮の森、なのかもしれないですね。





古代の高天原は、熊本県の火の国(肥国)だったのです。




 

この幣立神宮の本殿に祀られているのは、すべて神武天皇以前の、神代の神々となっております。

この幣立神宮の由緒はくわしく記すと、

天岩戸から戻ってきたアマテラスが、ニニギノミコトに降臨を依頼した場所、であります😅

すると、ニニギノミコトが取りに戻った稲の種もみは、

 

 

 

 

 

この東御手洗(ひがしみたらい)の田んぼである、ということですね😅

 

 

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ここは氏子さんが一生懸命、田んぼを作ってくれておりますよ。

「西御手洗(にしのみたらい)」もありますので、ぜひ辿り着いてください✨

 

 


 

つまり、天孫降臨伝説は、稲作技術の普及に伴う伝承、ということなのですね。

この田んぼこそ、

 

 

 

 

天皇陛下の代替えに行われる、「大嘗祭」において、悠紀田(ゆきでん)・主基田(すきでん)のルーツとなるのです。

 

 

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※こちらです!



 

大嘗祭というのは、この稲穂を手に持って、天皇は神に誓いを立てられるのです。

なお、ニニギノミコトが降臨した「二上」というのは、ここからおおよそ10キロくらいのところですが、ここが、天津神と国津神の境界線となります。

 

 

 

 

なお、古代のルートもわかってきました😅

この幣立神宮は宇佐に抜ける道があるようなのです。

そこから新羅に渡ったのが、スサノオだったのかもしれません。

 



八大龍王が宿った水をうつしていく、

 

 

 

 

この日本は、「うつしくにの水」なのですね。

 

 

※八大龍王の池

 

 

ということで、ニニギノミコトが降臨した高千穂から車で30分くらいのところに高天原はある、というお話でした😅




なお、古代の大嘗祭はここまでお水を汲みに来ていたのです😅💦

取りに来ていたのは、四国の占部(うらべ)です。

 

 

 

 

古代祭祀は滅びた忌部氏が担っていたのですが、このルート上にあるのが、神奈川の相模国一宮・寒川神社となっております✨

まさに夏至冬至春分秋分の太陽の道に建てられており、やはりこういった「日宮」というのは、場所が重要なのだなあ~と感じました😅




寒川さん、しめ縄と茅の輪を月末までに設置する、と教えてくださいましたので、お近くの方は参拝されてくださいね✨