祭祀王であったヤマトタケルは実は天皇であった | 運の良い座敷童子的な生き方

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こんにちは。

古事記に書かれた神さまの中で、画期的なスーパーヒーローがいらっしゃいます。

そう、ヤマトタケルですね✨✨

ヤマトタケルの何がすごいかというと、このわたしたちの国の名前が、




倭→日本




に変わったのは、古事記の「倭」が悪い意味だと知った朝廷が、日本書紀を編纂するときに、ヤマトタケルのために「日本武尊」と書いたからなのです😅



※岡山の阿智神社⛩️



古事記は、口伝を漢字で当てはめた、万葉仮名だったので、当時は漢字の意味がわからず、けっこう凶字になってしまっているのですが、

日本書紀は吉字に直されております😅



スサノオ→須佐之男命→素戔嗚命

みたいな感じですね。



※火の鳥ヤマト編



火の鳥「ヤマト編」の主人公オグナでもあります✨

小学生時代のわたしのバイブルでして、あれがなかったら、今のわたしはありません😅

あの火の鳥が、「わたしの血を飲みなさい!」と自ら差し出した珍しいキャラでもあります。

慈愛じゃなく、お気に入りだったわけですね😅


※手塚治虫先生からの言葉



さて、このヤマトタケルは実は天皇でもありました。

古事記や日本書紀には記されていませんが、しっかりと常陸国風土記に残されております。

しかも、裏付けの証拠まであるのです。




ヤマトタケルは、伊勢のヤマトヒメから草薙の剣を受け取っているのですね。

これは共殿同床の儀式で、ヤマトタケルは神器を受け取って、天皇を継承していることになるのです。

ヤマトタケルは亡くなる前に、




おとめ(ミヤズヒメ)の床のそばに私が置いてきた太刀よ

あの太刀よ





と残しており、その太刀こそ、三種の神器のひとつである草薙の剣です。

愛知県の熱田神宮のご神体となっておりますが、なんで愛知に?というと、ヤマトタケルの妻であるミヤズヒメが尾張国造の祖であり、熱田神宮を創建したからですね。



※阿蘇山



九州(クマソ)の討伐のころは皇太子、

東国の平定が天皇だったのでは、と思われます😅





よって、武蔵国・相模国でヤマトタケルを祀る神社があるのですが、ヤマトタケルは東京にも降り立っておりますよ✨

岡山県の吉備津神社や阿智神社でも祀られています。





静岡県の焼津は、ヤマトタケルが草薙の剣で草をないだことから、名付けられております😆






ヤマトタケルは呪術を使う祭祀王であったのです。

男性シャーマンであります。

これを、巫人(かんなぎびと)と言います。

珍しいことではなく、現代の天皇陛下も祭祀王であり、歴代の天皇は帝王学とともに、呪術を学んだのですね。





ヤマトタケルも伝授されていたのでしょう。

なんと言っても、叔母が伊勢神宮のトップ、ヤマトヒメで、母親がキビツヒコの娘です。

キビツヒコとは、第7代孝霊天皇の第三皇子で、四道将軍のひとりです。






崇神天皇のころに山陽道に派遣されて、吉備全体を平定したのです。

つまり、



ヤマトタケルは桃太郎の孫でもあった、




そして、この時代は古墳時代でもあったのです。





古事記や日本書紀には時間のトリックがあります。

考古学で証明されております😅

神功皇后や応神天皇などはもっと後の時代なのです。

※四世紀終わり〜五世紀




卑弥呼は、ヤマトタケルよりも前の弥生時代の終わりとなります。

ここから女性シャーマンが減っていき、男性優位社会になっていくのです。

※三世紀半ば





ヤマトタケルが生きた時代は激動の日本史で、熾烈な後継者争いがありました。

ヤマトタケルの兄弟は80人もいたそうです。

父親と確執があった…と伝える古事記はヤマトタケルの悲劇を詳細に伝えています。




享年30歳。




失われし四世紀。





ということで、残念ながら若くして亡くなりましたが、ヤマトタケルが使った剣は熱田神宮にありますよーというお話でした😆✨




なお、火の鳥は阿蘇山に住むという設定です🔥

手塚治虫先生も、水木しげる先生も、日本の古代史を調べていたのですね✨