こんにちは。
わたしの会社はアパレルメーカーなのですが、旧吉備国(兵庫県加古川~岡山県~福山市)は福山デニムでも知られているように、衣服の製造が盛んです。
この旧吉備国には、「温羅(うら)」と呼ばれる鬼がいて、それをヤマト朝廷が派遣したキビツヒコが退治したお話が、桃太郎伝説の起源となっているのですが、
この戦いのクライマックスの舞台が一宮の神社となっているのです😅
それが、吉備国一宮、吉備津神社ですね。
あの大回廊は、まさに戦いの象徴、でもあったのでしょうか。
※吉備津神社⛩️
この温羅というのは、百済からやってきた王族の皇子だったのです。
戦いから逃げてきた温羅たちを、現地の人は暖かく迎え入れると、温羅は治水や製鉄技術、造船技術を現地の人にもたらせます。
そしてこの吉備国は、高い技術躍進によって繁栄していきます。
総社市はこれを、「温羅によるイノベーション」と紹介していてちょっと笑えました😅
温羅というのは、こういった吉備国の発展にとても貢献していて、地元のみんなから崇拝されてきた伝承がたくさん残っております。
ですが、ヤマト朝廷側から見ると、「鬼」に当たるので、討伐されたわけですね👹
その戦いの舞台が、岡山市に残されているのですが、こういった鬼は、温羅だけではなく、大江山の「酒呑童子」も同じです。
酒呑童子は、最初は比叡山にいたので、京の都から見た「鬼門」というのは、比叡山を指すのですね。
そして、同じように、鬼だとされたのが、福井県敦賀にいた都怒我阿羅斯等(ツヌガアラヒト)と呼ばれる鬼です👹
敦賀って、
「ツノがある人」という呼び名が由来なのです😅
福井県というのが、ちょうど京の都から北東(鬼門の方角)に当たるのですが、敦賀は北の玄関口だったのですね。
この鬼の根源社が、越前国一宮の氣比神宮(福井県敦賀市)の摂社である角鹿神社となります。
気比大神が応神天皇と名前を交換した…という「なんでや!」と突っ込みたくなるエピソードが残る神社でもありますね😅
ツルガの名前の由来は、こちらの祭神となるのですね。
このツヌガアラヒトは、加羅国の皇子だったのです。
すると、鬼もわたしたちの先祖だったのですね👹
陰陽道では、陰陽師が「見立て」を行うので、敵は悪鬼とされてしまいます。
さて、桃太郎による鬼退治のクライマックスこそ、この長い大回廊であります。
キビツヒコは弓矢、温羅は岩を投げつけていたそうで、この岩も実在しております👀
まさに決戦の舞台が、吉備津神社なのですが、
戦いの後に鬼の首が眠るのが、大回廊から分かれる御釜殿のかまどの下、なのですね。
ふるえがくるような霊気がすごい場所なのです😅💦
なお、見せしめのために首をさらした場所が、首村です。(現在の岡山市北区首部にある白山神社)
昔はDNA鑑定がないため、わかりやすく首をさらすために、無用な戦いを防ぐという役割があったのです。
吉備国に、備後・備中・備前と、吉備津神社が3つも一宮が並んでいるのは、それくらい大きな国であった、ということですね。
美観地区にある阿智神社も、このような系列の神社なのです😆✨
崇神天皇が派遣した四道将軍が向かった北陸、丹波、東海、山陽には強い鬼がいた、ということなのですね👀
桃太郎は川からやって来た。←どんぶらこっこ
この吉備国は、瀬戸内海の港町だったのですね。
※桃を食べろよ!
大江山の酒呑童子も、いずれは力を蓄えて、もう一度比叡山を取り返そうとしていたのかもしれません。
酒呑童子は極悪非道だと伝わっておりますが、当の酒呑童子ご本人が、これを否定しております😅
「都から伝教大師がやってきて、俺たちを追い出して勝手に延暦寺を建てたんだよ」
だそうです😅
ここが、まさに戦いのクライマックスですね。
むかーし、むかしのお話です。
ということで、鬼を退治した桃太郎伝説のクライマックスは一宮となっている❗️
でした😆
お写真は、急いで参拝した吉備津神社の夕暮れでした。