こんにちは✨
昨日の朝に車の中で、北朝鮮のトップとロシアのトップの抱き合うシーンが映し出されたのです😅💦
皆さん知っての通り、古代の日本も外交にとても苦労していて、そう言った日本を救ってきたのが聖徳太子や遣隋使などですね。
古代の日本は、高句麗、新羅、百済といった朝鮮の国々と深く関係がありましたが、ここから日本に移住してきた民族が、わたしたちの祖先であり、神として神社に祀られているのです✨✨
ということで、古代日本における海の向こうからやってきた神々をご紹介します。
国の境界線がなかったので、遣唐使が廃止されるまで、日本はけっこう交流が盛んだったのですね✨
わたしたち日本はおもてなし文化があり、海からやってきた人たちを迎え入れていました。
来訪神はとても重宝されていたのです。
神話にも書かれていますが、○種の神宝を携えてやってきたのも、すべて渡海してきた神さまです😅
そういや、桃太郎も一寸法師も川からやってきましたね😅
これはざっくりと書いているのですが、北九州、タニハ(播磨と京都)そして日本海側は、そういった海からやってきた神さまが多く祀られておりますよ✨
※伊和神社
白山、白川、白木という白がつく苗字の人はさかのぼると新羅となります。
さて、高句麗は滅び、言語はなんと残っていないそうです😱
百済も日本が一度助けたのですが、その後に完全に滅びてしまいました。
百済という国は日本に文化も人材も移ってきているのです💦
この百済はもともとは漢民族で、仏教を伝来してきたのも、百済です。
激動の古墳時代〜飛鳥時代こそ、多くの渡来人がやってきた時代でありましたが、革新的な技術と文明を持ってきてくれたので、
これにより、弥生時代が幕を閉じます😅
つまり、時代の節目には、それを凌駕するような文明と文化と、人の流入がやってくる、ということですね。
ちなみに、日本は侵略されていない国となります。
その証拠がわたしたちの日本語です😅
漢字と漢熟語は輸入しましたが、大和言葉は今でも保たれていて、
縄文時代でも、言葉が通じるのではないか…と言われておりますよ😅←すぎょい
侵略するためにやってきたのではなく、
共に生きるために移住してきたのです。
そういった神さまこそ、わたしたちの祖先です✨
古代の海人族はタカムスビ系列と、カミムスビ系列があったのですね。
では日本の原住民は?
というと、縄文時代の人々となります😅
※縄文人と言います
この血脈も、いまだにわたしたちに2割ほど受け継がれておりますが、国津神と呼ばれている神さまはわりと古い国土の神となります。
天津神は海からやってきたので、天はあまであり、海であるのです。
さて、海からやってきた神さまで、王族だった方がいらっしゃいます。
岡山県の鬼、温羅(うら)が百済の王子であると伝わっています👹
新羅の王子はアメノヒボコですね。
八種(やぐさ)の神宝を携えて但馬に渡ってきたのが、新羅の王子、アメノヒボコです。
このアメノヒボコが鎮まる場所こそ、但馬国一宮、出石(いずし)神社です。
戦ったのが、播磨国一宮、出雲の伊和大神なのです。
つまり、新羅も百済も、王族が日本に移住しているのですね😅
遣唐使の廃止にともなって、日本独自の文化を育ててきましたが(国風文化といいます)、
王族が渡海しているとなると、もはや交流ではなく、亡命による移住なのです😅
これは、もしかしたら現代でも起こるのではないか…と危惧しております💦
ということで、古代日本の国際交流はけっこう盛んであった、というお話しです。
そして、日本はとても強い国でありました。
大和魂を持っていた民族だからです。
わたしの会社の外国人も、日本に移住して二度と国には帰らないと言ってます😅
ほんと、
祖国が元気に安全であるというのは、
当たり前ではないのだな…と毎日とても感じています。
なお、「とおりゃんせ」というわらべ歌がありますが、
とおりゃんせ
とおりゃんせ
ここはどこの細道だ
天神さまの細道だ
ちょっと通してくだしゃんせ
御用のないもの通させぬ
この子のななつのお祝いに
お札を納めに参ります
行きはよいよい
帰りは怖い
怖いながらもとおりゃんせ
とおりゃんせ
これは涙なしでは語れない、アメノヒボコの苦悩と心痛があったのです😭
この場所は但馬ですよ❗️
ということで、古代の激動の時代のお話しでした。
写真は播磨国一宮、伊和神社です😆✨