こんにちは。
今日は今年の初めに書いていた神の陵墓2023年度版です。
あれからほんの数ヶ月しか経っていないのに…
なんだか、苦しいくらいに、まさかのリニューアルです😅
もし、自分に最も適したパワースポットがあるとすれば、それは先祖代々のお墓だろうなあと思います✨
その祭壇が仏壇なのですね。
今回はその神さまバージョンのお話です。
さて、わたしは日本誕生に関する源流の旅路をしておりますが、
神さまにはお墓が実在して、
さらにその上に神社が建っているのを目の当たりにしてきました😅
ご神陵=禁足地=神社(古社)
でもあったのです😅
あの古くからある神社のご神体は、お墓なのかもしれないですよ⛩️
なお、初代天皇である神武天皇からは、すべて陵墓(古墳でもあります)が判明しております。
管理しているのは宮内庁です。
今回は、そんな宮内庁非公式も含めていますので、お近くに来た際は、お手を合わせてくださいね✨
さて、ここで恐ろしいことを申しましょう。
なんと超古代のお葬式は、
風葬
だったのでございます。
しかも…
遠方埋葬の、二重方式。
え、なんのことだ?
と思う方がいらっしゃるかもしれませんが、ほら、今も、火葬場とお墓の二つ、あるじゃないですか😅
あれが、古代もあったのでございます。
つまり…
死体置き場と、
お墓の二段階方式は、古代もどうやら同じ、だったようですね。
古墳時代からは、わかりやすく土を高く盛って裏山にして神社を建てる、という感じですが、
弥生時代にも、古墳は存在するのです😅
なお、
古代に禁足地だった場所が、ご神体の場合、
さらに、裏山の山頂に、巨石がゴロゴロしている場合、
そこに神社が建っていなくても、そういった風葬であった可能性があるのです😅💦
だから、決して、「願い事を叶えてください!」というご利益信仰ではなく、一緒に亡くなったかたが大勢いらっしゃる共同墓地でもありますので、真摯な気持ちで手を合わせてくださいね✨
なお、古墳時代というのは、3世紀後半~400年くらい続いたもので、弥生時代が終わってから始まった時代ですね。
卑弥呼が亡くなったときに、弥生時代は終焉を迎えましたが、
日本の歴史をさらっと並べると、
縄文→弥生→ヤマト→奈良→平安→鎌倉→室町→安土桃山→江戸→明治→大正→昭和→平成→令和
ですね😅
ここの、「ヤマト」に含まれているのが、古墳時代であります。
このヤマトは飛鳥時代も含まれておりますね。
なお、古墳というのは、土を高く盛った墳丘のことで、身分の高い人が祀られているのですが、それよりも前、つまり、弥生時代にも、もちろんこういった神陵が今でも残っております。
その真上に、神社が建てられていますので、発掘調査がそんなに進まないのは、仕方がないことなのですよね😅
先日報道された、佐賀県の吉野ケ里遺跡の石棺が見つかった場所にも神社が建てられており、それを移設してからの、発掘調査だったのです。
あの吉野ヶ里~阿蘇の周りが、魏志倭人伝に出てくる「邪馬台国」となります✨✨
ですが、奈良県の畿内にも、ニギヤハヒ率いるナガスネヒコが統治をしていたので、「いったい何を邪馬台国とするのか?」がちょっと悩ましいですよね😅💦
なお、先日書いたヤタガラスの正体からわかるように、神武天皇が東征できたのは、出雲族が協力したからなのです😅
このように、部族を超えて手を取り合うと、「8の数字」がカアカアと飛んでやってくる、のかもしれないですね🐦⬛
ということで、不肖わたくしめが有名な神さまの陵墓を並べてみたいと思います💦
非公式が含まれていますが、おそらく、真実を含みますので、どうぞよろしくお願いします。
なお、わたしはこう見えて、非常に慎重な人間でして😅💦
事前に神陵を訪ねて、ご了承いただいておりますので、その上で書いておりますからね。
※慎重にね〜♪
なお、神は死ぬのではなく「隠れる(幽れる)」という表現を取り、地上から隠れた後は、根の国、常世の国、黄泉の国を治めてくださっておりますよ。
神は隠れてまた蘇ってくるのです。
その祈りが、生きている人間の祈りに込められているのです。
なお、重ねてしつこく書きますが、
あそこには絶対に近づくな!
あそこを夢で見てしまうと、死んでしまうぞ‼️
というくらいに強い祟りがあると恐れられているところは、神が隠れた場所…
いや、
幽閉されて殺されてしまった場所なのかもしれません。
今回はそれを省きます。
もしお近くにある場合などは、そっと手を合わせてくださいね✨
というわけで、陵墓の一覧です。
その一、伊奘諾(イザナギ)
伊奘諾神宮(淡路島)
※本殿の真下がご神陵です!
なお、日本書紀ではこちらですが、古事記では多賀大社となっております。
三島神の記事でも書きましたが、双子のようにそっくりな地名は、一族が引っ越ししたからなのかも、しれません。
よって、イザナギが隠れた「淡海」はどこか、と申しますと、
近江国、
つまり滋賀県です。
「お伊勢参らば、お多賀へまいれ。お伊勢お多賀の子でござる」
ということで、淡海国にある、多賀大社が正解です😅
イザナギは多賀大社で眠っている。
ですが、この淡路島の伊弉諾神宮にも、同じように、匹敵するような強い統治王が眠っているのでしょう。
そのニ、伊邪那美(イザナミ)
比婆山(広島県庄原市)
※山頂にあります
なお、神話のイザナミは、実はこの庄原市では眠っておりません😅💦←とつぜん?
ここには、強い祭祀王であった熊野神がよみがえりを願って山頂に眠っております。
イザナミは、イザナギと同じく、関西に眠っていらっしゃいます✨✨
その三、須佐之男命(スサノオ)
日御碕神社(島根県出雲市)
※隠ヶ丘
何かが「隠されている」隠ヶ丘。
みだりに近づいてはいけないのですね😅
その四、ヤマタノオロチ
八本杉(島根県雲南市)
※8つの首が埋まっております
ここは公式、ヤマタノオロチのお墓です。
住宅街の真ん中にありますよ。
下は並べて天孫系、行ってみましょう♪
その五、邇邇芸命(ニニギノミコト)
薩摩国一宮、新田神社の可愛山陵(えのみささぎ/鹿児島)
ニニギノミコトは、阿蘇山の近くに降臨して、鹿児島に移動して、コノハナサクヤヒメと出会ったのですね😍
その六、饒速日(ニギハヤヒ)
白庭山(奈良県生駒)
その七、神武天皇(初代天皇)
橿原神宮(奈良県橿原市)
その八、日本武尊(ヤマトタケル)
能褒野神社の能褒野王塚古墳(三重県亀山市)
※複数あり
その九、吉備津彦(キビツヒコ)
吉備津彦神社の吉備茶臼山古墳(岡山県)
※入り口
なお、ヤマトタケルは伊勢國能褒野で亡くなり、同地に陵を造ったと書いていますが、白鳥になって飛び立ったということなので、
ご遺体は、
残念ながら、
見つかっていないのかもしれません…。
何故なのか?
はブログでは書けないようです…。
その十、安徳天皇
赤間神宮(山口県下関市)
※赤間神宮
源平合戦の壇ノ浦の戦いで、幼くして海に沈んだ悲劇の天皇は、こちらの御陵にいらっしゃいます。
なお、平家のお墓もあります😅
その十一、宇摩志麻遅命(ウマシマジ)
物部神社(島根県大田市)
ニギハヤヒの神子であり、ナガスネヒコの甥っ子でもあり、神武天皇の忠実なる家臣でもあり、物部氏の祖とされています。
ここから女神さま編です✨✨✨
良かったら、最後までご覧くださいね。
その十ニ、三穂津姫(ミホツヒメ)
幸魂神社(島根県美保関)
※幸魂神社
美保神社の摂社となりますが、昔からそういう言い伝えがありました。
ですが、もしかしてここは、ミホススミのお墓かもしれないですね。
なお、母神であるヌナカワヒメは、姫川に帰っておりますよ。
その十三、下照姫(シタテルヒメ)
倭文神社(鳥取県湯梨浜町)
こちらもオオクニヌシとタギリヒメの長女であり、民謡の始まりでもあったシタテルヒメです✨
ヤタガラスの妹でもあり、時代の転換期に巻き込まれた悲劇の姫でもあります。
その十三、市杵島姫命(イチキシマヒメ)
弥山山頂(広島県の宮島)
もーちーろーん、非公式であります😅
これほどまでに宮島が聖地とされていたのは、イチキシマヒメが隠れた場所だったから、なのかもしれません。
ずっと禁足地だった山頂は、観光地化しておりますが、ぜひ、弥山に登ってみてくださいね😆
以上となります😅
まだまだたくさんありまして、わたしがたどり着いていない場所もたくさんありますが💦
もし崇敬する神さまがいらっしゃったら、ぜひ、お墓参りをしてみてくださいね✨