ちょっとだけ今日は何の日 -46ページ目

ツナは入れないでほしい!

今日は「サラダ記念日」

歌人の俵万智さんが1987(昭和62)年に出した歌集『サラダ記念日』(河出書房新社)の中の一首「この味が いいねと君が言ったから 七月六日はサラダ記念日「から。
この歌集がきっかけで短歌ブームがおき、また、「記念日」という言葉を一般に定着させた。

その関連で…
記念日の日 日本記念日学会が1998(平成10)年に、毎日のようにある記念日にもっと関心を持ってもらおうと制定。
記念日」という言葉を一般に定着させた「サラダ記念日」に因む。

当初は、「祝日法」が公布施行された7月20日だったが、2000(平成12)年から7月6日に変更された。



「サラダ記念日」がもう20年近くも前の話だったとは…つくづく、年月の流れは早いなと思う。
さらに、「記念日」はそんなにも人々の関心がないものなのかなぁ?とも思う。
しかし、考えてみれば、学校や会社が休みの祝日や祭日でさえも、なんの日だから休みなのかよくわかっていない人が意外といる。
まぁ、休みには違いないのだから、何の日かなんてことはどうでも良いのかもしれない。
そういえば、ラブラブな若い恋人達の中には、つきあい始めた日、初デートの日、つきあい初めて100日目、初めてプレゼントをもらった日…等とかなり細かい記念日を言う人達がいる。
なんでもかんでもが記念日状態だから、ものすごい数の記念日だ。
よくそんなに覚えてられるなぁ…と、感心。
これもひとえに愛の力なのか…
うらやましい限りだ…

「この味がいいねと君が言ったから」のサラダは、主にドレッシングの味のことだろう。
たまたま新鮮なおいしい野菜だった…という場合なら、野菜記念日になってたかもしれない。
私はけっこうサラダを食べる。
もちろん、家で作るのではなく、そのまますぐに食べられるもの。
ドレッシングもサラダについてるものだったり、サラダコーナーにあるものを使う。
味の好みはときどき変わるけど、最近の好みは焙煎胡麻風味とかいうもの。
もともと胡麻好きなので、たまたま買ってみたらおいしかったのだ。
他にごまあえの素とかいう、ペースト状のごまに味を付けたようなものもあり、これをかけるのもおいしい。
先日作ったブロッコリーのスーパースプラウトはマヨネーズで食べた。
やはり、ドレッシングよりマヨネーズの方が歴史は古く、日本では1925年(大正14年)に初めて製造販売されたらしい。
欧米ではマヨネーズよりもドレッシングの歴史の方が古いそうだけど、日本で「ドレッシング」という名の商品が販売されたのは昭和33年(1958年)のことだとか。
マヨネーズよりも30年余も遅い…
今現在、サラダにはマヨネーズ!という人と、いや、ドレッシングだ!という人はどちらが多いんだろう…?
ドレッシングにはさまざまな味があるが、マヨネーズはあんまりない。
だからといって、サラダごとにドレッシングを変えるという人もあまり多くはないだろうから…

…う~ん、わからない。
そういえば、以前、私はマヨネーズとイタリアンドレッシングを混ぜたものを愛用していたこともあった。
当時は多分おいしいと思ったのだろうが、実際のところはどうなのかわからない。
私には時々「ハマりもの」というか、「マイブーム」的なものがあるのだけど、あとになると「なんでそんなものにハマったのかわからない…」といったことが多いので…

さて、ところで「サラダ」の起源だが、古代ギリシャではキュウリやかぼちゃが生で食べられていたようで、それが起源となったのだとか。
生野菜は他の薬草と共に「薬」とも考えられていたそうで、ローマ皇帝オーガスタスは、レタスを食べて一命をとりとめたという話も残っているらしい…
レタスのには眠りを誘う作用があるらしいが、オーガスタスは不眠症だったのか?
またはビタミンUや食物繊維が多いとされているので胃が悪かったのか便秘だったのか…?!

関係ないけど、平山あやはキャベツをたくさん食べたら胸がでかくなったと、テレビでよく言っている。
キャベツの効能を考えれば、胃の働きがよくなって身体がスリムになり、さらにポリフェノールが含まれてるから、胸もでかくなったということか…?!
私も食べないといけないなぁ…
1日どのくらい食べれば良いんだろう…?
…っていうか、今からでも間に合うのか…??(;^_^A

話がそれた…

やがて、サラダはギリシャ・ローマからヨーロッパ、アメリカに伝わっていったのだとか…

「サラダ」の語源は、どうやらラテン語で「塩」を表すサラーレから来ているらしい。
生野菜に塩をふって食べていたことから、その名がついたという説と、サラダをあえるための半球形の皿がサラードと呼ばれるヘルメットに似ているからだという説があった。

昨夜からの風邪が悪化したので、今日はスーパーにいかない。
サラダ記念日だけど、我が家は今夜はカレー。
カレーといえば、サラダが食べたいけど買いにいけない…
明日、1日遅れのサラダ記念日を実行することにしよう…

生地は少なくても、意外に高い…

ここ数日雨続きだったが、今日はやっと雨があがるようだ。
しかし、気温が昨日より約7~10度もあがるとのこと。
いやだなぁ…
もう海開きもすんだ。
でも、もうかなり長い間、海には行ったことがない。
いや、冬の海はあるのだけど、泳ぎには行っていないということだ。
と、いうか、私はまったく泳げない…
だから、なおさら海には行かない。
もちろん、プールにも行かない…

今日は「ビキニスタイルの日」
1946(昭和21)年、フランスのルイ・レアールが、世界で最も小さい水着としてビキニスタイルの水着を発表した。
発表の4日前にアメリカが原爆実験を行ったビキニ環礁からその名前がとられた 。
…という日。

初めてこの水着を見たフランス人が、あまりに「explosive(エクスプロ―シブ=爆発的な、激情的な)」だ!と思ったことから、1946年から原爆実験の行われているこの地の名前をつけたのだとか、ルイ・レアールがこの水着のネーミングに悩んでいたところ、7月1日アメリカがビキニ環礁で行った核実験に対する各国マスコミの報道に世界中が大騒ぎしているのを見て、そのショッキングな印象を結びつけて「ビキニ」と名付けたのだとかいう説がある。
どちらにしても、なんだか不謹慎な気がするのは私だけだろうか…?
原爆実験の行なわれた悲劇の島を名前にするなんて…
な~んか抵抗感じるなぁ…

このビキニは1946年7月5日にパリのプール「Molitor Pool」で発表されたが、デザインが過激すぎるため、当時着用されることはなく(発表時のモデルはヌードダンサーだった)1950年に日本でもビキニの水着が販売されるものの当然売れるはずもなく、アメリカでさえ、1960年代前半まで公共の場でビキニを着る事は禁止されていたという。
実際にビキニが一般に普及したのは1970年以降のことだというから、発表から20年以上もかかったということになる。

そもそも、海水浴をすることが人々の習慣となったのは、18世紀にイギリスのバースやフランスのドービルで、水遊びを楽しむことから始まったと言われている。
当時の水着は、全身を覆うようなデザインで、衣服とたいしてかわらないものだった。
急速に水着が普及したのは、19世紀の終わりに水泳がオリンピックの種目に認められた頃から。
そのあたりに、現在のワンピース型水着が誕生したと言われている。
日本での初の水着が誕生したのは、明治時代中頃。
本格的に普及したのは、海外に比べるとかなり遅く、1950年代頃と言われている。
それから50年余…
いろいろな水着が現われた!
ビキニ初登場の時は時代が古すぎてわからないが、ハイレグが出た時は少なからず驚いた。
脚が長く見えるという利点は魅力的だけど、あれはいざ着ようと思うと気恥ずかしい。
スタイルに自信がないと着れないデザインではないだろうか?
露出の高いものが頂点を極めてしまったせいか、その後は割りと可愛いデザイン、多くなってきたように思う。
中でもパレオは可愛いだけではなく、多少おなかが出てる人でも隠せる女性の味方的な水着ではないかな?
でも、男性には評判があまり良くないらしい。
それから、タンキニなるものも登場した。
上がタンクトップで下がビキニの下のような感じのもので、あまり可愛いという雰囲気はない。
タンクトップのタンとビキニのキニをあわせたものと思われるが、そしたら上は「ビ」なのだろうか?
たとえば、上がブラ型で下がショートパンツ型の水着もあるが、「ビパン」なんて言わない…
そう考えると、やっぱり、「タンキニ」は変だ。
見た目も名前もなんか変…
関係ないけど、以前からちょっと疑問に感じていることがある。
「●っすま」という番組のことだ。
2つのチームがあり、各チームがまず何着かの水着を選んでくる。
次に、街でみかけた女性に頼んでそのどちらかを着てもらう…というのがある。
水着を選んでもらえたチームのみ、その女性の水着姿を見れるわけなのだけど、そこに出てくる女の子は全員がとてもスマートでスタイルが良く、可愛い。
たまには失敗(?)で、顔は可愛くてもスタイルは意外と良くなかった…なんて人もいそうなもんだけど、とにかくそんな失敗がない。
あれはやっぱりあらかじめモデルさんに頼んでるんですかねぇ??

那須の日でもある…

今日一番有名な記念日は、もちろん「アメリカ独立記念日」だけど、私が書くのは…


今日は「梨の日」「な(7)し(4)」の語呂合せ。

梨は、バラ科 梨属の植物。

「梨」の名前の由来には諸説があり、まず、果肉の色が白いので「なかしろ」と呼ばれており、それが略されて「なし」になったという説。

そして、芯に近くなるほど酸っぱいので「中酸」と呼ばれ、それが「なす」になり、やがて「なし」になったという説。

さらに、梨の別名は「ありの実」と言われているが、これは「無し」に通じることから、日本では昔から財産や運がなくなるとされ、自宅の庭に植えるのを避けたりたりされたため「ありの実」と言い換えて縁起を担いだもの。

「梨」と聞くと鳥取県を思い浮べてしまうのだが、全国の収穫量は1茨城県、2千葉県、3鳥取県、4福島県、5栃木県という順位になっている。

しかし、日本で一番たくさん出回っている「二十世紀梨」の収穫量だけに限定すると、鳥取県が1位だ。

この二十世紀梨だが、もともとはといえば、1888年(明治21年)に、松戸市に住む13歳の中学生・松戸覚之助が親類の石井佐平宅の裏庭のゴミ捨て場に生えていた小さな梨の木を偶然発見したことが始まりと言われている。

父が経営する梨園「錦果園」に移植して育ててみたところ、10年目の明治31年についに実がついた。

形が良く色も美しい実で、今までの梨にはなかった甘さをしており、そしてジューシィ。

やがて、この梨は1898年(明治31年)に渡瀬寅次郎氏により「二十世紀」と命名。

この梨は、将来きっと二十世紀に王座を成す梨になるだろうと願いを込めての命名だったらしい。

その願いは見事に叶えられ、今や海外にまで出荷される有名な梨となった。

その逆に、年々姿を消していっているのが「長十郎」

新しい品種の出現にともない、長十郎を作る梨園が少なくなってきているらしい。


梨といえば、我が家では私が熱を出すと、母が「梨を食べなさい」と言ってよく無理矢理に食べさせられた。 私はもともとあまり固いものが好きではないので、梨もあまり好きではない。

しかも具合が悪い時なので食欲もなく、いやいや食べていたのだけど、友達などに聞いてもそんなことは誰も言われたことがないというので、母が勝手に思い込みで言ってるんではないかと疑っていたのだけれど、さにあらず!

梨には本当に解熱作用があるということを知ったのは、けっこう最近のことだった。

調べてみると梨には他にもいろいろな効能があった。

血圧を下げる、利尿作用、体内の代謝、疲労回復、便秘の改善、糖尿病の治療等々。

さらに肺を潤し、せきやたんを鎮める効果もあるため、風邪や扁桃炎で熱があり、喉が痛かったりせきが出る時には梨は最適の果物らしい。

そのままむいて食べるよりはの絞り汁を冷やして飲むと良いらしい。

扁桃腺が悪く、度々高熱を出してた私には本当に梨は良かったのだ!

ただ、絞ってくれたらもっと良かったのにねぇ…

特に中国では梨を薬と考えており、漢方薬にも「雪梨膏」という梨を含んだものがあるのだとか。

(扁桃腺の炎症に気管支炎が加わって声枯れを起した時の特効薬)

中国北方は乾燥と砂塵のひどい気候風土のため、咽喉頭炎や気管支炎を患う者が多く、そうした炎症を梨によって予防するため、漢の武帝は庭園に梨の木を植えたという話もあった。

こんなことを聞くと、今度からは少し位は梨を食べようかという気になる。

ただ、梨の解熱作用は身体を冷やすことになるので、妊娠婦、冷え性の方は食べ過ぎに注意!ということだったが…いつも思う…

「どの程度食べたら『食べ過ぎ』になるのか??」

1日いくつとか具体的に言ってもらわないと、わからないと思うのは私だけ…??

赤い灯、青い灯~♪

地元にいると、なかなか近くの観光地という所には行かなかったりする。
たまたま新しく出来た所であれば、物珍しさで行ってしまうことはあっても、以前からある所にはめったにでかけない。

今日は「通天閣の日」
1912(明治45)年、大阪市浪速区に通天閣が完成した。1903(明治37)年の第5回内国勧業博覧会会場跡地の西半に娯楽地「新世界」を開発した際、その中心にパリのエッフェル塔を模して作られた。
第二次大戦中に金属回収のため撤去されたが、1956(昭和31)年に再建された。
私は自分の記憶する限りではこの通天閣には行ったことがない。
一度、関東の知人が「コテコテの関西が見たい!」というので、新世界方面に行ったことはあるのだけど、なんせ行ったことがなかったので、案内というよりは一緒に観光をしたといった雰囲気だった。
通天閣も前まで行っていながら上らなかった。
実は私は高所恐怖症なので、あんまり高い所には行きたくなかったのだ。
現在の通天閣は高さが約103m、展望台は91mの高さにある。
数字には弱いので、数字で言われてもピンとは来ないものの、下から見上げてあきらかに「ダメだ、こりゃ」と感じる高さだった…

ちなみに初代通天閣が建てられたのは今から約90年前で、上がエッフェル塔、下が凱旋門を模した斬新な塔だった。(見てみたかった!!)
2台目通天閣にはいくつかの「すごいもの」がある。
まず、「大時計」は日本一の大きさ。
直径が5.5mもあるらしい。
そして、今ではさして珍しくはないが、通天閣の円形エレベーターは世界初のものだったとか…
そして、通天閣といえば忘れちゃいけないのが「ビリケン」さん。
通天閣の5階展望台にちょこんと鎮座するビリケン(BILLIKEN)さんは、1908年(明治41年)アメリカの女流美術家「E・I・ホースマン」という女性アーティストが、夢で見た妖精をモデルに制作したものだとか…
ビリケンさんは、たちまち「幸福のマスコット」「福の神」としてアメリカを始め世界中に大流行。
1911年に初来日(?)したらしい。
ビリケンさんの足の裏をなでると、合格祈願・縁結び等にご利益があるのだとか。
この「ビリケン」の名前の由来は当時の米大統領のニックネームから来ているらしい。
このビリケンさんが通天閣に来ることになったきっかけは、1912年(明治45年)にオープンした「新世界」の遊園地「ルナパーク(月の園)」の目玉とするため。
園内に「ビリケン堂」を造ったところ、これが大当たりし、新世界名物としてその名をとどろかせ、ビリケン饅頭やビリケン人形などの土産物も多数作られたとか。(;^_^A
「福の神・ビリケン」を七福神に加え、「八福神めぐり」というものまで流行した。
しかしこのビリケンさんは、ルナパークの閉鎖と共になんと!行方不明に…!
ビリケンさんが復活したのはそれから70年近くも経った1979年〈昭和54年〉
「通天閣ふれあい広場(現・3階イベントホール)」が出来た年。
もちろんこれは復元されたもので、ルナパークから行方不明になったものではない。
今でも、そのビリケンさんは日本にいるのだろうか…?
それとも生まれ故郷に帰ってしまったのか…
どこでも良いから、今も足の裏をなでられながら大切にされてると良いな…

たわしばかよねぇ~♪

今日は昨日より雨量が増し、そのおかげで幾分涼しい。
しかし、いつも通りにエアコンをかけていたため、目が覚めた時点で熱があるのを実感…
あぁ~、虚弱…

今日は「たわしの日」 1915(大正4)年、西尾商店(現在の亀の子束子西尾商店)の西尾正左衛門が、「亀の子束子」の特許を取得した。
亀の子束子が考え出されたのは1907(明治40)年のことで、正左衛門の妻が、売れ残っていた棕櫚[しゅろ]製の玄関マットの切り取って丸め、床を磨くのに使っていたことがヒントとなった。

たわしといえば、「亀の子たわし」
そのくらい有名なものだが、最近、亀の子たわしを愛用してる家庭はどのくらいあるのだろう?
実は我が家にはない。
我が家では、緑色のくしゅくしゅした長方形の平べったいものを使用。
ナイロンたわしというものだ。
実はそんなに綺麗に掃除をしているわけではないので、それもあんまりすり減らない。
汚れの落ち具合は全然違うので緑のものが一番好きなのだけど(確か3Mのものだったような…)、たまに百均のカラフルなものを買ったりもする。
何がなんでも緑のもの!と思うのは大掃除の時くらいだ。
それ以外は適当で良かったりする。
話がそれたが、亀の子たわしは主にしゅろ製。
しゅろとは、椰子の一種。
採集した椰子の実の中味をとり、殻を3~4つに割って、4~6週間のあいだ水に浸し、これを、掻解機にかけて繊維と外皮を分離した後に水洗いという長い工程をかけ剛毛を作り、さらに、この繊維を櫛けずりで揃えて、品質の等級がつけられ断裁。
これが、マットやたわしの材料となるそうだ。

このたわしが出来上がるまでには何度もの試行錯誤を重ね、苦心の末に出来上がり特許をとる為に特許庁へ向かった時はまだ「亀の子たわし」という名前はついていなかったらしい。
実用新案に登録するためにも商品名が必要だったため悩んでいると、息子がたまたま、タライの中で泳ぐ亀を発見。
その姿を見ていると、なんだかそのたわしに似ている!
そうだ!亀は長寿で縁起が良いし、水に縁もある。
そんなことから「亀の子束子」と命名されたのだとか。
ちなみに「たわし」の漢字の「束子」は当時の漢学者に相談してあてはめてもらったものらしい。

亀の子束子西尾商店の商品を見てみると、亀の子束子の姉妹品のようなものがいくつかあり、ボディ用ね健康たわしのようなものがあった。
一番やわらかい初心者向きの「サトオさん」
ちょっと慣れた方向きの「タムラさん」
適度な刺激がある「ナリタくん」
一番固くて慣れた方向きの「ニシオくん」
サトオとタムラが「さん」でナリタとニシオが「くん」なのは男性と女性の違いなのだろうか??
柔らかい方2つが「さん」付けで固い方が「くん」だけにそんな気がする。
固さは素材の違いによるもので、大きさや価格は同じ。
肌を摩擦することによって、風邪をひかなくなったりもするみたいだから、私には向いてるかもしれない。
だけど、使わないと意味はない。
今はともかく、寒い時期にたわしでたわし摩擦…
…私がそんなことするわけないよなぁ…
よく落ちる亀の子束子も掃除しないことには意味はないわけで…

もっと、掃除や健康管理にも積極的にならないとダメだなぁ…

お猿もうっとり聴いていた…

コンポのMDプレイヤーが壊れて早や数か月…
もしかしたら、1年過ぎてたりするかもしれない…
使えないので、とりあえず、CDを聴いたりして我慢している。
昔ならば、何がなんでもすぐに修理に持っていったところだけど、最近は金欠でそうもいかない。
…というか、修理は高い。
もう何年か昔のコンポを修理するのに1万円もかかったら、もう新しいものを買った方がマシかもしれない。
まぁ、特別な技術だから仕方ないのかもしれないけど、修理の高さゆえ、買い替えるのはもったいない気もする。
こうやって無駄なゴミが増えていってるのかもしれない…

今日は「ウォークマンの日」
1979(昭和54)年、ソニーが携帯式ヘッドホンステレオ「ウォークマン」の第1号を発売した日。
定価は33000円だった。

ウォークマン…だったかどうかははっきりわからないけど、初めて買ったウォークマンらしきものは、今だと2千円くらいで売ってるような、カセットテープよりは一回り大きなものだった。
しかし、ステレオで録音が出来る!というのが当時としては「すご~~い!」と思うものだった。
使い方が荒かったのか、使う頻度が高すぎたのか、ウォークマンはなぜだか壊れやすかった。
ソニーのウォークマンをはじめ、AIWAのカセットボーイとか東芝のウォーキーとか、とにかくヘッドホンステレオを何台も買い替えた。
ウォークマンが出始めてしばらくすると、ラジオのついたものがあらわれた!
この時も、すご~い!と思ったものだけど、録音したものをいざ聴こう!と思うと、なぜだかラジオの放送が入ってたりして(ラジオと内蔵マイクの切り替えを間違えている)ガッカリ…ということもあり、私のまわりではいまいち評判は良くなかった。
その後は大きさがより小さくなる程度だったと思うけど、また何年かして「すご~い!」と思ったのがオートリバース。
それまではA面が終わったら、いったん取り出して裏返してB面を聴いていたのだけど、A面が終わると取り出さずともB面が聴ける…!
当時としては「すごすぎ~!」と感じたものだった。
このオートリバースも最初は再生の時のみだったのが、その後、録音の時も出来るようになった。
その後の進歩といえば、マイクが内蔵型から外部取り付けになったこと、そして、ヘッドホンがリモコンになったことか。
このあたりでは、初期程の感動はなかった。
それから、MDウォークマンが登場した。
これもまた最初はけっこうでかかった。
しかも、厚みがあり、重い!
さらに、専用のマイクは高い!
だけど、テープに比べて音の幅広さというのか深さというのか、それがまるで違う!
高かったけど、買って良かった~!
…そんな納得の一品だった。
MDがでてから、テープはどんどん聴かなくなり、最近ではほとんど聴かなくなった。
でも、我が家にはものすごい量のテープがある。
音が悪かろうとなんだろうと、それらは当時の記録なので捨てられない。
MDがでた頃、全部MDに移し替えよう!と思ったものの、当時はディスクがまだ高かったのと、数が多すぎるのと時間がかかるので、結局は全体の1割程度しか出来てないような気がする。
そして、MDが壊れてほったらかしてるうちにも、世の中は進歩を続け、今度はMDではないものが主流になるのかもしれない。
…っていうか、MDも今は主流と呼べるんだかどうなんだか。
最近は携帯でも音楽を聴いたり録音が出来る。
PS2でも然り。
DSは辞書になり…
ぼさっとしてたら、何がなんだかわからない位、いろんなことが出来るようになっている。

…だけど、私の身近にはいまだにビデオに録画、携帯で写真を撮る、ファックスを送る…なんてことも出来ない人がいる…
う~ん、なんだか危険…


※近々、アメブロでメンテがあるようです。
7月2日から4日だったかな?
その間は、以前の日記に書きま~す。

半ズボンは許せない!

今日もまた、なんだか突っ込みにくい記念日ばっかり…
とりあえず、いつものようにくらぁぁぁ~い文章を書いてしまいそうな記念日を避ける。

そうなると…
今日は「トランジスタの日」
1948(昭和23)年、アメリカ・AT&Tベル研究所のウィリアム・ショックレイ、ジョン・バーディン、ウォルター・ブラッテンが発明したトランジスタが初めて公開された。
トランジスタは半導体を用いて電気信号を増幅・発振させることが出来、真空管と同じ働きをしながら小型・軽量・長寿命で消費電力が小さい等の利点があり、急速に普及して行った。

ほぉ…それは素晴らしい発明ですなぁ…!
…と、まぁ、この程度しか感想がない。
偉大な発明も、原理や仕組みがよくわからないと、「ふ~ん…」としか思えない凡人の哀しさ…
「トランジスタ」という言葉は一般的には「小型」という意味合いで使われる場合が多いようで、その昔、小柄でプロポーションの良い女性を「トランジスタグラマー」と呼んでいた時期があったと。
昭和30年代あたりの流行語らしいから、今から40年くらい前?
その頃、はたち前後と言えば、現在60代の人なのかな?
現在60代でトランジスタグラマーな芸能人…
う~ん…
う~ん…
う~ん…




思い浮かばない~!

一瞬、朝丘雪路さんを考えたけど、なんか小柄というイメージはない。
朝丘さんはもうじき70歳とか聞いたけど、かなりのバストだわ…
私には負けるけどな…なぁ~んて…(シーン…)

ついでに、今日は「ハーフタイムデー」
一年も残す所あと半分となる日。
…なるほど。こんなのでも記念日になるんだなぁ…的な記念日だ。
しかし、最近の1年は早い。
というか、1日が早い。
起きてから寝る寸前までバタバタしてる気がする。
なのに、用事はたまっていく。
部屋は散らかる…
メールはたまる…
なんでだろう?
一言で言えば、時間の使い方がへたということか…
年のせいか、昔程掛け持ちで何か作業をすることも出来なくなってきた。
夏はいつもより身体が動かないというのもあるけど、結局はやることが多すぎるのだと思う。
わかってはいるんだけどなぁ…
こんな調子だと、ますます縁遠くなっていくこともわかってはいるんだけど…
なかなか軌道修正が出来ない。
今年もあと半年…
今年はとりあえずさっさと過ぎてほしい…
前半の半年よりも、さらに駆け足で過ぎ去って欲しい…理由は…



…言わない…

2人は他界…

今日は「ビートルズ記念日」
1966(昭和41)年、人気絶頂のイギリスのロックグループ・ビートルズが初来日した。
翌日から東京・日本武道館で3日間5回の公演を行った。
学校をさぼってかけつけた数千人もの高校生らが警察に補導された。

深夜午前3時50分、ビートルズは羽田空港で日本航空のハッピを着てタラップに現れた。
この時、空港に出迎えたファンは約500人だったそうで、当時としては「真夜中なのに500人も!」…という感覚だったらしいが、今だと、「ビートルズなのにたったの500人?」という感じがしないでもない。
ちなみに、このライブのチケット料金はA席 / 2100円 B席 / 1800円 C席 / 1500円
今から40年程前のこの料金は高いのか安いのか、いまいちよくわからない。
当然ながら、これだけの人気バンドの公演なので、チケットは抽選。
5公演で約3万枚のチケットに対し、全国から集まった申し込みは20万8850枚だったとか。
約7分の1の確率だけど、これも天下の「ビートルズ」の公演だということを考えると、そんな程度?という感じがする。
当時のビートルズファンといえば、おそらくは10代や20代の若者が主流だったと思われるが、多くの学校が「ビートルズのコンサートに行ってはならない」という通達を出していたそうで、会場の通路は警察官と消防所員で埋まり、6,000人以上の少年少女が会場やホテルの周辺で補導され、動員された警官は5日間で延べ8,300人に上ったとか…
まだ、好きなバンドのライブにも自由に行けない時代だったのかと驚く。
さて、当のライブだが、寺内タケシとブルージーンズ、ザ・ドリフターズの前座が付き、そして休憩時間をはさんでビートルズの登場で、演奏時間はわずか30分程だったらしい。
わずかといえば、以前、加藤茶だったかがテレビに出ていて、ビートルズの前座の時はだんだん言い渡される時間が短くなって、結局は5分位だったとかいう話を聞いたことがある。
入場に手間取ったのか、器材のセッティングのためなのか、理由はなんだかわからないけど、たったの5分ならもう出なくても良かったんじゃないかって気もする。
それでなくとも、大半の観客はビートルズ目当てで来ているわけだし…(;^_^A
7/1にはこの日のPM2:00からの公演の模様が日本テレビで放映され、その視聴率は60パーセントという驚異的な数字を記録したらしい。
いくらビートルズコンサート禁止令が出ていたとはいえ、厳重な警備の目をかいくぐって武道館に行った学生は皆無ではないだろう。
私はビートルズに特に深い思い入れがあるわけではないし、詳しいことは知らない。
でも、後世に残る偉大なバンドの生演奏を見れたことは、一生の思い出であり誇りにもなる。
逆に、行けなかったら、ずっと後悔が残るかもしれない…
やっぱり、若い時は多少の無理はしないとね!
私は小学生の時から大人に見られてたから、その当時学生だったとしてもバレずに無事通過出来てたかもしれないな。(;^_^A

ところで、「ビートルズ」と聞くと、つい「ずうとるび」を連想してしまうのは私だけ…?!
当然、「ずうとるび」は「ビートルズ」をもじってつけたグループ名らしい。
なんで、山田くんが座布団運びをしているのかと思ってたら、なんと!ずうとるび(山田隆夫、新井康弘、江藤博利、今村良樹)は、「笑点」出身だということを最近知った。
ずうとるびは「笑点」の「ちびっこ大喜利コーナー」の共演がもとで74年に結成されたグループらしいのだ。
「ちびっこ大喜利」なんて見たことないぞ~!
多分、私が笑点を見始めた頃にはなくなっていたコーナーなのだろう。
そのずうとるびは何曲かヒット曲もあり、NHK「紅白歌合戦に」も出場。
しかし、82年に解散。
解散後はたまに荒井君をドラマで見たり、座布団を運ぶ山田君を見るものの、後の2人はまったく見ない…
…でも、生きてます…

関係あるのかないのか…

日々、最高気温上昇中!…といった感じの毎日が続いている…
まだ6月の段階で30度を超えられると、なんだかとっても気分が悪い…
今年は、雨もかなり不足している。

今日は「雨の特異日」 雨の降る確率の高い日。
6月25日頃~7月2日頃は1年のうちで最も雨の降る確率が高い時期で、その中でも6月28日の確率は東京で53%と大変高くなっている。…ということだけど、現時点での今日の東京の予報は晴れのち曇り。
さて、雨は降るのか降らないのか…?!
雨といえば、傘。
ここ数年、いろいろなものの値段が下がったけれど、その中でも傘の値下がりははかなりすごいと思う。
何年か前、雨が急に降りだした時に買う、わりとどうでも良い傘は1000円だった。
当時はそれを安いと思っていた。
それから、「ビニール傘」なるものが現われた。
その名の通り、何の飾りもないビニールの傘。
だいたいは小さめで、透明。
値段は5百円位だったのかもっと安かったのか…
あれは、どうでも良いにも程がある!ってなかんじでどうも買う気になれなかった…
そして、最近は百均に傘がある。
折畳みも長傘もジャンプ傘もなんでもある。
さらに最近は「UV加工」の日傘や晴雨兼用傘まであるのにビックリ!
多少、素材は粗悪かもしれないが雨にはもちろん耐え得るわけで、立派に「傘」の役目を果たせる傘が、なぜ百円で傘が作れるのか?
とても不思議。
今度いきなり雨が降ったら、百均で傘を買ってその耐久力を調べてみたいと思いながら、いまだその機会に恵まれてはいない…(私はそこそこ晴れ女)

ついでにもう1つ!
今日は「パフェの日」
1950(昭和25)年、巨人の藤本英雄投手が日本プロ野球史上初のパーフェクトゲーム(完全試合)を達成したことに因み、「パフェ(parfait)」がフランス語で「完全な(パーフェクト)」という意味であることから。
この試合、青森市営球場で行われた対西日本パイレーツ戦で、わずか92球で完投勝利した。
しかし、この日、球場にはカメラマンがおらず、初の大記録の写真は残されていないとか…
それにしても、なんで「パーフェクト」の日でなく、「パフェ」の日なのか??
パーフェクトの日はすでにあったのかな?
パフェというとやっぱりデザートのパフェが一番に思い浮かぶ。
パフェの名前の由来は「Perfect Dessert」…完璧なデザートなのだそうだ。
完璧な…というよりは、豪華な…という感じがする。
そういえば、今はどこにでもあるかもしれないが、関西では「ケーキパフェ」というのがあって、遠くから友人が来た時にはよくウケ狙いで食べに行ったものだった。
パフェの上にでん!とケーキが1つ乗っかっていて、甘党にはたまらないスィーツなのだけど、カロリーは相当高いと思われる。
さらに、食べるのがかなり難しい…
下手すると、ケーキがまるごとボテッと落ちてしまいかねない。
アイスクリームも入ってるから、急いで食べないといけない。

…どこがケーキパフェ発祥の地なのかはわからないが、なんとなく関西っぽい食べ物って気がするなぁ…(;^_^A


※そうそう!

今日は明け方に書き始め、睡魔に負けて寝てしまって、それから時間がたってしまったわけのだけど、結局、今日の東京は雨は降らなかったらしい…残念…!

雑誌です!(きっぱり!)

今日もまた、書きにくい内容の記念日ばかり…
う~ん、どれにしようかなぁ…?と、悩んで…

今日は「女性雑誌の日」
1693年、ロンドンで世界初の女性向けの週刊誌『ザ・レディス・マーキュリー』が創刊された日。
というのを選んでみた。
この「ザ・レディス・マーキュリー」なる雑誌、書籍商の「ジョン・ダントン」という人が発行した週刊誌だそうだが(マーキュリーさんじゃなかったのね…←当然?!)、雑誌といっても1枚の紙の裏と表に両面印刷しただけのものだったらしい。

内容は、全編、質問・回答形式になった身の上相談の記事だったとのこと。

「雑誌」というものにどういう条件があるのかわからないけど、なんとなくそれだと世界初の「新聞」って気もしないでもない…


イギリス初の女性雑誌創刊が1693年なら、日本初の女性雑誌はいつ創刊されたのだろう?と、ふと考え調べてみたら、1911年9月に創刊された「青鞜(せいとう)」というものが、どうもそれらしかった。
しかし、1911年といえば、まだ100年程度しか経ってない…
そっか~…日本はそんなにイギリスに遅れてたのか~と、まずビックリ。
この「青鞜」なる雑誌は、文芸雑誌。
創刊号の発刊の辞で「元始、女性は実に太陽であった」と書いたことで知られる平塚らいてう(1886~1971)を発起人とし、中野初、保持研子、木内錠子の4人で発行された。(表紙絵はのちに高村光太郎と結婚する長沼智恵子が描いたものらしい)
「元始、女性は実に太陽であった」で始まる創刊の辞は、同時代の女性に衝撃を与えたのだとか。
その後、平塚らいてうは、封建的な因襲を打破すべく立ち上がり、1920年(大正9)市川房江らと新婦人協会を結成。
恒久平和の実現や女性参政権運動を展開し、第2次世界大戦後は諸種の女性運動に活躍した。
まだまだ男尊女卑が当たり前で、女性には権利も主張できるものもほとんどなかった封建的なこの時代にこのような運動を興した人がいたからこそ、今のような世の中になったのかもしれない。
私は特別男女同権を叫びたい人間ではないし、完全な同権は無理ではないかとさえ思っている。
男と女は同じ人間とはいえ、あらゆる部分で違う点があるのだし、同じに考えるよりはお互いが不足する部分を補うような関係でいた方が良いように思う。
ミスコンもちっとも悪いと思わない。
きれいな人は評価してもらっても良いのではないかと思う。
ミスコンに出るような人は、皆、それなりの努力もしているのだし、身なりを全く構わないような人よりもずっと良い。
話がズレたついでに、テレビで「女性に嫌われる女性芸能人ランキング」というのをちらっと見たのだけど、1位がさとう玉緒、2.細木数子、3.泉ピン子となっていた。
ちょっと意外…私はこの3人は別に嫌いとは感じない。
さとう玉緒もブリッコ(死語)がウリなんだろうし、不細工じゃないせいか、「ぷんぷん!」をされてもムカつかない。
細木さんは確かに辛辣なことを言うし、話の内容すべてに共感や納得をしているわけではないけど、あれだけの地位を築きあげた人だもの。
ましてや、お弟子さんも相当数いて、先生!先生!とたて毎日まつられてるわけだから、あんな風になるのもうなずけるというか、仕方ないかなという気がする。
泉ピン子は、ドラマもけっこう泣かせるし、バラエティもそれなりに面白いと思うんだけどなぁ…

話を元に戻して…と。
最近は女性雑誌はおろか、雑誌そのものを全く買わないので、内容もよくわからないのだけど、とりあえず、女性向きなんてものは文芸誌はほとんどないのではあるまいか。

漫画ならそれなりに売れてるように思う。
最近は漫画は子供のものというものでもない。

海外の一部でも日本の漫画が人気があったりするらしい。
文章で読むよりもわかりやすいという利点があるのだから、偉人伝や歴史も漫画にしたら読みやすいかもしれない。
でも、そういうものに興味を示す人は結局少ないだろうし、だからこそ、恋愛ものとかが主流になるんだろうなぁ…
なんだかんだと小さな愚痴はあっても結局は平和な世の中だから、革命的なことを考えたりする人も少なく、だからこそ、女性向け雑誌もファッションやグルメや「恋愛や嫌いな女性芸能人」みたいな芸能人ネタになってしまうということか…


それはそれで良いのだと思う。

幸せなことだと思う。

たしかに「●●な芸能人ランキング」はそれなりに面白いのだし…

…でも、わざわざ買って読もうって気にはならないんだけどねぇ…


※ちなみに「」とは、一八世紀の半ばごろ、ロンドンの社交界でモンタギュー夫人らが催した文学的サロン blue stocking の訳で、グループの一員が青い毛糸の靴下をはいていたことからの命名されたものらしい。