ほったらかしにしないで…!
難しいというより、暗くなってしまいそうなので、無難なものを選んでみました…
今日は「露天風呂の日」
岡山県湯原町うるおいあるまちづくり委員会が1987(昭和62)年に制定。
「ろ(6)てんぶ(2)ろ(6)」の語呂合せ。
せめて「ろ(6)てん(.)ぶ(2)ろ(6)」に、してほしいかな…と思うくらい、ほったらかしの「てん」(;^_^A
そもそも「温泉」とは、「その地方の年平均気温より高い温度のわき水。
日本では湯温が摂氏二五度以上か、または規定された物質を溶存するものと定められている。地下水が火山起源の熱で熱せられたものが多い。含有成分によって、単純泉・炭酸泉・硫黄泉などに分ける。いでゆ。」なのだそうだ。
25℃なんて、温泉というイメージはない。
私はきわめてノーマルなタイプだから、熱くもなければぬるくもないお風呂が好み。
さらに、入浴剤大好き派!
昨年だったか、温泉に入浴剤を入れていた温泉があったということで問題になっていたが、あの気持ちはわからないでもない。
私も透明なお湯よりはにごり湯系の入浴剤が好きで、なんとなくあのにごり湯は透明のものより効能もありそうに感じてしまうのだ。
出来れば香りもしっかり目の方が良い。
そして、夏の入浴剤といえば、やはりクールバスクリン!
これはにごり湯ではないけれど、湯上がり後のヒヤヒヤする感触が良い!(冬には思いっきり不向き!)
だけど、実はどの入浴剤でも、肩凝りや腰痛がよくなったとかいう効果は感じたことがない…
だから、私にとってはお風呂も温泉もたいして違わないわけなのだけど、それはやっぱり本物の温泉と入浴剤の違いのせいかもしれない。
温泉にはもう長い間行ってない。
けっこう、温泉に行きたい!とは思うのだけど、いろんな事情でなかなか行けない。
「温泉に行きたい」といっても、気持ち的には「お風呂に入りたい」というわけではなく、「ゆっくりしたい」ということ。
だから、観光地の大きな旅館ではなく、何もない山奥の、夏でも涼しいような所にあるひなびた温泉が頭に浮かぶ。
実際の気持ち的には、緑や自然がいっぱいあって、静かな所であれば、温泉があろうがなかろうが、それはどうでも良かったりするのだけど…
露天となると、よく海が見える温泉が紹介されているが、山派の私はやっぱりまわりも森だったりする方が良いなぁ…
露天風呂はなんだかのぞかれそうで落ち着かないような気もするから、たとえば、自分が入るよりも、お猿や鹿が温泉に入ってるのを、木陰からのぞいてる方がかなりの癒しになるかもしれない。
こんなことを考えてしまう私は、入浴はやっぱり「身体をきれいにするための行為」と考えているのかもしれない。
お風呂に入ることが=癒しになっているわけではなさそうだ。
そういえば、入浴時間がやたらと長い人は、入浴=癒しの人なんだろうか?
私はゆっくりしたつもりでも20分がせいぜいだけど、1時間位入ってる人がたまにいる。
なんでそんなに入っていられるのか理解出来ない…
また、「お風呂ではどこから洗うか?」という質問もよく耳にする。
そして、その質問に対してすぐに答えるのも、これまたすごいもんだと思ってしまう。
なぜなら、私は決まってないから。
その日の気分で違うから。
そんなに皆決まってるの?!と、テレビをみながら驚いてしまった。
まぁ、効率の良い入浴法みたいなものはあるかもしれないけど、特にこだわらなくても良いんじゃないかなぁ…と、いうか、私はこだわる気がない。
全然関係ないのだけど、温泉にはよく「美人の湯」というものがある。
そこで、「じゃ、美男の湯なんてものはあるのか?」と、気になって調べてみたら、これが意外にあった…!
ただ、「美人の湯」も「美男の湯」も、入ったからといって、美人や美男になるわけではないということは、わざわざ書くまでもない…(;^_^A
サザエさんですから~~!
日曜20時には、いつも「ビフォーアフター」を見る。
匠の技によって、問題のある家を限られた予算内でリフォームする番組だ。
もともと収納やリフォームには興味がある方なので、けっこう真剣に見ている。
ビフォーとアフターの違い以外に、とても奇妙だったり、住みにくかったり、危険な家に住んでる人が多いことに興味をひかれる。
人それぞれ、いろんなことが気になる人もいれば、気にならない人もいるけど、こんな状態でよく今まで我慢してたな…と思う家も少なくない。
私のようにストレスに弱いタイプはとてもじゃないけど我慢は出来ない。
きっとなんとかしてると思う。
自分の出来る範囲内で、少しでもマシになるように頑張ってしまう。
あがいてしまう。
特に「危険」と感じるものに対しては、絶対に放置は出来ない。
そういう性格のためか、自分に関係のない所でも不快に感じるものが多々ある。
金属の三角のオブジェのようなものがあるマンションが近所にある…
誰かがたまたま転んだりしたらどうなるのだろう?
尖っているものは、見た目に危険な印象を与えるだけではなく、実際にとても危険だと思う。
人間が暮らす空間には、なるべく尖ったものはない方が良いように思う。
今日は「住宅デー」
全国建設労働組合総連合が1978(昭和53)年に制定。 スペインの建築家、アントニオ・ガウディ(1852-1926)の誕生日。
制定当時は高度成長による住宅建設ブームで、量産の中で職人さんをめぐるトラブルもたくさんあったため、町の大工さんや左官屋さん等職人の腕と信用をPRする為に制定された日。
住宅相談会や木工教室等開かれるらしい…
建築のことなど、ほとんど何も知らない私でさえ、アントニオ・ガウディの名前くらいは知っている。
…というか、名前くらいしか知らないので、略歴を調べてみた。
ガウディは1852年にバルセロナ南西の商業都市・レウスに銅板機具職の子として生まれた。
16歳の時、バルセロナ県立建築専門学校予科に入学。
アルバイトをしながら勉学に勤しみ、バルセロナ県立建築専門学校を卒業した後は内装や装飾の仕事を手掛け始める。
やがて、ガウディはバルセロナを代表する資本家アウゼビ・グエルと出会う。
グエルは、ガウディの建築の良き理解者であると同時に、彼の生涯の友となった。
パリ万国博に出品された手袋店のショーケースからガウディの才能を見て取ったグエルは、彼に次々と斬新な計画を持ち掛け、彼のイマジネーションを開花させていった。
人々の現世の罪を購うために、聖家族に捧げられた大聖堂「サグラダ・ファミリア」の建設が決まり、ビリャールが無償で設計を請負い、1882年に着工したが、意見の対立から辞任、翌1883年よりガウディが引き継いだ。
サグラダ・ファミリアの主任建築家として名声を得たガウディは、バルセロナとその近郊の多くの重要な建築物の設計を手掛けるようになる。
途中で建築が中止されてしまった「コロニア・グエル教会地下聖堂」は彼の最高傑作と言われている。
一時期、精神的に不安定な時期を迎えたガウディは、なんとかその危機を乗り切るものの、次第に孤立しサグラダ・ファミリアの設計に没頭するようになっていく。
彼はこの建築の設計に壮年から晩年に掛けての約40年を費やした。
そして、1926年6月7日の夕刻、ガウディはバルセロナ市内で路面電車にはねられ、6月10日午後5時、市内サンタ・クルース病院で死去。
遺体はサグラダ・ファミリア聖堂に埋葬された。
このサグラダ・ファミリアはいまだ完成には至っていない。
それどころか、完成までにはこの先100年、いや200年はかかるだろうと言われている。
それもそのはず、いたるところに極めて手の込んだ彫刻がほどこされているし、その建設費は人々からの浄財だけでまかなわれているのだと言う。
それらを考えると、あと200年というのも十分にうなづける。
もしかしたらもっとかかるかもしれない…
それにしても、本当に気の遠くなるような作業だ。
巨大な塔でありながら、細部は怖ろしく繊細。
まず、普通の人間には何百年もかからないと完成に至らないようなものを考えることが出来るだろうか?
私のような凡人は、その構想だけでプレッシャーに押しつぶされてしまう。
自分の寿命よりもはるかに年月のかかることには「取り組もう」と思うだけでも、相当な精神力を必要とするのではあるまいか。
とりあえず、細かなことが放っておけないような私には、大きな仕事は出来るわけがない。
でも、部屋が汚いのはなんとなく放っておけるのが不思議…
ここ数年、その傾向はますます顕著になってきた。
…今日も、掃除しようと思ってたのになぁ…
皿は飛ばない…
昔はUFO関連の特番がよく放送されており、UFOといえば、この矢追さんが出ていたものだった…
今日は「UFO記念日」
UFOライブラリーが制定。
1947(昭和22)年、アメリカで初めてUFOが目撃された。
アメリカの実業家ケネス・アーノルドが飛行機で移動中に、時速2700kmもの速度で急降下や急上昇を行っている9機の見慣れない飛行物体を発見した。
アーノルド氏はこの物体を「空飛ぶ円盤(flying saucer)」と呼び、全米で報道されると、同様の目撃証言が相次いだ。
事態を重視したアメリカ空軍が、これを「UFO(Unidentified Flying Object:未確認飛行物体)」と名づけ、調査に乗り出したが、正体はつかめず、1969(昭和44)年に「目の錯覚の類」との報告を出した。
この日、世界中のUFOマニアが一斉に観測を行う。
初めてUFOが目撃された…とはいっても、実はそれ以前にもUFO目撃例は数えきれない程ある。
ただ、当時はまだ「UFO」という言葉もなく、皆、なんだかよくわからなかっただけのようだ。
何を隠そう、実は私もUFOは過去何回も見たことがある。
おそらく、外出する時に常に空を見上げる習慣があれば、見てしまうと思う。 だから、UFOがいるかいないかという部分には特に興味はなく、なにものが何のためにUFOに乗っているのか?という部分が興味の対象となる。
ごく普通に考えれば、乗っているのは地球以外の星の人間という説が私的には一番有力。
宇宙には数えきれない程の星がある。
そのほとんどが未知の世界だ。
一番近い月のことでさえ、まだよくわかっていないという現状なのだから。
それを考えれば、その数えきれない程ある星のどれかに地球以外にも生命体が住んでいる星がある可能性とない可能性だと、ある可能性の方が高いと思える。
幾多の星の中で、生命体いるのが地球だけと思う方が不自然だ。
そして、その中には地球とは比べものにならないほど文明の発達した星もあると思う。
そういう所から来ているのではないか?というのが私の推測。
でも、来る意味についてはわからない。
ただの探険なのか、意味のあることなのか…
だいたい、こちらに来ている種族が何種類いるかもわからないのだし、それらが同じ目的で来ているとは限らない。
良い目的で来ている者もいれば、そうでない目的の者もいるかもしれない。
かなり昔のSFドラマにV(確かVISITERのことだったかな?)というものがあり、それは友好的に見せ掛けて地球を訪れた異星人が、実は地球の侵略を企てていたというようなストーリーだった。
しかも、彼らは地球人そっくりのマスクを付けて来ているのだが、実はトカゲのような顔だった…
トカゲというか爬虫類系は、どうも悪役に使われることが多い。
私は爬虫類が嫌いではないから、多分、ああいう異星人ともけっこう仲良くやっていけると思うのだけど…(;^_^A
そういえば、スタートレックにもいろいろな姿の異星人が登場した。
小さい者から大きな者、人間に近い者やかなりかけ離れた者、中には姿を持たない者もいた。
それを考えれば、地球人にはたいした違いはない。
顔が綺麗か不細工かも、それは同じ種族だから判別のつくことで、そうでなければそんなにわかるわけでもない。
トカゲのどれが綺麗で、どれが不細工なのかはきっと私にはわからない。
外国人でさえも、日本人の美人と不細工がよくわからない人がけっこう多いらしい。
遥か未来に、いろんな星の人と交流できる日が来れば、不細工だってモテるようになるかもしれない。
光●靖子だって、山●花子だってモテモテになるかもしれないのだ…
…ただ、本当にそんな時代が来るかどうかはわからないけど…
そうなる前に、地球が侵略されたりなくなったりするかもしれないのだから…
女人禁制!
だから、当然、スポーツ番組も見ない。
でも、毎日のニュースである程度のことはわかる。
スポーツのニュースを放送しないニュース番組はまずないので、そんなにも皆スポーツが好きなんだな…と、あらためて実感する。
今日は「オリンピック・デー」
1894(明治27)年、国際オリンピック委員会(IOC)がパリで創立された。
フランスのクーベルタン男爵の提唱によりオリンピック復興に関する国際会議がパリで開催され、1896(明治29)年にアテネで第1回オリンピック大会の開催することを決議し、国際オリンピック委員会を組織した。日本では日本オリンピック委員会(JOC)国際協議課が1948(昭和23)年から実施している。
…と、いうことらしい。
オリンピックの起源については、すでにギリシア神話の時代から諸説残っているようだ。
古代オリンピックの始まりについては、考古学的な研究によると紀元前9世紀ごろとされているそうで、当時はギリシアを中心にしたヘレニズム文化圏の宗教行事だったのだとか。
今のように世界平和を究極の目的としたスポーツの祭典ではなく、全能の神ゼウスを始め、多くの神々を崇めるための神域における体育や芸術の競技祭だった。
初期は短距離走のみで開催期間も1日で終了したそうだ。
その後、競技種目はじょじょに増え、紀元前472年には5日間の大競技会となっていた。
この大会に参加資格のあるのは、健康で成年のギリシャ人の自由人男子のみで、女、子供、奴隷は参加できなかった。
不正を防ぐため、全裸で競技が行われ、勝者にはオリーブの冠のみが与えられ、神殿敷地内に像が建てられたとか。
税を免除されることもあったらしい。
全裸には不正を防ぐこと以外に、競技で衣服を着けるのは身体に自信がなくて隠したがる「粗野な未開人」だと思われたからだということもあったらしい。
もともと最初は、腰布を着けていたのだが、徒競走途中でトップの男の腰布が落ち、それにつまずいて転んだとか、逆に途中で腰布が落ちた男が構わずゴールして勝ったとかいう逸話があり、それからすぐに全裸が主流になったのだとか。
開催中、オリュンピアには女性は全く入れなかったという説と、神殿と競技場には入れずに、外でテントを張って待っていたという説と、競技場内でもフィールドに立ちさえしなければ実質的にはOKだったという説と、未婚女性に限り、競技場観客席での観戦が許されたという説があるらしい。
以前、「トリビア」で、古代オリンピックでは選手は全裸で行なわれていた…というネタが出た時には、確か未婚女性のみ観戦可で、それを破った既婚女性は死刑…とか言ってたような気がする。
まさか、命を賭けてまでわざわざ見に行った女性はいないとは思うのだけど…
しかし、このオリンピックが女性も出場出来て、なおかつ全員全裸だったとしたら…
見に来る観客は、さらに倍増していたかもしれない…(;^_^A
関西限定??
以前、何かの全国放送番組で「ギター・タロー」と紹介されていたのを見た時は驚いた!
関西では、それほどまでに「キダ・タロー」は有名人。
だけど、関西以外では意外と知名度低いのかな…?
今日は「かにの日」
大阪のかに料理店「かに道楽」が1999(平成11)年に制定。
今日が星占いのかに座の初日であることと、50音表で「か」が6番目、「に」が22番目であることから。
食事券等のプレゼントが行われる。
…ということだが、「かに座の初日」はともかく、「か」が6番目、「に」が22番目ということがたまたまかに座の初日に関わっているというのがすごいし、そんなことに気がついたのもすごい!と、ちょっと感心してしまった…
4桁以内(○○月○○日ということで)の数字が、その星座に関わるものが他にあるか調べてみたが、魚座が「う」が3番目「お」が5番目で、魚座の期間には入るものの、初日でも最後でもなく、そう考えるとそんな風にピッタリおさまるのはかに座だけだから、つくづく良いところに目を付けたものだと思う。
ちなみに、今日は元悪魔のゼノン石川和尚のバースディだったりするのだけど、ご存じの方は少ない…かな??(失礼~!)
かに道楽といえば、大阪名物とも言われるデカイカニの看板!
幅が約8メートルあるらしい。
しかも、動く!
関西人の感覚からいうと、そんなに違和感はないのだけど、関西以外の地域の人から見ればやっぱり妙なものと映るようだ。
阪神タイガースが優勝した時は、かにの目玉が取られたらしいが、その後、その目玉は発見されたのだろうか?
「と~れとれ、ぴちぴち、かに料理~♪」という曲も関西人なら知らない人はいない。(…多分)
かのキダ・タロー先生の作られたかに道楽のCMソングだ。
最近はあんまり見ないが、昔は相当日常的に流れていたらしく、関西人はいつのまにかその曲を覚えてしまう…
…でも、考えてみると、私はかに道楽に行った記憶がほとんどない。
かには小さい頃から好きで、よく食べに行ってたらしいが、私が覚えているのは実は別のお店だったりする…
これは、私が関西人ではあっても大阪ではないせいか…?!
そういえば、「と~れとれ、ぴちぴち、かに料理~♪」の後の歌詞もわからない…
う~ん…こんなことではいけない…!!
いつか、話のタネに「かに道楽」に行ってみなくては…!
懺悔~~!
夜更かしなので、夜中はどうしてもおなかが減る。
空腹を満たすため、そして、「ホッ」とするために、毎日夜中にお菓子を食べるという悪癖がついて早何年…?!
寒い季節はお茶と共にお菓子…多分、暖かいお茶と共に食べるという食べ方が、お菓子には一番あうのかもしれない…
最近は、どうしても冷たいお菓子が食べたくなる。
一番は、プリンアラモード。
プリンだけでは物足りないところに、スポンジケーキやフルーツがあるととても満足感を味わえる…
しかし、コンビニやスーパーのプリンはどうも違う…
カラメルの苦みとたまごのコクがあるおいしいプリンが食べたい!
最近ずっとそう思いながら、我慢している。
しかし、プリンアラモードはカロリーありすぎ!
しかも、5百円程する。
そんなわけだから、毎日は食べれない。
次にはシュークリーム。
私はホイップがなくて、シューがカリカリ目のシュークリームが好きなのだが、買いに行くのが少し遠い。
暑い時は少しでも遠くには行きたくないので、これまた毎日は食べれない。
そんなわけで、毎日お菓子に悩む…
いつもだと、クッキーやらチョコレートも食べるのだけど、最近はどうもあんまりおいしく感じない…
部屋の中に置いてると、チョコは溶け気味…かといって冷蔵庫にいれると堅いと始末が悪い…
今日は「スナックの日」 全日本菓子協会が制定。
そもそも、「スナック菓子」とはどう定義付けられているのか…?
辞書で調べると「気軽に食べることのできる菓子の総称。ポテト-チップ・ポップコーンなど。」と、なっていた。
「気軽に食べられる」というのも、なんとも曖昧な表現だ。
私が気軽じゃないと感じるのは、生菓子位かな?
生菓子は、ちょっとばかり身構えて食べるかもしれない…
他にはお皿に綺麗に盛り付けられたケーキとか…?
私が思うスナック菓子とは、多少おなかにたまるもので、しかも甘くないもの。
甘いスナック菓子というのはなかなか思いつかない。(あ!キャラメルコーンとか?)
大昔、「やめられないとまらない」というキャッチコピーで一世を風靡した「かっぱえびせん」は、本当にやめられなかった…
ポテトチップスも、まずやめれない。
封を切ると、ヒトフクロウが来ても止まらないのが、スナック菓子の特徴かもしれない…
しかし、悲しいスナック菓子もあった…
カード目当てにこぞって買うものの、食べずに捨てられてしまうあのスナック菓子…
だけど、あれは本当においしくなかった。
友達にも、あれが好きだという子はいなかった。
だって、本当においしくないのだから…
せめてポテトチップなら、あんなに捨てられることもなかっただろうに…
またはチーズ味とかだったら、良かったのかもしれないな。
最近の食玩は、おまけがメインでお菓子がおまけのようになっている。
昔はおまけはあくまでもおまけだった。
今みたいに、お菓子がおまけのように少なくても良かったのかもしれない。
そうすれば、あのスナック達も、悲しい運命をたどらずにすんだのかもしれない…
大好き~!!
あの少し辛味のあるきりっとした味と香りがたまらない…!
今日は「ペパーミントデー」
ハッカが特産品の北海道北見市まちづくり研究会が1987(昭和62)年に制定したもの。
「はっか(20日)」の語呂合せ。
そもそも「ペパーミント」とは…
学名:Mentha Piperita科名 シソ科
別名(和名) 西洋ハッカ
有効成分 精油(メントール メントン)、フラボノイド、カロチノイド、アズレン
その効能はというと、 消化不良、食べすぎ、食欲不振、胸やけ、心身の疲労、注意力散漫、眠気、偏頭痛、さしこみ、過敏性腸症候群、つわり、さらには防虫効果や抗菌作用もあるらしい。
これからの季節、暑さのため、食欲がなくなったり、胃の働きが悪くなったりすることが多くなるが、そういった症状にもぴったりで、それがひいては夏バテの防止にも効果を発揮することにも繋がる。
意外なことに、「メントール」は、ミントの中でもペパーミントと日本北ハッカにしか含まれていないらしい。
日本薬局法では、ペパーミントの効果が認められ、「ハッカ」という名前(医薬名)で登録されているそうだ。
ペパーミントの歴史は古く、古代ローマでは、ハーブバスに利用したり、また古代ヘブライ人は、床に敷きつめたミントの葉を踏みくだいて、部屋中にペパーミントの芳香を広げたとか…その他、新約聖書の中にもミントに関する記述があるらしい。(今度、調べてみよう…!)
今までに、ペパーミントを栽培したことが何度もある。
育ててペパーミントティーにしようと思ったわけだが、何度やってもうまくいかない。
どうしても乾燥の時点でうまくいかなかった。
電子レンジで水分を飛ばすだの、白熱灯で飛ばすだの本に書いてある通りにやってはみても、どうしても青臭さが残ってしまう…
そんなわけで、やっぱり買った方が良いという結論に達した。
しかし、ペパーミントティーもありそうであんまりない。
以前、伯母の家の近くにハーブ専門店があり、そこのペパーミントがとても気にいっていたのだけど、いつのまにかお店が潰れてしまった。
たしかドイツのもので、葉が大きめのままで、とてもうまく乾燥されていた。
ペパーミントティーというと、紅茶の中にペパーミントがブレンドしてあるものもある。
だけど、やっぱり、ペパーミントだけのものの方がおいしい。
夏はアイスにして飲んでもおいしい。
ところで、北見市のペパーミントキャラクターはミントのはっぱをくわえたエゾリスの「ミントくん」で、その彼女が「ペッパーちゃん」と言うらしい。
なんで、リスなんだろう?
ペパーミントのキャラクターなら、やっぱりミントの葉に顔があって、手足が生えてるミントくんの方が良くはないだろうか?
もちろん色は濃い目の緑色。
清涼感を出すために、ミントグリーンの靴をはかせてあげると可愛いかもしれない。
ペッパーちゃんには頭にミントグリーンの花飾りでも付けてあげよう…
そんなキャラだったら、ペパーミントが印象に残ると思うけど、リスだとミントの印象は薄くなりそう…
よけいなお世話なんだけどね。
何かあげてよ!
途中で、人がきたのでしっかり見れなかったのだけど、確か1位が所ジョージ、2位が中村雅俊、他には岩城光一やサザンの桑田が入っていたような気がする。
中村雅俊は納得できるけど、所ジョージが1位っていうのはなんか不思議…
私だったら、松本幸四郎(あれ?名前変わったんだったかな?松たか子のお父さん)とか、加賀丈史(ちょっと若いかな?)とか…
草野さんも良いかもしれない。
やはり、尊敬出来る部分があり、頼りになる父親が理想かなぁ…
今日は父の日。
正しくは6月の第3日曜だから、今年は今日は父の日。
「父の日」は、「母の日」より1年後に制定されたそうです。
1909年、ワシントン州のソナラ・ドッド(ジョン・ブルース・ドッド夫人)という女性が、「母の日」の説教を聞いていて、「父の日」もあるべきだと考えた。ドット夫人の父親は南北戦争の英雄「ウイリアム・ジャクソン・スマート氏」という北軍の軍曹だった。
ドット夫人の母親は、夫のウイリアム氏が戦地に赴いている間、女手一つでドット夫人を含む6人の子供達を守り、育てていた。
そのため身体を壊してしまい、ウィリアム氏の復員後、間もなく死去。
終戦後、今度はウィリアム氏が男手一つで6人の子共達を立派に育てた。
再婚もせず、6人の子供達を立派に成人させた後、ウィリアム氏は他界。
彼女は、そんな父親をとても敬愛していたからこそ、「父の日」のことを思いついたのだろう。
父親が6月生まれだったため、ドット夫人は自分が通う教会の牧師に頼み、6月に「父の日」を祝う礼拝を行なってもらったのだが、それが1909年6月19日の第3日曜日だった。
これが元となり、ワシントン州では6月の第3日曜日を「父の日」と認可したらしい。
その後、歴代の大統領によって「父の日」に関する声明などが出されたが、実際に国民の祝日として定められたのは、1972年のことだというから、63年もかかっている。
先日、「父の日には何かプレゼントをもらってますか?」という街頭インタビューの様子をテレビで見たが、「もらってない」という回答が多いのには少し驚いた。
これは、母の日にはカーネーション!…みたいな決まりごとがないことも影響しているのだろうと思う。
カーネーションの1本位なら、子供のおこずかいでも買える。
だから、小さいうちから、「母の日にはカーネーションをあげる」という決まりごとが習慣付けられるのではないかな…?
お父さんにはお花はあまり似合わない…
こんな時こそ、「靴下」はどうだろう?
安いものなら、数百円…いや、百均でも買える。
たいていのお父さんは靴下を使うだろうし、もらって邪魔になるものでもない。
恋人達の日に靴下を贈るよりは、父の日の贈りものにした方が普及するような気がする。
切ないなぁ…
…と、いうか、考えてみれば、以前から「旅行」というものはあまりしていない。
何らかの目的があって、遠くに行くことはあったが、それは旅行とは何か違う気がする。
辞書によると、旅行とは旅のことであり、旅とは「自宅を離れて、一時よその土地へ出掛けること」とある。
だったら、それも「旅行」なのかもしれないが、私が思う「旅行」とは行き帰りの道中も含めて楽しむもの…
目的があってどこかに行く場合、楽しみはあくまでもそれだけ。
はっきり言うと、私の場合は、見たいライブがあって遠征というケースがほとんどだったので、行き帰りは本当にどうでも良かった。
乗り物には弱く、体力もないので、なるべく早く着いて疲れないもの…そういう選択だった。
そして、用事がすめば、観光をすることもなく帰って来る…行くのはたいてい都会だから、名物や特産物を食べるということもなく、どこにでもあるようなものしか食べない…
こういうのは、やっぱり旅行とは言えないように思う。
早い移動手段といえば、やっぱり飛行機。
しかし、たいていの場合、飛行場は郊外にある。
だから、飛行場についてからがバスしかないような所だと、却って新幹線で行った方が早いということも多い。
飛行機といえば、来年のサッカーのイベント(?)に、ドイツまで行くと張り切っている知人がいるので、ドイツまでどのくらいかかるのか尋ねてみたら、約14時間かかるらしい…!
14時間といえば、半日強ではないか!
だけど、昔はこんなものではなかった…
今日は「海外移住の日」
総理府(現・内閣府)が1966(昭和41)年に制定したもの。
国際協力事業団移住事業部が実施。
1908(明治41)年、本格的な海外移住の第一陣781人(人数については、違う記述もあり)を乗せた笠戸丸が、ブラジルのサントス港に到着した日。
…ということだが、神戸港を出発したのは、なんと4月28日…!
今なら飛行機で約24時間で行けるブラジルだが、当時は船で二ヵ月近くもかかっていたのだ。
そもそも海外への移民は、1868年(明治元年)に始まり、ハワイ、アメリカ、メキシコ、明治後期には南米東南アジア等へと送られていたらしい。
しかし、そのうちアメリカ合衆国への移民は制限されるようになり、1888年に奴隷制を廃止したブラジルでは、その後のコーヒー農園での労働力不足を補うためヨーロッパからの移民(コロノ移民と呼ばれる契約移民)を誘致していたものの、その劣悪極まりない労働条件には移民の不満は爆発。
ヨーロッパの移民送り出し国の政府は、「奴隷同然の移民送り出しには協力出来ない」と、出国を停止した。
ちょうどその頃、アメリカ日本人移民を締め出されて困っていた「皇国殖民会社」が、労働力不足に悩んでいたコーヒー農園主とブラジル政府に、日本人移民の受け入れを売り込んだというわけだ。
「皇国殖民会社」はサンパウロ州政府と契約調印し、むこう3年間で3,000人の農業移民をブラジルへ送り出すことになり、日本国内での移民希望者募集を開始。
その時の移民の条件の中には
「移民は夫婦を中心に、12歳以上の子どもか夫婦の兄弟姉妹を含む「3人以上の家族」であること」というものがあったため「皇国殖民会社」は、この条件を満たすため、移民希望者の中の独身者たちを名目上の夫婦・親子・兄弟にしたりすることもあったとか…
笠戸丸に乗船した自由移民は10名のみ。
残りは皆、「契約移民」といわれる人たちで、沖縄県出身者がその半数を占めていたらしい。
最盛期の1933年頃には年間2万人以上が参加、1993年に制度が廃止されるまでに、およそ30万人もの人々が移住したとのこと…
夢と希望を胸いっぱい抱えて2ヵ月もかけて着いた場所は、話に聞いていたものとはかけ離れた世界…
そんな失意の中で移民たちはなにを支えに頑張っていけたのだろう…
ほとんど話したことがない…
そんな時はまず交番に行くはずだ。
だけど、幸いなことに特別そういったことがないので、おまわりさんと話をする機会はほとんどない。
一体いつ話しただろう?と考えると、もう相当昔のことが思い出された。
引っ越してしばらくした時のことだった。
おまわりさんが我が家に来た。
私はまだパジャマを着て顔も洗ってなかったため、ちょっと待ってもらえませんか?と言ったところ、何が何でも今開けろ的なことをいわれ、かなり頭に来たことがあった。
内容は住んでる家族のことやら、連絡先を聞くだけのことだったのだが、あれ以来、おまわりさんに対していやなイメージが残っている。
「○月○日にうかがいます」といわれていたのなら、起きてなかった私が悪いのだから文句は言えない。
しかし、いきなり来て、それはないんじゃないの~…
まぁ、おまわりさんの全員がそんなことはないのだろうけど、一度嫌なことがあるとそういうイメージはなかなか消えないものだ…
今日は「おまわりさんの日」
1874(明治7)年の今日、巡査制度が誕生した。
「おまわりさん」という通称はパトロールをすることから来ているのだとか。
あちらこちらを「見回る」ことから、「おまわりさん」と呼ばれるようになったらしい。
世間には一般人では対応出来ないことも多い。
中にはくだらないことで呼び出す人もいるだろうし、たいしたことがないと思っていても大事になることもあるだろうし、とても大変な職業だと思う。
地域密着型でもあるから、休む暇もないだろう。
だ~け~ど!
起きたままの格好で、顔も洗わず人と話すのはいやですから~~~!(根に持っているあたり…)
…こんな時はこれからは居留守だな…
さて、警察ものといえば、サスペンスドラマにもたくさんのシリーズがあるが、その中に「浅見光彦」がある。
ルポライターの浅見光彦が、取材先で殺人事件に巻き込まれ(自ら首を突っ込み…?!)不審人物として身元を確かめられると、実は浅見刑事局長の実弟であるということが判明し、今までの態度とは手の平を返したような変わりようで、いきなり「浅見先生」なんて呼ばれてしまう。
そのシーンが毎回面白かったりもするのだけれど、刑事局長とは一体どのくらいの地位なのか…?!
一般的な会社以外のことは、階級についてもよくわからない。
刑事ドラマをみていても、わからないことが意外とたくさんある。
専門的なことや、警察独自のことは言葉の意味でさえもわからない事がある。
でも、詳しくわからなくとも、ドラマは楽しめるので、いつも調べることもしない。
視聴者って、いいかげんなもんだなぁ…(;^_^A
※18日午前0時から20日午前8時まで、こちらのサーバーがメンテを行なうらしいので、その間は以前の日記に書きま~す。
早ければ19日のお昼頃復旧の予定だそうです。