どうしようもなく親とぶつかったとき、私がとった方法を二つ。

●自分の意志はおいといて、親はどう考えているからそういう行動になるのか、をとことん考えた。真実や常識なんて十人十色。彼・彼女にとってはこう思える、って部分を考えてみる。私は最終的に「愛・心配があるからなんだなー」と自分自身で納得できて親とぶつかっていることによる精神的疲労が減った。(「頭が固い」で片付けちゃうんじゃなくて、その本質はどういうことか。)
●もし、今自分が信じる道を親の反対のせいで断念したとして、後々、「あの時親が反対しさえしなければ」という言葉を絶対に言わない自信があるかどうかを判断基準にした。その結果一時的に親を傷つける道を自分が選択したとしたら、必ずその関係を自分の力で修復するという決意も必要だと思う。

忘れちゃいけないと思ったのは、どんなに愛情のある親子でも、別々の人間である以上理解しあえない部分があるのは普通だということ。
それから親は小さいころから自分を見てきてるだけに、かっこつけや、甘え、自分が無意識のうちにうやむやにしてる部分を見抜く能力があるんだと思う。だから、自分がなぜこうしたいのか、を自分でも完全に納得できるまで考えた。
「好きなように生きろ」っていうのと、恨まれるリスクを冒してまで反対するっていうのはどっちも愛があると思う。
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友達がつらそうだったので、思わず、珍しく、アドバイス(?)
ただこれに関してまだまだ私も初心者。もっとやり方や実際的なアドバイスがあるんだろうけど、それはできなかった。
私が「こうしたい」という大きな決断を親に反対された経験は覚えてる限りなかったし、私も「こうしてほしい」ということに反対したことが今までなかった。
(・・・ぃゃ、あるかwただ喧嘩しながらも最終的には意に沿う選択をしてきたという意味で。)
だから、常に親との意見の対立の中で自分を信じ、自分の主張を通してきたという彼に私ができるアドバイスなんてあるのかな、と一瞬考えたけど、助けになる可能性が0じゃないなら何かを伝えようと思った。

「考え方が凝り固まってる」っていう言葉でまとめてしまってるのも気になったし。

まあ、上に書いたように、乗り越え方も十人十色なんだと思います。
ただ自分なりの方法を見つけるうえで、人からのアドバイスっていうのは良い触媒になると思う。


---追記---
どうやら友達は決断をしたよう。
この大きな決断をこの短期間でできたのは、彼のすごいところ。
逃げないでいっぱい頭働かせたんだろうな。見習わなきゃ。
「お母さんを泣かせてまで行けない」って言葉、私には堪えた。
今まで、親を悲しませるくらいなら自分の願望を我慢するというポリシーで生きてきた私が、つい最近初めて親を悲しませる選択をした。

正直、「自分の弱さ」がその選択をした要因に入ってないかと聞かれればnoとは言えない。
もっと強くなれば、私がもっと強かったなら、母を悲しませずにすんだのかな。
ざわざわしてる。
でも、「弱さ」ってなんだろう。
家族や大事な人の傍にいたい、傍にいて欲しい、と思うのは弱さなのかな。
あの人の脳みそを借りたいな。会いたいな。ぎゅってしてほしいな。


それにしても、自立すること、親を尊重すること、両立のむずかしさ。
初めてのタイプの手帳を買ってみた。
うきうきヘ(゚∀゚*)ノ

Lettts of Londonのもの。
決め手は一際しっかりした紙に印刷された、16ページに及ぶカラー世界地図。

世界地図好きとしてはたまらない。
はぁ~ラブラブ

行きたい場所がいっぱいあるなぁ~(*⌒∇⌒*)

Europe
8 countries 23 cities

Africa
0

North America
0

South America
0

Central Southern Asia
0

Far East(except Japan)
3 countries 4 cities

Oceania
2 countries 6 cities

Russia
0

行った国と都市を数えてみた。

行ったことない地域に行きたい度合いの順位付けをすると、
1位・・・Africa!!(モロッコとかモロッコとかモロッコとか。カナリア諸島!南アフリカ共和国)
2位・・・Central Southern Asia(イスラエル(特にエルサレム)!とインド、ブータン、トルコ)
3位・・・Russia(モスクワ!!)

4位・・・South America(ボリビア)



5位・・・North America(にゅーよーく?)

という感じ。

それにしても時間が見えるよこの手帳。
しゅごい。
私時間いぱいある!(気がする。)
手帳負けしないように、しっかり(・ω・)/
1 BillionHungury(10億人の飢えている人たち)

という FAO(国際連合食糧農業機関←国連に食糧農業機関ってゆーのもあるんだねひらめき電球)
が行っているキャンペーンのCM(動画)に、
「怒り」を前面に押し出してるものがあった。

『農業食糧の専門機関であるFAOは、これまで主に政府や専門家向けの情報発信やPRをしてきました。~中略~「一般の人向けに農業や食糧政策を語っても…」といったムードがあったのでしょう。

ところが、2年前の冬に開かれた世界食糧サミットの前夜、FAO事務局長が「世の中に10億人以上も飢餓に苦しむ人がいるなんて許せない」と24時間のハンガーストライキに入ったのです。水も食事も摂らないと宣言してロビーに机を持ち出して業務まで始めてしまった事務局長を前に、FAOの職員達もにわかに盛り上がりを見せたそうです。』
山下 亜仁香さんの「ローマで働く 駆け出し国連職員の日常」というコラム

2週間ほど前にこの記事と上のキャンペーン動画を見たのだけど、
その時は「ふ~ん、なるほどねぇ」と、
感心しつつもそこまで響かなかったわたくし。

今日は「怒る」という感情について、ぐるぐる考えていて、
(別に今日何かに怒ってたわけではナイ。w)
自分の中で、「怒る」というアクション(感情だけではなくてネ)に対する評価が、
何段階か格上げされたので、
ふとこの記事を思い出して、読み返してみた。

純粋に、「事務局長、や、やりよるな・・・」と( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚

考えはまだしっくりまとまってないけど、
「怒る」とか「怒り」って、
ネガティブな印象の言葉だけど、
決してそればっかりじゃないなぁと、思う。
健全で建設的でパワフルな感情だなぁ、と。
そういう意味での「怒り」がもっと日本でも浸透したらいいなぁなんて、思ったしっぽフリフリ


あれ、そういえば私今日、朝起きてから17時にアップルジュースを飲むまで、ハンガーストライキだったわw
意図したわけじゃないケド。
でもごりごりやることやってると、意外と気づかなかった。
さすがに水分も取らなかったのは「もう無理!」ってなって飲み物買いに行った(゚Ω゚;)

明日は規則正しい食事(今日より)!おー(*゚ー゚*)
もしかしたら、
新しい何かを創り上げるためには、
普通の生活は邪魔なのかもしれない。

だって、「普通の生活」がおくれてしまうということは、
その新しい何かを「何が何でも生み出す必要性」とは対極に位置するものだから。

あえて、普通じゃない生き方、を選ぶ必要があるのかもしれない。

と、ふと思ったよ。

「創造」が日常化してしまってる人にはあてはまらないことかもしれないけれど、
ビギナーは試す価値あり。

だから、この震災・原発事故による、未だ終わらぬ「非日常」は、
平時以上の「創造」を誘発するんじゃないかな、と。

でも、「同じようなアイディア」を考える人なんて空間・時間軸を広げたら、きっといる。
殆どの場合。(エジソンの発明を彼がしなかったとしても、何十年・何百年後かには必ず誰かがしただろう)
そうなってくると、スピード勝負っていうのもあるし、ディテールっていうのが大事なんじゃないかな。
やっぱりスピードが大事だね。
それが未だ「世にない、この瞬間」にやる、ってこと。

普通じゃない、毎日。普通では持ちえない、悲しみ、怒り。
そういったものは、自然と、人を発明に、創造に駆り立てるんだと思うんだよ。

普通では持ちえない感情、といっても、ものすごい喜びっていうのは、そういうクリエイティビティを誘発する要因にならない気がするな。
それは恐らく、喜びの本質である充足感というのが、これまた、
新しい何かを生み出す必要性と対極にあるからかな。

よく「人と違う視点」「独創性」というけど、
それは人と同じことだけして、同じことだけ考えてても手に入らないんだね。
人が考えないような、たまにはバカみたいなことも、
突き詰めて考えてみるっていう頭の使い方も「創造」には効果的かもしれない。

あ、なんかとても当たり前のこと言ってる気がしてきた。
でもその当たり前を、身を持って体感してる、ということが大事。
そんな訳で、本日より、…突入します。



そして、タイトルに関しては、これのメモ。
『苦しい時に漏れ出るような言葉が人の心を捉えやすいのは、そこに自分を良く見せようっていう不純物が混入しないからだ。自分よりも他人に興味がある人も、どうすれば自分に興味を持ってもらえるか、あんまり興味がないから受け入れられやすい。自分をプレゼンしない人に、人は安心して興味を示す。』

かっこつけな私には、耳の痛いお言葉です。
でも、割と本質だなあと思う。
PDF本文 Chernobyl:Consequences of the Catastrophe for People and the Environment

↑これが含まれるブログ
Eisbergさんのブログ(肯定派)(以下の方と同じく、ドイツ在住)
+参考記事:インドの新聞が本論文についてとりあげている(同Eisbergさんのブログ)

在独15年目の生物学研究者。きむらさんのTweetdeck(批判派)

本論文を取り上げた(説明)動画


自分で全文を読んだわけではないので、この論文の主張が正しい、or間違っているとは言えない。
(例え読んだとしても肯定・批判の断定ができるのかは今の私には自信がない。英語力のなさと、参考文献が英語ですらないという点で。)

ただし、ベラルーシの公式発表で、国内だけで死者が53万人に登ることなども合わせて考えれば、少なくともIAEAのこの事故による死者数が4000人という見解が少なすぎるのではないか?ということ。

また、IAEAとWHOの協定というのが、どう考えてもおかしいだろ!とつっこみたくなる。
事実を曲げる必要がないのであれば、やましいことがないのであれば、このような協定、どんなメリットがあるのか。なぜそんな協定が結ばれたのか。そもそもまかり通ってしまったことが、怖い。世の中って、本当、悪も平然と起こってるんだよな~。

一理系院生として言えることは、300ページ以上の論文を執筆することがいかに過酷な労働で、ましてや、5000にも上る文献を調べることが、どれだけ超人的な精神力を要するか!!と考えると気が遠のくということ。
また、論文批判などは、いくらでもできるということ。
この論文には、こんな穴もこんな穴も、あれ、こんな穴までありますね、というのは、こんな膨大な参考文献に基づいた、300ページにも及ぶ論文になら言えて当然なのでは?
(研究者の世界から見たら、まだ卵にもなっていないただの理系院生の感想なので、これに関してはあまり自信はない。今の自分が言えること、抱いた感想を述べた)

~おまけ~
ヤブロコフ・ネステレンコ報告

Wiki pedia Chernobyl:Consequences of the Catastrophe for People and the Environment


今日はもう眠いので(てゆか朝の5時近く・・;)検証不十分のまま。でもupしないと、リンク飛びずらいので、up。寝る。
後日、気が向けば読んで、検証したい。
このページも書き換えていきたい。
ベラルーシの公式発表の件は調べる。
また、協定の詳しい内容(本当に、こう説明(解釈)できる協定なのか)についても調べる。



追加①
日本語訳の作業進行中、そして内何章かはもう読めるらしい。
ベラルーシ在住の日本人の方のブログから。
でも寝る。
つまり、「正しい」とか「間違っている」というのは危険なことなんですよ。つまり例えば(アドルフ・)ヒトラーという男がいる。彼は絶対正しいと、彼はつまり「資本主義はダメだ」と「競争はダメだ」と。だから国家社会主義だと。(ヨシフ・)スターリンもそうだね。国家社会主義が正しいとなると、「競争の自由」なんて(言っている)奴は全部監獄へぶち込む。これはとんでもない。僕はやっぱり世の中で大事なのは言論表現の自由だと思っているからね。

そういう意味では、とにかく良い悪いではなくて、立ち位置を鮮明にしてから言論を言うというのは当たり前のことだと。

田原総一朗×津田大介×学生たち 「次世代ジャーナリズム」論で激突 全文書き起こし


あはは、そうか『言論の自由』という言葉があったよね( ´艸`)
私が、うにうに、もやもや述べてきたきたことは、この言葉に集約されるのね。

いや、まあ、自分の言葉で述べることも大事だから…。
うん(゚ー゚;

『右も左も、自分が正しいと思っているから嫌い。』
って、その感覚すごく分かるな~。
ソクラテスの「無知の知」の話に似てるよね。

私は「嫌い」って言葉は選ばないだろうけど。
でも、すぐに「バカ」だの「クズ」だのそんな言葉で批判する人には、憤りっていうか、あきれてしまう。
『言論の自由』が成り立つためには、その社会に、一人一人に、どんな心がけ・基本スペックが必要かなひらめき電球

言葉を知っていると、的確に伝えるのに便利だけれど、思考を停止してしまうというデメリットもあるのかな、と、ふと思った。
なーんて、この展開で言っても、苦し言い訳にしか聞こえない?( ̄Д ̄;

読みたい&読み返したい本が、溢れてきた。

『ピョンヤンの夏休み ~私が見た北朝鮮~』 柳美里
『密閉国家に生きる』
『スウィートヒアアフター』 よしもとばなな
『Play for Japan 3.11世界が祈り始めた日』
『コークの味は国ごとに違うべきか』
『シューカツ!』 石田衣良
『ワタクシハ』 羽田圭介
『侏儒の言葉』 芥川龍之介
『何をなすべきか?』 レーニン
『哲学ノート』 レーニン
『ツラスストゥラは書く語りき』 ニーチェ
『曙光』 ニーチェ
『ソクラテスの弁明・クリトン』 プラトン
『レ・マンダラン』 シモーヌ・ド・ボーヴォワール
『アンネの日記』 アンネ・フランク
『逆パノプティコン社会の到来』 ジョン・キム
『サイバークライシス ~見えない敵に侵される日本~』
『現代用語の基礎知識』
『一般意志2.0』 東浩紀
『思想地図1・2』 東さん他
『決別!日本の病根』 古賀茂明
『マスコミはもはや政治を語れない』 佐々木俊尚
F・サガン、三島さん、V・ウルフ、ニーチェ、今、とっても読み返したい。

あとは、仏教・浄土真宗・ロシア正教・カトリック・プロテスタント・イスラム教・ユダヤ教に関して社会に出る前に最低限、それぞれの、教義・成り立ちを知っておきたいので、それ関係の本。
特に、仏教用語に関してはかなり興味。
プラハの春関係の本。
ジャスミン革命(アラブの春)関係。

うう~、読み漁りたい!!!
ドイツの冬…
Hannoverの冬…
こんなに雨風やばいとは、知らなかった~(x_x;)
特に、風ね。
吹き飛ばされそうになる暴風。
お正月明けてから、ずっとこんな感じ。゚(T^T)゚。


ちょっとずつ、良い方向に動き出した。
私が変われば、相手が変わるって、身をもって実感(・・。)

とか言って、単にお正月で一息つけて相手の心に余裕ができただけだったりしてw
何にしても、嬉しいなラブラブ
やっぱり、真剣に向き合う、思いやりの心を持つ、きちんと気持ちを伝える、これ大事。

髪の毛、痛みが半端ないよ~かお

******************************

最近思うこと。
集団浅慮てゆのは何も今の日本にだけ起こってることじゃなくて、地球上至る所、人類の歴史の中でず~っと繰り返してきたこと。
万人が信じていることよりも、一人の人間が考えつくしてだしたことの方が正しいことがある。(特に自然科学系の歴史を見るとその繰り返し)
ドイツが、今何事にもすぐ市民が立ち上がる体質になったのは、ヒトラーのトラウマだとかいう説もあるとか。

足して2で割ったらちょうどいいと思うんだよね。っていうのはドイツ人男子との会話から生まれた結論wちなみに彼の彼女はドイツ‐日本のハーフww

十分でないとはいえ、ここまで多くの情報に自分からアクセスできる時代に生まれた。
そして発信できる時代に生まれた。
もう、歴史を繰り返さないためのツールはたくさん持ってると思うんだよ。

誰かにどう思われるか、よりも、大事なことがある。
信念を貫くこと。
自分に嘘をつかないこと。
自分の頭で考えて、自分の言葉で喋ること。
人として、どう生きたいかってこと。
私にとって、いつも以上に、こういう言葉、響くp(^-^)q


『皆に好かれる必要はない』
皆に好かれる必要はないよ。嫌われても自分らしい表情をし自分で考えた言葉を発することを常に心掛けよう。そもそも周りは自分が思うほど自分のことを気にしてはくれないもの。自分の人生の全ての権限と責任は自分自身にあることを認識しどんな状況でも自分を貫くことを忘れないこと。
ジョンキムの視点から


$with my own universe
私の心情を表していて笑ってしまった汗

『恐怖』
僕は君、人生がわからない、それで恐れているのです。
ひょっとすると、僕は理性を失った病人かも知れない。
正常で健康な人は、見たり聞いたりする一切のことを理解しているつもりですが、僕はこの《つもり》というやつを見事なくしてしまったために、来る日も来る日も恐怖に中毒しているのです。
(アントン・チェーホフ)


当たり前だけど、人生を生きるということの難しさを、人も感じているという点に安心を見つける。
私には分からない。楽しそうに、忙しそうに、いかにも充実している風に見えるあの子が、その舞台裏では人生の苦悩と対峙する瞬間もあるのだろうか。

見せない人の方が、社会的に信頼を集め、苦悩が表出してしまう人は敬遠されがち。

もちろん心情に左右されて、社会的責任を果たせないようでは論外だけど、そうでなかったとしても、大人になったらそういった現実社会と直接的に関係のない問いかけや苦悩は隠した方が良いのだろう。
そうでなければ、大人になっても中2病などと言われかねない。
アーティストや作家でない限り。

『決まりに少しでも逆らうアウトローで生きていくならば、自分が社会に出てもブレない軸を、他人から評価されるという付加価値をつけて持つことが強い味方になると思います。』

今日、とってもハッとさせられた言葉。
感受性豊かな私が、生きたいように生きるには、戦略という名の武器を持たなければならないと思う。
楽して、自然体で生きるには、○○だからという空気を作り出してしまうことが最善の策なのかしら。
そういう空気を作るのは楽しててはできないね。
自由

誰も自由を求めぬものはない。が、それは外見だけである。実は誰も肚の底では少しも自由を求めていない。その証拠には人命を奪うことに少しも躊躇しない無頼漢さえ、金甌無欠の国家の為に某某を殺したと言っているではないか? しかし自由とは我我の行為に何の拘束もないことであり、即ち神だの道徳だの或は又社会的習慣だのと連帯責任を負うことを潔しとしないものである。

   又

自由は山巓の空気に似ている。どちらも弱い者には堪えることは出来ない。

   又

まことに自由を眺めることは直ちに神々の顔を見ることである。
(芥川龍之介)


『自由は山巓の空気に似ている。どちらも弱い者には堪えることは出来ない。』

この言葉に初めて出会ったのは、小学校6年生の最後の冬、中学の入学試験会場。
入試であることとか、どう書くのが正解かとか、何も考えていなかった。
初めて出会った衝撃的なこの言葉を自分なりに解釈することに必死で、わくわくしてた記憶がある。
誰の言葉かも知らなかったけど、無性にキラキラしてた。
その後も、ずっと覚えていたこの言葉。
私の人生と照らし合わせて、これだ!ぴったり!みたいな経験はまだないのだけれど、常に心の中にある言葉。




この道で良かったのかなって、今日はじめて思っちゃった。

今、完璧に関心の矛先が今までなかった方向に向いてる。

無いものねだり、とかじゃないよ。

でも、迷いが生じたからこそ、後悔しないためには、あと一年をどう過ごしたらいいって考えられるし、今からでもできることはないかって、必死になれる。

今まで、あんまり深く考えずに、なんとなく流れて生きてきたっていう面もあると思う。

もちろん、この道に来なかったら、それはそれで後悔してたんだと思う。

やりたいようにしかできない。

やっぱりどこか、少し馬鹿だから、思った方に突き進んで、間違ってたなら間違ってたって自分で経験しないと気が済まないんだよね。

でもなんだろう、なんか嬉しい。

日本にいた時は、一日の殆どが研究。

でも一日中何て集中力続くわけもなく、余計効率悪くして、ばかみたいに夜中まで研究してた。

今考えると恥ずかしい。

それで大変、とか忙しいとか言ってさ。

触れる人はその手の業界のひとばかり。

特に院生になってからは、完璧に「外」の友達と話す機会も減って、狭い世界しか見えなくなってたんだ。

私は何も知らないし、知ることって、めちゃくちゃ楽しい。

一年って長いよね?

まだ、一年もある。まだまだ、できると思う。

社会に出る前に、どれだけ世界を広げられるかが勝負だと思ってる。

もちろん社会人になってからだって、そこからしか見えないものもいっぱいあるだろうし、どんなふうにでも、世界は広げられると思うよ。

でも、やっぱり時間や、責任ってものに縛られる度合いは、学生の比じゃないと思うんだ。

ドイツで学べたことは、そこだよね、学生なら、9時5時でもいいんだよ。

その前の時間も、後の時間も、好きなように使えるんだよ。

最高( ̄▽+ ̄*)

それにしても、自由は山巓の空気に似ているって、ほんと上手いよね。

鍛えなきゃいけないけど、鍛えればいいんだよ。