もしかしたら、
新しい何かを創り上げるためには、
普通の生活は邪魔なのかもしれない。

だって、「普通の生活」がおくれてしまうということは、
その新しい何かを「何が何でも生み出す必要性」とは対極に位置するものだから。

あえて、普通じゃない生き方、を選ぶ必要があるのかもしれない。

と、ふと思ったよ。

「創造」が日常化してしまってる人にはあてはまらないことかもしれないけれど、
ビギナーは試す価値あり。

だから、この震災・原発事故による、未だ終わらぬ「非日常」は、
平時以上の「創造」を誘発するんじゃないかな、と。

でも、「同じようなアイディア」を考える人なんて空間・時間軸を広げたら、きっといる。
殆どの場合。(エジソンの発明を彼がしなかったとしても、何十年・何百年後かには必ず誰かがしただろう)
そうなってくると、スピード勝負っていうのもあるし、ディテールっていうのが大事なんじゃないかな。
やっぱりスピードが大事だね。
それが未だ「世にない、この瞬間」にやる、ってこと。

普通じゃない、毎日。普通では持ちえない、悲しみ、怒り。
そういったものは、自然と、人を発明に、創造に駆り立てるんだと思うんだよ。

普通では持ちえない感情、といっても、ものすごい喜びっていうのは、そういうクリエイティビティを誘発する要因にならない気がするな。
それは恐らく、喜びの本質である充足感というのが、これまた、
新しい何かを生み出す必要性と対極にあるからかな。

よく「人と違う視点」「独創性」というけど、
それは人と同じことだけして、同じことだけ考えてても手に入らないんだね。
人が考えないような、たまにはバカみたいなことも、
突き詰めて考えてみるっていう頭の使い方も「創造」には効果的かもしれない。

あ、なんかとても当たり前のこと言ってる気がしてきた。
でもその当たり前を、身を持って体感してる、ということが大事。
そんな訳で、本日より、…突入します。



そして、タイトルに関しては、これのメモ。
『苦しい時に漏れ出るような言葉が人の心を捉えやすいのは、そこに自分を良く見せようっていう不純物が混入しないからだ。自分よりも他人に興味がある人も、どうすれば自分に興味を持ってもらえるか、あんまり興味がないから受け入れられやすい。自分をプレゼンしない人に、人は安心して興味を示す。』

かっこつけな私には、耳の痛いお言葉です。
でも、割と本質だなあと思う。